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別れの言葉


「なぁ、俺等別れようか」


いつものように茶碗を洗っているあたしの背中に向かって雑誌を見ていたはずの彼は脈絡もなくそんな事を口にした。


「え……?」


開いた口が塞がらないってこのことだと思う。

何か別なことを指しているのか、それとも新手の冗談か。それだとしたら性質が悪すぎる、と思った。

今日はささやかな記念日だったはずなんだ。そんな言葉、誰が望むのだろうか。


あたしと彼が“恋人”として付き合いはじめてから3年という月日が経った。今日は、その記念日だった。まだ大学生として生活しているあたしはワケもなく、ただ漠然と将来を考えていた。彼との未来も、真面目に考えてもいなかった。

それでも、彼があたしの最後の恋人だと思っていた。理由はわからない。それでも、そう思っていた。だから、その言葉は想像を絶するものだった。



「だから、別れよう」


持っていた茶碗を落としそうになった。水道の水の音がやけに遠くに聞こえた。ひどく、現実味がなかった。


「な……」

“何で?”そう理由を聞こうとしてあたしはその言葉を飲み込んだ。落としてしまいそうになった茶碗を強く握った。手にあったスポンジがスルリと落ちて流しの中に落ちた。一度、深く、息を吸い込んだ。落ち着かない心臓に、どうしようもなく、泣きたくなった。


「そう……」


その言葉を発した。水の音に負けてしまいそうな音量だった。

どうか、水の音にまぎれて彼に届かないように、と願った。

彼がここから去らないように。彼ともう少し、一緒に居たくて。


カチッと時計の針がそろう音がした。

あぁ、今日が、終わってしまった。彼とあたしが“恋人”だった3年が終わってしまう。

それでも、あたしの口から出た答えはあまりにあっけないものだったと思う。

泣き叫ぶことも、嫌だと彼にすがることも、なんでと問い詰めることも、しなかった。あたしと彼の“恋人”という関係はそれが当たり前だった。ひどく、他人に近い存在だった。


だから、普通の恋人ならしそうなどれかをすること何て出来なかった。

仮にしてしまえば、“なんで”何て言ってしまえば、今までの関係すら、嘘になってしまいそうで。今までの関係もなかったことになってしまいそうで。それがこわくて、だから、言えなかった。

彼は座っていたソファーから立ち上がると玄関まで迷いなどないように歩いて行く。そこにいっさいの躊躇すら見られなかった。



「ナミ」


彼が穏やかにあたしの名前を呼んだ。

あぁ、本当に終わってしまうんだ。それを痛いくらいに理解していた。


「ん……」


水の音にかき消されてしまいそうな細いこえしか出なかった。

あぁ、あたし、柄にもなく動揺していたんだ……。冷静を装っていた、つもりだったのに。

彼の方向を向くことなんて、出来なかった。涙が今にもあふれてしまいそうだったから、そんな姿を見せたく、なかったから。



「荷物、捨てていいから」

「ん……」

「嫌いになっていいから」

「ん……」

「怨んでもいいから」

「……」

「だから、泣かないで?」


ずるいと思った。

彼はずるいと思った。

泣かせているのは自分なのに困ったようにいう彼はひどくずるい……。

彼は少し困ったようにあたしを呼んだ。


「ナミ」


あたしはもう何も声にならない。

彼は迷ったようにしばらく間を開けると溜め息をついた。


「ナミ、お願いがあるんだ。最後のお願い」


感覚的に、これが最後だとさとる。


「明日、朝10時に空を見上げて。それだけ」


なんで

やっとそう口にしようと思ったが、それはどうやら遅かったみたいだ。



彼はすでにいなかった。

呆然として彼のいた所を見て、

涙が出そうになった。

でも、泣くわけには行かなかった。


それはあたしのプライドって理由もあるけど、彼の“泣かないで”って言葉のせいもあった。

別れてるのに、いつまでこの言葉はあたしを縛るのかしら。


押し寄せてきたのは後悔ばかり。

自分が嫌いになりそうだった。

浮かんでくるのは彼ばかりで3年間という月日は思ったより長くてあたしを苦しめた。

何がいったいいけなかったのだろうか……。



きっともう会うことなどないだろうがあたしの頭に浮かぶのは彼のことだけだった。


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