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揺れる花束

 真也が智の働く「フルムーン」にやってきたのは、彼の母千春が訪れた翌日だった。

 デスクでDMを書いている時ふと手元に影が差し、条件反射で「いらっしゃいませ」と言ってしまってから顔を上げた。男にしては長い睫毛に縁取られた強い瞳が自分を見つめているのに気付き、思わず飛び退く。

「何よ、その反応。俺は猛獣か」

 にやっと微笑んだ真也だったが、すぐに真顔になり、

「・・・こないだは悪かった」

 と決まり悪そうに差し出したのは、白いチューリップと淡いピンクのスイートピーがメインの、思わず笑みが零れてしまうような可愛らしいブーケ。

 冷静になろうと、わざと興ざめなことを考える。女の扱いに慣れた手口だ。私は彼にとってやっぱり子供なんだろう、薔薇でも百合でも、ましてや蘭でもない。

 ・・・とはいっても、春を告げる花には罪はなくて。好きな人にもらった花束が嬉しくない訳がない。智は上気する頬を半分花に隠して、

「ありがとう・・・ございます」

 とやっと口にした。真也はその途端ぱあっと笑顔になる。

「ごめんな、ほんと」

「いえ、ここまでしていただくようなことは」 

「俺、賢さんやお袋に怒られちゃってさ。あんな良い子に何してんだって」

 やっぱり焚きつけられたからか。智はちょっと気落ちした。

「こちらこそ失礼しました。オーナーのご子息とは存じませんで」

「嫌みだねえ、そのとってつけたみたいな敬語。君と僕には直接の雇用関係はないでしょ」

 智は顔をのぞき込まれて赤面した。

「また、店に来てよ。いろいろ見繕ったげる。せっかく綺麗な髪なんだから、いろいろ試そう」

 そう言って、また、髪に触れる。思わずびくっとしてしまう。元美容師、元美容師なんだからと呪文のように唱えて、はっとした。そういえば。訊いても良いだろうか。

「あの、もし嫌だったら、答えなくってもいいんですけど」

「ん、なあに?」

「どうして美容師、やめちゃったんですか?」

 よく訊かれるのかもしれない。一瞬淋しそうな顔をしたがすぐ笑顔に戻って、

「僕、アレルギー体質なんだよ」

 と言った。

「アレルギー?」

「うんそう。小さい頃からアトピーでね、あとキウイなんかも食べるとのどがイガイガして駄目だし。それで美容師始めた頃、パーマ液やヘアダイで手がすごく荒れて。ゴム手袋使ってたんだけど」

 彼は手を擦った。今の手は白くて長い指が綺麗で、とてもそんな風には見えない。

「ある時喘息みたいになっちゃってね。アレルギーのショックになって入院しちゃったんだ」

 入院。思わぬ話に智は自分の手をぎゅっと握りしめた。

「もう動悸はするしヒーヒーして息が継げなくなっちゃってね。一時点滴と酸素吸入までして。治ってからもいろいろ検査したんだけど、どうもラテックスアレルギーじゃないかっていうんだよね」

「ラテックス?」

「ゴムのこと。なんかキウイやアボカドとか駄目な人に多いらしいんだ」

 『アボカド抜いてレタスにしたげる』と順が言っていた意味がようやく分かった。好き嫌いじゃない、アレルギーだったんだ。

「違う手袋使うとか手はあったのかもしれないけど、下っ端のぺーぺーが忙しい時にそんなこと言ってられないし。医者に行ってばかりで休みが多くて給料泥棒みたいに思われるし、それで結局美容室をやめたわけ」

 こんなに髪をいじるのが好きな人が。諦めたような淋しい笑みに胸が痛くなる。

「うち、父親が早くに亡くなって女手一つで育ててもらったからさ。早く独り立ちしたかったんだけどね。なにやったらいいか分かんなくてぶらぶらしてたら、ビルにヘアアクセの店を入れるからやってみないかって言われて店長になって。結局親の七光りで食いつないでるわけ。長男なのに情けないけど、働けるだけ有り難いと思わないとね、って・・・えっ」

 智の顔を見て真也が固まった。

「なに泣いてんの」

 そういわれて初めて瞳が濡れているのに気付く。自覚すると涙は後から後からぼろぼろとこぼれ落ちて、智は子供みたいに手で頬をぬぐった。

「だって、真也さん、頑張って美容師さんになったんでしょ?仕事、大好きだったでしょ?お母様とか弟さんも美容師してて、それを見ながらひとりでやめなきゃならないなんて」

 真也はほうっと息をついて哀しげな微笑みを浮かべると、智の頭を撫でた。

「・・・そんなことまで考えられるなんて、君は優しい子だね。俺、なんで君にここまで話しちゃったんだろ、ごめんな」

 真也は顔を少しだけ歪ませたが、

「いけね、君、仕事中だった」

 真也は花束を持って智の肩を押してバックヤードに戻った。中では店長の木暮がお茶を飲んでいて、泣きはらした智と花を持った真也を見て驚いて立ち上がった。

「なあに、どうしたの」

「すみません、仕事中だってのに。俺が泣かしました」

 店長は眉をひそめ、花束を見て曲解したようだった。

「困るわ、真也さん、プライベートは仕事終わりにしてよ。女は花に弱いものでしょ」

「そんなんじゃないんだけど。弱ったな、俺も戻らなきゃ」

 真也はぽん、と智の頭を叩くと、

「ごめんね、悪いことした。俺、時間だから戻るね」

 と耳元に囁いた。そして「すみません、頼みます」と木暮に言うと店を出て行った。


 ふわりと揺れる春色のブーケをテーブルに残して。


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