戦う術
「正直に言えば、我々は君の扱いに困っている」
シドは居住まいを正し、こちらを見つめ直した。「カウンセラーの言い分では、君は犯行現場を見ている可能性が高い。というか、ほぼ確定だそうだ。さて、ここで謎が一つ」
「ん?」
「何故グレイは君を解放したか、だ」
何故?
わたしはシドの台詞の意図を図りかねて首を傾げる。
「犯行現場を見た君を逃がすのはリスクが高すぎる。君が記憶を失ったのは、おそらく偶然だ。覚えていれば、グレイの足取りの手がかりになるかもしれないのに、何故?」
「……逃げるのに足手まといだった?」
わたしが考えながら言うと、シドはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「違う。何故、殺していかなかったのか」
「こ」
「それが一番安全だ」
「局長代理」
そこで、マチルダが口を開いた。「さすがにグレイも自分の肉体を殺すのは躊躇するのでは?」
そう、そうだよね。
わたしは小さく何度も頷く。
「そうだろうか? あのグレイに人間的な感情があるとは思えん。魔法も使えない、邪魔にしかならない自分の肉体に固執するとは考えられないがな」
「確かにそうですけど」
マチルダが小さく唸る。「……お気に入り、という話でしたね」
「ん?」
シドが片眉を跳ね上げてマチルダを見やる。
「あの……つまり、グレイの師匠が、という意味です」
マチルダは歯切れ悪く続ける。多分、マチルダはその師匠の名前を知っている。でも、わたしの存在を気にしてわざと『師匠』の名前を避けて言葉を選んだ。
「なるほど」
シドは微妙な表情で頷いた。「それは考えられる理由の一つだ。グレイはかなり気に入られていたみたいだからな、容姿を」
容姿か。
わたしは自分の頬を――正しくはグレイの頬だけど――撫でる。
そしてすぐに声を張り上げた。
「つまりグレイは、本で読んだことしかないけど男色家!」
「女だ女!」
シドが馬鹿にしたように怒鳴り返す。
そしてそれを聞いたわたしはニヤリと笑った。
「ああ、師匠って女の人なんだ」
「……お前」
シドはしてやられた、と言いたげな顔をした。マチルダはくくく、と小さく笑う。
「局長代理」
「解った、始末書を書こう」
彼は疲れたように額に手を置いた。それから、改めてわたしを見る。
「お前……いや、君はなかなか機転がきくようだ。余計な詮索をされるのも困るし、勝手に動かれても困る」
「でも、わたしは自分の肉体を取り戻したいです。そのためなら」
「手段を選ばない、か?」
わたしは頷いた。
シドは少し考え込んだ後、そっと嘆息した。
「ならば、ある意味話は簡単だ。好きにすればいい」
――どういう意味だろう?
わたしがシドを困惑の眼差しで見つめると、彼は言った。
「グレイが君を口封じのために接触する可能性は捨てきれない。このまま司法局を出れば――」
「ああ、つまり囮になると」
わたしは心臓が嫌な音を立てたのに気がつく。
「しかし、同じくらいの確率で、君と接触するのはグレイにとっても危険なのだ。我々に逮捕される可能性が高すぎるからな」
「やってみなきゃ解らないということですね」
「その通り」
彼はマチルダの責めるような視線に気がついて手を軽く上げた。「無責任に思えるだろうが、一番簡単な方法なのは解るだろう。あの女に接触することは、中央の上層部の一部の人間だけだ。それに、もし会えたとしても協力は得られない。たとえ人格転移の魔法が使えたとしても、きっと……我々の望むようには使わない」
「望むようには?」
わたしは眉を顰めた。
「あの女は化け物みたいなものだ。人間的感情はない。憐れみも喜びも感じない。退屈だからグレイみたいな子供の精神を歪めて遊ぶ。人間は玩具なのだよ」
うーん。実際に会ったわけでもないし、話に聞くだけじゃ実感は湧かない。
「一応確認しますが」
わたしは念のため訊いた。「その人は『人間』ですか?」
すると、シドは苦笑した。
「解らんな。とりあえず、見た目は若いが、数百年は生きているようだ」
さて、どうすべきなんだろう。
わたしは考え込む。
よく解らないけれど、その魔法使いの女性に会うことは無理っぽい。ならば、やっぱりグレイを捕まえてもらって、もう一度身体を入れ替えてもらうしかない。
でも、この司法局の建物内にいれば、絶対にグレイは接触してこない。
わたしにとっては安全。
しかし、いつまで?
一生、死ぬまでここにいることはできる?
多分、そんなことはできないだろう。
それに、わたしだって嫌だ。
それなら道は一つしかないよね。
「囮になるとして、わたしは誰かに守ってもらえるんですか?」
わたしはやがて顔を上げ、シドに訊いた。僅かに彼の表情が驚いたように見えた。
「もちろん、当分は監視下だが」
「当分か」
きっと、毎日ずっと、グレイが現れるまで――とはいかない。魔法取締捜査官だって、他にも事件を抱えている。
「結局、自分の身を守れるのは自分だけ、ってことですよね」
それは、自分に言い聞かせるための言葉。
わたしは何もできない。
今まで、危険とは関わらずに生きてきたから。
もし、グレイがわたしを殺そうと近づいてきても、きっと抵抗すらできない。
学園祭で簡単に誘拐されたように、きっとわたしは同じことを繰り返すんだろう。
「身を守るために必要なのは……」
わたしは必死に考える。「やっぱり魔法ですか? 今のグレイは魔法が使える。つまり、それに対抗するためには」
「確かにな」
シドは目を細めた。「しかし、君の肉体はグレイのものだ。魔法使いの免許を永久剥奪されている」
「ここに刻印がある」
わたしの手が無意識に胸に触れた。「もしわたしが魔法を学んだとしても」
「使うことは許されない」
「つまり、もう死ぬしかない」
わたしのその言葉に、シドが沈黙した。
マチルダもエリザベスも何も言わない。
「でも、仕方ないんですよね。わたしが生きてこの場にいることが奇跡のようなものなのでしょう?」
わたしは笑った。
死ぬのが遅いか早いか、その程度の問題だ。
「それに、グレイはわたしに接触しないかもしれない。接触されて死ぬか、もしくは残りの人生をこの肉体で生きていくか。そういうこと……」
八方塞がり。
ああ、どうしよう。何だか急に胸が苦しくなってきた。
意地でもグレイを捕まえて、元の姿に戻りたかったのに。
記憶を取り戻せば、グレイの居場所は解る?
だったら、カウンセラーのハワードに、無理矢理記憶を取り戻してもらえばいいのかもしれない。
もう、それしか方法がない。
精神が保たない?
そんなの知ったことじゃない!
わたしがもう一度シドを見つめ、口を開こうとすると。
「少し時間をもらえないか。魔法を使うことを特別に許可してもらえないか、上層部にかけあってみよう」
「え」
シドは酷く真剣な表情でわたしを見つめていた。
「胸の刻印は消せない。しかし、状況が状況だ。君は我々の捜査に協力し、命を危険に曝す。そのために必要な力を与えられてもいいはずだ」
「でもわたしは魔法を……」
急に言われて頭が働かない。
「今は魔法を使えなくても、これから学ぶ時間はあるだろう?」
シドはその時、初めてわたしに向かって優しく微笑んだと思う。
この人も、そんな風に笑えるのか、と意外に思ったほど。
「今すぐじゃなくても、少しずつ戦う術を学べばいい。君が、その気になれば、だが」
もちろん!
もちろん、その気はある!
わたしは気がつけば、笑っていた。少し、泣きそうにもなっていたけれど。




