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むかしのことをすこしだけ

 ぼーっと考え事をしているとあっという間に時間が過ぎる。

 それこそ、もうさっき食べたはずの夕食のメニューさえ思い出せないくらい。

 ……いや、実際にはすぐに思い出せた。今日は久々のハンバーグだったから。こんなことを思い出せなくなるなんて、もはや自分はただのボケ老人になってしまう。大丈夫。自分はギリギリのラインでまだ華の高校生である。

「……んー、やはり母はするどい」

 食事中の出来事を思い出しながら、自分はぽつりと呟く。




 絵梨香と別れてから、自分はずーっと考え事をしながら家までの道のりを辿っていた。正確には、ぼーっと放心状態になりながら、といったところだが。家に帰ってきてもそれはまだ続いていた。

 のんびりと食器の準備をしながら、母は自分に問いかけてきた。

「杞憂今日はなんだか静かね。いつもはもっと騒がしくない?学校でなんかあったの~?」

「……んん~?」

 ぼーっとしたままの自分は確かにいつもより多少は口数が少なかった、と思う。自分はあまり意識はしていないから、極めていつも通りのつもりだったのだが。

「そんなことないと思うよ~?なんか変だったかな。今なんも考えてなかったからかな」

「それはいつものことじゃないの~」

「そ、それは違うよ!いつも何も考えてないわけじゃないよ!」

 ……前にもこんなような会話をしたような気がするが気のせいかもしれない。気のせいということにしておく。

「それよりも、今日はハンバーグですねおっかさん!久々ですぜ!おいしそう……」

「たまたま今日は挽き肉が安かったの~!杞憂ハンバーグも好きだもんね、残さず食べなさいよ~」

「あったりまえですよ~っと」

 こうして母と二人だけで食卓につくのももう慣れた。いつ頃からなんだろう、とふと考えてみたが思い出せなかったのでやめた。今はとりあえず目の前のご馳走と格闘することにしよう。

「杞憂」

「ん、なんだいおっかさん」

「本当に何か、ちょっとでも気になることがあれば相談するのよ。何でもいいから。悩みを一人で抱え込むのが一番よくないの。直接じゃなくても、……まあメールとかでもいいんだからね~」

「そんな、わざわざ家の中でメールし合うほどの悩みなんてございませんよ、おっかさん。なんかあったらちゃんと本人の前で向き合って言うしね。心配せんといてよ」

 自分はハンバーグをもぐもぐと咀嚼する。母も、それを見てまたいつもののんびりとした笑顔に戻り、ハンバーグを口へ運んだ。




「……うん、やはり母はつよい」

 人というのはいつも傍で過ごしていると、日常の小さな変化にすぐ気づく。特に母は鋭い。ぼーっとしているだけで、それでいてただぼーっとしていただけではないことも、きっと母には分かったのだろう。

「……あの声、ねぇ」

 先程の絵梨香との会話を思い出して、自分は少しばかり苦い顔をした。


『そうだ……杞憂、杞憂はもう、あの声は聞こえないの?』


 残念ながら、なんも聞こえないんだよなぁ、これが。

 その点に関しては、もう自分も半ば諦めていたので今更どうということはなかった。だけど、やっぱり頭の中からは、あの時まで聞こえていたあの懐かしい響きが今でも離れないのだ。






***********






 杞憂が生まれて初めて口にした言葉は、『ぱぱ』でも『まま』でもなく、それでいて物の名前でもなく、自分の名前だったという。

 もちろん、最初からはっきりと発音できたわけではない。途切れ途切れの母音を発し、『杞憂』と言う自らの名前を父と母に伝えたのだそうだ。

 その時の二人の驚きぶりは凄まじかった。確かにいつも娘の名前を呼んではいたものの、まさかその言葉が最初に出てくるとは思わなかったからだ。

「すごいね、ママ……杞憂ったら、もう自分の名前を覚えてる」

「なあんだ、ちょっと残念。一番最初はまんまーって言ってほしかったんだけどなぁ……」

「そんなこといったら、僕だってぱぱって言ってほしかったよ。でも、それ以上に杞憂って名前の方が印象強かったんだろうね」

「そんなに好きなのかな。だったらなんだか嬉しいな。自分の名前に、自信を持ってくれてるってことだもんねぇ」

 二人は顔を見合わせてくすくすと笑った。杞憂自身も、そんな二人の笑顔を見てキャッキャと楽しそうに笑う。そこには、当たり前のようにとても幸せな風景が広がっていた。杞憂の周りにふわふわと漂う気配も、その光景を見ていた。

 この気配が、杞憂の名前をずっと呼び続けていたことをこの時はまだ誰も知らないし、その存在を知ることもなかった。






 杞憂には、小さな頃から不思議な声が聞こえていた。

 それは杞憂にしか聞こえない特別な声であり、姿は見えずただ頭の中に凛とした音が響くだけの存在だった。まだ幼かった杞憂は、自慢げにこの声の存在を自慢した。が、無論この話を誰にしても周りからは馬鹿にされるだけで終わった。いくら自分が必死に説明しても一向に変わらない反応に、杞憂はそれ以上は無理やり議論することは無く、自分だけにある特別な力を一人で楽しんだ。

 小学生になり、杞憂はその声と意思疎通を試みた。とはいっても、こちらから一方的に会話を投げつけるだけで向こうから何か返事が来るわけではない。何故なら、その声は昔から自分の名前しか呼ばないからだ。一度、その声に質問してみたことがある。どうしてそれ以外の言葉を話さないのか――と。

 その声は黙ったままだった。どうやらそれ以外の言葉を知らない、或いは話せないのか。と、当時の杞憂は結論付けた。少し残念に思ったが、それで分かったこともある。不確定ではあるが、どこかにいるという気配はずっと感じているので、少なくとも自分の声が相手に聞こえていないわけではないのだ。それだけで嬉しかった。杞憂は、周りの目を気にすることは無く、独り言のようにその声に話しかけ続けた。






 さすがに高学年になるとそれなりに周りの反応も気になった。普段からぶつぶつと呟くことはやめて、一人の時だけはその声と会話をした。杞憂が「創作」という遊びを知ったのもちょうどこの頃である。

 その頃の杞憂は、自分だけのオリジナルキャラを作る遊びに夢中だった。他の友達がテレビや雑誌の話をする中、杞憂は一人でオリジナルデザインの「我が子」を作って動かしていた。絵を描くことは決して得意ではなかったが、そのデザインを考えている時が何より楽しかった。その「我が子」を作り、その様子をあの声に報告するのが楽しみだった。

「きいてきいて!今日はこんな子つくったのー!可愛いでしょ!」

「今日はめずらしく男の子をつくってみたよ……でも全然うまくかけないやー、なんでだろ?」

「やっぱりふわふわした服の方がかきやすいね!あ、この子は前に作ったあの子とペアで……」

 毎日のようにベッドの上で独り言を話す杞憂を見て、母は少しばかり困った。確かに見た感じは少しおかしな感じだったけど、その時の杞憂はとても楽しそうな笑顔をしていたから。あの笑顔を、わざわざ自分が壊してしまうことはできない。

 この頃、すでに父は家にはいなかった。父は単身赴任を繰り返していたので、めったに家に顔を出すことは無くなった。娘を守ってやれるのは自分だけ。そう言い聞かせて、母はこの娘の不思議な行動に文句をつけたり止めようとはしなかった。むしろ、杞憂とその声について一緒に話すこともあった。元々母は霊やそういった人でない存在のことを信じてしまう性格だったので、杞憂だけに聞こえる謎の声の存在も意外とすんなり受け入れることができた。

 二人は、お互いに姿の見えない存在と共に日々を過ごした。

 だが、そんな日常は前触れも無く崩れた。






「杞憂もついに中学生かぁ……なんだか早いわねぇ。本当にあーっという間だったなー」

「そうだねー、ついこの前までぴかぴかのランドセル背負ってたのにねー。不思議なもんだー」

「って、今もまだしょってるけどね~」

「それもあと一ヶ月で中学のかばんに変わるんだよー!」

 小学校卒業を控えた杞憂は、中学校という新たな生活を夢見て心躍らせていた。新調したぴかぴかの制服を着て通学かばんを背負う杞憂を見て、母はふっと顔をほころばせる。

「こらこら、今からあんまりはしゃぐとせっかくの制服が汚れちゃうわよ~。すぐにしまってもう寝ちゃいなさい!」

「ええ~……は~い」

 杞憂は渋々と着ていた制服を脱ぎパジャマに着替える。ベッドにもぐり、母に「おやすみなさい」と声をかけた。母も、「おやすみなさい」と優しく杞憂の頭を撫でた。まもなくして部屋の扉が静かに閉められる。

「んふふ、おやすみなさい」

 杞憂は最後に、あの声にも声をかける。返事は無かったが、それでも近くにいることは分かっていた。






 その日、杞憂は夢を見た。もやもやとした黒い影が、自分の前に漂っているだけ。ただそれだけなのに、杞憂はこの上ない不安と恐怖を覚えた。ずっとその影を見つめていると、その深い漆黒の闇に飲まれるような感覚に陥った。何か言葉を出そうとすると、黒々とした影は杞憂からすうっと遠ざかっていった。それがなんだかとても悲しくて、とてもつらくて、杞憂は反射的に影を追いかけた。必死に手を伸ばしてもその思いは届かない。

 ――気がつくと、杞憂は涙を流していた。目が覚めると、外はまだ日が昇る前だった。

「……おはよう」

 杞憂は、誰にともなくぽつりと言った。返事は返ってこない。気配も感じ取ることもできない。

 この日から、杞憂の中であの声が響くことはなくなった。

 そして時は経ち、杞憂は無事中学へと入学した。そこで、この先唯一無二の親友となる横井絵梨香と出会うのである。






***********






「…………うれ?」

 ふと、頬に当たるざらっとした感触で目が覚めた。いつの間に寝てしまっていたらしい。寝落ちする前に明日の支度を全て終えておいてよかった(相変わらず課題にはノータッチだが)。むくりと体を起こすと、視界には端から端まで真っ青が広がっていた。ざざ……という波の音が耳に心地よく響く。鼻につくのは潮の香りだ。頬を触ると、真っ白な砂がついていた。細かくて、踏んでもあまり痛くない。真っ白な砂浜に青い空、青い海。まるで絵に描いたような風景である。

「また夢だぁ」

 しかも、また自分の創った世界の夢だ。水平線の向こうには、うっすらと大陸が広がっているのが見える。となると、今自分がいるここは……『霧島きりしま』と呼ばれる場所だ。

「わあぁ、昨日は森で今日は海か!両極端だなぁ、もう!」

 ついさっきまで過去の苦い思い出に浸っていたので、この夢は今の自分の気持ちを十分すぎるほど高ぶらせてくれた。せっかくの夢なので、今日もたっぷり遊ばせていただこう。

「確かここの島はい~~っつも霧がかかってるのよね~。リーアちゃん倒して仲間にしてからは霧が晴れっぱなしだけども~~」

 ドラマのワンシーンに出てくるような砂浜をスキップしながら駆け回る。あまり大きな島ではないので、少し走れば島が一周できるはずだ。昨日の夢は残念ながら誰とも出会えなかったが、今日は我が子と会えるのではないかという野望(?)を抱き、自分は空を悠々と飛ぶカモメを追いかけっこをしていた。

 島の端にあるごつごつとした岩陰からの視線には、まだ気がつかない。






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