人を傷つけ、人を守る。その矛盾の代償は甘受してやる。
魔獣を剣で切り裂けば、鮮やかな血飛沫があがった。
さっきまで生きていた存在が、目の前で命尽きる。
その残酷さ。
視界の隅でナルシスト男ことカイネが木の根元に蹲ったのが見えた。
真っ蒼な顔で口元を押さえている。
まったく、敵に背を向けるなよ。
まぁ、お坊ちゃんにはちょっと刺激が強すぎたかな。
「ヘンリー、馬達とカイネを」
ウィンザーの指示で、土魔法による結界が馬達とカイネの周囲に張り巡らされる。
これでしばらくは安全だけど、結界にはタイムリミットがあるからな。その前にかたをつけてやる。
「目をつぶってはなりません。カイネ・リヒト」
思ったより冷静なヘンリーの声がする。
初陣でこれだけ落ちつけるとは、なかなかだと、ウィンザーはちょっと見直した。
結界を張りつつも、ウィンザーとロストクにする土魔法のサポートは的確だ。
そんなヘンリーが、カイネに命ずる。
お前が引き起こした惨劇の行く末を見据えろと。
そう、そもそもの発端は、カイネの単独行動にあった。
手柄を独り占めしようと、夜の闇に乗じて宿屋を抜け出し盗賊を奇襲した彼は、逆に彼らに追い詰められた。視界の利かない夜間の奇襲は、その土地を熟知していなければリスクが大きい。ましてそれが、月が雲に隠れた夜の森となればなおさら。盗賊がいなくとも十分危険な夜の森の恐ろしさをカイネは知らなかった。その甘さが、今現在の絶望的な状況を招いたのだ。
カイネの独走に気づいたウィンザー班は騎士達を連れ、すぐさま彼を追いかけた。
そして、追い詰められた彼を救いだしたまでは良かったのだが騎士達とはぐれてしまう。
その上、最悪なことに、負傷しているカイネの血の匂いを魔獣達がかぎつけた。
「ウィンザー! 後ろ!」
ロストクの怒号に、ウィンザーは振り返ることなく、背後から自分に襲いかかる魔獣を切り捨てた。どうやら、ここはベイド(狼型魔獣)の縄張りらしい。魔獣としては取るに足らない小物だが、この魔獣は集団行動を好む。切っても切っても次から次へと襲いかかってくる魔獣に、徐々に体力が削られていく。数で勝る魔獣達相手に、長期戦は不利だ。さっさと片付けたいウィンザーだったが……。
「司令をだすボスがいるはずだ。そいつを切って、奴らが混乱しているうちに逃げ出すぞ!」
ウィンザーは苦戦していた。
三人も実戦経験のない素人を抱えているだけでも不利だ。
ロストクは初めての実戦のため、勘がつかめず、剣と魔法を同時に使いこなせていない。
ヘンリーはサポートで精一杯。
カイネは論外だ。
さらに、場所も悪かった。彼女としては、できれば火魔法で魔獣を一気に殲滅したい。だが、この地域は今、乾季だ。雨が降らず、空気が乾燥している。一度森に火がつけば、水魔法を使っても消火は困難。下手すれば、この森全てが焼きつくされてしまう。
自棄になったように、周囲の魔獣を切り裂き続けていてウィンザーは気がついた。魔獣達が自分達を一定の方向に行かせないようにしていることを。
そちらか。
地を蹴り、宙を飛ぶ。「ヘンリー。足場を頼む」地面が盛り上がり、土の柱ができた。それを踏み台に、さらに飛ぶ。向かう先は、特に魔獣が密集している場所。その中央に、ひときわ大きな銀の魔獣がいる。こちらを紅瞳で睨みつけてきた。あれがボスだ! 噛みつこうとする魔獣達を踏みつけ、切り捨てながら、魔印を結ぶ。『発動!』その一言と共に、ボスと思わしき魔獣が突如火に包まれた。奇妙なことに、火は、その一頭のみを標的とし、周囲に燃え広がろうとはしなかった。断末魔の叫び声の中、明らかに魔獣達の間に動揺が走る。
「今だ! 馬に乗れ! ヘンリー、探索系の土魔法で開けた場所を探して、案内しろ」
三頭の馬が夜の森を駆け抜ける。
「ありました! この前方に草木の存在しない土地があります」
言葉通り、その先には、開けた場所があった。見れば焚火をした痕跡がある。旅人がよく野営に使う場所らしい。ウィンザーは急いで火を起こし、魔獣よけの香木を放り込んだ。
薬草臭い香りが彼らの周囲に立ち込める。
「……もう、大丈夫だ」
その一言を合図に、ヘンリーがへたり込んだ。今頃になって震えが来たらしいヘンリーをロストクが抱きしめる。そんな二人を見やってから、ウィンザーは、いまだ魂が抜けたような顔をして馬上にいるカイネに近づいた。放心している彼を、ロストクが自分の馬に引きずりあげて、ここまで運んだのだ。
「カイネ・リヒト」
名を呼んでも反応しない彼を、ウィンザーは馬上から乱暴に引きずり下ろした。顔面から着地し、自慢の顔を血みどろにしたカイネは、さすがに正気づいたらしい。抗議しようとあげた顔にさらにウィンザーの拳がとんだ。
「このっ! 大馬鹿野郎! 自分が何やったかわかってんのか!」
呆然と自分を見上げるカイネをウィンザーは怒鳴りつけた。
「てめぇのせいで、盗賊を逃がしちまった上、仲間が危険にさらされたんだぞ!」
ガタガタ震え始めた彼に、ウィンザーは舌打ちをした。
「カイネ・リヒト」
静けさの中に怒りを孕んだウィンザーの声が彼の名を呼ぶ。
「お前、騎士になるのあきらめろ。お前には、騎士になる資格がない」
「い、いやだ!」
思わずカイネは反射的にそう叫んだ。
「僕は騎士にならなくてはならないんだ! 僕は!」
駄々っ子のように首を振る彼にウィンザーはため息をつき、しゃがみ込んで目線を合わせた。そして、すっと腰の剣を抜く。先ほどの魔獣たちの血にまみれた剣がカイネの顔に突きつけられる。
「お前は何のために騎士になる? 功名心か? プライドか? 何にせよ、自分のために握る剣は騎士の剣じゃねぇ。周囲を厄災へと導く滅びの剣だ」
ただ静かに、ウィンザーはカイネに語りかける。
「いいか。剣は、人を傷つけ、人を守る。それが剣というものだ。矛盾してるよな。そして、その矛盾から生じる歪みは必ず剣を振るう本人に帰ってくる。そう、お前が騎士になるならば、剣をもつものとなった代償に、いつの日か、この刃を己の身に突き立てられる日が来るんだ。お前にその覚悟はあるか」
「……君には、その覚悟があるというのか」
ぽつりとカイネが呟いた。それに、ウィンザーは真剣な顔で頷いた。
「あるぜ。剣を握るものとしての覚悟ならな。人を傷つけ、人を守る。その矛盾の代償は甘受してやる。俺には、例えその代償がこの命であろうとも守りたいものがあるからな」
「そ、それは何なんだい?」
その問いに、ウィンザーは微笑んだ。愛する者を思う時に人が浮かべる慈愛に満ちた表情だった。
「秘密だ」
月が雲から顔を出し、四人を照らす。その光の中、魔獣の血にまみれ、ぼろぼろのウィンザーがなぜか神聖な存在に思えた。
だからかもしれない、カイネが素直な気持ちになったのは。この三人にその話をしてもいいと思ったのは。
カイネは、ウィンザーを見上げて真剣な顔で宣言した。
「やっぱり、僕は、僕は騎士になりたい」
何か言おうとするウィンザーを遮り、カイネは語りだした。
己が騎士を目指す理由を。
「僕はね、ウィンザー。妾の子なんだ。ある程度の事情通なら誰もが知っているはずだよ。……五歳までは僕は幸せだった。母様が心労でこの世を去られるまでは。父はね、五大貴族の権力を使って無理やり母様を自分のものにした。でも、その時、母様には、好きな人がいたんだって。そして、その人は、騎士様だった。母様が、いつも言っていたんだ。『あの人みたいに立派な騎士になってね』と、笑いながら」
「だから、僕は、だれよりも強くて立派な騎士になろうと思った」
ふと、ウィンザーは気がついた。
そういえば、カイネは己の力を自慢しても、決して自分の家柄を自慢したりはしなかったと。
彼にとって、立派な騎士とは、家柄ではなく、実力のある騎士のことなのだろう。
だから、彼は力あるものを何より尊敬する。
そして、強くなるためにはどんなことも厭わない。
今も、自分よりはるかに身分の低い下級貴族の説教を真剣に聞き、それに対して真摯に応えている。
約束の実現に向かってまっすぐ進もうとする姿勢は、騎士にふさわしいと認めてやってもいいかもしれない。
月明かりに照らされて、真摯な瞳で己を見つめるカイネの顔に、ウィンザーは在りし日のことを思い出した。
愛すべき片割れと、ともに守ると誓った、あの日のことを。
「そして、これは僕と母様だけの秘密だけどね」
そう言って笑ったリヒトはなぜか泣いているように見えた。
「僕の本当の父は、その騎士様なんだ。ねぇ、ウィンザー。こんな理由で騎士になろうなんて、間違っているのかな?」
「ああ、間違ってるね」
その一言に俯こうとしたリヒトの顎を捕え、ウィンザーはその顔を上向かせた。
真剣な顔のウィンザーと大きな満月が、リヒトの目に映る。
「間違ってるぜ。やり方がな。……お前の母上が言ってた『立派』な騎士が、どういう騎士か、もう一度考えてみろ。それは、間違っても、手柄を立てようと無茶をして仲間を危険にさらすような奴じゃないはずだ」
そう言って、ウィンザーは初めてカイネに優しく微笑んだ。
「カイネ・リヒト。……訂正する。お前、騎士を目指せ。今度こそ、本当の意味で『立派な』騎士を」
それに大きく頷いて、カイネは誓った。
必ず『彼』のように立派な騎士になってみせると。