赤い痣
「キース・レイトン、だったわね」
店を出ると、辺りは暗かった。でも、賑やかな大通りに出てしまえば色々な店からの明かりで随分明るい。
人通りも多く、酔っ払いたちの上機嫌な笑い声や歌、話し声が辺りに響いていて、騒々しいくらいだった。
そんな中、わたしは少しだけ歩く速度を緩めて後ろについてきた彼の横に並んで訊いた。
「メルヴィル家については、今はどうやっても調べることができないの。あなたはわたしに何を教えてくれるの?」
「私の知っていることなら全て」
酷く神経質そうな声が返ってくる。
そっとその横顔を盗み見ると、キースの表情はただ静かなものだった。何の感情も浮かんでいないようにも思える。
「何故、わたしに接触を? どうやって知ったの?」
「中央の書類整理というのは、結構面白いものを見つけることがあります。マチルダ・ラングレーの名前をそこで見つけました」
「ああ」
なるほど、と思った。
確かに、中央には調書が残っているだろう。過去の事件のほとんどが、年度別にされてファイリングされていると聞いたことがある。
「ああいう事件の関係者は、名前を変えることが多々あります。だから、きっとマチルダ・ラングレー、そしてその家族もそうだろうと予測しました。その頃の風貌、司法局がするであろう行動を色々考えた結果です。あなたに行き当たったのは、偶然もありますが」
「偶然、ね」
「ええ」
そこで、キースは微かにわたしに視線を投げた。「ディーン・リーガンとは同期でして」
その名前を聞いて、唐突に胸が痛んだ。
この感情はよく解っている。
罪悪感、だ。
「ディーン……」
わたしがかすれた声でそう呟くと、彼は小さく頷いた。
「ええ、彼とはよく話すことがありました。彼は気さくで、私のような不愛想な人間でも気にせず話しかけるような人間でしたから」
「でしょうね」
無邪気な、明るい笑顔。
――マチルダさん、たまには一緒に食事に行ったりしませんか?
そんな風に声をかけてきた彼。
けして悪い人間ではなかった。いや、むしろとてもいい人だった。いい人……いや、子供のような人懐こさ。裏表のないと思われる感情表現。それに戸惑ったのは事実だ。
でも、わたしは彼を適当に――おざなりに扱った。誰にでも向けられる無邪気さ、それをわたしは疎ましいと感じたから。彼があんなふうに声をかけるのは、女性なら誰でもよさそうに思えたから。
でも、わたしが思っていた以上に、彼は真面目だったんだと思う。
だから。
「色々話をしているうちに、彼が北部にいる女性のことを口にしまして」
キースが続ける。「マチルダ・レオンハートという女性だと。美人で、口説いてみたいけど付き合ってる相手がいるみたいで、どうにかしてその相手を調べることができないのか、と」
「……バカなの?」
わたしは素でそう呟いた。「中央で何をやってたのよ、彼」
「その流れで、一緒にあなたの身の上というか、色々と調べまして」
「あなたもバカなの?」
「まあ、それがきっかけで色々な資料を見ているうちに、気づいたわけです。凄い偶然だと思いませんか」
そこで、彼はぎこちなく首を傾げて見せた。
わたしはしばらくその場で足をとめ、額に手を置いてため息をついた。
「まあ、いいわ。とにかく、どこかの店に……」
立ち話は疲れるわけだし。
どこか静かな場所に移動したい。
それともいっそのこと、わたしの家に行こうかしら。この時間なら、母さんも店じまいしている時間。お客もいないならゆっくり話ができる。ここからそんなに遠くないし、歩いてでもいける距離だ。
それに、もしかしたら父さんの死に関する情報が、キースからもらえるかもしれない。母さんもきっと知りたいと思うはずだ。
いや、それとも、知りたくないと思うだろうか。
もう随分月日が流れて、わたしたちの生活は落ち着いてきている。今さら知りたくないと思うことも考えられる。
どうしよう。
「関係者同士が接触するのは、あまり喜ばしいことではないな」
そこに、聞きなれた声が飛んできてわたしは肩を震わせた。
振り向けば、シドが眉間に皺を寄せて立っている。
――どうしてここに?
わたしは一瞬だけ、よからぬ想像をした。でも、きっと違うな、と内心で考えたことを振り払う。
「関係者同士?」
わたしはシドに小さく訊いた。「あなたは知ってたの? この……キース・レイトンがわたしの過去に関係があるってこと?」
すると、シドがまっすぐにわたしを見つめて頷いた。
「ああ、知っていた。こちらに人事異動になるという人間の身上書、過去の成績、色々とチェックしたからな」
「なーるほど」
そういうことね。
さっきの店を一緒に出たわたしたちを追ってきたのは、過去の事件の関係者同士が接触するのを防ぎたかったから。余計なことをするな、と釘をさすためだった。
決して、わたしが『男性と』一緒に店を出たから――だから気になったとかいう、単純な理由なんて絶対にありえないってことよね。
シドの頭の中は、仕事だけなのだ。
きっと、こんなつまらないことは考えないに違いない。
ああもう、こんなことを考えてしまうのはエドガーのせいね!
エドガーが変なことを言うから、つい気になってしまうわけで!
「でも何故、接触はまずいのかしら」
わたしはシドを軽く睨みつけ、腕を組んで見せる。「あの事件は結局、未解決のまま。資料を見たのなら、あなただって事件の顛末を知ってる。そうでしょ? それなら、関係者である我々が真実を求めても仕方ないと思わない?」
敢えて『我々』という単語を強調して発音してみると、シドがさらに渋い表情で唸る。
「理解はできる。しかし、未だメルヴィル家はかなり大きい力を持ってる。下手に動けばつぶされる可能性が高い」
「そうね」
それは確かに否定できない。「でも、どうしてもわたしは知りたいと思うわ。父が巻き込まれた事件の全貌と、犯人がどうなったのか、を」
そこで、わたしとシドの視線が真正面からぶつかった。
わたしは笑顔のまま、シドは仏頂面のまま。
「よーよー、ねーちゃんよー、どっか食事にでもいかない?」
そこに、また別の声がかかった。
陽気で、少しだけ柄が悪くて、でも憎めないその口調。
シドとキースが同時にそちらに視線を向けるのが解った。
わたしは思わずこめかみに手を置いてため息をついてから、そちらに顔を向けた。
「両手に花だね、ねーちゃん」
そう言ってそこに立っていたのは。
「誰だ」
キースが困惑したように呟いたのを聞きながら、わたしは小さく言った。
「ごめんね、うちの不肖の弟なの」
短い銀髪、それほど身長は高くないものの、よく鍛えられた肉体が服の上からでも解る。服装は酷く簡素なもので、いかにも旅人といった感じだった。汚れが目立っているから、きっとこの街に帰ってきたばかりなんだろう。
トニー・レオンハート。
それが弟の名前だ。
彼は無邪気な笑顔を向けてわたしを見つめ、落ち着かない様子でわたしのそばに歩み寄った。
「で、どっちがねーちゃんの彼氏?」
そう言ってバカがわたしの耳元で囁いてきたものだから、わたしは無表情のまま弟の後頭部を張り倒した。
「あんたは家に帰りなさい! いつだって話をややこしく……」
そう言いかけて、わたしの声が途中で消える。
これはいいチャンスなのだろうか。
後頭部を押さえて不満げな表情をしているトニーを見つめ、一瞬だけ考え込んだ。
「あんた、いつ帰ってきたの」
そう訊くと、トニーは予想通りの返事をした。
「ついさっき。風呂入りたい。腹減った」
「何でここにいるの」
「ただの偶然。今から家に帰るとこ。通りすがりにねーちゃんを見かけた」
「そう」
わたしはそこまで聞いて、シドに目をやった。
シドもキースも戸惑っているようだった。確かに、急に現れたのがわたしの弟で、そして多分、シドはトニーのことも知っているだろう。資料を確認しているというのだから、きっと。
「弟は賞金稼ぎなのよね」
わたしはシドに一歩近づいて囁いた。背後で「ちょっとちょっと」とうちのバカが慌てたように声を上げたけれど、それは聞き流した。
「何故、賞金稼ぎなんてアホみたいな仕事についたかといえば、あなただって予想はつくでしょ?」
「……犯人探し、か」
「そう」
シドの静かな声を聞きながら、わたしはさらに微笑んで見せる。「わたしは犯人を捜すために捜査官になった。弟は犯人を捜すために賞金稼ぎになった。それだけの違いだわ」
「……痴話喧嘩してんのかと思ったのに」
トニーがやがて不思議そうに首を傾げた。
何よ痴話喧嘩って! そんなのあるわけないじゃないの! あってたまるもんですか!
わたしが睨みつけると、トニーがわざとらしく首をすくめて後ずさった。
「ねーちゃんのお仲間ってやつか。何か、取り込み中なわけ?」
トニーは少しだけ探るように皆の顔を見回して、唇を歪めるように笑う。
すると、キースが静かに口を開いた。
「私はマチルダ捜査官との情報交換を希望します。私も父を失いました。そしてあの夜、犯人を見ています」
「え?」
「何の話?」
わたしの声と弟の声が同時に響いた。
そして、シドが辺りを気にしながら頷いた。
「でも、お前……君たちは考えたことなかったのか? その事件の後、連続していた失踪事件が途絶えた。普通なら考えることだろう。事件が起きなくなった理由、それは犯人が死んだか、もしくは司法局に逮捕されたか、どちらにしろ、事件を起こせない状況に陥ったのでは、と」
「そうね、確かにそれはそう思う」
わたしは素直に認めた。
その可能性はある。
「シド捜査官」
キースは辺りを気にしつつ、小声で口を開いた。かすかに首を横に振りながら、自分の服の袖をまくる。
その腕に浮かんでいるのは、魔法取締捜査官の印と……そして。
「犯人につけられた『印』です。これが消えてない以上、少なくとも彼はどこかで生きている。私はそう思います」
そこにあったのは、赤い痣。
それは動物――ウサギのように思えた。長い耳を持った小動物。
――いいか、皆で逃げるんだ。
急に父さんの声が頭の中に蘇る。
――父さんは駄目だ。目印がつけられてしまった。一緒には行けない。
そう言って父さんの腕にあった赤い痣。あれは確か、キツネのようだったと思う。長い尻尾を持った生き物。
「どういうこと?」
服の袖を素早く下ろしたキースを見つめながら、わたしは必死に考えていた。でも、全く頭が働かない。
「場所を変えたほうがいい」
シドがやがてそう言って、わたしはすぐに頷いた。
「わたしの家が近いわ。いきましょ」




