番外編〜魔法使いは君(2)
「すっごく愛されてるよなあ。妬けるよ」
誠也は智の髪にスプレーを吹きかけながら、くっくっと肩を揺らした。
「え?」
「あ、言ってなかった?俺結構ブラコンなのよ」
こういうことを悪びれずにさらりと言ってしまうところはやはり兄弟だ。
「昔から頭が良くて、気配りが出来て、歌もダンスも上手いし、おまけにイケメン。男女問わず常に人気があったよ。俺はいつも後をくっついて、何でも真似して・・・美容師も一緒にやってけると思ってたけど」
誠也はため息をついた。
「まさか辞めるとはね」
智ははっとして鏡越しに誠也を見る。あの事件は当然、彼にも陰を落としていた。
「兄貴は小さい頃から『千春さんの跡継ぎ』だって言われてきて、自分でも美容師以外の選択肢なんて考えてもみなかったんじゃない?当時はもう廃人みたいにひきこもってたよ。そのうち俺たちといるのも辛かったんだろ、家を出て行って。やっとここ2年くらいかな、実家にも顔を出すようになったの」
2年。その時点で美容師をやめてから3年は経っていたはずだ。そんな長い間闇の中にいたのか。快活で人を和ませる生まれもっての才能を持っているあの人が。
「見ていられなくなった母が心を鬼にして喝入れて。無理矢理新店舗の店長を押しつけて。強引な性格があの時は役立ったな」
ふふっと笑って、鏡越しに智を見る。
「母もね、不器用な人だからね。父が早くに死んで、必死になって美容室を守ってきたでしょう。意地っ張りだし愛情を普通に表せないんだ。その結果がこんな形になっちゃって、御免ね?」
「いえ」
智も鏡越しに微笑んだ。
「嬉しかったですよ。だって歓迎されてるっていうことでしょ?私なんて店員としても女性としてもまだまだで、お母様にどう思われてるのか正直不安だったんです」
「相当、気に入ってるみたいだよ?仕事馬鹿なとこが、自分に似てるって」
誠也はおかしそうに言う。
「何だそこかよ、って。お袋は仕事のためなら、恋も家族も二の次の人だからね」
「恋?」
意外な言葉に智は誠也の顔を見た。
「・・・恋、するでしょう、女なんだから」
どきっとした。無邪気に見える誠也の、男の顔が垣間見えた。
「女は支えられて強くなる部分てあるからね。仕事してる女こそ結婚した方がいいって俺自身は思ってるんだけど、まあ、いろいろあって」
この男は何故こんなに女の立場を汲み取れるのだろう。
「・・・お母様の恋愛って、抵抗ないんですか」
「ないね。兄貴が結婚したから、もういいんじゃない?そろそろ自分の幸せ見つけても」
真也が去った後も誠也はずっと千春と一緒に住み、その側で仕事をしてきた。一番近くで千春を見てきたのだ。それだけにきっといろんな葛藤があるに違いないのに、無条件で母の幸せを願っている。強い人だ、と思う。
「兄貴ってさ、寂しがり屋だしあのルックスでしょ。昔は女が絶えた事ってなかった訳よ。でも美容師辞めてからは、表面上は軽いこと言ってても、深いところには絶対誰も寄せ付けなかった。正直、不能になったかと思ったもん。多分あの部屋に他人を入れたのも智ちゃんが初めてなんじゃない?お袋は、それを自分のせいだって悔やんでた。女に奉仕する職業のノウハウをたたき込み過ぎて、恋愛できなくなったんじゃないかって」
「それ、真也さんにも聞きました」
「だからね、賢さん、Juneのマスターね、彼に兄貴と喧嘩した女の子がいたって話を聞いた時、すぐ飛びついてね」
「あれは喧嘩したというか、私が一方的に怒鳴って」
「でも兄貴のその時の様子が、いつもと違ってしおらしいから、ひょっとするんじゃないかって」
智は息を飲んだ。それであの後、千春は「フルムーン」に偵察にきたのか。
「人生の先輩を侮ってはイケマセン。特にあの二人は長年客商売してるから、男女の機微については本当に敵わない。自分の事は後回しのくせにね」
ふふっと肩を揺らす。
「誠也さんは?」
智は彼の目をのぞき込んだ。
「へ、俺?」
「そうですよ。ご自分はどうなんです?」
「ふふーん、どうでしょう?」
にんまりとしてうまく交わされる。この人こそ自分の幸せを後回しにしているのでは?
「まあ、とにかく、今日は自分の幸せに集中して。誰よりも綺麗にして兄貴の度肝を抜かせてやるから」
「・・・お願いします」
「まっかせなさーい!」
幸せにならなければ。
真也を幸せにすることが、この家族の幸せの第一歩だ。
智はしっかり前を見据えた。
そして、その時はやってきた。
扉の前に父とふたりで立ち、ふうっと息を吐く。しかし傍らの父の方ががちがちに緊張していて、くすっと笑ったら少し落ち着いた。
扉が開けられ、長いトレーンを曳きながら智は一歩を踏み出す。正面から見るとミニスカート、脇から後ろにいく程フリルが連なって裾が長くなっているこだわりのドレスだ。最後まで迷っていたが、千春の「若いんだから足は出していきましょ!」の一言で決まった。絶対付けたかったサムシング・ブルーのガーターベルトは、細めの物を選んでかなり太ももの方に隠さなければならなかった。白いフリルに小さい青い花が散りばめられた幸せのおまじないは見えていては意味がない。ミルクティー色の髪は真也によって艶やかに結い上げられ、シニヨンのてっぺんから巻き毛がふんわりと垂れている。まばゆく光る肩から伸びる白い腕の先には、クレッセントと言われる三日月型のブーケ。グリーンのルスカスに白薔薇とブルースターという名の小さな淡い青の星形の花が散りばめられ弧を描いている。ヘッドコサージュも同じ白薔薇とブルースターで、智の顔をとりまいて微笑むように揺れた。誠也の渾身の技術が施された肌は内側から光り輝くようで、幸せに上気した頬がさらに明るく智本来の愛らしさを引き出していた。
神父と共に祭壇で待つ真也は、歩んでくる智を見てぴかぴかの靴の爪先にぐっと力を入れた。ダークグレイのフロックコートは背の高い真也をさらに際立たせる。金の刺繍の入ったベスト、胸に挿した白薔薇のブートニアも、緩やかなウェーブのかかった黒髪の彼にはきまりすぎる程しっくりときまる。全身にしなやかな男の色気を纏ってはいたが、彼の顔は智と分かち合う喜びに満ち溢れ、まるで少年のようにはにかんで初々しかった。
長いベールに包まれた花嫁はゆっくりと彼に近づいてくる。ミニスカートのフリルから伸びるすんなりとした足。智のイメージにあった可愛らしいブーケ。デコルテも肩も首筋も雪のように白く輝いて。近づくにつれ見えてくるその表情はいささか緊張して、それでも今日のこの日に高揚する気持ちが匂い立つ様だ。彼の側に立つと伺う様におずおずと見上げて、にっこりと笑う。ああ、俺の花嫁なんだ。真也は幸せに目が眩みそうになった。
誓いの言葉も指輪の交換も舞い上がっていてよく分からぬまま、気づけば口づけていた。触れて初めて確信する。相手が自分のものに、自分が相手のものになったのだと。
「愛してる、智」
それだけ口にすると、智の返事も待たずにまた唇を重ねた。途端巻き起こる歓声。お得意の指笛はJuneのマスターだ。神父も困ったように二人を見ていたが、真也は構わず智を固く抱きしめた。
やっと唇を離して列席の人々に顔を向ける。深々と礼をして顔を上げると、いくつもの馴染みの顔が見えた。一役も二役も買ってくれた友達の里奈、店長の木暮。Juneのマスターに娘の順。智の両親に姉、友達。そして誠也と母の千春。皆が輝く笑顔で手を叩いている。
沢山の祝福を受けて智は幸せの涙が止まらなかった。