B-8
悲鳴が聞こえる。普段の凛とした声色からは考えられない、死に物狂いで助けを懇願するかのような声。自分はここにいるんだ。だから助けてくれと、動物に与えられた声帯を駆使して自己主張する。十六夜昼夜は保健室の扉にもたれ掛かるようにして立っていた。鼻頭が赤いのは先ほど転んだせいだが、十六夜昼夜は過去の痛みを思い出していた。ふと、額に触れて今は無き傷をなぞり、傷の痛みは幻だと再確認する。傷が塞がっていても、開いた骨までは塞がらない。今も彼の頭蓋にはテスターが動いている。
「………っつ」
走るように痛み。しかし一瞬だけのもので、すぐに痛みは引いた。痛みによって十六夜昼夜は腕輪の事を思い出した。この腕輪こそが十六夜三日月の作り上げたシステム──────”サイコパス”システムの塊なのだ。具現システム。十六夜三日月が名前を付ける気が一切ない事から、暫定的に十六夜昼夜がそう呼んでいるシステムだ。原理は理解不能で、ただ、彼女の異常が一番露呈した作品であることには間違いない。このシステムは”異常を体現化する事”を可能にするシステムだ。レベル3以上の”サイコパス”が極少数に限って使えるこのシステムは、未だ彼女の他に作った人物は存在しない。──────否、確認していないと形容する方が正しいだろう。
十六夜昼夜は異常者の資格を持っている。”一般的価値観から正しい答えを強要する異常”。しかしそれは、異常者足り得ない協調性が存在する異常だった。
故に普通を装う事が出来るが、普通にはどうしても成れない。2択に絞り込み、Yes/Noで全てを判断する彼は普通とは言えないだろう。
しかし、異常にも成れない。2択に絞り込み、Yes/Noで判断する彼は、おかしな行動をどうしても取れない。自己主張もない。何故なら、それは世間一般的価値観から見た答えでしかないから。数多の判断によって、それに近付く事すらも出来ない。
「あああああああああああああ──────ッ!!!!」
保健室の中から悲鳴が聞こえた。K-145RSの普段からは想像も出来ないような悲鳴。
「五月蝿いよモルモット。たかが一ミリにも満たない針を額に突き刺しただけじゃないか。それと子宮にかい?ま、君には期待しているんだ。額だけじゃあ、片方が壊れた時に不便だろう?」
それに答えるかのように、十六夜三日月の声が卑しく嗤っている。
「ひって……否定、す──────ぃぃぃぁああああああ!!!!」
「まぁ、感覚は普通のソレよりも研ぎ澄まされているがね。折角、新陳代謝まで向上出来るように改良を加えたのに、媚薬として機能するからと闇市場では盛んに取引されているらしいが。なに、すぐに慣れて快感に変わるだろう」
「やぁぁぁぁっぁああああ!!!!」
「まぁ、君が壊れるのが先かもしれないがね?」
室内から響く悲鳴に、十六夜昼夜は体を強張らせた。自分の身をもって実体験しており理解していた事だったとしても、悲鳴には耐えがたいものがある。十六夜昼夜はスマートフォンで学校内の敷地に関する地図を呼び出して、保健室を後にした。
「悪ぃな。本当、俺は俺の意見を出せねぇだわ。つかマジ、何がしてぇんだろうな」
そう呟いて、十六夜昼夜は耳を塞ぐ。