選んでみるか
「よく、解りません」
わたしは彼女を睨みつけた。声が震えていたから、きっと情けない表情だったろう。でも、彼女の言葉を理解したくなかった。
「わたしの――エアリアル・オーガスティンの身体だけが目的なら、グレイにこの身体を交換された時に、わたしはもう用済みだったということですか? もともと、殺すつもりだったんですか?」
「さて、絶対的に必要だったとは言えんな」
レティシアは眉を顰めて見せた。「お前の利用価値はほとんどない。グレイをそばに置いていたのは、私の命令をよく聞くからだ。私に反抗する力がないからだ。たとえ、どんなに私を邪魔に思ったとしても、私には逆らえないからだ」
「逆らえない?」
「ああ、絶対に逆らえない。しかし、お前は違う。その使い魔が、お前の中にある邪魔なものを喰わずに体外へと出てきてしまった」
わたしはその言葉を聞いて、視線を床へと落とした。
そこには、くーちゃんが怯えたようにレティシアを見上げ、壁際へと身を寄せていた。この子は、わたしの中にある感情を一部食べている。
それは恐怖心。
だから、まだ立っていられる。
こんな状況ですら。
「昔のお前は、ただ泣くだけしかできない子供だった。その頃に比べれば、今のお前は多少は使える人間になったのだろう。しかし、ただそれだけだ。殺さずにおく理由は見つからない」
「やっぱり、殺すつもりなんですよね。だからわたしをここに連れてきたんですか」
わたしは小さく呟く。
何となく解っていたけど、実際にそれを仄めかされれば心が冷える。
「私は自分に関わってきた人間は、いらなくなれば処分する主義なのでね。しかし、確かにグレイの顔は気に入ってはいる。だから、解剖はせず『保管』はしてやろう」
「……彼女たちと、同じように、ですか」
わたしは視界の隅に映る『人形』を意識した。
あんな風になるなんて嫌だ。絶対に嫌だ。
わたしはレティシアをもう一度睨んだ。
すると、彼女は唇を歪ませて続けた。
「選んでみるか?」
「何をですか」
わたしは手に握ったままのナイフを思い出す。
体術は習った。
魔法では彼女には敵わないのは解ってる。攻撃魔法は今のわたしには使えないことも。それなら、攻撃方法は一つしかない。
今の彼女は、弱っている。中央局長がそう言っていた。
思い切り床を蹴って、彼女の胸元に飛び込んで、このナイフで彼女の喉を切り裂いたら?
――すぐに傷は修復されてしまうだろうか。
それでも、何もやらないよりはマシだ。ただ何もしないまま殺されるよりは、何かしてからのほうがいい。
そうでしょう?
「お前のその手の中にあるのは何だ?」
レティシアの目が少しだけわたしの腰の辺りに向けられた。白濁した眼球でも、わたしの持っているものが見えると言いたげに。
「……何だと思いますか?」
わたしは笑う。いや、笑うように努力した。これがわたしにできる精いっぱいの強がり。
「私の手で殺されるか、それともその武器で自分の喉を切り裂くか」
そこで彼女は少しだけ言葉を切った。
そして、わたしの耳元に唇を寄せて囁いた。
「もしくは、『あれ』を食べてみるか」
――『あれ』?
わたしは身体を強張らせていた。
「運が良ければ、生き残れるかもしれん。そして、エアリアルの肉体と同じように、『あれ』の魔力を取り込むことができる」
「運が良ければ」
わたしはゆっくりと身体を捻り、彼女から逃げようか悩んだ。今、彼女の顔は近くにある。その細い喉も。ほんの少しだけ手を振り上げれば、ナイフが届く。
わたしは身じろぎしないまま応えた。
「でも、食べたほとんどの子供たちが死んだって言いましたよね」
「ああ」
「適合とやらをしたのは、わたし……エアリアルだけ?」
「そうだ」
「じゃあ、わたし……グレイの肉体が適合する可能性は」
「限りなく低いだろうな」
じゃあ、どうやっても死ねっていうことじゃないか!
わたしの歯がきりきりと音を立てた。
「あなたに殺されるか、ナイフで自殺するか、毒を食べて死ぬか、三択ということですよね。冗談じゃない」
わたしは唸るように言った。「どれもわたしには選べない。そうですよね? それとも、毒を……『あれ』を食べて死にそうになったら、あなたが助けてくれるとでも? あなたが自分自身にしたように、この身体を改造だか何だかして、助けてくれるとでも言うんですか?」
レティシアが意外そうに目を細めた。急に声を張り上げたわたしに驚いたかのように。
「今の私にはそれだけの力はない」
「じゃあ、考える価値などない話です。全部時間の無駄」
「確かにな」
そこで、レティシアが少しだけ沈黙した。何か感じたのか、緊張した様子で顔を天井のほうへと向ける。
「今は時間が惜しい。司法局の連中……いや、神官と巫女が厄介だ。ここの入り口を探している」
そして、急にその手を上げてわたしのほうへ向けた。
まずい!
それは、一瞬だった。
彼女の魔法は宙に大きな刃を作り、凄まじい勢いでわたしへと襲い掛かる。
殺される、と感じた瞬間、わたしも魔法の呪文を完成させていた。
シャーラに教えてもらった守護魔法、そしてグレイに教えてもらった防御の壁。
鋭く耳障りな音がして、彼女の作り出した刃が壁に当たって消えた。同じように、わたしの作った魔法も四散して消えてしまう。
そして、わたしの身体を守るようにして巨大化した使い魔。わたしの――レティシアの使い魔。でも、わたしを必死に守ろうとしてくれている。喉を荒々しく鳴らし、威嚇している。
「面白い」
レティシアは全く面白いと感じていない口調でそう言って、何事か考え込んでいた。「古代言語か」
わたしは咄嗟に応えた。そして、すぐにもう一度魔法の呪文を唱えて同じ壁をわたしとくーちゃんの周りに張り巡らせた。その魔法の上からもう一度同じ魔法をかけ、さらに強化させる。
「神殿で教えてもらいました。今、その人がわたしを探してくれています」
完全な嘘ではない。ただ、全てを語らなかっただけ。この防御壁の魔法をグレイに教えてもらったとは絶対に言えない。そんなことを言ったら、きっと彼も殺されるはずだから。
「なるほど」
レティシアはやがて納得したように鼻を鳴らし、また呪文の詠唱を始めた。
彼女の左手からは、青白い炎のような光が立ち上り、やがてわたしの周りにある防御壁へと絡みつく。
わたしの身体が軋んだ。
魔法が破られる時の感覚。
わたしも呪文の詠唱を始める。破られるわけにはいかない。でも。
凄まじい衝撃と共に、防御壁が消し飛んだ。
レティシアの右手から放たれた魔法の刃。それは、銀色に輝く光の帯。その帯が、わたしの前にいたくーちゃんの躰に縦横無尽に巻き付いて、硬いはずの鱗に簡単に食い込み、切り裂いた。
悲鳴も上げないまま、くーちゃんの躰が細かく飛び散った。
わたしは一瞬だけ、驚いたと思う。何か叫んだと思う。
そして、気づけば銀色の帯がわたしへと延びて。
ナイフを振り上げ、それをはね避けようとする。もちろん、そんなことはできるはずがない。
わたしは身体を捻り、必死に逃げた。
しかし逃げられず、その帯がわたしの喉の下から肩の付け根辺りまで引き裂いていたのだった。
一瞬遅れて吹き出した血。それは、凄まじい勢いで宙を踊り、床へと降り注いだ。
わたしはいつの間にかナイフを床に落としていた。両手で傷口を押さえ、その生温かさに怯え、胸元から下へと流れ落ちていく様子を茫然と見下ろす。
「致命傷だな」
レティシアが静かに言うのが聞こえた。
その言葉を理解することを、頭が拒否している。
混乱していたせいなのか、わたしは床に落ちたナイフを拾い上げ、そのままレティシアに向かっていこうとして、両足に力が入らないことに気づく。
眩暈。
血が流れていく。
わたしは床に膝を突き、身体を支えていられずに両手を床に置いた。目の前にあるナイフ。それはわたし自身の血で染まっていた。
金属のぶつかり合う音。
そしてわたしの足に何かが絡みつく。抵抗などできなかった。
天井からぶら下がっていた鎖が生き物のようにわたしの両足首を拘束し、そのまま鈍い音を立てながら巻き上がっていった。
そして、わたしは何もできないまま、床を見下ろしていた。
押さえられない傷口から、さらに血が滴り落ちるのを見ているだけ。
――嘘でしょう。
こんなのは、夢でしょう。
これが絶望というの? 終わりが見えること。自分が死んでいこうとすることを受け入れること。
こんなにも空虚なの?
こんなにも簡単に終わってしまうというの?
「……これが最後だが、どうする?」
レティシアがわたしのすぐそばに立っている。逆さ吊りにされて、今にも意識を失いそうなわたしの前で静かに言う。
「どうせ死ぬのだから、試してみるか?」
わたしの唇が震えている。
『あれ』を食べろ、と言いたいのだろう。
一瞬だけ悩んだ。生きていられる可能性が、もしもあるなら。もしも、ほんの少しだけでもあるのなら。
でも、どうせ死ぬなら苦しみたくない。もう、どうにもならないのなら。ただ苦しむだけの結果になるというのなら。
わたしは掠れた声を上げた。腹に力が入らず、消え入りそうな声を。
「いや、です」
「そうか」
レティシアの声は、ただ穏やかだった。




