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魔法使いは鏡の中で笑う  作者: こま猫
第七章 始まりの場所、終わりの場所

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退屈な日々

 隔離室での生活は、よく言えば平穏、正直に言えば退屈だ。

 規則正しい生活といえるのだろうか。朝起きて顔を洗い、隔離室に運ばれてくる食事を取る。僕に与えられた娯楽というものは、せいぜいが本棚にある魔法書を読むくらいで、その他にここでやることは何一つないと言っていい。

 隔離室の中にある魔法書は、ほとんどが治療魔法に関するものばかりだ。僕が知らない魔法が多く、読んでいれば暇つぶしにはなる。隔離室の壁は、中の住人が魔法を使っても外には影響が出ないように魔法がかけられているから、実験と称して治療魔法の呪文の詠唱を練習しても問題はない。

 ただ、練習にはなるけれど実際の効き目は確認できない。そこに魔法をかけられる対象がいないからだ。

 少しだけ、『実験対象』が欲しいとも考えた。実技練習だ。あまりにも暇すぎて、退屈すぎて、変化が欲しい。だから、何かやることが欲しいと思う。

 しかし、そこで嫌な考えに囚われる。


 ――レティシアも、ここで『実験』をしていた。

 中央魔法司法局の局長の希望通りの実験。

 そして中央局長の欲望すらも利用して、己の研究の材料にした。


 僕がこの隔離室に入れられる前に、この部屋から撤去されたものがある。それは、彼女が使っていた解剖台であったり、解剖のための器具。摘出した内臓を保管しておくための容器や、保存のための薬や液剤。

 いっそのこと、この部屋にい続けている『あれ』も一緒に撤去してもらえたらよかった。彼女が造り出した疑似生命体。おそらく、もう生きてはいない『何か』。肉体は透明で、攻撃しても壊れはしないだろう。強靭な身体を持ち、知能を持たないであろう生物。きっと、隔離室から持ち出したとしても、どうにもならないと司法局は判断したのだろうか。

 事実、『あれ』はレティシア以外の人間にとっては扱いに困る存在だと思う。

 それにもう、動くことすらしない。部屋の隅にじっと立ち尽くしたままだ。最初の頃はまだ、生きているような気配だけはあった。でも、もう今は死体と同じような、無機質な置物のようになってしまっている。

 レティシアの遺物と呼ぶべきなんだろうか。

 彼女が本当に造り出したかったのは、きっとこれではない。これはただの気まぐれで、中央局長の命令によって造っただけの代物。

 そして、時間がゆっくりと流れていくにつれて、『それ』はこの世界から消えていくような感じがしていた。立っているその場所の空気の揺らぎというものが、だんだん薄くなっていくのも確かだった。

 正直なところ、早く消えて欲しいと思う。

 レティシアの遺物が残り続けている隔離室は、今もどこか彼女の気配が残っているような気がしてならない。

 まだ彼女がこの世界に生きているのではないか、そんなことすら考えて気が滅入る。


 自分はレティシアに影響を受けているのではないか。

 そう思うのは当たり前のことだろう。あの化け物に育てられた自分は、おそらく一般的な人間とは違う考えかたをしているのかもしれないし、人格的に問題がないとは言い切れない。

 事実今も、人を殺すということに嫌悪感はない。

 必要ならばまた自分は誰かを殺すだろう。

 ただ、分別はわきまえているし、自分の現在の立場もよく理解している。必要のない殺人はしない。

 だから、僕は処刑もされずに今もここで生かしてもらっている。


「君の子供の頃の話なんだがね」

 カウンセラーとやらが優しげな笑みを浮かべて何か言っている。


 僕の退屈な生活の合間に、この隔離室に定期的にやってくるのは、僕の精神的なケアを行うというカウンセラーだ。彼の名前は覚えていない、というか覚える気がない。

 中央魔法司法局に勤めるカウンセラーなんだという。捜査官たちだけではなく、犯罪者の精神的なケアまで行う人間。

 柔和な顔立ちの年配の男性で、いかにも「僕は君の味方だよ」と言いたげな雰囲気だ。きっと、心の弱っている人間なら簡単に丸め込まれてしまうだろう。穏やかな口調、真摯な輝きを放つ瞳。それを武器に彼は人間の心に入り込み、弱点を見抜き、ゆっくりと攻め入る。それは攻撃としか思えない。さらに弱った人間に手を差し伸べて、彼に依存させようとする。

 カウンセリングは僕にとっての戦いにすぎない。

 ケアとは何か。

 彼は彼のやりかたで僕を服従させようとする。それは、僕が犯罪者であると彼が認識しているからだ。危険な動物なのだと思っているからだ。

 彼は僕を従順な人間にしようとしている。攻撃性のない、人間へと作り変えようとしている。

 そして僕は、それを受け入れるつもりはなかった。


 彼に僕の何を理解できるというのだろう。その上から目線の優しさは、不快でしかない。

 しかし、神官長とやらよりは扱いやすい。

 僕はカウンセラーに微笑みかけ、彼の自尊心をくすぐるための言葉を口にする。彼を頼っているように見せ、時には過去の悪行を起こしたことに苦しんでいるように演技をして見せる。

 実際に、見たくないものをたくさん見すぎてきた。

 苦しんでいる演技はあまりにも簡単だ。レティシアがやってきたことを、そして無理やり従うしかなかった自分を、憎み、嫌悪するそぶりをして見せるだけでよかった。

「普通の家庭に生まれたかった」

 とか。

「どうしてあの女に捕まってしまったのか」

 とか。

「友達が次々に殺されていった。血で汚れた床を掃除しながら、次は自分の番だろうか、と恐れながら従うしかなかった」

 とか言っていれば、カウンセラーは気の毒そうに僕を見やり、さらに優しく声をかけてきた。


 こんな自分は醜いだろうか?

 きっと、普通の人間なら「そうだ」と言うだろう。

 カウンセラーが隔離室にやってくる時は、いつも捜査官が二人付き添ってくる。彼らの視線もかなり鋭い。僕に対する警戒心、嫌悪感のようなものも感じられる。

 ただ唯一、意外だったのは北部の局長の対応だ。

 彼は本当に僕のことを心配しているような態度で――演技なのかもしれないが――、僕の生活環境に対する配慮もしようとしてくれていた。ただ、今の中央魔法司法局は、前局長の死にまつわる一件のせいで色々と慌ただしい。彼が隔離室に立ち寄ることはほとんどなくなったし、忙しいからこそ、僕という存在もここで適度に放置されているんだろう。

 安穏とした日々。

 最近は、カウンセラーと『戦う』ことだけが娯楽になりつつある。


 ――暇だ。


「肉体が女性になったことに対する混乱は?」

 ふと、カウンセラーが立ち去り際にそう問いかけてきた。

 憎むべき女の身体に入ってしまったことに対する混乱について、彼は以前訊いてきたことがある。その時は、「鏡を見ることすら嫌です」と言った。

 それはエアリアルには絶対に言えない言葉だ。

 きっと、そんなことを言ったら彼女はあの瞳を曇らせる。

 基本的に能天気で、思い込んだら猪突猛進して当たって砕け散る、といった感じのエアリアルだけれど、意外と落ち込みやすい性格をしているらしい。そういった単純な彼女だから、つい僕としてはからかって苛めてしまいたくなるのだけれど、深刻な意味では落ち込ませるつもりはない。

「でも、受け入れるしかないですよね」

 僕はカウンセラーに続けて言った。僕の発言がどこをどう回ってエアリアルに伝わってしまうかも解らないからだ。言葉選びには気を付けないといけない。

「女性になると筋力が落ちる、そういったことには戸惑いを感じます。でも、気にしないようにはしています」

 そう言って首を傾げ、彼に微笑みかける。

 すると、カウンセラーは苦笑を返してきた。

「そのくらいしか混乱はない?」

「はい。……多分」

 便利だと言っていいのだろうか。レティシアの顔は、苛立つくらいに綺麗な顔立ちをしているから、笑顔すら武器となる。弱々しい笑いかたさえ心がければ、儚げな美女を装うことすらできる。

「色々とありがとうございます。何か困ったことがおきたら、相談させてください」

 僕がカウンセラーに一歩近づいてそう言うと、彼は親しげに僕の肩に手を置いて、いつもの『営業スマイル』的なものを向けてきた。『君の味方だよ』と言いたげな笑み。

 肩の上に置かれた彼の手を振り払いたくなったのを必死に我慢しつつ、僕はできるだけ自然な笑顔になるように意識しながら、カウンセラーのすぐそばに立っていた捜査官のうちの一人に声をかけた。

「あの、すみませんが……治療魔法以外の魔法書を読むことはできるんでしょうか」

「魔法書?」

 声をかけられた捜査官は、おそらく三十代後半くらいのいかつい顔つきをした男性だった。目に見えて警戒心丸出しといった様子で、僕を苛立ち交じりの目で見つめてきた。

「ここにあるだけの魔法書だけじゃ不満なのか?」

「いえ、無理なら結構です」

 僕は慌てたように首を振って見せた。「ただ、僕の知識はあの……彼女によるものばかりなので、もっと正しい魔法を勉強できたら、と考えただけなので。すみません、余計なことを言いました」

 とにかく下手に出て言ってみると、カウンセラーがそこに口を挟んできた。

「確かにそれは重要かもしれない。あらゆる意味において、正しいことを学ぶというのはいいことだろう」


 ――単純だな。

 僕は内心、そう考えたものの、できるだけ無邪気に見えるように感謝の笑みをカウンセラーに向けた。

 この笑顔はエアリアルを観察して真似ただけなんだけれど、それは存外効き目が強かったらしい。カウンセラーの表情がどこか満足そうに緩んだのを見て、僕は内心で困惑していた。

「上司に訊いてみる」

 捜査官が不承不承といった感じで頭を掻く。そして、僕がカウンセラーが隔離室の扉から廊下へと出ていくのを見送っていると、少しだけ遅れてここを出ていこうとしている捜査官二人が、お互いにだけ聞こえるように囁き合っているのがかろうじて聞こえてきた。

「あのおっさん、女に弱いのか」

「美女に弱いんだろ」

「でも、中身は」

 そこで、捜査官二人の視線が僕に向けられた。真正面からそれを受け止める形になった僕は、ただ曖昧に微笑んで見せる。

「おい、ええと、グレイか」

 いかつい顔つきの捜査官が困惑したように囁いた。「お前、まさかさっきのおっさんが……いや、男が、いや、何というかあのおっさんを誘惑して何か企んでいるとか」


 何を考えてるんだ、こいつは。


 僕は一瞬大きな声を上げそうになったけれど、必死にそれを堪えた。よくやった、と自分に言いたい。

 そして、何を言われているのか解らない、と考えているのが彼に伝わるようにまた首を傾げて見せた。困惑を装いつつ、小さく唸るようにして言う。

「すみませんが、僕はこれでも中身は男性なので。誘惑するなら女の子のほうがいいです」

「そう……そうだよな」

 彼はため息交じりにそう言って、軽く手を挙げて目を伏せた。「……いや、それはそれで問題なんだが」

 そして彼らが隔離室から出ていった後、僕は自分でもよく解らないけれど落ち込んだのだった。


 一人きりになってしまうと、ただの静かな部屋。話し相手は誰もいない。

 何だか急に何もやる気が起きなくなって、そのまま奥の部屋のベッドへと倒れこんで目を閉じる。

 こんな毎日は優しい拷問に近い、そう思った。

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