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魔法使いは鏡の中で笑う  作者: こま猫
番外編1 隔離室での孤独な住人

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全然変わっていない

 何て恐ろしいことを思いつくんだろう。

 僕は彼女の背中を手で撫でながら唇を噛んだ。心臓が冷える感覚。

 時々、彼女の本質が解らなくなる。能天気なだけじゃない、と考え直させられる瞬間が今までも幾度かあった。

 今回もそうだ。


 おそらく、彼女の杞憂だろうけども。


 僕はエアリアルに何て言ったらいいのかと悩みつつ、北部局長の姿が視界に入ってきて身体が強張った。

 北部局長は、先ほどまではソファにふんぞり返っているだけだった。緊張感も何もあったものじゃなかった。

 でも今は違う。

 彼は少しだけ身を乗り出して、組んだ長い脚に手を置いてこちらを見つめていた。

 こちら――正確に言えば、僕のことだけを。

 表情は完全に消えて、ただ僕を見ているだけ。何を考えているのか解らない、無機質な輝きを放つ双眸は凄まじいまでに不気味に思えた。


 痩せた捜査官も、いかつい顔立ちの捜査官も、いつしか僕のことを探るような目つきで見つめている。

 北部局長のそばに立っているエリですら、その表情は強張っていた。


 考えろ。

 もし、エアリアルが言った言葉を否定することができなければ、司法局は完全に僕の敵になるだろう。もう二度と僕を隔離室に閉じ込めておくだけで済ませよう、なんて考えないに違いない。

 だって、そうじゃないだろうか?

 将来的にレティシアの紛い品になりそうな人間を生かしておくなんて危険なこと、絶対にするはずがない。


 考えねばならない。

 まず、エアリアルの考えを打ち砕くことだけを。


 僕は少しの逡巡の後、何とか口を開いた。

「あの生き物のことだけど」

 大丈夫だ、声は震えてはいない。いつもと同じように、笑う余裕すらある。

「たとえどんな犯罪者とはいえ、あんな化け物みたいな生き物に人格を転移されたら、精神的におかしくなるのはあり得ると思うよ」

 エアリアルはただ僕の胸に頭を押し付けたまま、何も応えない。その表情は見えなかったけれど、肩の震えは少しだけ静まった気がする。

「とても人間には思えない肉体に、強制的に入れられるんだ。しかも、元の肉体に戻る術はないだろうしね、絶望感は半端ないと思う。君は、そうなったら恐ろしいとは思わない?」

 そう言ってから、僕はついニヤリと笑った。

 もっと単純な話があったじゃないか、と思ったから。


「それ以前に、君は思わなかった? 僕と君は随分長いこと身体を交換していたわけだけれど、何か変化はあったかい?」

 人格転移。

 僕がエアリアルの肉体に入って生活していた期間は、短いとは言えない。

 もし、それが原因で何か影響があるというのならば、今の自分だって変化が起きた後なんだろう。

 しかし。


「僕はずっと君の肉体で生活していて、何も変化があったとは思えない。あったら困るくらいだ」

「何よ、それ」

 そこで、エアリアルが顔を上げた。

 わずかに目元が赤い。泣いたせいで腫れぼったく見えるけれど、それすら美少女というのは魅力的に感じさせてしまうものなのかもしれない。

「まあ、早い話、君の性格に僕が影響を受けていたとすれば、今頃もっと弱々しい人間になっているだろう、ということかな」

「失礼ね」

 む、と唇を引き結んだ彼女は、不快感を露わにして見せている。「わたしはそんなに弱くないわよ」

「その割にはよく泣い」


 突然、彼女が僕の鼻を摘み上げた。

「泣いてないわよ!」

 そう、顔を真っ赤にしつつ大声を上げながら。


「……潰れる」

 僕は微かに首を振って、鼻が潰される前に彼女の手を振り払った。

 エアリアルは僕を睨みつけたまま、じっと何か考え込んでいるようだった。そして、眉根を寄せて続けた。

「……変わったわよ。わたし、剣術が好きになった。今まで、やったことなかったのに」

「へえ」

「ちょっと! 真面目に話を聞いてる?」

「聞いてる」

「体術だって」

「あのさ、エアリアル」

 僕は苦笑を漏らした。「僕は剣術とか全く興味ないからね」

「え」

 そこで、エアリアルがぽかんと口を開けて固まった。

 ああ、やっぱりな、と思う。

 未だに僕に対する彼女のイメージというのは、『殺人鬼』のままなのだ。

「男性なら誰でも剣術が好きだとか考えるのはどうかと思うよ。特に、僕の場合はレティシアに命令されて仕方なく剣を振り回していただけだしね。むしろ、嫌いなんだよね、そういうの」

「そうなの?」

「普通、嫌いになるよね? やりたくもないことをやらされていると拒否反応が出るってことくらい、当然な流れだと思うけど」

「え? 本当に嫌いなの? 本当に?」

「むしろ、どうして君が剣術なんかに興味を持ったのかが不思議なくらいだよ。君は、黙っていれば深窓の令嬢として通じるくらいなのに、どうしてそう残念なんだろう」

「残念って何それ」

 エアリアルは突然、僕の身体を押しのけて壁際に逃げてしまった。そして、壁を見つめたまま何事かぶつぶつ呟いている。

 これが残念でなくて何だ。


「で、他に何か思い当たることは?」

 その背中に向けてさらに問いかけてみると、彼女は壁を見つめたままの姿で首を傾げた。

「他……剣術の他に変わったこと……」

 そこで彼女は振り返る。「性格?」

「それこそ不本意だ」

 自然と僕の口元から笑みが消えた。

「ちょっと待ってよ! これでも随分性格が変わったって言われるんだから!」

「へえ」

「大体わたしは、ずっと昔は。あ、あれ? あ、そうか」

 エアリアルが毒気の抜けきった表情で呟く。「性格が変わったのは……くーちゃんが。転移の前に……ああああ」


 どうやら彼女の中では何かが解決したらしい。

 がっくりと肩を落として今にもその場に座り込みそうなくらい、疲れ切っているようだ。

 ――やっぱり馬鹿なのは変わってない。

 そういうことだろう。

 僕は乱暴に頭を掻いた。


「君は全然変わってないよ。昔も今も」

 ふと、レティシアの屋敷から逃げ出そうと必死になって窓を開けようとしていた彼女のことを思い出した。

 元々、芯は強かったのかもしれない。ただ、一人で暴走する癖があるだけで。

「でも、前言撤回しておくよ。捜査官になるってことだけど」

「……何よ」

「結構、向いてるかもしれないってこと」

 僕は首を傾げて見せた。「僕は想像もしなかったよ、影響がどうとかいうのはね。情報をもらってなかった、というのもあるけど。でも、君は僕が思っている以上に、色々鋭いのかもしれない。観察力がある……とまでは言わないでおくけど、まあ、それはこれからに期待すればいいし」

「褒めてるの? けなしてるの?」

「褒めてる褒めてる」

「投げやりに言わないで」


 そこで僕は少しだけ言葉を切った。

 こんなことを口にするのはどうかと思ったけれど、何となく……。何だろう、これが『影響』?

 弱気になっている?

 この僕が?


「多分、『あれ』が壊れたのは――知能が低下したとかいうのは、環境とかそういったものも関係してるんじゃないかな」

 必死に言葉を探す僕と、それを困惑したように見つめる彼女。

「環境?」

「隔離室は……正直、色々きついからね」

 エアリアルがそこで顔をしかめた。そのまま、ゆっくりと僕のほうへと歩み寄ってくる。

「大丈夫なの?」

「たまにね、気が狂いそうになる。孤独には慣れてるつもりだけど、いや、慣れなきゃいけないんだけど。ずっと、あそこにいなきゃいけないんだから」

「でも」

「もし、可能なら……たまに会いに来てくれると嬉しい。無理ならいいけど」

「くるわよ。嫌だって言ったとしても」

 少しだけエアリアルは何か言いたげだった。ただ、言葉を探してみても見つからない、という様子で困惑もしているようだった。


「隔離室に完全に閉じ込めようとは思ってない。それなりに働いてもらうつもりではいるしね」

 急に、北部局長が口を開いてそう言った。

 僕がそちらのほうへ目をやると、さっきまでとは違う表情の彼がいた。困ったように笑いながら、頭を撫でている彼が。

「ただ、そう思っているのは私だけかもしれんしね、下手に期待されると困るが」

「いいえ、期待など」


 ――できるはずがない。


 という言葉は飲み込んだ。

 ただ、北部局長は僕の考えを読んだかのようにため息をこぼした。

「何とかしてやれるといいんだが、なあ」


 その後は、騒然とした空気に包まれることになって、その話は打ち切りとなった。

 中央魔法司法局からやってきたたくさんの捜査官が、前中央局長の屋敷の地下へと次々と入っていくことになったからだ。

 僕とエアリアルは、エリに監視されつつもしばらくその屋敷に留まっていたけれど、やがてエアリアルは帰宅しなくてはいけない時間になったらしい。エリに付き添われつつ、先にこの屋敷から出ていった。

 エアリアルは別れ際、酷く思いつめた表情で僕を見上げていたと思う。でも結局、何も言わずに別れることになった。


「シーヴァーだ。シーヴァー・マッケイガン」

 地下室へと続く階段のそばで壁にもたれかかっていると、痩せている捜査官が急に僕にそう声をかけてきた。

 無言で首を傾げると、彼はぎこちなく笑った。それが意外すぎた。

「お前が隔離室にいるなら、長い付き合いになるかもしれないしな。何か質問があったら声をかけるといい」

「ありがとうございます」

 僕は悩みつつも礼儀正しく応えた。

 何だろう、この急な変化は。

「あれはダフ・バンクス」

 シーヴァーという捜査官は、いかつい顔立ちの捜査官の背中を指で指し示しながら言う。「厄介なことに、一緒に行動することが多い。私よりも血の気が多いヤツだが、それなりに役に立つ」


 ――何て応えるべきか。

 僕が眉間に皺を寄せて考え込んだのを、シーヴァーは苦笑を漏らしつつ見つめた。

「とにかく、私が言うのも何だが、その服装は似合ってないな。後で適当なものを差し入れしよう」

「服?」

 さらに僕の頭の中に疑問が広がった。

 自分の姿を見下ろしてみれば、確かに質素すぎる服装だとは思う。何の飾りもない、ただ白いだけのシャツとズボン。しかし、囚人には充分すぎる。

「もらえるものはもらっておいたほうがいい」

「タダより怖いものはない、とよく聞きますが」

「確かにな」

 シーヴァーは小さく鼻を鳴らすと、そのまま仕事に戻ってしまった。

 そして、また壁にもたれかかって考え込む。

 どういう反応を返すのが正解なんだろう。


「引き上げるか、少年。いや、何て言ったらいいかねえ。もう少年ではないし」

 退屈を持て余しつつ床に座り込んでいる僕に、北部局長が声をかけてきたのは随分時間が経ってからだった。

 誰もが忙しそうにしている中で、ただ待つことしかやることがない僕の立場はかなり苦しいとも言える。

「どうとでも」

 立ち上がりつつそう応えると、北部局長は僕の髪の毛を掻き回して唸った。

「……髪の毛」

「……反応に困るんで、そういうことは言わないでもらえると助かります」


 夜も随分と遅くなってから隔離室に戻ることになったけれど、目に写る光景が昨日までとは何かが違うような気がした。

 実際、その後はささやかな変化があったことは認めざるを得ない。

 シーヴァーとダフ捜査官の僕に対する態度とか、そういったものが。ぎこちないながらも軟化している。

 少しはここで暮らすのも楽になるだろうか。

 そんなことを考えつつ、ベッドに倒れこみ、目を閉じた。



番外編1 了

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