僕らは無人島に行けない
スーツ姿の二人の男が渚を歩いている。弛められたネクタイが潮風にはためき、穏やかすぎる午後の景色にアクセントを添えていた。
「なあ、ジェームス」
唐突にポールが口を開いた。
「うん?」
少し遅れた返事。ジェームスは深刻そうな視線を足元の砂に投げかけていた。
「無人島について、考えてみたんだ」
ポールは朗らかに云った。
「ストレスの蔓延しきったこの社会……。環境破壊も経済危機も、深刻を極めている」
云いながら、ポールは浜辺に落ちているゴミ──ぼろぼろになった煙草の箱──をひょいと摘み、波の向こうに投げた。
音も無く消えていくそれを見つめ、ポールは立ち止まった。しかし、ジェームスはゆっくりと歩き続けていた。ポールはやれやれと肩をすくめ、小走りに追いついた。
頭上では白いカモメが、水色と鴇色の混じった空をゆっくりと旋回している。
「だからさ、誰だって一度は考えるんじゃないか? 誰とも会わなくていい。いくら寝坊してもいい。俗世とはかけ離れた、大自然の中のヴァカンス。つまり無人島生活さ」
ジェームスは、乾いた笑いをもらし、
「それで?」
と皮肉たっぷりに先を促した。
ポールは満足げに口許を歪め、続けた。
「しかしね、僕はこの前、とんでもないことに気づいてしまったのだよ」
そして、ポールははっきりとした口調でこう云った。
「『僕らは無人島にはたどり着けない』、ってね」
「ほう」
ジェームスは静かにそう云った。
「人が居ると、無人島じゃなくなるからか?」
長年の友というだけあって、ジェームスはすぐに話を先読みした。
「ご名答。そうさ。無人島というものはだね、無人島という言葉それ自体が、自己矛盾的。概念上の存在でしかないわけだ」
「しかし、無人島の定義にもいろいろあるだろう」
ジェームスはすぐに反論した。
「まあね。それは確かにそうなんだけど……。どうやら、言葉だけの問題でもないみたいなんだ。そこで、今回は『真の意味での無人島』、『クオリアとしての無人島』について議論したいと思う」
「……いいだろう」
ジェームスは低い声で答えた。
「例えば、ロトが当たるかなんかして、夢の無人島生活をするとなったとしよう。そうすると、どうしても、『これが無くちゃ始まらない』ってものがあるだろ? ビーチパラソルにデッキチェア、シャンパンとかレコードとかさ」
「あと、サングラスな」
「そうそう。そんな感じ」
親友の食いつきに、ポールは気を良くして笑った。
「ハワイとかの観光地が流行するのって、島とか云っておきながら、結局はそういうのが完備されている点が、重要なんだと思う」
「で?」
「逆に、もっとワイルドに、サバイバル的な感じで無人島生活をするにしても、だ。どうしても必要なものは、やっぱり出てくる。ナイフだのライターだの。よく、『無人島に何か一つだけ持って行けるとしたら、何を持っていく?』みたいな話をするけど、あれ、どうしても選べないよな」
「まあ、な」
ジェームスは再び俯く。ポールは長い溜め息をついてから、続けた。
「で、ここで少し考えてみると、それらモノっていうのはさ、突き詰めてしまえば人とのつながり、と思えやしないかい?」
ポールは真剣な表情になって続けた。
「そりゃあさ、素材そのものは自然界に属していたかもしれないよ? でも、僕は一人じゃレコードはおろか、ナイフだって作れない」
ポールはジェームスと同じように、視線を落として言葉を探した。砂にまみれた黒い革靴が、鈍い光を放っていた。
「だから、要するに人間ってやつは、社会に依存しているんだよ。たとえ社会を嫌っていても、ね……。社会が人を、人たらしめるんだ」
ポールは哀しそうに海の向こうを見つめた。ジェームスはポールと視線を合わせようとはせず、押し黙っていた。
「つまり、僕が云いたいのはさ。僕ら人間が、人間らしさを維持したまま無人島にたどり着くことは、原理的に不可能ってことなんだ。これってすごい発見じゃないか? だから逆に、無人島に行くためには、人間をやめるしかないんだな。『真の無人島』に行ってしまったら、そこに居るのは、もう自分じゃないってことなんだよ。花とか石とかと同じ。そういうものなんだ、きっと」
ジェームスは、立ち止まり、小刻みに肩を震わせていた。
「なあ、ジェームス」
ポールは諭すような口調で続けた。
「名も無い花に変わっちまうには、まだちょっと早く無いか?」
ジェームスはついに嗚咽をもらし、泣き出した。
「今はちょっと状況が悪くなっただけだよ。また何処にだって行けるさ。僕もいるしさ。もう少しだけ、がんばろうじゃないか」
しばしの沈黙を、潮騒が埋める。
「そうだな」
絞り出すような答えだった。
「ああ! ジェームス」
二人はしっかりと抱擁した。
「うう、ポール、ごめんよ」
「戻ろう。風も出てきた」
ジェームスはポールを離さず、きつく抱き締め続けた。しわだらけのスーツに、新たなしわが刻まれた。
「俺は、俺は、無人島なんか行かないよ……。無人島、無人島なんか……ううっ。無人島なんか、行かない……行くもんか」
ジェームスは大粒の涙を流しながら、何度も呟いた。ポールも泣けてきた。涙を打ち消すように不敵な笑みを浮かべ、繰り返す。
「行こうたって、原理的に行けないのさ」
二人が閉じた瞼の先には、ヤシの木が静かに佇んではいたが。
「そう、ここは無人島なんかじゃない」
END
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