影響
階上へ戻り、僕たちは応接間らしき部屋へと入った。
使用人らしき老人が慣れた動きで僕らをそこに案内し、僅かに困惑したような目つきで司法局の皆の顔を見た。
使用人らしき男性は、ローワン・サザーランドと名乗った。
短い白髪で、おそらく七十歳近いのだろう。痩せすぎともいえる細い腕がシャツの袖から覗いていて、皺だらけの顔、ほぼ皮だけといった感じの首筋が目立っていた。
ただ、その痩せた身体に合わせて仕立てられたのだとすぐに見て取れる質の良い服が、彼が裕福な人間であることも教えてくれていた。とても使用人らしき服装ではない。それとも、ここで――中央局長の屋敷で働いていたらしい彼は、よほどいい給料を与えられていたのか。
「お呼びたていたしまして、すみませんなあ」
応接間の中央近くに立った北部局長が、埃がたまり始めていたソファを軽く叩いて払ってからそこに腰を下ろした。
ローワンは一瞬だけ眉を顰めて見せたが、それが何に対する感情の表れなのかは解らない。
僕とエアリアルは応接間の壁に背中を当てるように立っていたが、他の捜査官たちも似たようなものだ。それぞれが緊張した面持ちでローワンを見つめる。
「あなたはこちらで長いこと働いていらっしゃったとか。それに間違いはございませんな?」
「……はい、その通りでございます」
ローワンは老人ではあったけれど、背筋の伸びた姿はとてもその年齢とは思えないくらいしっかりしていた。「何か、ご質問があるとかで?」
「ええ、まあ。とにかく、座りませんか?」
北部局長は飄々とした仕草で自分の向かい側にあるソファに座るよう促した。しかし、ローワンは薄く微笑んで柔らかく拒否した。
「もう、主はおりませんが……私は使用人でしたので。どうぞ、皆様がお座りになってください」
そう言いながら他の捜査官を見回したが、誰もその言葉に反応を返さない。
「その主の件ですが」
北部局長は自分の頭を撫で、単刀直入に切り出した。「彼がこの屋敷でやっていたことを、あなたは手伝っていらっしゃった?」
「何のことでしょうか」
ローワンの笑顔は崩れなかった。それはまるで仮面のようで、本当の笑顔には見えなかった。
「実は先ほど、地下室から大量の死体が発見されましてな。もし、あなたがこの件に関わっておられたなら、我々も放置しておくわけにはいかないのです。あなたはこの屋敷にずっと仕えていた使用人で、前中央局長が信頼していた人間だと聞いております。何しろ、この大きな屋敷のことをあなた一人がほとんど手入れしていたとか」
「確かに、私はこの屋敷に残されたたった一人の使用人でした」
ローワンは静かに応えた。「奥様がお亡くなりになってから、旦那様は私以外の使用人に暇を出されました。それは、ほとんど仕事からこの屋敷に戻られることがなくなったからです」
「戻らなくなった?」
「はい。奥様がお亡くなりになったことで、旦那様は変わっておしまいになりました。それまで、お嬢さまたち……若旦那様ご一家もご一緒にこの屋敷にお住いになっていらっしゃったのですが、いつの間にか……別のお屋敷へと居住をお変えになってしまいまして。使用人もそちらに随分移動してしまいましたので」
「ああ、参事官のご家族……」
北部局長は眉根を寄せ、何事か考え込んでしまったようで、それきり沈黙してしまった。
「なぜ、住まいを別に?」
痩せた捜査官が躊躇いがちに口を開いた。「正直、こちらの屋敷はとても大きいですから、とても一人で住むには……」
「愛妻家とは聞いていないが」
と、そこでいかつい顔立ちの捜査官も困惑したように口を開いた。「中央……前局長は仕事人間だと聞いてる。あまり家庭を思いやる人間とは思えなかった。それが、妻が亡くなってショックでも受けたと?」
「亡くなった方々のことを口にするのは躊躇いますが……色々あったのでございます」
ローワンの唇が少しだけ歪んだ。
苦痛とも違う、曖昧な感情。
「色々?」
痩せた捜査官が鋭い視線をローワンに向けた。
すると、老人の肩が少しだけ落ちた。
「……奥様はご病気でした」
「しかし、司法局の局長という立場なら金は……失礼、下世話な話になりますが、神殿に支払う寄付金には困らないでしょう。治療は上手くいかなかったと? まさか、金を惜しんで治療をしなかったとか」
「それはありません」
すぐにローワンが責めるような目つきで痩せた捜査官を睨んだ。「旦那様は尽力を尽くされましたが、神殿ではどうにもなりませんでした。治療は不可能だと言われ、旦那様は他に手段はないかとお探しになりました。しかし、残念ながら何もできずに」
――レティシアは?
僕はいつの間にか唇に指を当てて考え込んでいた。
隔離室に閉じ込めているレティシアですら何もできなかった、ということだろうか。神殿の連中は古代魔法を使う。しかしおそらく、レティシアのほうが古代魔法に通じている。
神殿に断られたなら、きっとレティシアに声をかける。
そんな気がする。
しかし、治療を断られる病気とは何だ?
「奥様は記憶を失うというか、少しずつ壊れていかれてしまったのです」
ローワンは視線を床に落とし、痛ましげに続けた。「最初は物忘れが激しくなった、という感じでした。しかし、ゆっくりと思い出せないことが増えていかれました。会話がなりたたなくなるまで、それはあっという間で」
「年齢的な問題だろう」
そこで、北部局長が低く呟く。「誰だっていつかは老いる。ただ、そこでどうなるかは人それぞれだ。……つまり、神殿では『頭』の老化を防ぐことはできなかった。そういうことだろう。肉体の怪我や病気は治せても、無理なことがある、と」
「ええ、そういうことでした」
ローワンが苦しげに息を吐き、北部局長を見つめた。
「その頃から、旦那様は少し……変わってしまいまして」
ローワンはそう言葉を続けたが、酷く歯切れが悪くなっていった。「もともと、健康には気を使われるかたでした。しかし、年齢というか……老いというものを極端に恐れるようになってしまわれました。奥様のそばで奥様の症状を毎日見続けることによって、それは酷くなったようで」
「だから、あんなことを」
人格転移。
やがて中央局長が選んだのは、肉体の交換。
自分の孫のものである若い肉体と、老いた肉体を交換して生きながらえること。
そして多分、一番に恐れたのは『頭』の老化なのかもしれない。
「私は使用人としてこの屋敷に残されました。旦那様が何かよくないことをしていらっしゃるのは、気づいていました。ただ、申し訳ありません、それを見ないことにしたのです」
ローワンは北部局長から目をそらした。
自責、というほど強い感情ではない。
ただ、後ろめたいという雰囲気だけは伝わってくる。
「……私はそれなりに給料をいただいている身でした。何となく、それが『口止め料』のようにも感じていました。あの屋敷で起きていること、旦那様がやっていることを見ないことを含めた金額であったと……理解して、ですから……」
「まあ、あんなのがバレたらいくら中央局長だってただじゃすまないからな」
いかつい顔立ちの捜査官が苦々しく言葉を吐き出した。「そうしたら、お前だって職を失うって理解していた、と」
「返す言葉もございません」
「……何か、実験をしていたんでしょうか」
痩せた捜査官がふと、北部局長を見やる。
地下室にあった遺体の山を見れば、前中央局長がやっていたことはただならないことだと解るだろう。犯罪者の肉体を使ってやっていたこと、それは。
「実験には間違いないだろうが、もう解らんだろう」
北部局長はただ苦笑を返す。「あのクソジジイもおねーちゃんも死んだ今となってはな」
「地下室はどうしましょうか」
「これから鑑識の連中を呼んで、全部運び出そうか。面倒だが仕方ない」
「解りました」
「若いの」
北部局長は、そこで一番若い捜査官に声をかける。すると、ずっと応接間の隅で立ち尽くしていた彼が居住まいを正した。
「ちょっと司法局にいって、頭数をそろえてきてくれないか。あまり目立たないように遺体を運び出したいから、そう責任者に伝えてくれ」
「はい」
その捜査官はすぐに頭を軽く下げ、応接間から出て行った。
そして、少しだけ辺りに落ちる沈黙。
それは酷く重かった。
北部局長も疲れているのを隠しきれていないようで、その雰囲気は重々しい。痩せた捜査官もいかつい顔立ちの捜査官も、何て声をかけたらいいのか悩んでいるようだった。
「大丈夫?」
僕はふと、ずっと無言で俯いているエアリアルに小さく声をかけた。
僕の横に立っている彼女は、酷く顔色が悪い。立っているのもつらそうに見える。
「このまま自分の屋敷に帰ったらどう? もう休んだほうがいい」
重ねて僕がそう続けると、彼女は俯いたまま、意外な言葉を口にした。
「あなたは……大丈夫なの?」
「僕?」
思わず苦笑交じりに応える。「僕はこういうことに慣れているからね。とても残念なことだけど」
「そうじゃなくて」
彼女は顔を上げてこちらを見た。
今にも泣き出しそうな顔で、こちらも戸惑う。
「言ってたの、あの……中央局長って人」
エアリアルが僕の服の裾を掴む。「問題は知能、だって」
「知能? 何の話?」
「レティシアが造った、あの透明な生き物のことよ」
「……ああ、あれが?」
隔離室にいた『何か』。
もう動かなくなった生き物、らしき物体。
「完璧な人工の生物を造ろうとしてた。そうでしょ? でも、人間の脳を造るのは無理だって。あのレティシアでさえ、造れなかった」
「ああ、そうだね。治療することすらできないんだから、造ることだって無理だろう」
「中央局長は、あの透明な生き物に人格転移させたって言ってた」
「え?」
「実験として、犯罪者の人格をあれに転移させた、って」
僕はそれを聞いて眉を顰めた。
それは初耳だった。そんな実験までやっていたとは聞いていない。
「でも、駄目だったんだって。時間が経ったら、知能の低下が起こるって。あの身体に転移させられた人格は、ゆっくり壊れていった、って」
「それは」
僕は何も言えなかった。
どう返すべきか解らなかったし、エアリアルの考えていること、エアリアルが今何に対して恐怖を抱いているのかさえ解らなかった。
「何で、そんな変化が起こるの?」
彼女の目が潤んでいることに気づく。僕のシャツを握りしめた指がどんどん色を失って白くなっていく。
「それは、もともとの脳が関係してるってことじゃないの? だから知能が……影響を受ける、ってことじゃないの?」
「……それは、そうかもしれない、けど」
「じゃあ、あなたは?」
エアリアルの眦からとうとう涙が零れ落ちた。
「僕?」
「レティシアの肉体に入ってしまったあなたはどうなの? それはもともと、レティシアの脳で、だから」
唐突に理解した。
エアリアルが恐れていること。
なぜ、僕に会いにきたかったのか。会って、何を確かめたかったのか。
「あなたも、いつか影響を受けてしまうのではないの? 変わってしまうのではないの?」
エアリアルがぼろぼろと涙をこぼしながら俯いた。「嫌よ、そんなの。わたし、今のあなたなら信用してる。信用したい。でも、そんなのは嫌だから」
僕は思わず、彼女の震える肩を抱き寄せた。




