番外編〜それぞれの花束(1)
第8話から9話を智のお得意客である真紀とその恋人周平の視点からお送りします。
「お袋の発表会じゃないんだから」
周平は母親のみはるをたしなめる。
もう何度かの洗面所籠城。その度口紅の色が違ったり、洋服が違ったり。落ち着かない母に苦笑する。
今日は周平の父信吾のタップダンスの発表会だった。普段は寡黙で時代小説を好む信吾だが、小さい頃からタップを習っていてなかなかの腕前だ。周平が物心ついた時から、父のダンス発表会の日は一番いい服を着て応援に行く、と決められていた。そもそもダンスを習うのは女性や子供がほとんどで、年配の男性は肩身が狭い。それでも昨年までは同年代の同志がいたのだが、先生が腰を痛めたために教室を畳んでしまい、今年から新しいスタジオで習い始めた。そこでは現在信吾が最年長で、その下はもう30代だという。
「それでもやめないんだ」
周平が茶化すと、みはるは真面目な顔になって、
「お父さんの士気に関わるから止めて」
と言う。みはるは異常と思えるほど信吾のタップダンスに入れ込んでいる。雪が降ろうと嵐が来ようと、一人息子の周平を連れて必ず毎年発表会に足を運んでいた。
先日周平は真紀にうっかり今日のことを話してしまい、
「素敵!ねえ、私も見に行っちゃだめ?遠くからみてるだけでいいの」
とせがまれた。これにはみはるの興奮もピークとなり、真紀は斉藤家の家族席で一緒に観覧することとなったのだ。
その真紀から、携帯に連絡がきた。
「ん、どうした?」
「先行ってて、ちょっとトラブルで」
確か真紀はフルムーンへ行って今日着る新しいワンピースを取りに行っていたはずだ。「ほんと感動する。ちょっと直すだけで全然印象が違うの。プロってすごいよね」と、にこにこしながら栗山さんマジックとやらを蕩々と話していたものだ。
「フルムーンには着いたの?」
「うん、だけど栗山さんが急病でいなくて。寝込んでるのかな、電話にもでないらしくて、ワンピースの保管場所が分からないっていうんだよね」
「そう、じゃ家に戻って別なの着れば。電車じゃ間に合わないといけないから今車出す。待ってて」
周平はみはるに向き直ると、
「悪い、お袋、先行ってて。俺真紀を車で送迎しなきゃならなくなった」
「ええ?」
「必ず連れて行く。とにかく急ぐから」
俺だってお袋の気持ちはよく分かっている。キーを掴んで玄関を飛び出した。
真紀には神崎ビルの入り口で待つように行ってあった。近くに車をつけると、真紀は素早く乗り込んだ。
「ごめんね!」
「いや、真紀のせいじゃないし」
「だってお直しぎりぎりだったの。栗山さんに無理させちゃったかも」
「まあ、過ぎたことはしょうがない」
「だけど斉藤家の一大イベントだもん。家族席に入れてもらうんだから、私だって頑張らないとって」
そう言ってちらりと周平を見る。今日の周平は光沢のあるグレイのスーツにごく淡いピンクのシャツ、スモーキーピンクのネクタイ。タイピンは薄墨色のガラスを細く伸ばした様な品で、中に小さな桜が散りばめられた春らしいデザインだ。普段のスーツだってこっちが気後れするくらい素敵なのに、こんなお洒落な彼の脇にどんな服なら釣り合うというのだろう。真紀はため息をついた。
「他にないの?」
「うーん」
「じゃ、あれは?あの時の紫のワンピース」
「ええ!あれ冬物だよ?」
「いいじゃん、今日なんか肌寒いし」
真紀はうーんと唸っている。
「なかなかあれから着てくれないしさ」
もう一押し。
信号待ちで手を握った。
「見たいなあ。あの時の真紀、綺麗だったなあ」
「うう」
「まーき」
「・・・とりあえず着てみるだけね」
yes! 周平は心の中でガッツポーズをした。
真紀の部屋の外で待つこと数分。周平はドアをノックした。
「いいか?」
「・・・どうぞ」
今更俺たちの仲で閉め出さなくてもいいのに、という周平を軽くぶって、真紀は顔を赤らめる。周平は彼女の両肩を掴んで少し離れて全身を眺めた。
そこに、あの日の真紀がいた。スクエアカットの襟ぐりに映える白い肌。身体にそったシルエットは細い腰のくびれや身体のなだらかな膨らみを強調して匂い立つような女らしさだ。戸惑うような瞳も赤く染まった頬も、あの頃のまま初々しい。もうその中身だって知っているのに、まだ自分の恋人だなんて信じられない。
「・・・感無量」
周平は時間を忘れて眺めていた。
「周平君、せっかくだけどこれじゃ冬っぽいし」
真紀はおずおず否定的な言葉を出す。周平は首を振って却下した。
「いや、絶対これ」
「あのもらったネックレス、素敵だし合うけど雪の結晶だし」
その言葉ににやりとして周平はジャケットの内ポケットから袋を出した。見覚えのある青い袋に銀色のリボン。
「ほんとは今日付き合ってもらったお礼に渡そうと思ってたんだけど」
真紀は促されるまま袋を開けた。
「春の新作」
黒いベルベットの袋から出てきたのは、つるんとした大きなビー玉のようなヘッドのついた黒い革紐のチョーカーネックレス。透明なガラス玉の中、揺れるようにいくつか浮かぶ桜の花。花びらや金箔も散っていて、まるで土手の桜が舞い散り浮かぶ川の流れのようだ。周平はそれを手にとり真紀の後ろに回って付けてやる。前に回って、その出来映えに満足して何度も頷いた。
「似合うよ。おまけに俺のタイピンとお揃い。花筏っていうシリーズなんだって」
彼は得意げにタイピンをみせる。真紀の顔が途端にぱあっと華やいだ。
「それ、素敵だなって思ってたの。お揃いなんて、恥ずかしいけど・・・嬉しい。どうもありがとう」
「どういたしまして。相変わらず安物だけどね」
真紀が合わせた薄い桜色のショールを手に取ると、周平がふわっと広げて真紀の肩にかけ、そのまま後ろから抱きしめた。回した手で真紀の顎を後ろにしゃくって柔らかく口づける。軽く何度かついばまれて、唇が離れても真紀はしばらくうっとりと抱きしめられたままでいたが、周平の顔を見上げ突然叫んだ。
「口紅!」
みはるに見つかることに敏感になっている真紀がおかしい。周平は唇をきゅっと親指で拭うと、
「さあ、行こうか」
と車の鍵を鳴らした。