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ろくでなし

 Juneで二次会やるから来ない?と里奈に誘われたのは、神崎ビルのテナントの合同送別会の夜。近所の居酒屋での一次会が終わって、帰るつもりで駅に向かって歩き出した時だった。

「どうせそっちはブルームの人たちだけじゃん」

 だいたい二次会は親しい人だけの小グループになって飲み直すのが恒例になっている。

「そんなことないよ。他の人もいるし、真也さんも来るよ」

「なおさら、行きにくいよ」

 部外者の私が行ったら下心が見え見えだ。それに飲み会なんてきっともてる真也の周りには女の子が群がっているに違いない。いらぬ焼きもちをやいてしまうのは嫌だった。

「真也さんの歌、聴けるかもよ」

「え?」

「二次会、いつもJuneでギター弾いて歌ってくれるんだって」

 はあっ。智はため息をついた。生ギターで歌。目に浮かぶようだ。あの男は分かっていて女の目を惹きつける。きっと酔っ払ったとろんとした目で、フェロモンだだ漏れのどんぴしゃなラブソングなんか歌っちゃうんだろう。まんまと思惑に乗るのは悔し過ぎる。 

「いいよ、だってもう、」

「とーもちゃん、見〜つけた」

 ぽんと肩を叩かれ振り返ると、酔ってちょっとご機嫌になった真也だ。

「行くよねえ、二次会」

 満面の笑みだ。

「バーの時間のJune行ったことないでしょ。貸し切りだぜ。さあ、行こう。」

 ぐいぐいと肩を押されて、Juneの外階段を昇らされる。バーの時間はビルの入り口が閉鎖されるので外から入るのだ。

「おう、いらっしゃい」

 マスターが微笑む。カウンターの中には順もいて大皿のおつまみを作っていた。席を見回すとフルムーンの店長木暮もいて智はほっと胸をなで下ろしたが、

「智ちゃーん」

 木暮も酔ってウイスキーソーダのグラスを持ったまま智の隣に来た。

「店長、かなり回ってますね、大丈夫ですか?」

「何言ってんのよ、今日こそ白状してもらうわよ、こないだの涙の花束事件」

「えっ、何ですか、木暮さん。その面白そうな話」

 里奈が食いつく。

「やめてよー、もう」

 智が叫ぶと、それがスイッチのようになって、今までかかっていたジャズが止み、ぽろん、とギターの音が聞こえてきた。


「真也さあん!」

 ブルームの店員から声がかかる。ほとんどが若い女の子だ。真也は端の席を退かして椅子を二つ並べ、ギターを持ちながら楽譜台にある楽譜をぺらぺらめくった。観客からリクエストが飛び出す。

「真也さん、こないだのバラードやってよお」

「いきなりバラード?」

 そう言いながら、真也はギターのチューニングを始めた。真也にリクエストした子はさっと彼の側に寄ると、べたべたと背後にくっついて楽譜をめくって何か話している。

「分かった。じゃあ、いくよ」

 マスターの指笛が響く中、ギターが始まった。そして想像通り、いや想像以上の甘い声が滑り出す。もう側にいない相手を恋しく思うセンチメンタルな歌詞に、彼の声はさらに憂いを帯びて、智は耳をふさぎたくなるほどぐらついた。


 もう二度と離さない、どこにも行かせない

 いつも君のことばかりだ

 君なしで生きていけない


 隠しきれない彼の情熱。恋をしたらどんなに激しく相手を想うのだろう。その相手は、きっと自分ではない。自分には不相応な男だと知りながら、どんどん、好きになっていく。苦しい・・・苦しいよ。

 そっと彼を見ると、目があった。どうしよう、視線が外せない。彼もそのまま智を上目遣いに見ている、気がした。彼への気持ちも全部見透かされてしまいそうだ。


 もう二度と離さない、もう二度と……


 こうして見つめ合ったまま、最後はフェード・アウトだった。誰かに気付かれただろうか。智はやっと目を伏せた。


 拍手の中、真也は何もなかったかのようにギターを鳴らしながら、

「次、誰か歌って?木暮さん行く?」

 と声をかけた。目があったのは、きっと気のせいだ。智は自分に言い聞かせた。勘違いをしては、いけない。

「やあよ、音痴なの知ってるくせに。順さんは?」

 おつまみのカナッペを仕上げていた順は指名されると静かに首を振ったが、

「いいねえ、久しぶりじゃん、順とやるの。来いよ、順」

 真也はちょいちょいと手招きする。

「あれやろう、ビートルズの『ミッシェル』」

 酒を出す店に勤めている順は、こんな酔っ払いをあしらうのは慣れっこのようだった。あきらめて手を拭くとエプロンを外してカウンターから出てきた。今日の彼女はタートルネックの銀のラメの入ったロングセーターと黒の細身のジーンズで、そのシンプルさがかえって美しい彼女を際立たせていた。

「じゃ、一曲だけ」

 ひゅーひゅーと口笛が鳴り、聞き慣れたギターのイントロが響く。小さく息を吸い込んで、順は歌い出した。

 少しハスキーな声。その物憂げな目が、曲調に合っていた。フランス語の発音が舌足らずで可愛い。そしてコーラスする真也と見つめ合いながら、繰り返す求愛の言葉。

 それが例え歌詞だとしても、分かってしまった。


 ——少なくとも順さんは真也さんを愛してる。


 お似合いだ、敵わない。思わず切なくなって胸を押さえる。

 曲が終わって拍手がやんでも、智は顔を上げられなかった。

「智、大丈夫?」

 里奈が心配してのぞきこむ。酔ったかも、と苦笑いして帰る手段を考える。順の好演で盛り上がる会場を後にして、そっと席を立ち洗面所に行く。手を洗って、化粧を直した。鏡に映る自分。見にくい嫉妬で歪んでいる。もう嫌だ。諦めなければ。これ以上深みにはまらぬうちに。


 帰ろうと思ってそっと洗面所を出ると、真也が通路で通せんぼをするように壁に寄りかかって足を投げ出していた。智を見ると身体を起こして、

「大丈夫?青い顔して席立ったから」

 と顔をのぞき込んだ。さっきまでの主役がこんなところに!誰かに見つかったら!

「大丈夫です!真也さん、戻って下さい。私、帰りますから」

 慌てて出口へ急ぐと、真也は通路を塞いだ。

「一人じゃ危ないよ、駅まで送ってく」

 マスターに二人分のコートをもらうと、智の肩にコートを掛ける。自分のコートを着ながらそっと木暮や里奈に声をかけると、二人は心配そうに頷き、真也に智を託した。


 何も言えず、酔って気分が悪いふりで俯いて歩く。真也も黙って歩幅を合わせていたが、突然、

「順とは、何もないよ」

 と言った。智は思わず真也を見上げた。

「決定的な拒絶はしてないけど、進展することもない。俺たち似てるんだよ、俺には父がいない、順も早いうちに母親を亡くしてる。一緒に居ても理解はできるけど、少なくとも俺はあの子に恋愛感情はもてない。ただの幼なじみだ」

 立ち止まって真也を見た。彼は分かっている。私の想いも、順さんの気持ちも。その上で冷静に言葉を選んでいるのだ。近くの公園に入ってベンチに腰掛ける。


「・・・正直に言うと、俺はね、今の時点で君を愛してはいないと思う」

 智は打ちのめされて倒れそうになる。

「でもね、俺は君のことが案外気に入ってるんだよ」

 智は信じられない気持ちで真也の顔を見た。私の気持ちを分かっていてそんな軽々しい言い方をするの?残酷すぎる。

「ついついプライベートを喋りすぎちゃうのも、君だからだよ。ひたむきで明るくて思いやりがあって、君は俺のつまんないこだわりをほぐしてくれる。もっと側にいたくなるよ」

「・・・中途半端な気持ちならいりません」

 ひどい男。涙目で睨んでも効果はない。

「私は、手加減や遊びができるような女じゃない!」

「・・・ごめん、ろくでなしだな、俺」

 智の涙を指でぬぐう。

「でも、ろくでなしだけど、器用じゃないんだ。嘘もつけない。だから他の子に粉かけたりはしないつもりだけど」

 そんなこと聞いても、選択肢なんかほとんど残されてやしない。最初から不利だ。だって私は・・・。 さっきの真也の歌った歌詞が甦る。いつも君のことばかりだ……君なしでは生きてはいけない……。


「・・・俺と、つきあってみない?」

 yesもnoも言えなくて、ただ俯いて涙を流した。

 そんな智の頭を自分の胸に抱き寄せて、真也はつむじに小さなキスをした。

 契約成立の刻印のように。






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