薬だと受け入れる者
「私は何年生きていると思う?」
レティシアは酷く優しく発音した。わたしに振り払われた手で、その胸に手を置きながら。
「……さあ、解りません」
わたしはじりじりと後ずさりつつ、正直に応える。彼女の見た目は二十代前半くらい。でも、わたしが考える以上に長く生きているらしいことは知っている。
「私は寿命を長らえる魔法は知らん。神殿の連中も知らなかった」
「じゃあ、誰に教えてもらったんですか?」
「言っただろう、魔法など知らんのだ」
彼女は急にわたしの腕をつかみ、引き寄せた。
思わず悲鳴を上げたわたしは、必死に暴れながら彼女から自由になろうとした。しかし、そのまま腕を引かれてその部屋の中央へと引きずられていく。
彼女の手は死人のように冷たく感じた。そして、触れられていると抵抗する気力すら失せていく。
「ここは私の最初の工房だ。神殿から逃げ出して、手に入れた廃墟でね。ここだけは司法局には見つけさせるわけにはいかなかった」
「何故ですか」
わたしはそう訊きかえしながら、辺りを見回して唇を噛んだ。
さっきから気になっていた、嫌な匂い。
部屋の奥には、明らかに人間でできていると思われる『人形』が数体。少女ともいえる年齢の人形が、木の椅子に座っていたり、床に座っていたり。ただ、それらのどれもが保存状態がよくなかったのか、それとも時間が経ちすぎたのか、酷く損傷している。
そのすぐそばにある壁や天井には、あの貸し倉庫で見たようなものがあった。
人間を固定させるための器具。
天井から人間の身体をぶら下げるための鎖や鉄輪。
テーブル。茶色く――というよりも黒く染みのついた、人間を解剖するためだけのテーブル。テーブルの上に取り付けられている固定器具は錆びている。手足につけるための固定器具。
そして、さらに進むと棚に並んだ瓶が目に入る。
薬品の瓶もたくさんある。でも、それよりもずっと大きなガラス瓶には、奇妙な色の液体の中に漂う、眼球や何かの内臓らしきもの。明らかに人間のものと思われる、切断された腕、そして……言葉にはしたくないものも。
わたしはそれらから目をそらし、気持ち悪いという感情を心の奥に閉じ込めようとした。
「これがあるからだよ」
レティシアはそう言って、足をとめた。
部屋の奥に、黒い扉があった。
そこだけ、木の扉ではない。金属製の重々しい扉。
それを開いて、彼女は部屋の中へと入る。わたしの腕を引いたまま。
その部屋は、暗かった。
でも、レティシアの魔法によってすぐに天井に明かりが灯される。
そして、目の前に現れたもの。
家具といったものはない。
窓もなく、ただ黒い壁と黒い床。
しかし、その床には巨大な穴が開いていた。穴と思ったのは一瞬で、それが僅かに波打っているのに気づいてわたしはそこが池のようなものだと知った。
でも、部屋の中に池?
風なんてものがあるわけがない。なのに、その水面が揺れている。
その水は濁っていて、中に何があるのか全く見えない。
でも、何だか危険な感じだった。
何か、いる?
わたしがその場に立ち止ったまま見つめていると、揺らめく明かりの下、赤黒い何かが見えた。
生き物とは思えなかった。
何か、動物の死体?
凄く、嫌な匂いが鼻について仕方ない。
「私は神殿で魔法を学んだと言ったろう」
レティシアはそこでわたしの手を解放した。
わたしはすぐにできるだけ後ずさり、彼女の手が届かない場所へと逃げる。
「生贄の儀式の時には、神殿の連中は神降ろしという魔法を使う。それは、私は教えてはもらえなかった。だが、真似をすることはできた」
「神降ろし? 真似?」
彼女はその池の前に跪き、手を水の中に入れて囁く。
「実際に、神と呼ばれる存在そのものを呼び出す儀式ではない。神の力を借りるだけのこと。神の言葉を借りるだけのこと。しかし、私は実体を呼び寄せたかった」
「神、様を?」
わたしはぼんやりと彼女を見つめた。
あまりにも突拍子もない話で、現実味などない。バカバカしいと笑い飛ばしてもおかしくないことだ。
「まあ、神かどうかは今でも解らん。だがおそらく、神ではない。化け物だろう」
「……化け物」
「私は力が欲しかった。それが神の力でも、魔物の力でも気にはしない。治療魔法では補えないものが欲しかった。そして、幾度も己の身体の一部を犠牲にしつつも、一匹の化け物を捕まえたのだよ」
ちゃぷん、と水が音を立てた。
それは、酷く耳障りだった。
「別に、己が死のうがどうしようがどうでもいい。色々と試してみたかった」
レティシアは水面を見下ろしながらさらに言う。「こいつには言葉が通じない。ただ、呼び出されて暴れていた。それを、私は魔法で捻じ伏せ、解体した」
「解体?」
わたしの心臓が嫌な音を立て始めている。
「解剖とは言えん。骨らしきものも神経らしきものもない。ただ、肉の塊だった。構造を観察することも不可能だった。しかし、どれだけ切り刻んでも生きていた。凄まじい生命能力だと思ったよ。私はね、こいつを食べてみたのだ」
言葉が出なかった。
食べた?
水の中にいるもの。
目を凝らして見てみると、確かに肉の塊のようなものが蠢いている。嫌悪しか感じない動き。
化け物。
怪物。
絶対に神様なんて呼べるものなんかじゃない。
「あれほどの苦痛を私は知らない」
レティシアはふと顔を上げ、わたしを見つめた。「身体中の骨が悲鳴を上げるということを経験したのは初めてだった。私が経験した魔法による治療は、凄まじい激痛を伴うものだったが、それを遥かに凌駕する。しかし、その苦痛は心地よかった。不思議なものでね、限界を超える苦痛とは、苦痛と呼べないのかもしれない。身体中の穴という穴から血が噴き出して、それこそ酷い有様であったがね、私はそれも己の魔法で抑え込んだ。そして、少しずつ肉体を改良していったのだよ。おそらく、私はあの毒に適合していなかった。この身体はあの毒を排出するために弾け飛ぼうとしていた。それでも、何とか長い年月をかけて融合させた。そして、この肉体が出来上がった。多少、無理をしたものだが」
融合。
適合?
「待って……」
わたしの声が震えていた。「適合している?」
「私はね、探していたのだよ」
レティシアはゆっくりと立ち上がった。
逃げなきゃ。
そう思っても、どうしても足が動かなかった。
「街で、適当な子供たちに食べさせてみた。皆、健康そうな子供たちでね。適当な菓子などに入れてやれば、誰もが喜んで食べた。そして、簡単に死んだ」
わたしは自分の喉を抑えた。
気持ち、悪い。
「それはそれは、凄まじい有様だったよ。全身が血だらけで、苦痛に悶えていた。あれほど誰かを愛おしいと感じたことはない。同じ痛みを知る者、憐れな犠牲者。しかし、私が本当に探していたのは痛みを共有する者ではなかった。あれを毒だとは感じぬ者、適合している者、薬だと受け入れる者」
「嘘……」
「お前はね、美味しいと言った」
レティシアがわたしのすぐ前に立った。
そして、きっと初めて、心の底から楽しげに笑ったのだ。
「あれを食べても、痛みも感じず、ただ笑っていたのだよ」
急に、頭痛が襲った。
何か、思い出しそうで思い出せない。
何なの、これは!
「楽しみだったよ、お前が少しずつ成長するのが。私がお前を見つけた時、まだその身体は未発達だった。魔力による改造をさせるには幼すぎた。だから、私は待つことにしたのだ」
「やめて……」
「お前から記憶を奪い、屋敷に帰してやった。お前は裕福な家に生まれ、そして誘拐された。きっと、あんな事件の後なら過保護に育てられるだろうと予想はしていた。大切に、安全に、両親の愛という籠の中で生きていくだろうと。それは的中したな」
レティシアがまたわたしの頬に手を伸ばし、触れようとする。
「やめて!」
「エアリアルは、とても私好みに成長したよ」
わたしはとても堪えきれず、その部屋を飛び出した。隣の部屋に走り、そして棚の間をすり抜けて彼女から遠ざかろうと。
でも、逃げることはできなかった。
木の扉はどうやっても開かず、逃げ道はどこにもない。
わたしが必死に部屋の中を歩き回り、やがてどうにもならないと悟った時、目についたものがある。
解剖台の横にあった、小さな台。その上に、ぞっとするような鋭い形状をした細長いナイフのようなものがある。わたしはそれを咄嗟に掴み、自分の背面へと隠して振り返った。
レティシアがすぐそばに立っていた。
そして、感じるのは奇妙な圧迫感。
殺気。
わたしの服の袖に隠れていたくーちゃんが、気づけばわたしの足元にするりと這い出てきている。
小さな赤い躰で、警戒したような音を喉から立てつつ、レティシアを見上げる。しかし、明らかに怯えているのが解った。戦う時、くーちゃんは躰を巨大化させる。でも、今はそんな気配はない。ただ、威嚇しているだけ。
「私を殺してみるか?」
レティシアはくくく、と声を上げた。でも、それは笑い声には聞こえなかった。
「私を殺せば使い魔も死ぬ。さて、試してみようか?」
「やめて! こないで!」
そう叫びながら後ずさると、背中が壁に突き当たった。
殺さなきゃ、殺される。
でも。でも。
「今のわたしの身体は、グレイのものです。グレイはあなたのお気に入りなんでしょう?」
わたしは何とか言葉を探そうとした。彼女が気が変わってくれるように祈りながら。
「この身体を殺したら、グレイが」
「だから?」
レティシアは首を傾げた。「私が欲しいのはエアリアルの肉体だけだ。今、エアリアルの身体はグレイが守っている。それで充分だろう」




