暗闇の中で
「……痛い」
わたしはガンガンする頭を押さえながらゆっくりと起き上がった。
何だろう、関節がミシミシいう。身体中が痛い。
ええと、一体、どうしたっけ?
目を見開いても辺りは暗い。夜だから?
でも、わたしの部屋にはいつもランプがある。寝ているときだって、小さな明かりを灯して寝る癖がある。だから、こんなに暗いなんておかしい。
しかも、起き上がってから気づく。わたし、床に寝てた?
暗闇の中に手を伸ばすと、木でできた床に指先が当たる。
木の床?
わたしは眉を顰めた。
我がお屋敷にこんな床があったっけ?
自慢じゃないけど我がオーガスティン家は裕福そのもの。全ての部屋にふかふかの絨毯が敷いてある。こんな床、どこにあったっけ。
とにかく、明かりはどこ? 暗すぎて何も見えない。
わたしはぐらぐらする頭を抱えながら立ち上がる。ああ、貧血? 眩暈が酷い。
少し歩くと、何か家具のようなものにぶつかった。そして、その家具を避けて横に移動すると、テーブルらしきものが腰に当たる。
ガラスでできた何かが当たって、耳障りな音を立てる。そのテーブルの上に手を伸ばすと、ランプらしきもの。さらに手探りでマッチを見つけ出すと、わたしはそれに火をつけた。
途端にオレンジ色の明かりが辺りを照らし出した。
何、ここ?
わたしはぽかんとして辺りを見回した。
飾り気のない戸棚。何だかよく解らない器具が並んでいる。
それに、たくさんの薬品の入った瓶。綺麗に畳まれた白い布。シーツか何か?
見たことのない場所。
何で、わたしはこんなところにいるの?
そして、さらに見回すと奇妙なものがあった。
家具か何かに、白い布がかけられている。ただ、その形は家具というか……。
わたしはランプを左手に持ち替えると、その布に手をかけた。そして、ゆっくりと引っ張る。
するする、と布の擦れる音が響く。
思わず、悲鳴を上げそうになった。
そこにあったのは、等身大の人形だった。真っ白な肌を持つ美少女の。流れる黒髪、すっと通った鼻筋、長い睫毛。
凄い。
何てリアルなんだろう。
わたしは恐る恐る人形の頬に触れた。冷たい。
でも。
わたしは後ずさった。
これ、本当に人形?
シンプルなドレスに身を包んだ少女。それはまるで本物の人間のようで。
何だか急に怖くなってきた。足元が震える。
後ずさりながら辺りを見回すと、テーブルの横の床に棺のようなものが見えた。
ちょっと待って。
落ち着くにはどうしたらいいんだっけ。数字を数える?
一、二、さ……。
布を被った何かが他にもある。わたしは身体を強ばらせて辺りを観察する。
人形の数?
さっきのを入れて、一、二、三……。
人形じゃなくて、幽霊とかだったら? 死体と考えるよりマシ……死体だったらどうしよう!
っていうか、これ現実!?
夢を見てるんじゃないの!?
だいたいわたし、どこにいるのよ?
さっきまで何をしてた? 考えよう。
そう、わたしはお母さまたちと学園祭に行って、レイチェルの舞台劇を見て――。
帰り際。
クレアが馬車を呼んでくるとかいって、お母さまとお父さまが学園長に挨拶を……。
そして、わたしは誰かに背後から殴られた、ような。
わたしは慌てて自分の後頭部に手をやった。怪我をしてないか確認するためだったけど。
嘘!
わたしの髪!
長くて背中まであったはずの髪の毛がない!
掻き上げると指先から短い髪の毛がすり抜けていく。
嘘でしょう、切られた?
あんなに気合い入れて伸ばした髪の毛。自慢の輝く金髪。
そして、わたしは壁に鏡がかけられていることに気づいた。
鏡。わたしの髪の毛は……と、泣きたくなりながらもそれを覗いた時。
わたしは身を強ばらせた。
「……誰?」
そう呟いた声は、わたしの声じゃなかった。
わたしの声より低い。
鏡の中にいる顔は、わたしのものじゃなかった。
金髪で、年齢は同じくらい。十四歳か十五歳くらいだろう。
淡い水色の瞳。切れ長の目。色の薄い唇。一度見たら忘れられなくなるくらいの美形。
でも、間違いなく男性だった。
「何よ、これ……」
わたしの呼吸が乱れる。
絶対、これは夢だ。
だって、有り得ない。
わたしが鏡を見つめたまま固まっていると、急に知らない声が辺りに響いた。
「グレイ・スターリング。あなたにしては珍しい失敗よね」
若い女性の声だった。
凛として響いたそれは、酷く冷やかでもあった。
「でも、失敗に感謝するわ。ここはもう閉鎖したから逃げられないわよ」
突然、降ってわいたかのようにこの部屋に姿を現した彼女。
身動きしやすそうな、黒い服に身を包んだその人は、知的な顔立ちをしていた。短い銀髪で、年齢は二十代半ばくらい。高圧的な視線をこちらに投げ、冷笑した。
「一応、形式は大切にするわね」
彼女はそう言いながら、自分の左腕を覆っていた服の袖を捲り上げる。すると、青白く輝く紋章が現れた。
「ここは魔法の使用禁止区域である。それ以前に、お前は魔法使いとしての免許を永久剥奪されている。その上で、不正に使用して人間に危害を与えた罪で、中央魔法司法局より逮捕状が出ている。さて、反論は?」
「え……」
わたしがうろたえて彼女を見つめていると、突然、何か凄まじい力に押さえつけられて床に倒れ込んだ。
まるで、身体中を縛り付けられているかのような、圧迫感。
たまらず小さく悲鳴を上げた。
「殺してやりたいくらいだな」
俯せに倒れ込んだわたしの背中を、誰かが踏みつけていた。顔は見えないけれど、若い男性だ。
「エドガー、怪我をさせたらこっちが罰則くらうのよ」
呆れたように目の前にいる女性がため息をついた。しかし、エドガーと呼ばれた男性は気にした様子もなく、踏みつける足に力を入れた。
覚えてなさいよ、わたしだってチャンスがあれば踏み返してやる!
と、内心では毒づきつつも、不安に駆られていた。
だって、あの腕にあった紋章。実際に本物を見たのは初めてだけど、誰もが知ってる。
あれは、魔法取締捜査官の印。
司法局のエリート。
そんな彼らが何でわたしの――、いや、『わたし』を逮捕するわけじゃない。きっと、わたしのこの顔の少年を追ってきたんだ。
「待って……」
わたしは必死に口を開いた。わたしはあなたたちの追ってる人間じゃない。
そう言おうとした時。
部屋の隅にあった扉がバタンと開き、十歳くらいの少女が入ってきた。
栗色の真っ直ぐな髪の毛を揺らし、息を切らせながら言う。
「マチルダお姉さま! 使用された魔法の分析結果が出たんです!」
彼女は床に倒れているわたしに目をやり、困ったように眉根を寄せる。「人格転移の魔法だって……その……」
「人格転移?」
マチルダと呼ばれた女性が低く呟いた。その横で、幼い少女も左腕の服の袖を捲り上げてわたしに見せてきた。
「あ、わたしも捜査官です。よろしくお願いします」
と、ぴょこんと頭を下げる、という仕草つきで。
「人格転移の魔法は禁呪でしょう。グレイが使えるなんて聞いてな――」
ふと、そう言いかけたマチルダの台詞が途中で消えた。
僅かな沈黙。
「……名乗りなさい」
マチルダが嫌そうな口調で言った。
わたしは床に張り付いたままの格好で応えた。
「エアリアル・オーガスティン、です」




