邂逅
青い空、青い海、白い砂浜。
皆の憧れ三拍子がそろった異世界を、自分はぴょんぴょんと飛び回っていた。
自らが名付けた『霧島』。この島がそう呼ばれる所以は、ここが常に霧に覆われているせいだ。……現在は島の統治者が不在のようであるため、霧は晴れ、視界はどこまでも青く澄んでいる。
夢の中で一人はしゃぎ回る自分は、先程までのどんよりした気分を吹き飛ばすため、島の主を探して砂浜を歩いていた。昨日の夢、森の中では穴に落ちて夢が終わってしまった。今日こそは目覚める前に誰か知り合いを見つけたいところだ。
「んー。中々うまくはいかないね。普通、夢って友達とか家族とか、動物とか生き物が出たりするもんじゃないの?自分だけの夢なんてあるの?そもそも夢ってなに?これ哲学?」
相変わらず独り言はうるさかった。これがもし現実で寝言となってたりしたらたまったものではない。また母に色々と笑われるのだろう。かといって、別に何がどうなるわけでもないが。
足を大きく振りかぶりながら歩く。人の気配は感じられないが、何かに見られているような不安な感覚がずっと付きまとっている。
島をぐるりと一周し終わったところで、自分はふんす、と息を吐いた。
「結局、今日もだーれもいませんでした」
自分の想像力が足りないのか?と頭をこつこつと叩いた。夢の中だが少し痛かった。前にもこんなことがあった気がする。
「あれかな。自分の妄想力が足りないんだろうな、きっと。もっとこう、キャラに対する愛を注がなければ会えないというわけか……これは試練だ……」
思考回路を張り巡らせながら、自分はぶつぶつとこれから夢に出てきてほしい人の名前をただひたすらに呟いていた。
波は一定の間隔でざざ、ざざ、と音を立てている。時々吹いてくるそよ風と相まって、いい感じのBGMになる。足元の砂も、気のせいかふわふわとしてきたようだ。夢の中でうとうとするという、何とも不思議な体験をしかけていた。
「やばい、寝そうだぞ。……疲れたし寝るかあ?ここで?夢のなかでえ?でもどうせ誰もいないし、その内朝になって母さんが起こしにくるだろうし、いっか。夢の中で寝たら睡眠時間2倍とかそういうのないかなぁ?」
砂浜の上に腰を下ろすと、重たい瞼をこすりながら眠気と葛藤する。というかほぼ落ちかけている。恐らくこのまま寝てしまうと夢が終了し、きっと窓の外から憂鬱な朝が自分を出迎えてくれるのだろう。
首をかくんかくん揺らし、睡魔に身体を委ねかけた時、突然それは降って出た。
「ッ!」
意識が、一気に覚醒した。
背中を駆け抜けるぞくぞくっとしたあの嫌な悪寒が心臓に響く。今まで何も感じ取ることができなかった自分の背後に、これ以上ない強い気配を受け取った。
誰かが、見ている。
振り向きたくはないが、ここでもし自分の望んだ人がいるならば。その可能性を考えると、どうしても確認せざるを得なかった。好奇心が誘惑に勝てなかった。自分の真後ろを、恐る恐る見た。
そこで自分はふっと肩の力が抜けてしまった。振り向いた先には何もいなかったからだ。あの強力な気配も嘘のように消えてしまった。今の一瞬で何が起きたかは分からなかったが、どうやら謎の気配はどこかに移動したようだ。
「……なぁんだ、脅かさないでよ全く」
辺りには先程と同じように穏やかな時間が戻っている。そもそもここは夢の世界。今更何が起きても驚くことではないのだ。ほうっと胸を撫で下ろして体を捻ると、前に向き直った。
目の前の数センチ、それこそ目と鼻の先とでもいうような場所にそいつはいた。
真っ黒。ぼやんとした真っ黒な影が音もなくそこに現れた。自分はそこで声を上げて驚いたとか、体が飛び上がったとか、そういうアクションを起こさなかった。ただ、吸い込まれるような深い漆黒がそこに広がっている。その闇に釘付けになり、体を動かすどころか、息をすることさえも止めてしまったかのように思えた。
そこでどのくらいの時間が過ぎたかは分からない。実際には数秒だったのだろうけど、自分にはそれが何十分、何時間にも感じた。しばらくの間、お互いにその場を動かず、じっと見つめ合っていた。果たして影が自分を見つめていたのかは定かではなかったが。
先に沈黙を破ったのは自分の方だった。
「……ほ、ほほ、びっくりしたぁ……うわっは、はぁ、んな、びっくりさせないでよもう……夢だからって、冗談きついって、っはは」
話しながら少しずつ、少しずつ後ろに下がる。完全に腰が抜けてしまったので、座ったままゆっくりと移動する。視線は絶対に影から離さなかった。今ここで目を逸らして逃げたら、一気に襲ってきそうで怖かったから。
影は依然、ふわふわと浮かんだままだ。そこから動くこともなく、何もせずにただそこにいるだけなのに、逆にそれが自分の恐怖を煽った。前にも、こんな怖い思いをしたような気がする。あれはいつのことだっけ?何故、どうして、こんなに胸が苦しい?その答えは、紛れもない目の前の影が教えてくれた。
「……き、ゆう」
声が聞こえた。頭の中に、直接。カラン、と響き渡った。
「……きゆう、きゆう」
かつて、自分が嫌というほど聞いていた、懐かしい音。
「杞憂」
はっきりと聞こえた。
「……あ」
声が震える。恐怖心はすっと消えた。影がゆらゆらと揺れる。目じりに、自然と涙がたまる。
「あなた、なの。あなたなの?あのときの、あの、あの」
まともな会話ができなかった。動揺しすぎて、言いたいことがまとまらない内に言葉だけが口から漏れてしまう。気がつくと、自分は影に向かって手を差し出していた。触れたくてたまらなかった。
突然、影はもごもごと蠢いたかと思うと、だんだんとその姿を消していった。ちりちり、ちりちりと端の方から消えて無くなっていく。
「ま、待って!もうおいていかないでよ!!」
慌てて影に手を伸ばすも、その手は虚しく空をかくだけだった。そしてついに影が手の平程度の大きさにまで縮んだとき、自分は決死の思いで影を握りつぶした。黒い泡が弾け、夢の世界を黒く染め上げる。
そこで自分の意識が途絶えた。
…………。
ゆう……。きゆう……。
「…………」
遠くの方から自分の名前を呼ぶ声がする。誰だろう、母さん?それとも……。
「んぁ……」
チュンチュンと鳥のさえずりが耳に届いた。カーテン越しにうっすらと太陽の光が透ける。まだ完全に目覚めきっていない体を起こし、手元に置いてあった時計を見ると、既に7時20分を回っていた。
「あ、あさかあ……」
んーっと力なく伸びをすると、自分はぽーっとまどろんだまま固まった。もし今ここで後ろに倒れようものなら、そこからは絶対自分の力だけでは起きられない。時間的にもぎりぎりだし、色々と準備をしないといけないので、この時点で布団からは抜け出ないといけないのだ、が。
「なんか、からだだるい……なにこれ……つらい……ねむい」
昨日までとは違う異様な眠気がどっと自分にのしかかる。変な夢でも見ていたのだろうか、少し疲れも感じた。内容は……あまり思い出せない。結局、自分は母さんが部屋に起こしに来るまでずっと布団の上でぽーっと座りっぱなしだった。
「こぉら杞憂、もう7時半になっちゃったよ~?絶対に遅刻しないって言ってたじゃないのよ~。今から準備したら間に合わないんじゃないの?」
洗濯物を抱えた母が少し怒ったような調子で話しかけてくる。その言葉を右から左に受け流しつつ、自分は「んぁい……まにあいますとおもうです」と曖昧な返事をした。
「今日なんて金曜日なんだから、あと今日一日頑張れば休みじゃないのよ。もうちょっとしっかりしなさい!絵梨香ちゃんだって、ちゃんと学校来てるでしょ?向こうでまたお話すればいいじゃないのよ」
「なにおはなしって……ちょっといみわかんない。いや普通に体調がおかしい気がするんだけど、めっちゃねむくて……ねぇ」
「それただの寝不足でしょ」
「ちがうよ最近はちゃんと寝てるもん本当に……夢はよく見るようになったけど」
「それがちゃんと寝れてない証拠よ。夢を見てるってことは浅い眠りなんでしょう?」
「そうなのぉ?別にそんなことないと思うんだけどなぁあああぁ」
「ほら、そんなこと言ってるうちにもう35分よ。遅れたりしたら携帯取り上げよ~」
『そうだぞ、お前このままだと確実に遅刻だ。今朝6時半頃に起きた人身事故の影響で、運転を見合わせている路線がいくつかある。下手したら途中で通る踏み切りは開かない可能性がある』
「今日の朝ね、ここの近くの駅で人身事故が起きちゃったからダイヤが乱れてるらしいのよ~。もしかしたら、いつも通ってるあそこの踏み切り開かないかもしれないわ~。今すぐに家出て遠回りしないと間に合わないでしょう?」
「ほう……え、今それ聞いたよ、時間がないって……」
「何言ってるの、今私が言ったんだからそうでしょう?」
はてなと首をかしげると、母は隣の部屋に別の洗濯物を干しにいった。自分もはてなと首をかしげ、とりあえず朝食を取ろうとベッドから這い出る。
「ついに母さんまでもがおかしくなってしまったか。年取るって怖い、同じことを繰り返し繰り返し聞いたり話したりしちゃう」
『お前も普段からそんな感じだろう。見た目は若くても、中身は立派な中年だ』
「そんなことありませんってば~~自分はまだまだ華のじょしこーせいで……」
そこで一旦ぴたりと止まって、自分は今置かれている状況を改めて見回してみた。
母は隣の部屋、自分はこの部屋、一人。何だ今の。確実に母さんの口調ではない。
「…………………」
『…………………』
直後、頭にどでかいハンマーでもくらったかのような衝撃が走った。
「っっあああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
『急に大声を出すな……驚くだろう。あと五月蝿い』
「杞憂~~うるさいわよ~~、ご近所迷惑!」
「ちょ、母さんちょいちょいこれ!!!ほら!!!ああ全部思い出したぞ!!!ほら!!!」
『どうした杞憂、やっと自分が超絶危機的状況に置かれていることを理解したか?』
「そんなことじゃあないわ!!!ちょ、ねえ!!!あなたでしょ!!??あの声!!!!」
完全に我を忘れた自分は、何年ぶりかに再会したその声にわーわーと騒ぎ立てた。
「そうだよ……自分思い出した……!夢で会えたの!あの声と!また会えたの、今こうして!」
そして、姿の見えないその存在を確認し、笑顔でそれを迎え入れた。あの時と変わらない、無邪気な笑顔で。
「おかえりなさい、それで、おはよう!」
『……別にお前から離れていたわけではなかったんだがな……、おはよう』
あの日交わすことのできなかった挨拶が、数年ぶりに返って来た。
「いーてきまーす!」
「いってらっしゃ~い」
自分でもありえないくらい超高速で準備を終えた自分は、地面を蹴ってどんどん走った。さっきまでの疲れが嘘のように吹き飛び、いつもは重苦しいはずの鞄も、今はその重さを全く感じさせない。まるで体中に繋がれた鎖が一斉に千切れたかのようだ。
「きゃああっいっけなーい、遅刻遅刻ぅ!」
『つまらない冗談を言っている暇はないぞ、杞憂。案の定、あの踏み切りはつい10分前から遮断機が閉まりっぱなしだ。あそこは使えない。もう一本隣の道に行って歩道橋を渡れ』
「んもっちろん分かってますってばぁあ!今ならぜーったい遅刻しないって確信した!!」
朝から階段を登って息切れしないなんて奇跡に近い。しかも一段飛ばしで。今なら50m走新記録が出そうだ。テンションがあがり過ぎて、逆に胸が苦しくなってきた。
「んんっとそおだ!あなた名前!なまえ、決めよう!!あの声じゃあ無理だ!自分が呼びづらい!」
走りながら、自分の隣についてくるその気配に向かって叫ぶ。突然の提案に、その声は一瞬『は?』と訝しげな返事をした。途中、赤信号で一時停止をするとはあはあと息を整え、名前を考えうーんと唸る。
『名前って、別に私にはそんなもの必要ないとは思うのだが』
「うーんよし分かった!ノイズ!あなたの名前はノイズね!頭の中の雑音!突然のノイズ!」
『……それってつまり私の存在が邪魔ってことだよな』
「ううんだからね!フルネームも考えた!ノイズはノイズでも、全然嫌なノイズじゃないから『やさしいノイズ』!やさしいが苗字で、ノイズが名前ね!」
『はぁ?何だその変な苗字。相変わらずネーミングセンスが無いな、杞憂』
青に変わった信号を見ると、全速力で横断歩道を駆け抜け、ノイズに話しかける。
「むふふーん、全然変わってないでしょ、あの頃と!」
『そういうのは自分で言うことじゃないな。こういうところも全く変わっていない』
視界の隅に校舎が見え始めた。今日もチャイムが鳴る一歩手前には教室に着くだろう。絵梨香は既に一時限目の授業の支度をしているかもしれない。誰よりも先にこのことを報告したくて、その一心で、自分はラストスパートをかけた。姿は見えなかったが、無論ノイズも隣でスピードを上げていた。




