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追いつめられて

 藤原真紀と彼氏が仲良く帰って行った後、智は店長に報告を済ませロッカールームに向かった。この一件でかなり緊張していたので、へとへとになって5階にたどり着くと、ダンススタジオの前に真也が立っていた。

 踵を返そうとすると、手首を捕まれる。熱い掌。見上げると視線はもっと熱かった。

「やっと捕まえた。何で逃げるの」

「離して下さい」

 真也は手を離さず智の顔をのぞき込んだ。もう一方の手もそっと智の手の上に重ねて、驚くほど甘やかな眼差しで見つめられて心が揺れる。

「・・・土曜日はありがとう。ずっとお礼が言いたかったのに電話出ないし。今日食事でもと思ったんだけど」

「もう、会いません」

 智はきっぱり言って手を振り払うとロッカールームに逃げた。急いで荷物を取ってくると、やはり真也はそのままで待っていた。

「会わないって、どういうこと?」

「そのまんまです」

「どうして!」

「失礼します」 

 追いすがる真也を振り切って階段を一気に駆け下りる。真也ももつれるように後に続いた。2階の踊り場で真也は智の肩を押さえて、立ち止まらせた。

「言ってよ。何がいけない?何も言わないで別れられるなんて思うな!」

 肩が揺さぶられる。

「別れる?私たち付き合ってたんでしたっけ?真也さんならいくらでも代わりがいるでしょ。さっさとピルを飲んでる女の子と付き合ったら?」

 階段では自分の声が思いの外響き、辛く苦しい現実が耳から戻ってもう一度智の心を激しくさいなむ。

「どうしてそんなこと?」

 真也は気付かない。智は唇を噛んだ。

「・・・金曜日に5階で、話してたでしょ!」

 あれか。真也は納得したように呟いた。

「話、最後まで聞いた?あんなの断る常套手段だ!あの子はうちの店員で下手に冷たくできないんだよ!」

「私にはキスひとつしないのに、店の子とは随分踏み込んだ話をするんですね!」

「それは!」

 真也はぐっと黙る。認めたんだ、と智は理解した。

「・・・私は!あなたが他の人と抱き合ってるって考えただけでも胸がつぶれそう!」

 智は胸に手を当てて叫んだ。

「割り切った付き合いなんて絶対出来ないし!あなたみたいな人といると振り回されて、仕事も何も出来なくなる!私は、私らしく仕事がしたいの!」

「・・・土曜日俺のせいで仕事さぼってミスしたから?」

 苦々しい顔で畳み返されて、思わず固まった。

「なんでそれを」

「木暮さんが、君の様子が変だってさっき俺に連絡くれたんだよ。俺、木暮さんには付き合ってること打ち明けてるから」

 どうして、そんなこと。智の混乱は深まるばかりだ。いつものらりくらりだった真也が吠える。

「俺のために仕事すっぽかして、お客に大きな迷惑かけて。あんなに仕事が大好きな君が!それだけ俺が好きなんだと思っちゃいけないのか?俺と付き合うと君は駄目になる?君らしくいられない?」

 その時足音がして、智たちの前に二人分の影が差した。

「・・・ちょっと聞き捨てならないなあ」

 そう言いながら出てきたのは藤原真紀の彼氏だった。そういえばここは2階の階段、彼らはJuneに寄っていくと言っていたのだ。彼の肩越しに黄色いワンピースが見える。

「俺たちは何も迷惑被ってない。確かに土曜日には間に合わなかったけど、結果大したことじゃなかった。俺たちの付き合いは栗山さんのお陰で始まって、その後もとても良くしてもらってる。真紀がフルムーンに行くといつも笑顔になって帰ってくるんだ。それって栗山さんの人徳だろ?感謝してるんだ。俺たちはたった一回の過ちで彼女を評価したりしない。この服だってすごく良かった」

 彼は真紀の肩を掴んで二人の前に押し出した。春色のワンピースを綺麗に着こなす真紀は、確かに誰も文句の付けようがない。

「社会人の基本!仕事の失敗はな、仕事で取り返せばいいんだよ!」

 彼は真紀を自分の背後に戻すとぐいっと真也に近づいた。

「舞台ではあんなに熱い抱擁してたくせに、他にも手を出してんの?おまえ最低だな!」

「え?」

 目を見張る真也に彼は凄んだ。

「・・・俺は、斉藤周平。あんたとタップを踊ってた斉藤信吾の息子だよ!」

 さすがの真也も唖然としている。

「もっと男気があると聞いてたけどね。こないだ舞台が終わった時、はっきり告白するんだって親父に話してたろ?」

 真也の頬にかっと朱が差す。 

「周平君!」

 真紀がたしなめると、周平は彼女に大丈夫、と言うように笑いかける。

「あまりに情けなくて。これが黙っていられるか」

 相手が年上でもひるまない。火がついた周平はずい、とさらに詰め寄った。

「・・・知らないようだから教えてあげるよ」

 まるで真剣を交わしながら見合っているような強い視線。

「相愛の相手と抱き合うのは、これ以上ない幸せだ・・・人生が変わる」

 そう言った彼の顔には寸分の照れも見えない。代わりにこれ以上ないくらい 赤くなった真紀の肩を抱くと、さっと身を翻して去っていった。


 残された二人は鮮やかな周平の独断場に呆然と立ち尽くしていた。次に何を言えばいいのか、お互い全く分からなかった。

「・・・智」

 彼が自分の名を呼ぶ。見上げると愛しそうに自分を見つめる瞳。それだけで、心がたっぷりと満ちる。ああ無理だ。彼が例え不実でも、拒絶されない限り諦めるなんてできやしない。

「智、聞いて」

 真也は手を伸ばしたが、彼女はその手をやんわりと押しとどめた。

「・・・もう少し、待って下さい」

 それでも智には意地があった。

「来週、来週の月曜日に会って、その時全て聞かせて下さい」

 火曜定休の神崎ビルで、月曜は智や真也にとっての週末だ。

「一週間も待つの?どうして!」

 真也は信じられないと言う表情をした。

「この二日だって、俺がどんなに、」

「・・・お願いです。待って下さい」

 有無を言わさず繰り返す。智の意志は固かった。真也は長いため息をつくと、

「・・・わかった、待つ。でももうそれ以上の延期はなしな」

 と言ってくれた。牙を抜かれた黒豹はしょんぼりとして、見えないしっぽが垂れ下がっているように見える。


 月曜日。

 それまでに、やることがある。

 智は自分を鼓舞し帰路についた。

 









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