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約束

 金曜日。誰もが心躍る一週間の最終日。

 いつもの教室も今日を乗り切れば休みがくるとあって、少しばかり浮き足立っている。そして杞憂もまた、周りとはちょっと違う意味で気分は最高潮だった。教室のドアを勢いよく開き、階段を全速力で登ってきたであろう推進力を殺さずに、バタバタと慌しく、絵梨香の座る席の前にやってきた。

「絵梨香!絵梨香!え!り!かぐぇー」

 ぴょんぴょんと飛び跳ねながら大声で自分の名を呼ぶ親友を止めるために、絵梨香は手元にあった数学の教科書で杞憂の頭を叩いた。

「朝っぱらからうるさい!なんなのよもう!チャイムが鳴り終わるまでに間に合ったはいいけど、杞憂の声は特に頭に響くからやめてよね……!」

「あー、すいませんすいません!えへへよく間に合ったなぁ自分でもホントびっくり!」

「意味わかんない……何そのテンション?なんかいいことあったの?」

「あーやっぱり分かっちゃいますかぁ!流石は自分の親友だぜ!」

「誰が見ても分かります!」

 はあはあと息を切らせながら顔を赤くする杞憂は、誰が見ても分かるくらい嬉しそうだった。よほど良いことがあったんだなと思い、絵梨香は杞憂を自分の席に座るよう促す。

「はぁ……とりあえずその話は長くなりそうだから、またあとで昼休みの時にでもゆっくり聞くわ……」

「んん!分かった!またあとで!絶対よ!」

 相変わらずよく分からないテンションのまま杞憂は行ってしまう。少し不安を感じながら、絵梨香は担任が教室に入ってきたのを見て、読みかけの本に栞を挟んで閉じた。






「わーい昼だ!ひるめしだ!」

「杞憂うるさい」

 四時限目の授業が終わり、生徒達は一斉に席を離れる。購買に行く人やトイレに行く人、他のクラスに移動する人。自分は既にお弁当を持っていたのでいつもの席、絵梨香の席の前に移る。

「飲み物買ってくる」

「ん、うえーい」

 そそくさと逃げるように行ってしまう絵梨香の後ろ姿を見送り、自分はにやにやが止まらないだらしない顔を隠すように机に突っ伏した。そんな様子を見ている(であろう)ノイズは、いかにも呆れたという風にハァ、とため息を付く。

『……相変わらず気持ち悪いな杞憂……今日一日、ずっとその調子だ。お前には周りの目を気にするという思考はないのか?』

「んふふ?なにが?ぜ~んぜんそんなことないけど~。今までず~~っとそうだったからね~~」

 学校ではなるべく独り言は避けようと気をつけていた自分だが、さすがに今日はこの気持ちの高ぶりを抑えることはできなかった。絵梨香が戻ってくるまでの間、自分は口の端からふへへと気持ち悪い笑いが漏れるのを止められていなかった。あとで絵梨香にこっぴどく注意されたけど。

「おかえり~~」

「ん、ただい……なに杞憂気持ち悪い」

「今、全くおんなじことを言われたよ」

 絵梨香が前に座り、購買で買ってきたであろう紙パックの紅茶をずずーっとすする。すすり終わったタイミングを見計らい口を開こうとした自分を絵梨香が一足先に制止する。

「んで、今日朝からどうして杞憂がそんなに様子がおかしいのか説明してもいいよ」

「なんかすごい悪口言われた気がするしやたら上から目線だなぁ」

 まぁいいや、と気を取り直すと、今度こそ自分は絵梨香にずっと話したかったことを伝えようと大きく口をけ――

「聞いて驚け!なんとびっくり、あの声が自分の所へ帰ってきたのだったーーっ!!」

 勢いで思わず立ち上がってしまった自分は騒がしかった教室内の視線を一瞬で一点に集めさせた。それくらいに声も大きかっただろう。時が止まったかのような静寂の後、椅子がガタンと後ろに倒れる音で我に返ると、辺りを見回し静かに椅子を持ち上げてそろりと座った。それを合図に教室内は何事もなかったかのように以前の騒がしさが戻る。

「杞憂、何度も言ってるけど……うるさい」

「……ごめんなさい、今のはさすがにうるさかったわ」

 少し青ざめ気味の絵梨香の顔を見て、今回ばかりは自分の中の羞恥心が勝った。自分の中で暴走していた感情が少し冷めた。

「はい、ちょっと今うるさかったのでよく聞こえなかったんだけど、つまり何?何が自分のとこに戻ってきたって?」

「あの、そうあの声よ!ほら、昨日帰る時に話してたじゃない!あの声だよあの声!」

「え?あの声って、あの声のこと?」

「そうあの声!……じゃなかった、今はもう名前をつけたのだった。ずばり『ノイズ』!あの声は本日付で『やさしいノイズ』と命名されたのです!」

 ぱあっと笑顔をより一層輝かせながら自分はずずいっと絵梨香の方に身を乗り出す。絵梨香は少し引き気味に、ちょっと驚いた様子で瞼をぱちぱちと瞬かせた。

「そ、それはよかったね……噂をすればなんとやら、だ。それにしても何その名前?やさしいって、苗字のこと?」

「そうだよ!やさしいが苗字でノイズが名前!」

『まるで意味が分からないだろう』

「まるで意味が分からないんだけど」

 絵梨香とノイズの声が重なったのに驚き、自分は「おおお」と感嘆の声をあげる。

「すごい、絵梨香とノイズが全く同じタイミングで!さっきから思ってたんだけどー、絵梨香とノイズってちょっと考えが似てるんだよねぇ」 

「あの、ちょっといい?さっきからノイズノイズって言うけど、私にはやっぱり聞こえないのよ、その声。……今一度確認するけど、そこ、本当にいるの?そのノイズさんは」

 絵梨香は少し遠慮しがちに、自分の頭の上辺りをくるくると指先で円を描きながら問う。

「いるよ!ここまで話しておいて今更うっそぴょーーんとか言わないよ!そんなつまらない冗談言うような奴じゃないでしょ自分!」

「普段から結構つまらない冗談ばっかだよ、杞憂」

『そうだな……この友人はよく分かっている。流石、中学校からの付き合いというわけだ。こんな友人に恵まれるなんて、お前もつくづく幸せ者だな』

「なーんか両挟みで悪口言われてる……ちょっとショック……」

 真顔で答える絵梨香と真面目な声で話すノイズの両方の意見を聞き、自分はがくりとうなだれる。そこまできてやっとお弁当の存在を思い出した自分は力なく梅干しに手をつけた。きゅーっと口をしぼめ、始めに食べるものではなかったとここで後悔した。

「うわすっぱい」

「馬鹿じゃないの」

『阿呆だ、そんなもの一口で食べたらそうなるに決まってる』

「でもこのすっぱさがやめられないとまらない」

「何その突然のM発言……」

『なんだ、そんな隠れ性癖をこんなところで暴露するのか。堕ちたな杞憂』

「なーんーなーのー!さっきから二人ともコメントが辛辣なのー!自分のライフはもう0よー!」

 うわあっと嘆きつつやけくそ気味に別のおかずを口に入れると、そこでもまた口をきゅーっとすぼめることになった。

「うわすっぱい!酢が強すぎだよこのもやし!」

「なんか……ここまでくると哀れみさえ感じる……」

『今朝、杞憂の母が「しまった、酢を入れすぎた」とぼやいていたのはもやしのことだったのか……』






 賑やかだった昼休みも終わり、さらに五、六時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。

 帰りのHRが済むと生徒達はやっと終わったとばかりに各々で歓喜の声をあげる。このあとどこ行くだとか、これからバイトなんだとか、色々な事情が見え隠れする。自分は荷物をまとめている絵梨香のそばに行くと、いつも通り「えーりかーえろーう」と誘う(この誘い方をすると絵梨香は少しむっとする)。いつもなら「いいよ」とくるはずの返事が今日は違った。

「ごめん、悪いんだけどこのあと寄る所があるの……お母さんとそこで待ち合わせしてるから、今日は無理なんだ」

「あ、そうなの……すまぬの」

「ううん、こっちこそ」

 校門を出て反対方向の道に向かう絵梨香に別れを告げると、自分はいつもの商店街をふらふらと歩いた。週末ということもあって、商店街は学生が多いような気がした。畜生リア充多いな。

「いいなーあそこのケーキ屋、いつも行列ができてるからめったに行かないけどさ。ちっちゃい頃に食べたんだけど、ガトーショコラがすっごく美味しいんだよ」

 はたから見ればただの独り言だが、その呟きは本人からしてみれば明確に話し相手へと向けられたものである。

『いつもはここの道をあの友人と帰っているのか』

「そうだよ。せっかく今日も一緒に歩いて、ノイズの事とか話そうと思ってたのになー」

 街行く人の流れは昨日よりほんの少し早い気がした。多分、自分一人で歩いているせいだろう。正確にいうと一人ではないのかもしれないが。

 商店街を半分まで歩いたところで自分は今までじっと黙っていたノイズに話しかけた。

「そういえばさ、なんでノイズは今になって戻ってきたの?」

『……戻ってきた?』

 その質問は少しおかしいという風な感じで、ふむとノイズは考え込む仕草をする、ように思えた。ノイズの姿は見えない。あくまで声のみだが、自分にはなんとなくノイズの一つ一つの動作が分かるのだ。

『それは少し違う。私は杞憂に会ってからずっとお前の傍にいたぞ。確かに、一時期は声を発することをやめていたことはあったが』

「え、それって自分が中学生だった時もずーっと近くにいたってこと?それにしては気配を全然感じなかった……」

『それはお前が大人になりかける時期だったからだ』

 その言葉を聞き、自分ははてなと首をかしげた。大人になりかける時期?

『まあ、何というか……様子見だ。一旦お前から離れてみて、その後お前がどういう風に成長するかを見ていた。お前がいつまで経っても私から離れられないようになってしまったら、この先が思いやられるだろう?』

「うーんとつまり、いつまでも親のすねをかじってちゃダメですよーみたいな、親離れさせる的な感じですかねそれは」

『そういうことだ』

 そっけなく答えるノイズに対し自分は少しむっとしながら歩く。

「納得いかないんだけど……あの時自分、すごい寂しかったんだから……勝手にいなくなっちゃって、今まで一緒にいるのが分かってたのに、何で急に何も言わずにって……」

『………………』

 ぽつり、ぽつりと今日に至るまで溜め込んでいた小さな不満を口にする。ノイズは黙ったまま、自分の周りをふわふわと漂う。向かい風で自分の緑髪がふわりとなびいた。

 気が付くといつの間にか商店街の終わりが見えた。なんとなく重くなった足取りを改めて軽くさせようと小走りをするが、赤信号で一時停止を余儀なくされてしまう。ふぅっとため息を吐くと、自分に喝を入れるように呟く。

「んまぁでもいいもんっ、またあなたに会えるとは思ってなかったからすっごい嬉しかった!これからはもう絶対自分の傍から勝手にいなくならないこと!いい?もしいなくなるんだったら、ちゃんと自分に許可をとってから離れるように!約束!」

 落ち込んだ気分を晴らそうと、自分は何もない場所に向かいそう言った。相手はしばらく何も言わなかったが、やがてため息を一つ付くと、やれやれといった感じで返事をした。

『そうだな、分かった。約束しよう。これからはなるべくはお前の傍にいる。……いられるように努力はしよう』

「何そのあいまいな返事ー!なんか不安なんだけどー!!ホントにだいじょぶなのー!?」

 きーきーと鳥の雛に似た自分の喚き声は、大通りを行き交う自動車達の騒音にかき消されて周りに聞こえることはなかった。






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