番外編〜魔法使いは君(1)
この後続くバレンタイン話の先行ストーリーになります。智と真也のウエディングです。どうぞお楽しみ下さい。
黒豹の弟は、山猫だった。
フルムーンで働く智の元へひょっこり現れた、茶色い短髪を逆立たせたこの男は、
「はじめまして」
と言うなり、大きな瞳を輝かせて、にっと笑った。その三日月型の唇の形。衿を立てた白シャツに黒いパンツ、腰につけたエプロンから覗く櫛とシザー。まさか。
「真也の弟の誠也です。勝手ながら君の結婚式のヘアメイク担当になったから、ヨロシク」
目を瞬く智を尻目に、誠也はいたずらっ子みたいに大きな口を開けて無邪気に笑った。若く見えるが智より5つは年上の筈だ。彼は母千春の経営する同じビルの5階「スプリング」の美容師で、その腕と彼自身の魅力故に予約は数ヶ月先だと里奈が噂していた。くりっとした瞳は長い睫に縁取られて、真也とはまた違った母性本能をくすぐられそうなタイプだ。さもありなん。
「こないだ兄貴が暫くぶりに帰って来たと思ったら、いきなり『結婚する、なるべく早く。入籍だけでいい』っていうでしょ。『ブルーム』の店長である息子と『フルムーン』の店員の結婚だぜ?あの母が黙っていられるわけないでしょう。いっそそれならって、コネというコネを利用して、いい式場もがっつり押さえましたよ」
智は驚いて口もきけない。
「あれ、兄貴から聞いてない?この日空けとけって言ってなかった?」
誠也の言った日は確かに、昨日真也から『この日、智とご両親も、何が何でも空けといて』って言われたけど。てっきり結婚の挨拶だけだとばかり思っていた。
「悪いけど、『派手婚』決定だから。好みがあったら今のうちに伝えといて、言わなきゃどんどん進めちゃうよ」
こうして真也と智のウエディングは波乱含みで幕を開けたのだった。
「俺たちの結婚だよ、俺たちの!」
Juneのランチタイム、聞こえるぼやきは言わずとしれた真也のものだ。
「智だっていろいろ夢があるだろ?こういうとこでやりたい、とか、こんな式にしたいとかさ」
ヘアアクセサリー「ブルーム」の店長真也の昼休憩は他の店員より短い。それは仕事馬鹿の自分で決めたことなのだが、同じビルで働く智と付き合い始めてからは、その決まり事を恨めしく思っているようだった。今もピタパンのサンドイッチを片手で頬張り、時計を気にしながら智の手を握っている。
「・・・でもせっかくしてくれるんだから。オーナー様だし」
智も同じサンドイッチを頬張っている。真也とJuneでお昼を取る日は絶対にパスタを選べない。いつも片手を取られているから。
「俺のお袋じゃん!」
真也は握っている智の手をぶんぶん振った。
「とにかくお袋は一度走り出したら止まんないんだから!弟もそんなとこばかり似ちゃってんだよ。もうとにかく早く智んちに挨拶にいかなきゃ。ああ、どうしよ。悪魔に魅入られた!」
くすくすとカウンターでマスターが笑っている。
「とにかく嫌なことは嫌っていうんだよ?」
「・・・でも」
智は照れながらも真也を見上げた。
「真也のご家族に喜んでもらえてるなら嬉しいし、こんなに早くちゃんとしたお式が出来るなんて夢みたい」
「・・・!」
「嫌じゃ、ないよ?」
うう、と真也は唸った。
「この小悪魔め!」
立ち上がって素早く智の髪にキスすると、耳元で「今夜覚えてろ」と囁いて名残惜しそうに手を離す。マスターに挨拶するとつむじ風のように去っていった。
「もう、なんていうかさ」
マスターもあきれたように笑う。
「ここ、日本だよね?真也くんのスキンシップだんだん過激になってない?早いとこ結婚してくれた方が、周りにとってもありがたいんだけど」
次の日には真也の母千春が待ち構えていて、真也と共にブライダルサロンに連行された。時間がかかると思われる智のドレス選びは後回しで、まずは真也の衣装選びになったが、千春はどんどん衣装を出させ、嫌がる真也を何度となく着せ替えさせてデジカメで写真を撮る。何を着ても様になる真也に智も浮き足だって、二人はまるで友達のようにきゃあきゃあ言いながら真也に注文を付けた。
「ああ、やっぱりシルバーグレイのフロックコートはいいわね、シャツもフリルびらびら、王子様風で!」
「でも、このダークグレイでベストに金の刺繍って言うのも捨てがたいですよ?」
「うんうん、こういう玄人めいた服って、真也のいやらしさが引き立っていいわあ」
「ですよね〜!」
「ほら真也、後ろ向いて振り返って!」
真也は頭を抱えた。どうして俺が着せ替え人形にならなきゃならない?なんでこの二人はこんなとこで息が合うんだ。まずいぞ、早く自分のを決めなければ、智のドレス選びの時間がなくなる。
「・・・俺はこっちで」
王子様は柄じゃない。ダークグレイの方がいやらしかろうがまだましというものだ。真也の選択に女二人は大きく頷いた。
「さすが智ちゃんの見立て!」
「後でその写真下さい!」
「・・・で、智のドレスは?」
それが楽しみでここまできたのだが、千春はにっこりしてしっしっと手を払った。
「当日までのお楽しみと言うことで、真也、帰っていいわよ?」
本当にあっという間だった。毎日のように式場やブライダルサロンに通って、週末は「スプリング」でのエステ、誠也との打ち合わせ。その間にも真也が泊まりに来てと駄々をこねるから、殆ど彼の部屋に寝泊まりして出勤した。
そして当日は来た。晴天に恵まれた5月の火曜日。千春が選んでくれたのは、ガーデンウエディングとチャペルが一緒になった式場だった。
「おい、開けろ!」
これで何度目のノックだろう。焦れた真也の声に、智の髪をスタイリングしている誠也は大きな口を開けて笑いながら、
「花婿は黙って本番まで待ちやがれ!」
と一蹴した。そしてドアに向かってうっとりとした口調で、
「綺麗な髪だよね、智ちゃん。こうしてアップにすると、うなじも真っ白で、吸い付きたくなるほど・・・・」
「誠也!殺すぞ!」
さっきからこうしてわざと煽っているのだ。
「真也、待ってて?」
智は鏡越しに彼のいるドアの向こうに声をかける。
「チャペルで会お?一番綺麗にしてもらった姿で会いたいもん」
ぐう、と唸るような声がして。
「・・・分かったよ!誠也、余計な事したら兄弟の縁を切るからな!」
最後にばん!と大きく一回、負け惜しみにドアが叩かれ、つかつかとどこか険のある足音が去っていった。