A-4
「はぁ、専属講師貴様、まだ私を束縛するつもりか?面倒なのだ。億劫なのだ。それに、このスカートは膝下までちゃんとあるぞ?風で捲れる事もそうあるまい。問題が何処にある?」
十六夜昼夜は指を三本立てて言う。
「一つ。”サイコパス”に人権はあるが、形式上のものだ。よって、お前が仮に強姦に遭ったとして裁判を起こせば確実に負ける。それで孕んじまった場合、子供は”サイコパスから生まれた異常者”として見られる事になるんだぞ?お前が考えているよりも”サイコパス”は重いんだ。考えろ」
少女は臙脂色の靴下を履きながら聞いていた。
「そんなもの、別に大した問題ではなかろう?第一、私が襲われない様にするには貴様が努力すればいいだけの話だ」
少女は下着を履きながらそういった。
「話は最後まで聞け。二つ。俺が白い目で見られる」
「”サイコパス専属講師”をしている段階で怪しいがな」
「三つ。俺は処女厨だ」
「死ね」
K-145RSは苛々した声色で言い放って、十六夜昼夜の肩を突いて玄関先へと向かう。玄関には一足の靴しかない。十六夜昼夜の履いてきた革靴のみだ。どうやって外に出ろと言うのだろうか、と言おうとした時には十六夜昼夜は動いていた。カバンの中から真っ白の運動靴が取り出されているのを彼女は見逃さない。デザインについて彼女は一切の感情を抱いていなかった。それよりも先行して感じた事は一つ。この靴なら走れるのだろうか、と。
彼女の願望。風を切ってみたいと言ったそれは、実現しようとしている。他ならぬ、十六夜昼夜によって、彼女は感謝しそうになっていた。彼女の異常は自身の肯定。それならば、感謝することは自分を否定することには繋がらないかなと、一瞬だけ示唆した。
黙れ。一度肯定してしまったら、その今までの行いまでも肯定してしまうぞ。即ち、否定した経験のある十六夜昼夜を肯定する事は許されない事だ。
「──────は」
小さく息を漏らす様に嗤う。異常が発露している事が実感出来た。何がレベル3だ。何が社会復帰の可能性だ。私は、二度と他人を肯定する事なんて出来ないのに。
「どうした?K-145RS。俺からのプレゼントだよ。出所祝いって奴だ。……自腹なんだからな?」
「そうか。寄越せ」
「おいおいなんだよそれはよ。折角の祝いの品なんだぞ?」
「ははは、そうか。だからどうした専属講師よ。貴様、それで私が変わるとでも思うたのか?嗤わせる」
少女は十六夜昼夜の元まで足を運び、奪うようにして靴をもぎ取った。その場で地面に置いて、足を中に入れる。サイズは驚くほどにピタリと合致していた。自分でも驚く。自分の足は半年前から測っていないとはいえ、どれくらいのものか把握していた筈だ。こんなに大きくなっていたのか。
「そうかいそうかいそうかよ。あぁ、そうだ。俺ここ住むから」
「……………冗談ではなく?」
「上からの命令な」
「───否定する。知らん。何故私が貴様の様な男と夜を過ごさねばならない?年頃の男女は寝所を分けると記してある蔵書が殆どだが?」
「んなもん俺の方から願い下げだっつーの。色気の欠片もねぇお前みてぇな”サイコパス”と一緒でも嬉しくねぇよ」
「はっ、───何を抜かすか。否定する。貴様、初邂逅が全裸で鉢合わせだった事を忘れておるまいな?」
「貧相でしたねそうでしたね。つか、お前がそんなこと言い初めてからノックを始めたんだけど?」
「否定する。私は鍵を取り付けろと言うた筈だ。ほら、年頃の女の部屋は鍵が付いているらしいではないか」
「はいはい、こちらも否定させていただきますよ。大体、このマンションには”サイコパス”しかいねぇから。外から人が来るとかもありえねぇし、お前みてぇな貧乳に需要はない」
「否定する。社会にはろりーたこんぷれっくすという趣向があるらしいじゃないか。ほら、彼奴らは”サイコパス認定”されないのか?」
「されねぇよ。つか基準分かってんだろお前。思想テストで異常が発露してから、異常抑制が困難だと判断された人物が”サイコパス”だ。んで、その我慢が出来なかったのがお前ら”サイコパス”なんだよ」
「否定する。これは私のアイデンティティだ。文句は言わせない」
「だからそうやって……ったく。手続きだって大変なんだぞ?ほら、時間ねぇからメット被れ。原チャで行くから」
「嫌だ」
K-145RSはきっぱりと断った。
「──────言っとくけど、原チャで30分かかるぞ?お前金持ってねぇし道分かんねぇだろ」
「ふん。その原付自転車、時速何キロの代物だ?」
「まぁ、法定速度守ってるから30km/時弱ってくらいか」
「承知──────走るぞ専属講師」
走る、この感覚がこんなにも心地良いなんて思ってもみなかった。半年前、私が”サイコパス”と呼ばれる前には、走る事になんて興味すらなかった。しかし、あの部屋で興味をもって走り始めた事をきっかけに私は風を切りたい、とそう思うようになっていた。靴は上々。あの専属教師も良い物を用意していたらしい。裸足で走っていた時よりも断然こちらの方がいい。
「ちょま、お前マジか!?法定速度ギリギリなんだけど俺!?」
「なに、たかが時速30kmであろうが。自転車と相違ない」
「いやだからって生身でその速さって……」
五月蝿いぞ専属講師。これ以上無駄口を叩くと息が上がりそうだ。存外体力は持たないものだ。私は肌で風を感じる。風を切る感覚はなんとも表現し難いものだった。しかし、心地良いとは断定出来る。異常、異常。見るからに異常。私は異常の体現者として、公道を走っていた。学校が見える。校舎も広く、グラウンドも広い。きっと校舎周りはかなりの距離だろう。異常矯正校、そう書かれていたこの高校は最近出来たものらしく、真新しい校門が私を出迎えた。
「んじゃま、俺原チャ止めてくるから、そこで待ってな。あ、校門入るのは一緒な?校内で半径3m以外に出ると減給処分だから。それは困るぜ?」
「……まだここでも私を縛る気か」
「走らせてやったんだから我慢しろ。走りたくてうずうずしてたんだろ?」
相違ない。こいつは私の事を良く知っていた。半年の付き合いなのに。半年しか一緒にいなかったのに、私は悟られていたのか。虫唾が走った。
「嫌いだ、嫌いだ。こんな私を否定する世界は嫌いだ」
そう呟かずにはいられなかった