見た目とは違って
「記憶を?」
わたしがハワードを見つめたまま困惑していると、彼は小さく頷く。
「人間の精神とはよくできていましてね。とても自分が受け入れられないものを見た時などに、それを『見たことを忘れる』んです。一種の防衛本能でしょう」
「防衛本能……」
わたしはただ繰り返した。
つまり、誘拐された後のことを忘れている。
グレイと何を話したか。何を見たか。
「でも、わたしは思い出さなきゃいけないんですよね?」
わたしが語気を強めて言うと、意外なことにハワードは首を横に振った。
「私はあなたの記憶を無理矢理思い出させることができますが、それは避けたいと考えています。何故、あなたの本能が自分の記憶を封じたか。それは、覚えていると自分の精神が保たないからです」
保たない、だろうか。
わたしは気が強いとよく言われる。自分自身だって、精神的に図太いと思っている。
「無理しないでいいんですよ。ゆっくりで」
彼の笑顔と落ち着いた声音は、聞いていると『そうなのかな』と思えてくる。
でも、わたしは眉を顰めて続けた。
「グレイは殺人者なんですよね? わたしの記憶に何かヒントがあるかもしれないと言われているのに、忘れたままでいいんですか? 早く捕まえなきゃたまた誰かが――」
すると、ハワードが初めて笑みを消した。思慮深い輝きを放つ瞳が空を彷徨う。
「……少し、それについては司法局の者と相談します。その結果次第になりますが」
「はい」
わたしは頷く。ハワードはしばらくの間沈黙し、言葉を探しているようだった。
やがて真剣な目でわたしを見つめ、低い声で言った。
「あなたは多分、見てはいけないものを見たのでしょう。だから、本当はこのまま忘れていたほうがいいのかもしれません」
見てはいけないもの?
わたしは視線で問いかける。
すると、ハワードが目を細めた。
「おそらく、殺害の瞬間です」
わたしが自分に与えられた部屋に戻ると、クレアが椅子に座って待っていた。
「お帰りなさいませ」
彼女はすぐに立ち上がり、心配そうな笑顔を向けてくる。わたしは彼女に微笑むと、ベッドに腰を下ろした。
「どうでした、カウンセリングとやらは役に立ちそうですか?」
クレアがそう訊いてきたので、わたしは肩をすくめて見せた。
「よく解らない。何だか、色々話をして終わっただけ。定期的にカウンセリングするらしいけど」
「そうなんですか」
クレアは僅かに落胆のため息をつく。「そう簡単に解決はしないものなんですかねえ」
「だと思うよ」
わたしはクレアに全部話す気にはなれなかった。
まだ自分でも心の中の整理がついていない。ハワードのあの台詞は、自分が考えていた以上にわたしを怖じ気させたということもある。
それに、話したら絶対心配するに決まっている。お父さまたちに報告されて大騒ぎになりそうだし。
「まあ、当分はここに泊まり込み決定だね」
わたしがベッドに倒れ込み、枕に顔を埋めていると、クレアが苦笑するのが気配で解った。
「退屈ですか?」
彼女は続けた。「さっき、凄く若いというか幼女というか、女の子がきまして。司法局内の施設を使っていいって言ってました」
――エリザベスかな。
確かに幼女だ。とても捜査官には見えないし、っていうか、あの年齢で捜査官になれるものなんだろうか。どういうシステムなんだ、司法局。
「施設って何があるんだろう?」
枕から顔を上げ、クレアを見る。
「図書室や運動場と言ってましたが。乗馬もできるみたいですが、できれば図書室がオススメかと」
「何で?」
「怪我をされると困ります」
「怪我をしたって自分の身体じゃないのに」
「ダメです」
「了解」
わざと短い返事をすると、クレアが不思議そうにわたしを見つめる。
「素っ気ない口調だと、お嬢さまらしくありません」
「女言葉より似合うのでは?」
「そうかもしれませんが……何だか違和感がありますね」
わたしは低く笑った。
その時、部屋のドアがノックされる音が響いた。わたしがベッドから起き上がっている間に、クレアが扉を開ける。
ドアの中央から下の辺りに、小さな姿。
「お邪魔します!」
そう明るく声をかけてきたのはエリザベスだ。キラキラ輝く瞳をわたしたちに向け、無邪気な仕草で頭を下げる。
「マチルダお姉さまが外の仕事が入ってしまったので、わたしがお目付役です。一緒にご飯食べましょう」
お目付役か、とわたしは笑う。
そして、ふと考えた。この少女相手なら、何か情報を聞き出せるんじゃないか、と。
わたしは三人で食堂に向かいながら、何から質問しようか考えていた。
「捜査官になるのって大変じゃないの?」
わたしはそう切り出した。
テーブルの上には皮がカリカリにやけたチキン、温野菜のサラダ、ポテトスープに丸いパン。デザートにパンプキンパイ。
「大変ですよお」
エリザベスはチキンにナイフを入れながら笑っている。「知力、体力、魔法使いとしての実力試験もありますし!」
「でも、それに受かってあなたはここにいるんでしょう?」
「もちろんです」
えっへん、と自慢げに胸を張る彼女は可愛らしい。「魔法取締捜査官になるには、かなり厳しい試験がありますが、だいたいは専門の養成学校に通いますよ。わたしは優秀なので通いませんでしたが!」
「自分で言うかな、優秀とか」
わたしが吹き出すと、隣でクレアが「本当ですかねえ」と囁くのが聞こえた。
「本当です」
エリザベスは指を振りながらちっちっちっ、と舌を鳴らした。「わたしの特殊能力をお教えしましょう。特殊記憶能力です」
「記憶?」
「わたし、一度聞いたり見たりしたものは、全て覚えているんです。歩く記憶装置と呼んでください」
「はー」
それが本当なら、試験なんて楽々かなあ。
「まあ、見た目がこれですから捜査官とはバレないので、捜査中は色々便利ですけどね」
エリザベスは子供らしい笑顔を見せている。
「いつ捜査官になったの?」
わたしが重ねて訊く。「もうすぐ一年たちます。まだ新人です」
「一年か……。グレイが魔法使いの免許を剥奪されて一年、とかマチルダが言ってたような気がするけど」
「そうみたいですね」
エリザベスは頷いた。「わたしが捜査官になった時には、グレイ・スターリングは保護観察官の元で生活してました」
「何をしたのか教えてもらえる?」
「……話せることは少ないですが、可能なところだけ」
彼女は笑みを消し、少しだけ考え込んでから口を開く。「彼は魔法使いの免許を十二歳の時に取得しました。で、魔法を使って問題を起こしました。この辺りは伏せさせて下さいね」
「人を殺した……のかな」
わたしはぽつりと呟いたけれど、エリザベスは否定も肯定もしなかった。
「彼は更正したと思われていましたが、保護観察官に殺人現場を見られて逃亡、姿をくらまします。その後、我々は彼に殺害されたと思われる遺体を三体発見、さらに今回の魔法不正使用であなたを発見、そこで遺体を四体回収。こんな感じです」
あっさりとハードな内容を語る彼女は、美味しそうにポテトスープを飲んでいる。
わたしとクレアの食事の手が止まっているのを見て、「食べないんですか?」と訊いてくる。
いや、食べるけどさ!
わたしがまじまじと彼女を見つめて言葉を探していると、エリザベスはうふふ、と笑った。
「わたし、見た目通りじゃないってよく言われます。きっと、あなたもそうですよね」
「え? わたし?」
「はい」
にこにこと笑う彼女、戸惑うわたし。
どういう意味だろう。そりゃ見た目はこんなになっちゃったけど――。
「あなたは周りの人間が思っているほど、強い人ではないですよ」




