祝・賞金首デビュー
「やーい。賞金首」
いきなり兄にはやしたてられた。
「なんだ? 賞金首? 俺のことか?」
訝しむウィンザーに兄はうふふと笑う。
「あら、ご存じありませんの? 今、王都で話題の賞金首『ティナ』を」
金額を聞いてウィンザーは驚いた。王都の一等地に家が建てられる金額だ。
「……本当に、その指名手配犯は『ティナ』なのか?」
「ええ。間違いありませんわ」
確かに、兄の情報網は凄い。田舎の領地にいるくせになんでそんな情報を持っているんだ? と一度尋ねたところ、知りたい? と妖しげな声で囁かれたので謹んでお断りした。
ウィンザーは兄を信頼している。
情報の出所がどんなに怪しげなものでも、自分は兄を信じるだけだ。
「一体何をしたの? 私の可愛い『ティナ』ちゃんは」
ウィンザーは唸った。
「心当たりがありすぎる」
クスクスと兄は笑う。
「直接尋ねてみてはいかが? 『ティナ』に賞金を懸けた……王都自治団に」
がんばってね、お兄様。とエールを送ると兄は通信を勝手に切った。だから、誰がお兄様だ馬鹿兄貴と、力なく呟いてティナはため息をついた。
**************
王都の居酒屋『三日月亭』は、普段は活気あふれる店だ。
が、その店は今、かつてない緊張に包まれていた。
息をつめて、酒をちびちび飲みながら、客たちが窺っているのは。
「団長、もういい加減あきらめましょうよ」
「うるせぇ! ティナがいなんだったら、俺はもう団長を辞める!」
暴れる王都自治団長と彼を必死に取り押さえる団員だった。
『ティナ』は三日月亭の看板息子だった少年だ。王都自治団に傭兵と雇われていた彼は、作戦会議等に使われるこの居酒屋の常連だった。大変見目麗しい美少年で、気まぐれな猫のように晩にふらっと現れては、ジュースを飲み、客と戯れ、悪人たちで遊んで、満足げに帰っていった。謎に満ちあふれた人物だったが、居酒屋の人間は素直な気性の彼を可愛がっていた。
特に、この居酒屋の店主にして王都自治団長ヴォルグの溺愛っぷりはすごかった。ティナは知らなかったが、彼が来るようになってからこの居酒屋はノンアルコールドリンクをかなり充実させた。ティナお気に入りの柑橘系ジュース用の果物を遠国から取り寄せたりもしていたらしい。
そのティナが、失踪した。
一応、傭兵をやめると副団長に宣言していったらしいのだが、団長的には、何で俺に一言もなかったんだ、副団長だけずるい! っていうか、何で引き止めなかったんだ、この馬鹿! ということになるらしい。納得しないヴォルグはとうとうティナに賞金を懸けたがまるで効果がなく、ろくな情報が入ってこない。おかげでヴォルグの機嫌は悪化の一途をたどり、ここのところ王都は平穏だ。今、騒ぎを起こせば、超不機嫌なヴォルグのやつあたりを受けること間違いなしだから。
「ずいぶん荒れてるな、ヴォルグ」
「ああ、まったくだ。ここのところ毎晩これだからな。困ったもんだ」
気持ちはわかるが、とまで言って常連客は、気がついた。
自分の横にいる存在に。
へぇ、というその人物に、常連客の目が丸くなる。
「ティ、ティナ!?」
叫び声に店中の視線が集まる中、『ティナ』ことウィンザーは悠然とジョッキを飲みほす。やっぱり柑橘系ジュースはこの店のが一番だ、としみじみと呟くウィンザーは、次の瞬間、たくましい腕の中にいた。もちろん、お気に入りのティナがいなくなって拗ねていたヴォルグの腕だ。
「ティナ!」
逃がすものかときつく自分を抱きしめる彼にウィンザーは苦笑した。
「ヴォルグ。もう少し力緩めてくんない? 痛い」
「何でいきなりいなくなった!?」
人の話を聞けよ、と思わず溜息をつく。
「わかった。わかったから、ヴォルグ。ちょっと離してくれ。この体勢だとしゃべりにくい」
確かに、ヴォルグの胸に顔を埋めた今の状態では、声もくぐもっていて、よく聞こえない。渋々、ヴォルグは腕の力を緩めた。
「……で、何でこの体勢?」
「気にするな」
いや、気にするだろうと、ヴォルグの膝の上に乗せられたウィンザーは呟いた。胸の前で交差している彼の腕がウィンザーをがっちり捕まえている。しばらく抵抗していたが、腕の力が強まるだけだったのであきらめて、背後のヴォルグによりかかる。
「なぁ、俺、ちゃんと副団長に言ったよな。王都を離れるから傭兵やめるって」
「だめだ。傭兵をやめるなら、俺を納得させてからにしろ。でないと、また賞金を懸けるぞ」
「そんな理由で賞金首にされたのか、俺」
おいおい、と天を仰げは、真剣な顔のヴォルグと目が合う。
仕方がないなぁと溜息をつく。最近こんなのばかりだ。なんだか忠犬を思い出させるその視線に、ウィンザーは頭が痛くなった。
「何で王都を急に離れることになったんだ?」
「いや。急じゃない。ずっと前から決まっていたことだ」
ヴォルグは不満げにウィンザーを睨みつけた。
「だったら何で俺に相談しなかった? どんな手を使ってでもティナを王都にいさせたのに」
「……なに? 俺様の魅力についにやられた?」
クスリと美少年『ティナ』が艶やかに笑う。
違うと言ってくれと、心の中で叫びながら。
ウィンザーは大嘘つきだ。
偽りの名、偽りの姿、偽りの性別。
そんなウィンザーを受けとめ、抱きしめ、居場所をくれた男。
ウィンザーの本質を見つけてくれた男。
そのヴォルグまでが、ウィンザーを見失ってしまったら……。
「そうだな」
肯定したヴォルグに、ウィンザーは俯く。
だが、ウィンザーが隠し持つ魔具を発動させ、逃げる前に彼はこう続けた。
「お前の魂に惚れたみたいだ」
え、と思わず顔を上げる。拍子に一粒涙がこぼれた。まんまるにした目に、真剣なヴォルグの顔が映される。
「俺は、男色の気はなかったはずなんだがな。ほんとに、何でお前、そんなに可愛いんだ。……勘違いするなよ。確かにお前は別嬪だ。だが、言っちゃ悪いが、その程度だったら花街に幾らでもいる。俺が惚れたのは、『ティナ』という存在。それ自体だ」
いきなりの告白にウィンザーは固まった。
「……ええええええと」
頭が真っ白になるというのはこういうことなのだろうか。
とりあえず、真っ先に浮かんだ言葉を口にしてみる。
「冗談」
「なわけあるか」
即座に否定された。
「この顔は幻術だぜ?」
「知ってる。俺が愛しているのは『ティナ』だ。問題ない」
熱い瞳で見つめられた。
「俺、男だけど」
本当は女だけど、と心の中で呟きつつ言う。
「あと、まだ13歳」
「後2年で結婚が可能だな。お前、誕生日はいつだ? 幸い、うちの国は同性婚を否定してない。その日に式を挙げるか」
なんか、結婚式の日取りまで決まってしまいそうだ。
泣きそうだ。
嬉しくて。
だけど……。
「悪いけど、無理」
そう、本当に無理だ。
ヴォルグの腕が緩む。ようやく動かせるようになった腕をそっと上げ、彼の頬に触れる。
「ティナ」
震える声が名を呼ぶ。
愛しい片割れが呼ぶ名を。
揺れる瞳が『ティナ』の姿を映す。
愛しい片割れが与えてくれた姿を。
「俺、約束があるんだ。だから、ヴォルグとは一緒にいられない」
愛しい片割れとの約束。
それこそが、ウィンザーが生きる意味だから。
ウィンザーは約束を後悔しない。
あの約束があったからこそウィンザーは王都に来た。
ヴォルグに出会えた。
ウィンザーは約束を後悔しない。
たとえ、その約束のためにヴォルグと別れなければならないとしても。
たとえ、それがこの身を切り裂くほど悲しくとも。
ヴォルグの瞳に映る『ティナ』が悲しげに微笑む。
さよならをするためにウィンザーが口を開いた。
その瞬間だった。
「ほほほ……」
場違いなほど明るい笑い声が居酒屋に響いた。
「げ」
聞きなれたその声にウィンザーは顔をしかめる。
突如、彼らの前に幻影を映しだされた。
その幻影は、髪が金色であること以外は『ティナ』に瓜二つの少女の形をしていた。
「こんないい男を振っては可哀そうよ。ティナ」
艶然と微笑む少女に、ウィンザーは顔を歪めた。
だって、約束がある。
首を振るウィンザーに少女はしょうがないわね、と肩をすくめた。
「そうね。それでは、こうしましょう」
そう言って、突如乱入してきた謎の少女はヴォルグに視線を向けた。
「はじめまして。ヴォルグさん。私はティナの片割れ『ロット』。ねぇ、ヴォルグさん。ひとつ、賭けをしない?」
「賭け? おい、ちょっとまて。あんたはティナの何だ?」
全てよと、答えた少女にヴォルグが複雑そうな顔をする。
それに、また少女が笑いだす。
「うふふ。違うわ。確かに私はティナを愛しているけれど、それは家族としての愛よ。私とティナは双子なの。私たちは二人で一人。ティナの全てがロットの全て。ロットの全てがティナの全て」
そして、と少女は高らかに続ける。
「私たちには、約束があるの」
約束という言葉にヴォルムがはっとした顔をした。
「おい、それって……」
ええ、そうよ。と少女は頷いた。
「ティナが、王都を離れなければならない理由。それは……」
「ロット!」
それまであっけにとられて固まっていたウィンザーが慌てて少女を止めようとした。
「ちょっと黙ってなさい。ティナ」
だが、魔法で逆に黙らされてしまった。
「話の続きといきましょう。私とティナは約束をしたの。それは『二人で守る』という約束」
何をというヴォルグの問いに、それは秘密よと少女は笑う。
「だけど、それは片時も傍を離れてはならないというものではないわ。いざというときにティナがいてくれれば、それで十分よ」
ウィンザーは抗議しようとしたが、やはり声が出せない。
「だから、賭けをしましょう? ヴォルグさん。ティナは明日まで王都にいるわ。その間にティナを探し出せたら貴方の勝ち。その時はティナを好きにしてくださって構いません。ただし、私が困った時はちょっと貸していただきますけれども。そして、見つけ出せなければ私の勝ち。ティナは二度と王都にはやりません」
ちょっと待て、俺の意見は、と叫びたいウィンザーだった。だが、そんな心の叫びは届かず、二人はウィンザーの目の前で契約を交わした。
「では、決まりね。それではヴォルグさん。今日のところはティナを返していただきます。またいつかお会いしましょう」
そのセリフと同時にヴォルグの腕からウィンザーが消えた。
何もない腕の中を呆然と眺めていたヴォルグは、しばらくしてすっと立ち上がり、店を出て行こうとした。その腕を副団長が引き留める。
「水臭いですよ。団長」
見れば、団員達がじっとこちらをみている。
「さっきの約束は『一人』で見つけること、とはなっていませんでしたよね」
副団長はニッと笑い、こぶしを上げる。
「我らがヴォルグのために!」
団員達が笑顔で応える。
「「「我らがヴォルグのために!」」」
その声は王都中に響いたという。
さて、その頃。彼らが探し回っているティナは、自室でむくれていた。
「勝手な真似するな。馬鹿兄貴。俺は王都にずっといるわけにはいかない。領地で何かあったらどうするんだ」
そうなったら、駆けつけようにも遠すぎるというウィンザーに幻影の少女が心外だという顔をする。
「私を誰だとお思い? この程度の距離なら、魔法で一瞬よ。心配なさらないで。困った時には遠慮なく召喚いたしますわ」
こいつならまじでやりかねない、と顔をひきつらせたウィンザーに少女はやれやれと頭を振った。
「覚えていらっしゃらないの?」
少女は笑う。幻影の向こうにいる兄を思わせる優しい表情で。
「約束。『二人で皆が幸せに暮らす領地を守る』貴方も領民の端くれでしてよ? シャルティナ」
久々に兄が真の名で妹を呼ぶ。
それは、彼が真剣に話している証拠だった。
「私は、いつも貴女の幸せを祈っているわ。シャルティナ」
「俺も、いつも兄貴の幸せを祈っているぜ。シャロット」
まぁ、覚悟を決めてせいぜい頑張って逃げ回ることね、お兄様と言うと兄は例によって一方的に通信を切った。だから、だれがお兄様だ。馬鹿兄貴、と呟いて、ウィンザーはベッドに向かった。明日に備えるために。
王都騎士団学校の卒業試験が翌日に迫った晩のことだった。
**************
その幼い子供は、部屋の窓から月明かりに照らされた村を見ていた。
灯る明かりの数だけ、人の命がそこにある。
父は言った。
彼ら領民こそ、ウィンザー家が代々守ってきた至宝。
父は命じた。
尊べ、その命を。
愛せ、その幸せを。
守れ、その笑顔を。
月に照らされた村があまりに綺麗だから、シャロットはいつしか泣き出した。
月が浮かぶ夜空のように、未来は闇に包まれ、見通せない。
神童と褒めそやされる彼の聡明さが、彼に己の使命を痛いほど自覚させ、その幼い心を蝕んでいた。
息をするのも苦しいような重責が、己の肩にのしかかる。
蹲り目を閉じたその頭を、誰かがそっと抱きしめた。
目を開けば、そこには隣室で寝ているはずの妹シャルティナがいる。
頬を伝う暖かな滴を、彼女はそっと拭ってくれた。
「どうしたんだ? 兄貴?」
「夜が。……夜が怖いんだ」
昼は書庫の本を読むのに夢中だからいい。だが、夜になって目を閉じれば、浮かぶのは将来への不安。自分は父のように良い領主になれるだろうか。良い領主とは何か。そもそも領主とは何か。
星の数ほどの疑問が頭の中に渦巻き、自分の未熟さを責め苛む。
闇が怖くて眠れない、と呟いた兄にシャルティナは、じゃあ、いっしょにねようぜ、と笑った。
「だ、だめだよ。立派な領主は一人で眠るものだよ」
「なんで? お父様はお母様と眠ってるぜ?」
それは夫婦だからだよ、と言っても妹は納得しない。
じゃあ、夫婦になればいい、とあっさり言う。
兄妹は夫婦にはなれないんだ、と言ったら、妹は首をかしげた。
「なんで? 夫婦って、永遠を誓えばいいんだよな? 俺は兄貴に永遠の愛を誓えるぜ? 俺はいつも兄貴の幸せを祈っている。ロット。立派な領主ってのは、領民を幸せにする人のことなんだろ? だったら、兄貴も幸せにならないと。だって、領主もまた領民の一人なんだから」
それまで粗野で領主の娘らしくない妹を苦手としていた兄は気がついた。
書庫の本全てを読んだ自分よりも、大切なことを知っている妹の聡明さに。
月明かりのもと妹は笑う。
「二人で皆が幸せに暮らす領地を守ろうぜ。ロット。一人で背負おうとするから、重たく感じんだよ。せっかく一緒にこの世に生まれたんだ。最期まで付き合ってやるよ」
二人で手をつないで、大きな寝台に横になる。
眠りに落ちる寸前、シャロットは呟いた。
「私もいつもあなたの幸せを祈っているわ。ティナ」
聡明な妹は、翌日の朝食の席で、母親にその夜のことを全てばらした。
昨日の晩、兄貴と寝たんだけどな、と笑顔で事細かに話す妹に兄は顔を引き攣らせた。
笑顔のティナに母親もまた微笑みかけていた。
が、その眼は笑っていない。
すべてを聞き終えて、母はその微笑みを父親に向けた。
「あなた、お話があります。後で私の部屋にいらして下さいな」
父は固まり、
ロットは立派な領主とは、と遠い眼をし、
お願いしているはずなのに、命令に聞こえるのはなんでだ? とティナは首を傾げた。
それは、年に不相応なほどの聡明さを危惧し、ロットの教育を慎重に行おうと言っていた母が、自分との約束を破って、父がこっそりと帝王学をロットに学ばせていると知った、ある晴れた一日であった。
**************
「私の大切なティナ、お幸せにね」
月明かりの下、ロットはそっと呟いた。
もう夜の闇は昔のように怖くない。
それでも、遠く王都にいる妹は夜ごと連絡石で話しかけてくれる。
自分の兄が本当はさびしがり屋だと知っているから。
きっと、それはこれからも変わらない。
「うふふふふ……あの男きっと嫌がるでしょうね」
それを隣から嫉妬丸出しで見ることになるだろう義弟の顔を思い浮かべ、ロットは笑う。
笑いすぎて涙が出た。
横にいる少女がおずおずとハンカチでその滴をぬぐう。
「ありがとう。ハンナ」
「どういたしまして。ロット様」
微笑みあう二人を月は優しく照らしていた。