死体置き場
一番に気が付くのは薬品の匂い。
しかし、それでも消せないものがある。
北部局長が先に暗い階段を降りていく。
痩せた捜査官が僕たちに視線を投げた。そして、北部局長の後に続くようにと身振りで促した。若い捜査官は僕らの後ろに立っている。
それに、小さくてたまに物陰に隠れてしまいそうなエリがエアリアルの横に。
「明かり、つけないのかしら」
エアリアルがそっと僕に耳打ちしてきた。すると、耳ざとくそれを聞いたらしい捜査官が低く言った。
「安全の確認が先だ」
「何それ」
「下手に魔法を使うと何が起こるか解らないってことだろうね。明かりであろうと何であろうとね」
僕は苦笑しつつエアリアルに囁く。
すると、エアリアルが眉をひそめて首を傾げた。おそらく、魔法に関する感覚が鋭くなっているであろう彼女なら解っているのだろう。魔法の存在は確かにここにあるけれど、施錠の魔法以外の波動はないということも。
「開けられるかね」
階段を降りたところで、北部局長がこちらを振り返って僕をまっすぐ見つめてきた。
階下の突き当たりの壁には、先ほどと同じ施錠の魔法がかけられている。薄く浮かび上がる魔方陣も、全く同じ構成をしていた。
だから、僕が手を伸ばして触れただけで魔方陣が消える。
そして、見た目は完全な壁でしかなかったそこに、木目の扉が現れた。
北部局長がその扉に手をかけようとした時、痩せた捜査官が鋭く声を上げた。
「私が先に入ります」
「すまんね」
北部局長が柔らかく微笑み、少しだけ身体を横にずらした。その隣を通り抜け、痩せた捜査官が緊張した様子で扉を開けた。
扉を開けた瞬間に広がる臭気。それは吐き気を催させるものだった。
捜査官の足が一瞬だけとまった。
「ここで少し待っていてください」
彼は思わず、といった様子で手で鼻と口を覆い、そのまま地下室へと入っていく。
「酷い」
彼の声はどこか茫然として聞こえた。
北部局長は扉のところでそれを聞いて、表情を引き締めた。そして、ゆっくりと地下室の中に足を進めた。
僕は後ろに立っていた若い捜査官を振り返る。彼は少しだけ戸惑っていたし、緊張していた。そしておそらく、不安も感じていただろう。顔色は優れなかったし、唇は硬く引き結ばれていた。
きっとその若い捜査官よりも怯えているだろうと予想していたエリは、僕の予想に反して冷静に見えた。表情は硬かったものの、臭気から想像がつくものに対しての恐怖感らしきものはどこにも感じられない。
「何なの」
エアリアルが僕のシャツの裾を掴んで囁く。
僕は彼女の肩に手を置いて、その肩が震えているのを確認した。少なくとも、これが一般人の反応だろう。
「スターリング」
そこに北部局長の声が躊躇いがちに響く。「他に何か魔法の気配は感じられるか?」
「いいえ、おそらく何もありません」
そう言いながら、僕はエアリアルの手をシャツから離そうとした。強張った彼女の手を何とか引き剥がし、その手を若い捜査官のほうへと突き出した。頭が働いていないのか、エアリアルとその捜査官はあっさりと手を握り合う。
それを確認した後、僕は地下室の中に足を踏み入れた。
「ちょっと!」
そこで我に返ったのか、慌てたようなエアリアルの声が背後に響いた。「勝手にいかないでよ!」
「君はそこにいたほうがいい。見なくてもいいものがある」
「離れると逆に怖いのよ! あなたが一緒にいてよ!」
「僕より頼りになる捜査官がそこに」
と、エリを指差してみると、エアリアルの隣でわざとらしく幼女が胸を張って見せている。しかし、そんな彼女の態度を無視してエアリアルは言う。
「こう見えてもわたしだって、一応捜査官志望なんだからね! 守られるばかりの女じゃないんだから!」
「進路変更をお奨めしたいね」
僕が眉を顰めてそう言った直後、呆れたような北部局長の声が飛んできた。
「痴話喧嘩は後でやってくれないか」
「痴話喧嘩?」
エアリアルが困惑したようにそう首を傾げると、その横でエリがにこにこ笑いながら言った。
「たまには、生物学的に女の子同士だということを思い出したほうがいいですよぉ」
「せ」
「っていうか、お二人っていつの間にそんなに仲が良くなったんですか? 何かお二人の間に仲良くさせてしまうようなことがあったんですか? わたしたちには何も言えないようなことが」
「ないわよ」
「ないね」
僕とエアリアルが同時に言う。
しかしすぐにエアリアルは僕の前に回り込んでくると、目を吊り上げて続けた。
「でも、わたしはあなたを信用してるんだからね! そこのとこ、解ってる!?」
僕は思わず後ずさりながら応える。
「……それは知らなかった、ありがとうとだけ言っておくよ」
「どうせその言葉も口だけなんだから」
エアリアルは幾分、気分を害しているかのようだった。腰に手を当てて何かぶつぶつと呟き、ため息をつく。唇を尖らせて不満げな目つきをしている彼女は、可愛らしくもあるけれど厄介でもある。
「スターリング」
そこで北部局長がまた僕を呼んだ。
僕はエアリアルとの会話をそこで無理やり終わらせて、彼のほうへと歩き出した。
北部局長のそばで、痩せた捜査官が膝を突いているのが見えた。しかし、僕らの会話を聞いて気になったのか、少しだけ首を捻ってこちらを伺っている気配も感じる。
そして、暗闇の中に見える『物体』にも目をとめた。
「エアリアル君、やっぱり君は出ていたほうがいい」
北部局長がのんびりとした口調で言う。
でも、エアリアルはそれに従う気配すら見せなかった。むしろ、聞こえていないふりをしたのだと思う。
おとなしく、地下室の外に出ていればよかったのに。
結局、エアリアルが元気だったのは先ほどの一瞬だけだった。
僕は北部局長の隣に立って、彼の許可の元に手のひらの上に青白い炎を魔法で作り上げた。暗かった地下室に明かりを灯した直後、痩せている捜査官の目の前に転がっている『もの』が浮かび上がる。
何体もの死体。
石畳の床に無造作に投げ出されているそれは、黒くなった血で汚れていた。綺麗な死体などない。
僕がレティシアに言われて『作って』いたような、人形のようなものなど一つもここにはないのだ。
それを見たエアリアルが鋭い悲鳴を上げ、僕の背中にしがみつくのが解った。
彼女の爪が腕に食い込んで痛いけれど、振り払うほど冷酷な人間ではないつもりだ。
――だから見ないほうがいいと言ったのに。
そうは考えたけれど、言葉にはしないで喉の奥に閉じ込めておいた。
「結構な数だ」
北部局長が床を見下ろしながらため息交じりに呟いた。「これは組み合わせるのが一苦労だぞ。何でバラバラになってるのがあるんだかなあ」
彼の言葉通り、人間が人間の姿をしたままの死体だけがここにあるわけじゃなかった。
切断されたと思われる腕や足が散らばっていたし、腐敗の進んでいるものもある。そしてそれほど腐敗していないものも。
切断面を見ると、剣などで力任せに叩ききったものではないものが多い。服を着ていない死体がたくさんあるのを見ると、何のための死体なのか気になった。
解剖か?
何かの実験のため?
もっと腐敗していない時に見れば、手術用の器具などで解体されたものなのか判断がつくだろうに。
「……防腐剤か何か、使っているものもありますね」
僕はその場に立ち尽くしたまま、遺体の山を観察して眉を顰めた。「ただ、上手いやりかたではありません。レティシアの仕業ではない」
「やっぱり、あのクソジジイか」
北部局長が疲れたように頭を撫で、また深いため息をこぼした。
気づけばエリが僕の隣に立って、素早く辺りを見回している。
「見覚えのある痣、入れ墨、ほくろなどを見ますと、行方不明となっている犯罪者の死体のようですねぇ。特徴のない部分はどうやったら見分けがつくんでしょうか」
「……痣とか覚えてるのか」
僕はそう彼女に声をかけてから思い出した。
彼女の記憶力の話だ。
「まさか、逃亡中の犯罪者の全ての肉体的特徴を?」
「はぁい、覚えています」
「優秀だな」
「うふふぅ」
エリが頬を染めて照れ笑いをした。
どこからどう見ても、この場にはとても似つかわしくない幼女の姿。
「……ありました、局次長の遺体です」
どうやら僕らの奇妙な会話の間中、痩せた捜査官はもくもくと遺体の山を片っ端から観察していたらしい。
触って証拠が消えるのを防ぐため、彼はただ遺体の周りを少しだけ距離を置いて歩き回っていた。そして、地下室の奥のほうに転がっていた死体の前で足をとめている。
「綺麗なほうでしょうね」
彼は苦々しいといった口調で続けた。「五体満足の遺体がほとんどない中、ただ殺されただけに見えます」
その言葉の通りだった。
中央の局次長の顔は僕もよく知っている。そこにあったのは、喉を切り裂かれただけの彼の遺体。恐怖に顔を歪ませ、身体の前面が凄い量の血で汚れている。
「殺された……いや、殺したのはあのねーちゃんが逃げた時とか、ばたばたしていたんだろう。きっと、殺すだけで時間的に精いっぱいだったのかもしれんな」
北部局長がそう言って、頭痛を覚えたかのようにこめかみを指先で揉んだ。
「失礼します」
そこに、いかつい顔立ちの捜査官が堅苦しい口調で声をかけてきた。
どうやら誰かを後ろに連れてきているらしく、他の人間の気配もあった。
「……これは酷えな」
しかし彼も、この場に漂う臭気に気を取られ、そして目の前に無造作に転がっている遺体の山にも息を呑み、しばらくそれ以上言葉を続けることができずにいた。
彼の背後にいるであろう人物は、廊下に立ち尽くしているようで入ってくる気配はない。
「とりあえず、上に戻ろうか」
北部局長がやがてそう言って、軽く手を挙げた。そして、すっかり顔色を失っている若い捜査官に顔を向け、優しく言った。
「ここを閉鎖しなきゃならんが、扉の見張りを頼んでもいいか? すぐに他の連中を呼ぶが……すまんな、あまりいい気分ではないだろう」
「いいえ、大丈夫です。お任せください」
若い捜査官は身体の筋肉を緊張させたかのように震わせてから、堅苦しい口調でそう応えた。さすがに捜査官というべきなのか、若くてもこんな状況なのに取り乱すことなど少しもなかった。
「出よう」
やがて僕はそっと振り向いて、僕の背中に張り付いたままのエアリアルにそう声をかける。
「……うん」
彼女の声が震えていたのは、死体に対する恐怖からなのだとこの時は思っていた。
でも、きっとそれだけじゃなかったのかもしれないと後で思い直すことになる。




