幼女とお茶
彼らの背後には一人の男性捜査官が立っている。おそらく監視役だと思われる彼は二十代後半くらいで、無表情で僕たちの顔を見回していた。
エアリアルはぎこちなく辺りを見回した後、改めて僕を見つめた。そして、僅かに首を傾げて見せる。
「ずっとこの中にいるの? たまには外には出られないの?」
「無理だね」
僕は苦笑しつつ応えた。「というか、君がここにこられるとは思わなかった。面会の許可は簡単に下りた?」
「簡単ではないわね」
エアリアルはそうため息をこぼしながら、部屋の中央にあった椅子に腰を下ろした。
今日の彼女の服装は、おそらく彼女が通う学園のものなんだろう。地味な色合いの制服ではあるけれども、いかにも良家の令嬢が身に着けそうな質のよいものだと一見して解る。
それに比べれば、僕の恰好なんてものは実に質素だ。
白いシャツに、白いズボン。スカートでなくてよかったと内心では思っている。いかにも囚人が身に着けそうな服装だけれども、不満に感じたことはない。
どことなく、目の前にいるエアリアルの横顔は疲れているように見えた。
そして彼女は、テーブルの上に僕が置きっぱなしにしていた魔法書をぼんやりと見つめながら続ける。
「まあでも、北部の局長はいい人だから。何とかしてくれたわよ」
「北部ね。確かに彼は話が通じそうだ」
僕も彼女の近くに歩み寄り、その横顔をそっと観察しながら空いていた椅子に腰を下ろす。そして、彼女が見つめたままの魔法書を自分のほうへと引き寄せる。
「見たことのないタイトルだわ」
エアリアルが低くそう呟くと、見た目十歳くらいにしか見えない幼女が興味を惹かれた様子でこちらに近づいてきた。
「内容は高度治療魔法だね。レティシア好みではある」
僕が小さく囁くと同時に、幼女が急に声を上げた。
「あのう、お茶とかいただけるんですか?」
幼女――おそらく捜査官であるだろう少女が、無邪気な笑顔を扉のところに立ち尽くしたままの捜査官に向けて言う。すると彼は酷く嫌そうな表情で彼女を見下ろした。
「面会時間は三十分と言われていますが」
と、その彼が冷ややかに言うと、少女はくすくす笑った。
「三十分でもお茶くらい飲めますし」
しばらく、幼女の無邪気な笑顔と無表情捜査官が睨みあう。まあ、睨んでいたのは男性のみではあったけれど。
「すぐに戻ります」
そう言って、男性捜査官がドアを開けて出ていくと、幼女がそわそわとしながら僕を見た。
「すみませんが、十分ほどお借りしてもいいでしょうか。いえ、せめて五分」
「……何を?」
幼女が魔法書を指さして、僕は困惑しながら頷いた。
すると、彼女は素早く魔法書のタイトルに視線を投げ、「わたしも知らないタイトルですので」と僕の手の中から魔法書を取り上げて部屋の隅へと持っていってしまった。
幼女は魔法書を抱えたまま、隔離室の本棚を一瞥する。それから数冊ほど本棚から抜出し、床の上に座り込んで魔法書を広げた。
「ごめんね、あれ、わたしの先生でもあるの」
エアリアルが眉根を寄せ、幼女を指差した。
「先生?」
「そう。魔法はほとんど彼女に習ったわ」
「……それはそれは」
僕らが彼女を見つめているのをきっと幼女自身、気づいているだろう。しかし、魔法書のページをめくることだけに集中しているようで、視線はこちらには向かない。凄まじい勢いでめくる音だけが隔離室に響いた。
「よし、覚えましたぁ!」
幼女は『いい汗かいた』と言いたげに額を手の甲で拭うと、取り出した魔法書を次々に本棚に戻していく。しかも、楽しげに鼻歌を歌いながら。
「覚えた?」
僕がこっそりとエアリアルに訊くと、彼女は目を細めて応える。
「そう。羨ましいわ、あの能力、あの記憶力! こっちは試験で大変だってのに!」
言っているうちに感情が激昂したのか、エアリアルは急にテーブルに額をがつん、とぶつけて突っ伏した。
「……痛くない?」
僕が訊くと、彼女はがばりと起き上がって泣きそうな顔をした。
「痛いに決まってるでしょ!?」
「ああそう。まあ確かに、いい音がしたよ。テーブルが」
……さて、この問題児をどうしたらいいものか。
そう考えながらも、僕はつい笑い出してしまう。すると、エアリアルが潤んだ目で僕を睨みつける。
「どうしてサイモンといいクレアといいあなたといい、わたしに対する扱いが酷いの!? もうちょっと優しくしてくれてもいいと思わない!? こっちは女の子なんだから!」
「サイモンというのが誰なのか解らないけど、僕は君には優しくしてるつもりだけど。何が不満?」
「優しい!? 本当に!?」
「本当に」
「信用できないわ……」
と、彼女はまたテーブルに頭をがつんとぶつけるようにして突っ伏してしまう。そして、そのまま動きをとめた。
そういうエアリアルのほうこそ、僕に対する見解を改めて欲しいと思う。
最初の出会いかたが最悪だったから、無理だと言われればそれまでだが。
「最近ね、本気で考えてるの」
エアリアルはテーブルに額を押し当てたまま呟く。「捜査官になるためには、めちゃくちゃ成績優秀じゃなくちゃいけないって聞いたから、頑張ってるのよ、勉強も運動も」
「捜査官」
僕は眉を顰めた。「何て無謀な」
「うるさいわよ、もう!」
エアリアルが喉の奥からまるで威嚇でもしているのかと思わせる音を上げた。テーブルに押し当てた手が、苛立ちを表すかのように痙攣し、そしてテーブルの上に爪をたてるという暴挙に出た。テーブルががりがりと不快な音を立て始め、幼女が「爪が割れますから」と慌てたように声を上げていた。
「剣術部も女だからっていう理由で入部を断られたし! わたしは強くなりたいのよ、どうすればいいっていうの!」
悲壮とも言える感情を込めた彼女の声。
僕はただ小さく唸った。もう強くなんてならなくてもよさそうなものだ。もともと彼女はオーガスティンという裕福な家の令嬢なのだから、ただ椅子に座って笑っているだけでもいいくらいの人間のはずではないか。
「女の子なんだし、剣術なんてしなくても」
僕が言うと、エアリアルが苦々しく応えた。
「こんな時だけ女の子扱いとかおかしいわよ」
「正直、君の扱いかたの説明書が欲しいくらいだ。どう応えれば正解か言ってくれないか。というか、こんな会話をしにここに来たのか?」
「それだけじゃないけど」
「じゃあ何を」
そう言い合っているうちに、隔離室の扉が開く音がした。
お茶か、と思いつつそちらに目をやると、そこにいたのはさっきここにいた捜査官ではなかった。
「……来客か」
そう困惑しながら言ったのは、顔は知っていても、名前は知らない捜査官。
数日前、中央局長の屋敷の地下室のことについて話をした二人の捜査官たちだった。
そして、それほど時間を置かずに開かれる扉。今度はお茶を乗せたトレイを手にした捜査官の姿がそこにあった。
「あ、すみません。人数が増えましたぁ。お茶の追加を」
状況がつかめず身体を強張らせた若い男性捜査官に、にこにこしながら話しかける幼女。この幼女もなかなか考えていることが読めない。
若い捜査官はテーブルの上に白いカップ――ソーサーなんてものはない、本当にお茶だけ入れてきたらしいカップを乱暴に置くと、すぐに踵を返して出て行ってしまう。背中を見ただけでも、何でこんなことをさせられているんだ、と文句を言いたげであることが解る。
「よく許可が下りたな」
いかつい顔立ちの捜査官のほうがそう言って、テーブルから顔を上げたエアリアルをまじまじと見つめる。もう一人のほうの痩せぎすの捜査官は、困ったように薄く微笑みながら幼女に声をかけた。
「あなたは北部の捜査官ですね。面会時間はあとどのくらいでしょうか。時間さえ解れば、また出直してきますが」
さすがに捜査官が相手であるせいか、敬語で話す彼。礼儀正しく話しかける彼は、中央の人間らしくいかにもエリート然としていた。
「あと二十分弱です。あの、あなたがかたはどのようなご用事でここへ?」
すぐに幼女が首を傾げ、笑顔を絶やさずに言った。「わたしたちのことはお気になさらず、ご用事があるようでしたならどうぞ」
「いえ」
「さっきの若いかたが帰ってくる前にどうぞ」
しかし、痩せているほうの捜査官は、ただ苦笑を返しただけでもう一人の捜査官に目くばせした。
そして、彼らが出て行こうとする背中を見つめながら幼女が明るく言った。
「グレイ・スターリングさま。何か彼らに脅されていたり、嫌がらせなどされていますか? もしそうなら局長に報告しておきますけども」
――さま付けか。
僕はただ目を細めて幼女を見つめる。
「嫌がらせ……?」
気が付けば、エアリアルが唸るように呟いていた。その声に含まれた緊張感を感じ取って、僕は慌てて手を振りながら否定した。
「呼び捨てで結構です。大丈夫です、何もされていません。ここでは丁重に扱われていますので、ご心配なく」
自分では自然に見えるように笑えたと思ったが、幼女はそんな僕を見ながら意味ありげに笑った。
「じゃあ、捜査協力? 一体何をされているんですか? あ、ちなみにわたしも捜査官の端くれですもの、スターリングさまはこんなわたしの質問に応えてくださいますよね?」
「そう、ですね。僕は司法局の人間に逆らうことはできませんから」
僕がちらりと扉のほうに視線を投げると、捜査官二人が足をとめてこちらを振り向いていた。
「中央局長の屋敷についての情報です」
痩せているほうの捜査官が穏やかに口を挟んできた。




