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魔法使いは鏡の中で笑う  作者: こま猫
第七章 始まりの場所、終わりの場所

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欲しかったもの

 一瞬だけ、わたしは自分の目が見えなくなったのかと不安を覚えた。

 前を見ても上を見上げても闇しか見えない。

 わたしはその場に倒れこんでいたものの、ゆっくりと上半身を起こして手で地面を撫でた。少しだけざらついているものの、平らな場所。そのまま辺りをまさぐったけれど、何も手には当たらない。

「エリザベス?」

 やがて、わたしは必死に掠れた声を喉の奥から絞り出した。でも、返事はない。エリザベスだけではなく、他の誰もここにはいない?

 暗闇の中にじっとしていても、目が暗さに慣れることもなく、何も見えない。

 わたしはそっと立ち上がり、自分の身体が怪我をしていないか、痛いところはないか手で触ってみた。とりあえず、何も問題はなさそうだ。

 でも、あまりにも暗すぎて歩けない。

 耳を澄ませてみても、何も――風の音すら聞こえない。


 やがて、何かを感じた。

 多分、魔力の動きのようなもの。


 わたしは恐る恐る、そっちのほうへと足を踏み出した。

 怖い。何かにつまづきそうで、そろそろとしか歩けない。

 すると突然、目の奥を焼き尽くすかのような光が目の前に弾けて、わたしは悲鳴を上げて顔を手で覆った。


「光の調整ができんな」

 気が付くと、誰かがそう言っているのが聞こえた。

 冷ややかな女性の声。

 わたしは指の隙間からそっと辺りを見て、何とか目を開いていられる光量だと確認した。それからゆっくりと手を下ろし、困惑しつつ辺りを見回す。

 知らない部屋だ。さっきまで皆と一緒にいた貸し倉庫じゃない。

 年季の入った感じの木目がむき出しの壁、石畳の床。今にも朽ち果てそうな、本の重みで歪んだ本棚がいくつも並んでいた。本棚には背がついていないため、本の入っていない棚から向こう側が見える。そこに、誰かが立っていた。

 その人の手には、炎のような揺らめく明かりが立ち上っている。暗闇の中に輝くオレンジ色の明かりは、普通だったら温かみを感じただろう。でも、今は不気味なだけの存在だった。


 その人の髪の毛は、流れる水のようにまっすぐで床に届きそうなほど長かった。

 オレンジ色の明かりが反射して、キラキラと輝く。でも、白髪に近い金髪。銀色とも違う色。

 背は高く、痩せていた。黒い服に身を包んでいたせいか、その痩せかたが奇妙なまでに目立っていた。

 でも、恐ろしいくらいに綺麗な顔立ちの人だった。長い睫毛、整った鼻筋、酷薄そうな薄い唇。何の感情も浮かんではいない、その仮面のような顔。


 ――レティシア。

 わたしは思わず、息をつめて彼女を見つめていた。


「私は問題ないが、お前は明かりがなければ何も見えないのだろう」

 彼女はそう言って、足音も立てずにこちらに近寄ってきた。まるで、滑るかのような奇妙な動き。歩いているという感じではない。

 わたしは思わず後ずさった。

 彼女は目を開けていたけれど、そこに光彩はない。酷く濁った色だけがあった。

 目が見えているとは思えないのに、彼女にはわたしのことが見えているようだった。本棚にぶつかることもなく、わたしのすぐ目の前に立った彼女は、炎に包まれているかのような手を微かに上げて、わたしの頬に近づけてきた。

 炎には魔法言語が透けて見える。

 熱くはない。でも、近づけられると怖くてわたしは小さく悲鳴を上げていた。


「臆病なのは長生きする。危険を察知する能力が高いということだ」

 彼女はそう言って、その手をわたしから引いた。

 わたしは自分の心臓が震えているのを感じた。

 無性に怖い。理由なんて解らない。この人が怖い。

「……目が、見えないんですか?」

 かろうじてそう訊くと、彼女はつまらなそうに息を吐いた。

「あの男のせいだ」

「男?」

「さっき、首を刎ねたがな」

「……中央の局長ですね」

 わたしは自分が怯えていることを彼女に知られまいと必死だったけれど、きっと彼女には解っているのだろう。それでも、わたしは必死だった。何か別のことを考えていないと、わたしは恐怖に負けてしまう。とにかく、頭を働かせないと駄目だと感じていた。

「あなたは……その」

「震えているのか」

 ふ、と彼女が唇を歪めて言う。「面白いな」


 面白くなんかない!

 わたしは唇を噛んだ。


「逃げようとは思うな。私はまだ回復中ではあるが、お前くらい簡単に殺せる」

 回復中?

 わたしは目を細めて彼女を見つめる。

 彼女は空いていた片方の手を自分の頬に当て、小さく舌打ちした。

「あの男、私の顔を潰したのだ。この両足も切り落とされた。修復が追い付かん」

 ――潰した。

 つまり、物理的に、ということ?

 両足も?

 でも、彼女にはきちんと両足があって。どこも怪我をしている様子などない。

 つまり、これが中央局長が言っていたこと。彼女は何をされても死なないということ。

「両足と顔……見てくれの修復を優先したから、内臓や目は後回しになっている。昔と比べて、修復に時間がかかるようになった」

「修復……あの、あなたは……人間なんですか?」

 わたしは緊張しながら言った。

 怒らせたら殺される。そんな気がする。

「さて、純粋な人間ではあるまい。グレイは私を化け物と呼ぶがな」

「グレイ」

「あれも面白い男だ。少なくとも、お前よりは役に立つ」

「何故」

 わたしは言葉を探した。「何故、わたしをここに連れてきたんですか? 何故、こんなことをするんですか?」

「さあね」

 彼女はただ笑った。

 それは笑みの形をしていても、絶対に偽物である、そう直感的に解るものだった。


「さっきの男を殺したのは、まあ、余計なことを話すのをとめるためだったがね」

 彼女はゆっくりとわたしから遠ざかり、部屋の奥のほうへと歩き出した。「結構、長い付き合いだった。こちらも多少の情報は与えたし、生きていられても私に取っては何の利点もない。それに、殺してみたかったというのもある。本当ならば解剖してもよかったんだが、そんな時間はなかった」

「……肉体はディーンという人のものでした」

「解ってるとも。だから解剖したかったのだよ。なかなかの健康体だったろう?」

 そこで彼女はこちらに目を向けたけれど、それは儀礼的なものだった。実際には見ようとしただけで、その目は何も映し出してはいなかったのだから。

「殺すなら、ディーンじゃなくて中央局長を殺せばよかったのに」

 わたしがぽつりとそう言うと、彼女は少しだけ肩をすくめて見せた。

「それでもよかったが、まあ、成り行きというものだ。あの男を油断させるために、あの男の願いを聞き入れてやった。人格転移の禁呪は、受けたほうも、そしてその魔法が使われる空間にもかなりの負担がかかるものだ。私が逃げ出すのに必要な過程というやつだよ。司法局のあの檻を破るのには、かなりの魔力をぶつける必要があった」

「……つまり、研究は終わったということですか? あの地下室――隔離室で、あなたは中央局長の協力の下、人造の生命体についての研究をしていた、そうですよね? そこから逃げたということは、もうあの研究室は不要になったということですよね」

「色々聞きだしたようだな」

 レティシアは少しだけ不快そうにそう呟いた後で、部屋の扉を開けた。「ついてきなさい」

 彼女はそう言って、真っ暗な廊下へと進んでいった。

 正直に言えばいきたくなんかない。でも、わたしはおとなしくそれに従った。


「あの男の欲しかったものは、私にも理解はできる」

 レティシアは暗い廊下を歩きながらそう言った。

 ゆらめく明かりが廊下を照らし出していて、その屋敷のあらゆるところが傷んでいることも教えてくれる。一体、ここはどこなんだろう。誰の屋敷なんだろう。

「壊れない肉体、強靭な肉体、完璧な人間の肉体」

「……あなたの肉体のように、ですか?」

「少し違うな。私の肉体は、壊れはする。ただ、治りが早いだけだ」

「でも、死なない肉体ですよね? 中央局長が言ってました。魔法を使って、その肉体になった、と」

「まあ、便宜上はそう言った」

「便宜上?」

「確かに、私の肉体は強い。長い年月をかけて改良を重ねてきたからな。しかし、少しずつ劣化はしていく」

「劣化とは?」

「しょせん、人間の肉体には限界があるのだ。元々、私は適合していたわけではない。改良という治療を重ねてきて、寿命を延ばしただけだ。やがて限界はくる」

「限界?」

 彼女は足をとめた。

 わたしも慌てて立ち止まり、彼女の背中を見つめる。

 わたしたちの前には扉があった。何の飾り気もない、木の扉。彼女が手も触れずにその扉を開けた瞬間、変な匂いが鼻をついた。

 薬品。

 それと、獣のような匂い。

 さらに何かが腐ったような匂い。


 エリザベス、マチルダ、局長、アレックス。

 もう、誰でもいい。

 早く、誰かわたしを助けに来て欲しい。もう、嫌な感じしかしない。彼女と一緒にいたくない。逃げたい。家に帰りたい。


「私が欲しかったのは、美しさだ。でも、手に入れることはできなかった」

 彼女は開いた扉の前で、皮肉っぽい感情を交えた口調で言った。

 美しさって何?

 充分、彼女は綺麗なのに?

 それとも、何か別の意味があるの?

「人間の身体は本当に美しい構造をしている。こんな小さな身体の中に含まれる情報量は凄まじい。そして、複雑な神経が張り巡らされている。その神経をほんの少しだけ傷つけてしまえば、それで簡単に不完全になってしまう。美しく、そしてとても脆い。私はそれを完璧な形で作り直したかった」

「……どういう意味ですか?」

 わたしは質問を投げることだけに集中した。

 これは時間稼ぎだ。

 きっと、局長たちが助けにきてくれる。シャーラだって局長のそばにいた。神官長という人だっていた。きっと、時間さえあればわたしを見つけてくれるはず。

 そう信じる。

 そう信じなきゃ。


「私は生まれた時、醜かった。この顔も、身体も。生まれながらにして、歩くことが不可能な骨格をしていた」

 レティシアはそこで低く声を上げて笑った。「できそこないの人間だったのだよ、私は。そう、お前のように恵まれてはいなかった」

「……」

 恵まれて?

 わたしはただ顔をしかめていた。

 レティシアの声には何の感情も含まれてはいない。

 だからこそ、怖かった。

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