D-6
「こちらが食堂となっております。宿舎内の食事に関しましては、2日目を除きましては全てこちらで食事をとって戴きます。館内は原則飲食禁止ですが、お部屋に限りましては飲食を認める事となっております。先生も、この事に関してはお守り下さるよう、お願いします。調理は僭越ながら、私たちクルーが全て行っております。手によりをかけて調理しておりますので、どうか、どうかお楽しみ下さい」
「ん。璧君がそういうのであれば、致し方ないだろうさ。館内では自重しよう」
「ありがとうございます。そして、大浴場についてですが、お二人は他生徒との接触を避けたいとの先生の計らいにより、い、ざよい様にはクルー用の浴室をお貸しする事となりました。ただし、時間はこちらで指定させて戴きます。時間は午後11時から一時間。日付が変わるまでですね。そして、一番重要な事は矢張り先生の講演場所ですが──────」
「あぁ、もう結構だよ璧君。ありがとう。しおりでも確認出来るだろうから、君は厨房で食事の用意をしてくれたまえ」
「お気遣い、感謝します先生。それでは、また昼時にいらっしゃって下さい。それまで、どうか旅路で疲れたお体をおやすめ下さい」
ぺこりとお辞儀をして末木は食堂へと入ると、食堂の扉を閉めてしまった。十六夜昼夜は嘆息する。苦手なタイプだ、と正直な評価を下す。案内されたホテルの宿舎内は、造りこそ安いものの、内装に関して言ってしまえば一級品だろう。元より、ホテルとして作られたというよりも、このように学生が寝泊まりすることを想定していたかのような雰囲気を感じる。十六夜昼夜は末木に渡されたルームキーをポケットに押し込んで、荷物を置こうと歩みを進めた。
「──────なんだ、やけの素直じゃないかね?君は本来、反発する事が大好きだったじゃないか」
「俺が問題児みたいな表現は止めてくれないですかね先生?つかマジ、あの男より年下とか、アンタ幾つだよ」
「そうだな。一応、私も生物学上は雌に分類されるのだから、年齢を聞くのは失礼だろうと切ることも出来るのだがね。この”サイコパス”制度が始まってから一年目で例外に区分された、とだけ言っておくとしようか」
「母親が年齢偽んなよ。大して興味もねぇからいいけど」
十六夜三日月は十六夜りさの背中を軽く押して、十六夜昼夜に付いていくように指示を出した。肩を震わせながらも足を進める十六夜りさに、十六夜三日月は耳元で囁く。
「くく、よかったじゃあないか。君の荷物はしかりと彼が運んでくれているよ、りさ君。君は存外、彼に好かれているのかもしれないね。君は彼をどうしたのかね?彼は君を否定した。しかし、君はそこで異常を発揮したんだ。君は否定なんてそんな大それたものではなく、その否定は副産物でしかない事を実感しただろう?君の異常は何か、考え直したまえ」
くつくつと十六夜三日月は嗤い、振り返って踵を返すと右手を上げて手を振った。「それじゃあ、昼食の後にきたまえ」言って、十六夜三日月は医務室となった一室へと姿を消す。十六夜りさは、十六夜昼夜について歩く。恐怖が薄れていないのか、3mの距離を保ったままで、揺れる髪の毛を見ていた。170cmを少し越えた程度の身長に、一般的な髪色。しかし、黒髪が橙色のライトに反射したが為に、数本の髪が色素の抜けた茶色に見えた。自分の憧れ、”サイコパス”を恐れなかった彼女。自分を何の理由もなく工程してくれた、彼女の姿が脳を過った。
「か、管理に──────」
話しかけられる事を待っていたとしか考えられない早さで十六夜昼夜は反応し、「何だ」と返答する。鍵を入れたポケットに手を突っ込んだまま、ジャラジャラと金属音を鳴らした。手に持った荷物を担ぎ直して、十六夜昼夜は振り返り視線を合わせる。
「そうだよ、そうでなくっちゃな。今までの言葉遣い、気持ち悪ィから。怖がんな。前みたく、突っかかってこいよ」
異材りさは、はっと息を吸い込んだ。
「……………」
十六夜りさは言葉に出来ない。心が曇っていくような錯覚に襲われた。何が原因だと、何が原因だと、ナニガゲンインダト。
心臓が早鐘をうち始めた。頭がクラクラする。景色がグラグラと揺れた。瞳孔が狭まって、目がチカチカする。ふらりと体勢が崩れ、松葉杖で支えきれずに、十六夜りさはその場に倒れこんでしまった。「──────は」自嘲する。十六夜りさはその醜態に自分の惨めさを理解した。所詮はその程度なのだと、どれだけ否定出来なくとも、所詮は一人間以下の獣なのだと、自分は何をなせるのかと、社会の輪から外れて、歯車になることすらも許されないのに、世界は未だに私を否定するのかと。世界を否定して、必然的に自分を肯定させるだなんて、なんておこがましい事だったのだろうかと。
「否定否定否定、定否定、否定否、てイヒイてihiTeHi」
もはや言葉にもならず、口から否定の言葉が溢れ出ていく。開きっぱなしの水道のように止まる事はなく、淡々と言葉だけが垂れ流しになっている。十六夜りさのテスターに熱が篭もった。折れた骨がバキバキと音を立てる。組み替えられるような──────そのテスターの求めるカタチに作り替えられているような錯覚に襲われる。
「お、おい大丈夫かよ……ついに頭ァおかしくなったか?」
十六夜昼夜が問うも、その答えに答える気を十六夜りさは持ち合わせていない。否定、否定と口から零した言葉を固定化していった。右肘に埋め込まれたテスターが一際強く熱を発した。拳を握ると手中に違和感。何を握っているでもなく、何か概念的なものを感じた。はっと、息を吐き出して、零していた言葉をしかりとカタチ作る。右拳に、十六夜の誇張する意志が篭もった。息を吸い込んだ。
「────────────否定する」
骨が折れていたが、そんなことはどうだっていい、と十六夜りさは心中で呟いた。肯定させねば、否定せねば。去年の春に、人生は抗うものだと教えてくれた友人が言ったように、自分は人生を抗って生きていくのだと。そして、自分を肯定させるのだと。偽者の否定者は、その意見をい否定し、自分を肯定させようと。ゆらり、ゆらりと体の重心をズラしながら立ち上がる。両脇に抱えた松葉杖を捨て、支えとなるもの──────否、己が否定に不必要なものを手放した。ぐっと体を沈めると、折れた骨が痛みを訴える。しかし、それも些細な事だと十六夜りさは判断する。──────否定しないと。今まで関わってきたのもは、私の憧れで、本当はこんなにも弱かったのだと、肯定させないと、痛みを無視すて地面を蹴った。苦痛に顔が歪むも、確かな推進力となったのには間違いはない。推進力を持ったままで、十六夜昼夜へと右手を突き出した。
「否定──────」
「いぃっつぅの。つかマジ獣だわ」
返答だけ小さくすると、十六夜昼夜は右足を蹴り上げて、丁度十六夜りさの肺へと命中させる。肺に溜まっていた空気が押し出されて、続く言葉を遮った。十六夜りさは咳き込む。推進力は失われて、だらんと脱力した。
「嫌いじゃねぇ、そういうの」
十六夜昼夜は呟いて、首輪を作動させる。打ち込んだ薬物は、麻痺系統のものだ。動いていた歯車に楔を打ち込んだかのように、十六夜りさは停止した。
昼食は済んだ、骨も治してもらった。麻痺も回復した。それなのに頭が痛かった。本質、本質と。自分の在り方を理解しようと思考を加速させる。答えはあった。”自分を肯定させる為に否定していただけ”なのだから。私は否定されたくなかったのかもしれない。というよりも、もはや断定してもい領域にまでに達している。だからこそ、私は否定していた。否定者だと思い込んだ。我慢しろ、と管理人は言う。自分は我慢していないのに、そもそも我慢してしまえば、こうして頭痛や眩暈に襲われるというのに。可能な事であればまだしも、不可能な事を押し付けられては困る。
言わば、”サイコパス”は機能を与えられた人類なのではないかと、私は仮説を立てた。例えば私なら、他を肯定させる機能を与えられたと言ってもいい。だから、機能に抗う事は出来ないし、捨てられない。これが私だから。
なのに、なのに、なのになのになのになのになのになのになのになのに──────ッ!
「──────汚い。汚すぎる」