番外編〜解けない魔法(1)
本編10話と11話の間の話、あの月曜の夜、正確には火曜日になってからのお話です。この番外編で二人は真也の部屋から一歩も出ません。という訳で(?)超極甘仕様につき苦手な方はお避け下さい。すみません。
温かい。
ベッドで身じろいだ智がまず最初に感じたのは、異常なくらい温かいということ。
そして、自分のベッドと違う匂い。深い森の中で獣に捕らわれたみたいな、ワイルドでスパイスの効いたノート。そして耳に感じる鼓動。
鼓動!?
智が薄闇の中で目を開ければ目の前は彼の胸で。自分の身体は腕の中にすっぽりと包まれている。フレグランスだけじゃない、彼自身の甘い香り。そっと目を上げたら。
「・・・起きた?」
何たることか彼はすでに目を覚ましていて、微笑みながらじっと智を見ていた。その蜜のような濃さ。こっちが恥ずかしさで溶けてしまいそうな視線。
「ん?どうした?」
額にキス。照れて顔を伏せても、彼の胸の中。どうしようもない。
「今、何時ですか?」
照れ隠しに聞くと、
「まだ、1時回ったとこ。このままもちょっと寝る?それとも一緒にお風呂入る?」
「!」
何なの、その選択肢。何もかも慣れなくて、智は思わず真也に背を向ける。
「智?」
それならそれで、後ろから抱きしめられて。智は嫌々をするように身をねじった。
「どうしたの」
「・・・帰ります」
思わず呟いた言葉に、真也はえっ、と言って、智を向き直らせた。
「なんで?」
「耐えられません」
「俺何かした?」
「もう、何なんでしょう、何もかも、ほんとにどうしたらいいのか」
何となく言っていることがわかったのか、真也はくすくすと笑って智の髪を梳いた。
「びっくりした。嫌われたのかと思ったよ」
「そんなわけないです」
「いや、俺、もう突然解き放たれたから。ちょっと、というか大分余裕なかったでしょ。結構無理させたかな、と」
かあっと身体が熱くなる。
「もう!そういうこと言わないでください!」
「何で?今夜は、そういう夜でしょう」
ふふん、と笑って真也は智を抱きしめると毛布ごと持ち上げた。
「え、何!」
「もう目覚めちゃったでしょ。お風呂入ろ。沸かしてあるから」
「歩けますから!」
「ほんとに?」
真也はそっと智を下ろした。途端にかくん、と折れる膝。落ちる毛布を慌てて胸にかき抱く。うう、と唸って彼を見上げた。
「ね?」
無邪気に笑って、また持ち上げられる。諦めて彼の首に腕を回すと、真也は満足げにのどを鳴らした。
「お痒いところはございませんか、姫」
忘れていた。この人は元美容師だったのだ。始めは羞恥で身を固くしていたバスタイムも、こんな気持ちよく髪を洗われたら、一溜まりもなかった。
「うう、気持ちいい」
トリートメントを待つ時間に、香りのいいオイルで指先までマッサージしてくれる。一通りのコースを済ませると、ではごゆっくり、と真也は浴室から出て行く。あれ、彼は入らないのかな?と思ったら、今度は花の形の小さなキャンドルを何個も持って現れた。ぽちゃん、ぽちゃんと浴槽に投げると、ピンクの花が綺麗に浮かぶ。
「ほら、うちの店『ブルーム』でしょ。名前にちなんで花のキャンドルをプレゼントしたことがあって。その残り」
彼は突然お湯に浸かった智の後ろに自分の身体を器用に滑り込ませた。
「え、何」
「・・・動くと、危ないよ」
彼はジッポーのライターで花に次々と火を点してゆく。水面が揺れると炎が消えてしまう。謀られた!智はおとなしく真也に抱かれているしかない。アロマキャンドルらしく、甘い桃のような香りが漂う。ライターを濡れないところに放ると、真也は智の肩に顎を乗せて呟いた。
「はあ、先週は地獄だった」
「どうして」
「俺、もう君が薔薇持って駆けてきた時点でやられてたからね。その後ずっと会いたくて仕方なくて、2日間電話かけまくったのに通じなくて。店長の権限振りかざして里奈ちゃんにまで連絡してさ。結局駄目だったから、月曜も速攻で仕事終わらして待ち伏せしてたのに、斉藤さんの息子には怒られるは、智にも来週まで待て、とか言われるし」
「だって、まだ信用できなかったんだもん」
「ま、その種を蒔いたのは俺か」
真也はふっとため息をついた。
「そう言えば里奈ちゃんにもよくお礼言っといて。心配させちゃったみたいだからさ」
「・・・そうでした」
先週も一緒に新しくできたお洒落なカフェやジュエリーショップに行ったのに、今日のことで頭が一杯で上の空になっていて何度も怒られた。今度埋め合わせをしなくっちゃ。
「思えば、里奈ちゃんに刷り込まれた感じだよなあ」
「刷り込み?」
「智が仕事バカだけど素直で可愛いとか、前向きの割に涙もろいとか。随分噂だけは聞いててさ」
里奈ってば何処まで話してるんだろう。恥ずかしすぎる。
「それですっごく興味が沸いてさ。覚えてる?初めてあった日」
忘れられるはずがない。智は頷く。
「あの日、智が来るって聞いて楽しみにしてたのに、里奈ちゃんが熱出したじゃん。ああ、これでせっかくの機会がなくなる、と思ってさ」
真也はにやっと微笑んだ。
「熱で朦朧としてるのをいいことに、『断るな、俺が相手するから』ってメモ書かせて。『早退したってメールするな』って言って帰らせたんだよ。結構大人げないだろ、俺」
「ええ!」
「だまされた智の可愛かったこと!きょときょとしちゃってさ。警戒しまくりだったのが、シュシュ付けたげたらもう別人みたいに尊敬の眼差しで。あの時には俺、もう相当やられてたな」
ははっ、と大きく声を上げたのでお湯が揺れてキャンドルの炎も揺れた。真也は智越しにひとつひとつキャンドルをつまんではふっと吹き消してゆく。全て終わると、甘い香りが残るバスタブに智ごとゆっくり肩まで浸かった。
「これで、多少暴れても大丈夫だけど?」
「だからそういうこと言うのは止めてくださ」
最後まで言い終わらぬうちに唇が塞がれる。
「ふふ、智って恥ずかしがると敬語になるのな、面白い」
「真也さん!」
そう言うと、真也は突然眉をひそめる。
「その呼び方は頂けない。店の子に呼ばれてるみたいで」
「店長って呼ぶなって真也さんが決めたんでしょ」
他になんて呼べばいいの?智が見上げると、
「・・・真也、で」
そう言って、練習の一環の様にキスをする。
「ほら、呼んで」
「・・・無理です」
「出た、敬語」
首筋にキス。
「今度はどこにしよう?」
呼ぶまで止めない気だ。
「あの」
肩にキス。
「真也さん」
鎖骨の上にキス。
「本当は襲われたいわけ?」
「そんな事無いです!」
「なら、言って」
智は上目遣いで真也を見たが、彼はほら、と言って笑うだけ。仕方なく、囁くような声で、
「・・・真也」
と言ったが、バスルームでは思いの外反響して耳に届く。
「うわ、想像以上の威力」
真也は満面の笑みになる。
「真也・・・も、いつの間にか私のこと呼び捨てで。あの花束渡す時、いきなり大きな声で呼ばれて、身体が震えちゃった」
真也も照れたように苦笑いする。
「あの時『やられた』って言ったでしょ。あの時点からもう、とても『ちゃん付け』なんて出来なかった」
真也はざばっと智ごと浴槽を出ると、バスタオルで智をくるんだ。
「駄目だ、のぼせる。出よう」