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魔法使いは鏡の中で笑う  作者: こま猫
第七章 始まりの場所、終わりの場所

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終わったのかもしれない

 気づけば、色々なところに綻びが見える。

 レティシアがいなくなったから、彼女のかけた魔法が壊れていこうとしているのだ。さっきまでは、古いながらも頑丈で重厚な雰囲気を持っていた壁、床、それらが今にも壊れそうなほどに傷んでいるのが解った。

「何があったのか訊いていいか」

 グレイが困惑したように囁いた。彼の手のひらは冷たく、僅かに震えていた。わたしは彼の手を握り直し、小さく応えた。

「……一緒にきて」

 わたしは彼の手を握ったまま立ち上がる。彼を支えるようにして腕を引くと、グレイが立ち上がりながらその手で自分の唇を撫でる仕草をした。何か考え込んでいる時の彼の癖だ。

 そして、グレイは眉間に皺を寄せた。

「……落ち込んでいいか」

「何で?」

「色々複雑だ。でも」

 彼はそこで小さく笑って、その手を伸ばしてきた。わたしの頭を探して、少しだけ宙を彷徨う腕。でも、わたしの頭に手を置くと少しだけ優しく撫でた。

「よくやったよ、感謝する」


 そこで、また泣きたくなった。

 でも、必死にこらえる。

「そうかな」

 そう言いながら、彼にもたれかかる。何だか自分がよく解らない。さっきからずっとそうだ。グレイは殺人鬼で、でも本当はそんな恐ろしい人じゃなくて。でも、やっぱり人を殺したことに間違いはない。

 それでも、わたしは彼のことが怖いと感じなくなっている。

 それはやっぱり……わたしも彼と同類になったからなんだろうか。わたしも、人を殺したから?

「すぐに皆がくると思う」

 わたしは彼の肩に自分の頭を押し付けたまま、小さく続けた。「その前に、どうしたらいいか教えて欲しい」

「何がだ」

 彼は静かに言う。相変わらずその目は見えていないようだ。立ち上がったまま、動くことができずにいる彼。

 わたしはその彼の手を引いて、隣の部屋に移動した。

 扉が酷く軋んだ音を立てた。

 嫌な匂いはさっきより強くなった気がした。レティシアと一緒に入った時よりも、鼻につくような、何かが腐ったような匂いは辺りに広がってきている。

 微かな水音が響く。

 『それ』はまだ、生きている。


「何だ、これは」

 見えなくても、『それ』の波動を感じたのだろう。大きな池の中に棲む何かの気配。

 グレイは険しい表情で何かを見るかのような仕草をしてみせる。

「何か、ここにまずいものがあるんだろう」

「うん」

 わたしは頷く。「これ、このまま司法局に渡してもいいのかな」

「……これは何だ? エアリアル、君は解るのか?」

「レティシアの力の源、だと思う。彼女はこれを体内に入れて、凄まじい魔力を得たの。不老不死に近い肉体も」

「体内に入れた?」

「うん。わたしが食べたお菓子の中に入ってたのもこれ」


 グレイが沈黙した。

 わたしの肩に置かれた彼の手に、力が入ったのを感じる。

「でも、毒なんだって。食べたらほとんどの人が死ぬ。でも、生き残れば凄い力を得ることができる。わたしは偶然生き残ったから、レティシアはわたしの肉体が欲しかったんだって言ってた」

「ああ、なるほど」

 彼はため息と一緒にその言葉を吐き出した。「僕が彼女を化け物と感じたのは、あながち間違いではないということか」

「ねえ、グレイ。これを司法局に渡したら、それで全部終わるかな。もうすぐ、ここへの穴が開くと思う。そうしたら、皆が『これ』を見る。そうしたら」

 わたしはそう言いながら、不安を覚えていた。

 何となく嫌な感じがしてならなかった。

 そしてグレイは、わたしが何を恐れているのか理解したらしい。

「悪用されないか、と考えているわけだ」

 そう言って、彼は低く唸った。


「壊せるか」

 グレイはすぐにそう言った。

 彼の表情は強張っていて、少しだけ焦っているようにも見えた。

 『上』から感じる魔力の流れは、どんどん強くなってきている。

「解らない」

 わたしはそう応えながら、『池』を見下ろした。その池は、何というか、異世界へとつながる穴のようにも見えた。そこだけ、わたしたちがいる世界とは違う場所のように。きっと、空間が違う。そんな気がしてならない。

「とにかく、やってみよう」

 グレイが言葉少なにそう言って、池のそばに膝をついた。

 わたしも彼の隣に膝をつき、手を床に置いた。

「体調、万全じゃないんでしょ」

 わたしが彼を見ないままそう言うと、グレイが低く声を上げて笑った。

「魔力の使い過ぎで、僕が死んでも問題はないだろう」

「問題はないけど、わたしは嫌だな」

「その甘言に乗せられてみようか」

 そして、わたしたちは同時に同じ魔法の呪文を唱えた。


 破壊。

 空間に走る亀裂。


 そして、それと同時にこの屋敷――レティシアの最初の工房にも亀裂が入ったのを感じた。

 たくさんの人間の気配も現れる。司法局の皆、神殿のあの二人の気配。

 彼らがどこからともなくこの部屋に姿を現した時、わたしとグレイの前には、あの黒い池は跡形もなく消え去っていた。あるのは、今にも踏み抜いてしまいそうなほど傷んだ木の床だけ。


「わたしは形式を大切にする女なのよね」

 マチルダがわたしたちの背後からそう言っているのが聞こえた。「あなたがたを拘束します。ここは魔法の使用禁止区域であり、そこで禁呪の波動が確認された。あなたがたの中にいるのが誰の人格にしろ、わたしたち司法局には拘束の権利が与えられています」

 凛とした声。でも、そこに含まれている緊張感は隠せていない。いつでも攻撃魔法は使えるのだ、と言いたげな口調。

「エアリアルさま……?」

 不安げな声が聞こえる。エリザベスの声。

 そっと振り返ると、隣の部屋でグレイ・スターリングの遺体を見つけて途方に暮れているエリザベスの姿がちらりと見えた。

 マチルダの横に並ぶ、シドの姿、遅れてやってきたのはシドの父親である局長。

 さらに、神官長とシャーラ。


「……凄い魔力だ」

 神官長が驚いたように呟いたのが聞こえた。

 それと同時に、横にいたグレイの身体が緊張に強張ったのが解った。

「名乗りなさい」

 マチルダがその手を軽く上げたまま、鋭く言う。視線はわたしとグレイ――レティシアの肉体を睨んでいた。

「エアリアル・オーガスティン」

 わたしは緊張しながら応えた。

「グレイ・スターリング」

 グレイは、酷く穏やかな口調で応えた。でも、その声は疲弊しきってかすれていた。

「じゃあ、あっちで死んでるのは誰かねえ?」

 のんびりとした口調の局長が、禿げ上がった頭を撫でながら首を傾げている。「まあ、私が考えている通りなら、ありがたいと言えばありがたいんだが」

「レティシアです、局長」

 わたしがそう言った時、エリザベスが隣の部屋からぱたぱたと足音を立てながらこちらに駆け寄ってきた。

「エアリアルさまですか? 本当に!?」

「待ちなさい、エリ君」

 そんなエリザベスの肩を掴んで引き戻した局長が、呆れたように笑った。「ここはひとつ、マチルダ君のやりかたに習おうじゃないか。何だかんだと言っても、形式は大切なんだよなあ」

「人格鑑定ですよね」

 わたしはすぐに頷いた。「カウンセリングもできたらお願いします。……あの、しばらくサボってましたし」

「そーね」

 そこで局長はにやりと笑い、シドの肩を乱暴に何度か叩くと、隣の部屋へと歩いていってしまう。かなりの人間がここにやってきているみたいで、隣の部屋からは騒然とした雰囲気が伝わってきている。局長が誰かと会話している気配も。

 そして、さらにこの部屋に集まってきたのは、エドガーやアレックス、他の捜査官たちの姿まで。

 そして、神官長が魔法の呪文の詠唱を始めたのを聴きながら、わたしはそっとグレイの横顔を盗み見た。

 グレイの表情はどこか諦めているかのように見える。

 神官長が作り上げた古代言語による拘束魔法をその身に受けながら、赤く染まった目を床へと落とした。青白い帯が彼の身体に巻き付く。そして、さらにわたしの身体にも同じ魔法がかけられた。

「すみません、エアリアルさま」

 エリザベスがわたしを見上げながら言っている。申し訳なさそうに、眉根を寄せた彼女。

 わたしはつい、小さく笑った。

 そして、こっそりと辺りを見回して思う。


 終わったのかな、と。


 『あれ』は消えた。

 レティシアも死んだ。

 もう、怖いものなんてない。この世界には、恐ろしいものなんて何も。


「君は犯罪者ではない?」

 そんなわたしに声をかけてきたのは、神官長だ。

 彼はわたしに興味津津といった目を向けていて、グレイ――レティシアの肉体には目も向けない。

 神官長の背後では、シャーラが不安げに神官長の背中を見つめている。

「何でそんなことを訊くんですか?」

 わたしが困惑しながらそう訊きかえすと、彼は真剣な眼差しでわたしを見つめ直した。

「君の魔力の強さに興味があります。君は並外れた魔力を持っていて、まだ力を使いこなせていないように見える。神殿に入るつもりはありませんか?」

「神殿に入る?」

 わたしは眉を顰め、シャーラに視線を投げた。

 彼女は気難しい表情で、首を横に振っている。神官長に気づかれないように、こっそりと。

「つまり、魔力を使いこなすための訓練をするということでしょうか?」

 わたしがそう訊くと、彼は苦笑した。

「いえ、巫女として、です」

「巫女」


「おーい、そこで口説くなよ神官長殿」

 隣の部屋から呆れたような局長の声が飛んできた。「これから事情聴取があるんでね」

「解ってますが、少しだけ時間をください」

 神官長の声は、とても静かだ。真面目そうで、自信にあふれていて。

 でも、何となく嫌だと感じる。

 横にいたグレイも無表情であったけれど、神官長を嫌っているかのような感情の波が何となく伝わってきた。

「わたしは巫女にはなれません」

 わたしは少しだけ考えて、できるだけ柔らかい表現を選んだ。「巫女になったら、恋愛も結婚も許されていないんですよね? わたしは、オーガスティン家の一人娘ですから、いつかは結婚しなくてはいけないんです」

「……ああ」

 神官長が残念そうに眉を顰めた。


 でも、本当の理由は別にある。


 ――娼婦など害虫扱いされてもおかしくないものだろう。少なくとも、私は神殿でそのような教育を受けた。


 レティシアのあの言葉に何の躊躇いもなかった。

 ただ、当たり前のように言っていた。そして、害虫を殺すよりも簡単に、人を殺した。


 神官長はそこでため息をついた後、一瞬だけグレイを見た。明らかに、その目には嫌悪のようなものが見えて。多分、グレイもそれに気づいているようだった。グレイは何も言わず、何も見えないだろう目を床に向けたままではあったけれど。

「それにあなたは、レティシアに似ている」

 わたしはつい、小さく呟いていた。

 虚を突かれたように、神官長がわたしを見た。信じられない、と言いたげな視線。わたしはそれを避けるように、グレイの手を掴んでエリザベスと一緒に隣の部屋に移動した。

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