B-5
立つは保健室とプレートが下げられた部屋の前。保健室はこの学校の一階、一番西側に存在する。記録によれば、設置されている筈のベッドは二つ。極一般的な保健室といっても相違ないだろう。養護教諭が普通であればの話だが。十六夜昼夜は扉に手をかけた。何とも言えない違和感がこの保健室にはあった。過去数回に渡って入った経験のある保健室だし、養護教諭とは顔見知りだったが、それでも未だにこの感覚には慣れそうにもない。
「ほらほら、入りたまえよ昼夜君。何のために呼んだと思ってるだい?」
保健室の内部から声がした。十六夜昼夜はとにかく苛立っている。何と言っても、彼女は恩人だという事を理解していながらも、彼の異常が彼女の存在を良しとしないがためだった。レベルのでっち上げも、手引きも手続きも彼女が一手に背負ったもので、結局は十六夜昼夜は何もしていない。意を決し、扉を開くと保健室とは許容出来そうもない光景が視界に拡がった。全てが白一色で統一され、物の区別が曖昧になってしまう。距離感が狂わせられる。唯一違う色彩を放つ養護教諭の持つ、ノートパソコンとその彼女だけ。十六夜昼夜は一歩踏み出した。
「あー、昼夜君。止めたま──────……って、遅かったか」
瞬間、十六夜昼夜の体がガクンと下がったかと思うと、何やら右足に違和感を感じる。十六夜昼夜はその足元を見た。白ペンキだ。右足に白ペンキが染み込んでいく事が分かった。状況を理解するのに約三秒要して、抱えたK-145RSを白ペンキで汚れていない床に降ろして白く染まった右足を引き抜く。舌打ちして一瞥し、億劫そうに靴を脱いだ。
「つか、何がしてぇの?付き合いなげぇけど見当すらつかねぇわ。いやマジ。頭おかしいんじゃねぇの?」
はん、と鼻で嘲笑して養護教諭は白いティーカップに入れられたホットミルクを啜った。卑しく嗤うと、養護教諭は足を組んで肘を付く。
「頭がおかしいのは君たちも同じだと思うがね。私もその一人である事は否定出来ないが。”不完全故に社会から外されなかった異常者”と”不完全なのに社会から外された異常者”。そして、”完全なのに実用的だから排除されなかった異常者”だ。本当、歪んでいるよ。私たちは何だって、共通点と言えば”サイコパス”であることしかない。重度軽度はあるにしても、おかしいくらいじゃないか?何、この具現の異常こと、十六夜三日月が言うんだ。相違ないだろう?」
十六夜三日月。身長は160cmほどで、のっぺりとした油がぬられているのではないかと思うほどの黒髪。決して色艶があるわけではなく、脂ぎっているという意味での輝きを放ち、不衛生な印象を受ける。瞳は光が当たらず濁っていて、物憂げに開かれた双眸は黒髪が邪魔をするように隠す。生気が一切感じられないのだ。かく言う彼女の服装も奇抜で、紅色に染色されたサマーセーターに黒のパンツ。それに、漆黒色の黒衣を羽織っているものだから、部屋が白一色で統一されたこの部屋の中で異質に映えていた。彼女が持つ具現の異常。狂的な程に猛執し、自身の空想を具現化させようした。それを成してしまえる程の知識を持っていたが故に、具現に精巧してしまった異常者。彼女の元の名前はG-596MK。十六夜三日月は後になって彼女が付けた名前だ。
曰く、満月足り得なかった十六夜。曰く、鋭くか細く、しかし存在を誇張する三日月。