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魔法使いは鏡の中で笑う  作者: こま猫
第七章 始まりの場所、終わりの場所

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わたしがやれること

 一瞬、彼が何を言っているか解らなかった。

 そして、すぐに理解した。

 混乱と、何とも言えない後ろめたさに襲われる。

 確かに、わたしはこの身体の持ち主じゃないけど。でも、こんなことになったのはわたしが……失敗したからだ。レティシアとの会話の駆け引きを間違ったから。

 もし、この身体に入っていたのがグレイなら、きっと今も無傷だったのかもしれない。


 でも。

 そう、確かにわたしたちの身体は入れ替わっていて。

 ……死にたくなんてないけど、でも、そう思う自分が醜く思えて。

 だって、わたしのせいで。わたしがまずい対応をしたからなのに。


「グレイ」

 わたしは手を上げて彼の手を掴もうとした。

 動かない。

 待って、少し待って。

 それよりも、話をしてよ。さっき見えた光景。あれは何なの。

 彼女は――彼女は。


 グレース。

 そう、わたしは彼女を知ってる。綺麗な黒髪、強気な瞳。でも、とても優しい人で。あなたが殺した少女。殺さなくてはいけなかった少女。

 あれは。

 あれも、わたしのせいで。そう、わたしのせいで彼女は。


 ――お前は何もできないのだ。

 レティシアの声が頭の中に聞こえる。

 涙が眦から耳元へと流れていく。

 ダメだ。

 ダメだよ、こんなの。わたしには何もできない。わたしが生きていても、何もできないんだ。わたしのせいでグレースは死んだ。そうでしょう?

 あの時だって、グレイがわたしを助けてくれた。わたしの代わりに手を汚した。

 そして、今はどうなってるの? グレイが求めるものは何なの?


 わたしが必死に口を動かそうとしているうちに、グレイはまた呪文の詠唱を始めた。その目は少しだけ天を仰ぐように動き、少しだけ詠唱がとまる。それから、タイミングを見計らったらしく、魔法を完成させた。

 そして、さっきよりも激しい衝撃が身体を突き抜けるのを感じた。


 気づくと、わたしは俯いていた。

 さっきの衝撃のせいか、吐き気すら覚える。鈍い頭痛と、倦怠感。

 目の前にいるのは、血だらけで横たわっているグレイ・スターリングの姿。さっきまでわたしが入っていたはずの肉体。

 グレイは微かに咳き込み、血を口から吐き出した。白い頬、疲れ切ったような表情。でも、穏やかにわたしを見上げて笑う。

「泣いているほうが君らしいな」

 そう言った彼の口調は、楽しげだった。

 そして、震える手でわたしの頬に手を当てて、小さく続けた。

「髪の毛、切ってごめん」


 そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!

 わたしはぼろぼろと涙をこぼしながら、彼の首筋に手を当てた。イングラム先生からならった治療魔法、そして今、グレイから記憶ごと受け継いだ治療魔法。どっちが効き目が強いんだろう。やっぱり、グレイの古代言語の治療なんだろうか。

 そして驚かされるのは、わたしの――エアリアル・オーガスティンの肉体に戻った瞬間に感じた魔力の強さだ。学園で、そしてエリザベスから魔法を習った後だからよく解る。わたし、こんなに強い魔力を持っていた?

 身体の奥から脈打つかのような、身体が震えるくらいの魔力の渦。グレイの肉体の中にいる時は、こんな感覚は知らなかった。怖くなるくらいに、わたしの身体からは異様な力が湧き出ているのが解るのだ。

 もしかしたら、この力があればグレイの命を助けることもできる?

 わたしが祈る思いで必死に呪文の詠唱を続けていると、グレイが苦笑した。

「ただの延命にしかならないよ。それより、今しかチャンスがないんだ。レティシアを殺してくれ」

 そう言って、彼は床に手を這わせ、落ちていたナイフを拾おうとした。でも、力が入らないらしく、握ろうとしたまま動きを止めた。

「時間が経てば、レティシアの身体は回復してしまう。だから、今だけしかない。身体のどこを攻撃しても、可能性は低い。もし僅かな可能性に賭けるなら、頭だと思う。脳だ」

「無理だよ」

 わたしは治療魔法を続けながら首を横に振った。「わたしにはできない。絶対、無理だよ」

「でも、やらなきゃ次に狙われるのは君だ」

 彼は困ったように眉を顰め、目を閉じた。その顔を見て、わたしは不安に駆られて叫ぶ。

「待って! 死んだらひっぱたくからね! 目を開けて!」

「……サドだって言われるだろ、君は」

 グレイが冗談めかして囁き、目を閉じたまま息を吐く。

「冗談言ってないで、助けてよ。わたし一人じゃ無理だよ。わたしだけじゃ……」

 わたしは彼の服の胸元を掴んだ。ウェクスフォードの制服。

「大丈夫だろう」

 そこでグレイは薄く目を開けて、困ったように笑った。「無理だと思い込んでいるだけだ。まあ、厄介なことを押し付けて悪いとは思ってるけどね。でも、おそらく僕は彼女を殺せない。だから、君がやるしかない」


 グレイは彼女を殺せない。

 確かに、レティシアもそんなことを言った。


「レティシアがくる」

 グレイが低く呟いた。「禁呪の波動は大きいはずだ。いくら壁があっても、きっと彼女は気づく」

「……そう」

 わたしは唇を噛んだ。

 そっと辺りを見回す。

 わたしたちの周りには、さっきグレイが作った魔法の壁が取り囲んでいる。でもきっと、彼が言う通りなんだろう。さっきの人格転移の魔法は、凄まじい衝撃があった。彼女が様子を見に来てもおかしくはない。

 わたしは天井を見上げた。

 どこか近くで、魔法の波動を感じる。これは神官長やシャーラの魔法だろうか。小刻みなタイミングで空気を震わし、奇妙な歪みを宙に作り出している。

 わたしは、グレイがやったのと同じように、その波動に合わせて魔法を完成させた。

 もう一度、魔法の壁を作る。完成した瞬間に、空気を震わせる波が広がるのがはっきりと見えた。


 ――完成した瞬間なんだ。

 わたしはぼんやりと考えた。波動が広がるのは、魔法が完成した時なのだ。

 そして、グレイを見下ろした。

 彼はぴくりとも動かない。目を閉じて、血だまりの中に眠っているかのように。

 わたしはまた違う魔法の呪文の詠唱を始めた。知ったばかりの魔法言語。知ったばかりの配列。それは、とても美しい響きでわたしの唇から聞こえてきた。

 完成する直前、わたしは詠唱を中断した。

 グレイ、と呼びそうになって、すぐに違う言葉を選んで言う。


「……エアリアル」

 そう呼びながら、グレイの手のひらの中にあるナイフを取り上げた。血が刃から滴り落ちる。

 いつしか涙は止まっていた。


「何が起きた」

 背後からレティシアの声が響いた。明らかに警戒したような声、殺気にも近い気配。

 わたしはゆっくりと立ち上がり、振り向いた。

「『上』が騒々しいようです、レティシア様」

 わたしは薄く微笑みながらそう言った。

 グレイが言うような穏やかさと、冷ややかさを含めた口調。そこに滲ませたのは、彼女に対する警戒心。

 グレイは本心から彼女を信頼していたわけじゃない。ただ、居場所がそこにしかなかったから一緒にいただけだ。いつだって、いつか殺されるだろうと感じながら生活していた。だから、この警戒心は彼女にとっては予想の範囲内のものだろう。

 レティシアの双眸は、さっきと同じで赤く染まっていた。

 ただ、少しだけ色が薄くなった気がする。あんな短い間でも、少しずつ回復していくんだろうか。

 わたしが彼女を観察していると、レティシアが無表情のまま続けた。

「何をした」

「何がですか?」

 わたしは笑う。

 そして、持っていたナイフを床に捨てた。必要なのはこれじゃない。こんなの、きっと役に立たない。木の床に落ちたナイフは、少しだけ優しい音を立てたような気がした。

 レティシアが目を細める。何も見えないであろう瞳で、何かを見ようとする仕草をした。


 無理だと思っているだけ?

 本当にそう?

 わたしは自問自答する。

 レティシアにそう言われたから。そう、思い込まされたから?

 自分が無力であると。わたしは何の役にも立たないと。

 でも、それが違っていたら? わたしにも何かできることがあったとしたら?

 もし、そうであるなら。

 そうでなくても。


 わたしは、彼女を殺さなくてはならない。

 『グレイ』は自分を殺すことができない。そう彼女が思っている今しか、レティシアは油断しない。きっとそうだ。

 だから、わたしが、今やらなきゃダメなんだ。


 わたしはさっき中断していた魔法の呪文を、今、この瞬間に完成させた。

 途端、激しい衝撃がわたしの足元から輪のように広がった。青白い文字列が、床を覆い尽くす。それは、グレイが作ったものと同じように、とても美しかった。

「お前」

 レティシアが鋭く声を上げるのを聞いて、わたしは奇妙な高揚感を覚えていた。

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