番外編〜それぞれの花束(2)
会場では今や遅しとみはるが背伸びして待っていた。
「よかった、間に合って!真紀ちゃん、今日はありがと」
「すみません、家族席にいれていただいた上に遅くなりまして」
申し訳なさ過ぎて深々と礼をする。
「いいのよ!もう、家族みたいなもんじゃない!そのワンピース似合ってるわよ!ねえ!座って、座って!」
いつも以上にテンションが高い。真紀は周平とみはるの間に座らされ、飴だの飲み物だのを膝の上に小山の様に盛られた。あの純日本風のお父さんがどんな風に踊るんだろう。真紀もみはるに感化されだんだんワクワクしてきた。
「次よ」
みはるが言って、終わったらすぐ持っていけるように座席の下から大きな花束を出した。白いカラーに青いベラドンナ、白と紫のストック。大人の男性に似合いそうな色合いだ。
「・・・素敵」
「喜んでもらえるかしら」
まるで告白する女学生のようなみはるの恥じらいに、思わず笑みがこぼれる。
「勿論です!」
その途端照明が落ちて、演目の紹介が始まった。
「当ダンススタジオきってのダンディな男性ペアの登場です。大人の魅力をご堪能下さい。斉藤信吾と神崎真也、曲は『My Favorite Things』」
舞台の中央にスポットライトが当たり、二人の男性が帽子で顔を隠して立っているのが見える。
「ああいうのってさ、帽子とったらがっくり〜、ってよくあるよね」
後ろの座席の悪意のある囁きに、みはるが振り向く。
「黙って見てらっしゃい!」
囁いた女の子はびくっとして縮こまる。その時ピアノのイントロが始まった。
顔を隠したまま、タップシューズがリズムを奏で始める。抑え気味のステップが前奏の盛り上がりと共に大きく鳴り響く。コルトレーンのサックスの音と共に、二人の両腕が広げられた。
「!」
会場が一瞬静まりかえる。白髪交じりの髪を小粋に固めた信吾は、フレッド・アステアばりの優雅さ。大人の風格と思いがけないスタイルの良さに目を見張った。その隣の30代くらいの男がまた凄まじい色気を放っていて圧倒される。しなやかな身体のラインにぴたっと沿う黒いスーツ、大ぶりのきらめくピアス、ごつい指輪を嵌めた指もどこかセクシーで。信吾と対照的なダイナミックなダンススタイルも帽子の被り方も洗練されて本物のダンサーのようだ。隣を見るとみはるは頬を上気させて両手を祈るように重ねて唇に当てていた。夢中になる気持ちが分かる。普段は朴訥としたお父さんなのに、見事な変貌ぶりだ。周平を見ると彼もまた嬉しそうに両親を見比べていた。最後のステップが終わると、会場は割れんばかりの喝采に包まれる。その途端拍手をしながらみはるが立ち上がった。
「ほら行って!」
周平が言うとみはるは大きく頷いて駆け出した。花束がばさばさと音を立てる。
「お父さん!素敵だったわ!」
みはるの声はよく通った。信吾もにっこり微笑み、花束を受け取る。
「ありがとう・・・みはるさん」
わあ、名前で呼んでるんだ。二人の愛情の深さに思わず心が温かくなる。会場からも拍手が巻き起こった。その時、あまりの会場の熱気に躊躇ったのか、みはるの後ろに立つ女性がじりじりと後ずさった。手には零れんばかりの大輪の赤い薔薇たち。そんな、もったいない、と真紀がはらはらしてみていると、
「智!」
と大きな声がした。舞台の上の信吾のパートナーだった。黒豹のようにしなやかな身体を乗り出して、大きく手招きをしている。
「俺に、くれるんだろ?」
さっき後ろで悪口を言っていた女の子が「きゃー!」と歓声を上げた。それくらい彼の仕草もその言い方も、こっちが照れる程スマートで、熱っぽくて。相手の女の子をどれだけ愛しいかが伝わって来るようだった。智と呼ばれた女性はミルクティー色の髪を揺らして彼に花束を渡す。あれ、ちょっとフルムーンの栗山さんに似てるかな。でもそうか、彼女は風邪で寝込んでるんだった。そんなことを思っていると、舞台上の彼は、何かを彼女に囁くと躊躇いも無く花束ごとぎゅっと彼女を抱きしめた。突然のことで頭が追いつかなかったのか、彼女の両手は脇に下がったままだ。しかし彼はじっと目を閉じ、抱きしめる腕を強くする。
場内は騒然。映画のワンシーンさながらの甘い光景に、冷やかしの指笛や歓声が上がる。いたたまれなくなったのか、抱きしめられた女性は彼の手を振り切って足早に会場から去っていった。
「すごーい」
真っ赤になって呟くと、
「真紀もああいうの好き?」
と周平に囁かれる。きょとんとして振り向くと周平は小さくではあるが両腕を広げて指先をくいくいと曲げ、真紀を誘っている。
「・・・馬鹿!」
真紀は周平の腕を叩いた。
「真紀ちゃんまで付き合わせちゃって悪かったね」
と信吾がねぎらう。ここは浅葱町に最近出来たイタリア料理店。酒の弱い周平が車を出した。笠倉にあるBocca della Verità というレストランの2号店で、さらに洗練された創作料理が女性に人気なのだそうだ。名物マダムが料理教室まで開いており、いつも主婦を中心に予約が一杯だという。
一番いい服を着て発表会を見た後はみんなで食事というのもおきまりのコースらしく、花束を家に置きに行きがてら、信吾も着替えてスーツ姿になっていた。いかにも仕立ての良さそうなジャケットに趣味のいいネクタイ、ダンスで培われた姿勢の良さと物腰がさらに彼の男っぷりを上げている。こんな斉藤家の大事な日に、一緒にひとつのテーブルを囲む事がなんだか烏滸がましいようで、さっきから真紀は恐縮しっぱなしだった。
「すみません、私こそ、家族団らんに割り込んだみたいで」
「お祝い事はたくさんの方が嬉しいわ」
みはるがにっこり微笑む。
「大体俺だって邪魔者なくらいなんだぜ?真紀がいて良かったよ。ほんとにこの二人はタップが絡むと・・・」
周平は苦笑する。
「でもお母様が夢中になるのも分かります!もううっとりでした。ほんとにダンディで」
信吾はふふ、と笑って、
「パートナーのせいで5割増し位に見えたんじゃないの?」
と謙遜する。真紀より先にみはるが、そんなことない!と力説するのが微笑ましい。
「ま、でも確かに、あの真也さんて人もかっこよかったわよね〜。タップもうまかったしね」
「そう、ものすごく色っぽくて・・・と」
周平が睨むので真紀は口を閉ざしたが、みはるは構わず、
「薔薇持ってきた女の子とのあの抱擁はすごかったわあ」
と思い出しながらうっとりとため息をついた。お母さんもなかなかの注目度でしたよ、と真紀は思ったが口には出さなかった。
「あの女の子ね」
信吾は頷いた。
「こないだ練習見に来てたんだよね。俺が『恋人?』って聞いたらすごい勢いで『違います!』って否定してんだよ。真也君が本気で残念そうにしてて、おかしかった」
「ええっ!あんなハンサムを手玉にとるなんて!」
みはるが叫ぶと、周平は小さく首を振って、
「いや、鈍感なだけなんじゃない?俺も覚えがありすぎて・・・」
ちらっと真紀を見るが、彼女は案の定きょとんとしている。
「ああ見えて真也君真面目だからね。好きだけどどうやら告白出来てないらしくて。今日花束のことでからかってたら、『俺今度ちゃんと話します』って宣言してたよ」
「へえ、百戦錬磨みたいに見えて案外純情なのかもね!」
みはるが乗り出す。
「また進展した情報あったら教えて!」
「そう言うの好きだよね、みはるさんは」
慣れた調子で信吾が微笑むと、テーブルの上の黄色いフリージアも揺れた。