適合した肉体
レティシアはその場に足をとめ、わたしのほうへ顔を向けていた。わたしはただ息を呑んで、彼女の整った顔と白く濁った眼をを見つめる。
「今は随分、世界の環境も規律も、何もかもが変わった。だが、わたしが生まれた時は、色々なものが原始的に近かった」
レティシアは静かに続ける。「ああいう時代に生まれた奇形児というものは、大抵が殺されるか見世物にされるか、もしくは……神への供物として生贄にされる」
「生贄?」
「儀式というものは全てにおいて、正常な人間たちの自己満足のために行われる。それはあまりにも当然なことで、私はそれを恨んだことはない。ただ、私は運が良かっただけだ。原始的な生贄の儀式の中で、古代言語を使う魔法使いたちに囲まれ、神に――もしくは魔物への供物とされ、偶然の成り行きで多少の力をこの身に受けることができた。私は祭壇の上で、初めて己の力だけで歩くことができた。歪んだ骨格であったし、歩きかたも醜いものではあったが、それでも魔法使いたちと神の御使いたち――神殿の連中は喜んだものだ。それが、目に見える『神の御業』であったから」
「神の御業……」
わたしはぼんやりと言葉を繰り返した。「あなたは、神様に救われた……?」
「神様、ね」
レティシアはわたしを馬鹿にしたように唇を歪める。「もしも神というものが本当に人間にとって優しい存在であるなら、私をあんな姿で生まれさせることはなかっただろう。何故、人間は平等に生まれない? 平等に力を与えない? 生まれながらにして決まってしまうものがどうして存在する?」
「それは」
――運?
わたしがオーガスティン家に生まれてきて、何不自由ない生活ができたのは何故?
ほんの少しの運の違いで、裕福な生活が約束される。でも、もしかしたらわたしだって、違う家に生まれていたかもしれない。
それは……。
「天の采配か?」
レティシアは低く言う。少しだけわたしに歩み寄り、皮肉気な口調で。
「良い人間には恵まれた容貌、肉体、財産を。悪い人間には醜い容貌、歩けもしない肉体、忌み嫌われるだけの存在として生を受ける。私は生まれた時には、もう運命が決まっていたとお前は思うのか?」
「い、いいえ」
わたしは思わず後ずさり、震える声でそう応えた。
どんなに必死に考えても、彼女が求める言葉を返すことはできないだろう。何を言っても、きっと彼女の神経を逆なでするだけだという予感があった。だから、ただじっと唇を噛む。
「……神が私を救ったのではない」
やがて、彼女は一歩わたしから遠ざかり、彼女の背後にある部屋の中を見回すような、そんな仕草をした。「私が歩けるようになったのは、古代言語による魔法の術がぶつかり合った時の副産物に過ぎん。私の身体の中にあった、生まれながらにして不完全な神経を、一時的に刺激したからだろう。一瞬だけ、正常な信号が脳から肉体に伝わっただけ。私はそれを、一瞬だけではなく、永遠に続けてみたかった。生きるためだ」
――生きるため。
「神の御業の象徴となった私は、神の供物とされることなく、神殿に引き取られた。そこで、必要最低限の生活を与えられた。私の存在は、あらゆる儀式のときの飾りとして、民衆の前に提示されるだけの神具のようなものだった。神具として価値が見いだせる間だけ、生かしておいてもらえる。だがね、そんなものを喜んで受け入れる人間がいるとでも?」
確かに、それはそうだ。でも。
「私は、私を救うことにしたのだよ。神ではない、自分自身の力で」
レティシアはそこで笑う。
そして、自分で自分の頬を撫でながら首を傾げた。
「この、笑うという表現もおかしいものだな。顔の筋肉を動かすというのは、必要なことだとは思うが、私は誰かと会話をしていて楽しいと思うこともない。しかし、たまにはこのように筋肉を動かさなければ筋力は劣化する。だから、必要に応じて適材適所で笑うようにはするが面倒ではある」
「……そう、ですか」
わたしは困惑を隠しつつ、相槌を打つ。
レティシアという人のことはよく解らない。理解しようという気持ちも自分の中にはない。
それでも、何とか彼女の話を聞き出そうと考える。
「それで……ずっと、研究をしていたんですか? その、完璧な肉体を造るために?」
「ああ、そうだな」
彼女は笑みを消して、小さく頷く。「私は神殿で魔法を学んだ。特に、治療魔法には興味があった。治療に関しては、昔のほうが魔法技術が進んでいたと言わざるを得ない。かなり複雑な魔法で、使える人間も少ない。だから、年々、その技術を引き継ぐ人間も減っていったのが残念だ。私は、神殿で一番治療魔法が得意でなくてはならなかった。少なくとも、役に立つ間だけは殺されずに済む。そうしているうちに、私は自分自身の肉体、骨格を改造することに目覚めた。歪んだ骨の矯正、正常な内臓を作り出すこと、それらはとても刺激的なものだった。そして、私の肉体がより正常な形へと近づき、この顔が人並み以上と思われる形に近づいていくうちに、神殿の連中の態度も変わってきた。本当に馬鹿馬鹿しいことではあるが、やはり、人間は見た目が重要なのだと思わせる事態だった」
「見た目九割」
わたしはぽつりと言った。「そう言いますよね」
「――その通り」
レティシアは一瞬だけわたしを見つめるような仕草をした。「ほとんどの人間が、見てくれを重視する。だから、私はどこまで極めることができるか、挑戦したかったのだよ」
「司法局で、透明な……何かを見ました。あれがあなたの研究成果ですか?」
わたしがそう訊くと、彼女は僅かに肩をすくめて見せた。
「そうとも言える。あれはあの男が求めた疑似生命体ではあるが、なかなか面白い出来だった。ただ、私にも限界がある。人間のものと同等の脳すら作れない。あの疑似生命体に、実際の人間の脳を移植したこともあるが、どうもうまくいかん。まだ研究の余地はあるな」
「移植……」
わたしは顔をしかめた。
すると、レティシアがそのわたしの様子に気づいてこう続けた。
「私があの実験に使ったのは罪人だけだ。多少は誰かのためになって死んでいくのだから、喜ばしいことではないか?」
「……それは」
わたしはつい、自分の中に生まれた感情の波に呑まれて言った。「レベッカのお姉さんにもそう言えるんですか?」
しまった、と思っても、もう遅い。
レティシアが不思議そうに問い返してくる。
「レベッカとは?」
「レベッカはわたしの友人です。あなたが操作して殺させた――解剖させた女性たちの一人が、レベッカのお姉さんでした」
「ああ、なるほど」
レティシアはすぐに納得したようで、小さく頷く。「お前を監視させるための『眼』で娼婦たちを解剖した件だな。娼婦など害虫扱いされてもおかしくないものだろう。少なくとも、私は神殿でそのような教育を受けた。複数の男性と同衾する女など、罪人にも等しいとな」
「でも!」
「私が司法局で解剖の研究のために与えられる死体は、ほとんどが男性のものでね。女性体が欲しかったのだ。都合よく、あの男は売春婦といった汚らわしいものを軽蔑していたから、動かすのは簡単だった。ただそれだけのことでね」
「それでも……罪人なんかじゃありません。あんなの……生きながら解剖されるようなことをしていたとは思えません」
わたしはいつの間にか、目尻に涙が浮かんでいることに気づいて、慌ててそれをぬぐった。
そして、震える唇を動かした。
「大体、何故なんですか。何で、わたしを監視していたんですか? 何で、何の目的で? わたしが子供の頃、行方不明になっていたということに関わりがあるんですか? あなたが……あなたがわたしを」
「ああ、誘拐して記憶を奪ったのは私だ」
レティシアは酷く簡単に、そう言った。
わたしは顔を上げた。
ぽかんとしていただろう。あまりにもあっさりとそれを認められたから。
「別に、あの男の研究はどうでもよかったのだよ。私の本当の目的は、自分自身の肉体の強化でしかない。あれはそのついでの研究だった。だが、有意義ではあった」
「どういう、ことですか?」
わたしはまた、唐突に頭の中に浮かんだ考えに心を震わせた。
中央局長の時と同じだ。レティシアも色々話しすぎているんじゃないか。こんなにもわたしに詳しく色々話してくるなんて。
彼女もきっと、わたしを生かしておくつもりはないんだ。
「私の肉体は、もう随分前から劣化が進んでいた」
彼女は静かに続ける。「魔法による治療は続けていたが、限界は近い。だから、新しい、完璧な身体が欲しかった」
「新しい、身体?」
「そうとも」
彼女はまたそこで笑う。冷たいだけの微笑。
「私の肉体は、魔法による負担がかかりすぎた。元々、適合はしていなかったから仕方あるまい」
「適合? さっきもそんなことを言っていたような」
「記憶がないとはいえ、お前ももう解るだろう。私が欲しいと思っているものだ」
「……まさか」
「修復に修復を重ね、人工的に作られた美しい肉体よりも、天然ものが欲しいと思うのは当たり前だろう?」
レティシアはそう言ってわたしに近寄った。そして、わたしの――グレイ・スターリングのものである頬をその指先で撫でた。
「私はね、お前の――エアリアル・オーガスティンの肉体が欲しいのだ。生まれながらにして綺麗な骨格を持ったお前がね。しかも、お前は適合している」
「だから、適合って?」
わたしは思わず彼女の手を振り払いながらそう訊いた。




