昼のシャロット 夜のティナ
「……疲れた」
簡素な平民服を着たウィンザーは、ぼそりと呟いた。口の中に広がる甘酸っぱい果実ジュースが、やけに苦く感じる。活気に満ちた居酒屋の中で一人やさぐれながらジョッキをあおる少年は、本来、場違いなはずなのに、なぜか周囲に溶け込み何の違和感もない。とても13歳とは思えない、哀愁漂うその背中にいきなり張り手がとんだ。
「よう、坊主。どうした? しけた面して」
思いっきりむせたウィンザーは、涙目で大男を睨みつけた。
「ヴォルグ」
わりぃわりぃと、まるで悪いと思っていない顔で謝ったヴォルグはそのまま隣に座った。
「いや、景気付けでもしてやろうかと思ってな。……なんか面倒事でも起ったか?」
ふと、真剣な顔をした彼に、ウィンザーは首を振った。
「いや、自治団関係のことじゃねぇよ。個人的なことだ。気にするな、団長」
そのセリフに、ヴォルグが薄気味悪い笑いを浮かべる。
「へぇ? 色恋沙汰か? まぁ、こんな色男じゃぁ、仕方ねぇか」
ウィンザーはしかめっ面でそれを否定した。
「違うよ。ま、その年でいまだに恋人の一人もいない、ヴォルグよりもてるのは確かだがね。何なら俺がお相手になってやろうか?」
「言ったな、こいつ!」
しばらく二人でじゃれ合っていたが、ふいにヴォルグの顔がウィンザーに近づく。
「……ティナ。仕事だ。二階に上がれ」
最後の部分のみ小声でウィンザーだけに聞こえるように言うと、王都自治団長ヴォルグは、先に階段へと向かった。
『ティナ』は仕事用の名だ。幼少期からの愛称であるため、すぐに反応できる。
そう、名を聞いた瞬間に、それが己の物と判断できるのは重要なことである。
とくに、男と偽って、荒事専門の傭兵をしている時などは。
王都自治団は、平民だけで構成された組織だ。
その活動内容は幅広い。公園の清掃から、迷子探し、祭りの運営まで、平民たちの生活上大切ではあるが、国にその協力を仰ぎにくいものを自力で行うために組織されている。
そして、その役割の中に、王都の治安維持がある。
国だけでは、いや、国だからこそ介入しにくい部分に自治団は働きかけやすい。騎士団が動くということは国が動くということ。さすがにそんな大ごとになる騎士団相手にはしり込みする平民も自治団ならば相談しやすい。国も、平民同士の方がことが簡単に収まるならば、彼らの間で処理した方がいいと考えている。
自治団員は、騎士のような武装はできないが、ある程度の武器携帯が認められている。しかし、彼らはあくまで平民で昼はパン屋やら花屋やらコックやらをしている者たちであるため、あまり戦力にはならない。(ちなみに、王都自治団長ヴォルグは、この居酒屋の店主だ。)
そこで用心棒として登場するのが、傭兵たちだ。自治団では対応しきれず、騎士団を動かすのをためらうとき、彼らが荒事をおさめるために活躍する。
では、なぜウィンザーが傭兵をしているかというと、ただ単なるストレス発散だ。今まで領地で好きなだけ暴れていたというのに、王都に来てからずっと『平凡なウィンザー君』をしていたため、腕はなまりそうだわ、退屈だわで、限界だったのだ。
きっかけは、いい加減、大人しい学生生活に飽きたウィンザーが寮を抜け出し、夜の王都をぶらついていた時に、妙な男たちに絡まれた少女を見かけたことだった。
「お譲ちゃん。こんな遅くに何してるんだい?」
「迷子なら、おじさん達がお家まで案内してあげよう」
「ほら、こっちに来な」
怯える少女に触れようとした武骨な男の腕を何者かが掴む。
「なんだ? お前?」
睨みつけ威嚇する男たちを無視し、マントのフードを深くかぶったその人物は宣言した。
「彼女を置いて、今すぐここから立ち去れ」
男にしては高い声を聞き、男たちは下卑た笑いを浮かべる。
「なんだ、お前も嬢ちゃんか」
そういって、ウィンザーの腕を掴もうとした男は、次の瞬間、地面に顔を激突させる。
「な!?」
動揺する男たちをウィンザーは容赦なく攻撃した。しなやかな体が、的確に男たちの急所を突く。瞬く間に、残り三人というところまでのしたところで、男が叫んだ。
「おいっ!? こいつがどうなってもいいのか!?」
見れば、男の一人が、少女の喉元にナイフを突き付けている。
ウィンザーが、ふっと笑い、フードをはずすと、男たちはあっけにとられた。
フードの下から現れたのは、絶世の美少女だった。
月光を弾く銀の髪
闇夜に光る紺碧の瞳
透きとおるように白い肌
我知らず、男たちは喉をゴクリと鳴らした。
そんな彼らに、にっこり笑って、ウィンザーは言った。
「誰が嬢ちゃんだ。この下衆が。俺は、男だ。……『発動』!」
その言葉に、しまったと男たちは焦るが、もう遅い。
彼らが顔に見惚れている間に、マントに隠した手でウィンザーは魔印を完成させていた。解放の呪文とともに、炎が彼らを囲み、肌を焦がし、髪を炙る。
熱せられドロリと溶けたナイフに一人が悲鳴を上げた。
「大丈夫?」
ウィンザーの問いかけに、少女はぎこちなく頷いた。彼女には、何が起こったのかさっぱりわからないのだろう。ウィンザーが『発動』といった瞬間、いきなり男たちが固まり、悲鳴を上げ始め、最後には気絶した、そう彼女の目には映ったはずだ。少女の頭を撫でながら、ウィンザーは背後に潜む者達に告げた。
「出て来いよ。自治団員の皆様方?」
その言葉を合図に、ぞろぞろと屈強な自治団員達が裏路地に現れた。
「なんだ、気づいてたのか。坊主」
「最後まで高みの見物かよ。職務怠慢じゃねぇの?」
睨みつけてやれば、ひときわ大柄な男がガハハと笑う。
「危なそうなら助けようかと思ったが、なかなかやるな、坊主」
それに苦笑して、じゃあな、とその場を立ち去ろうとしたウィンザーに、彼は言った。
「なあ、坊主。傭兵業に興味はねぇか?」
最高に魅力的なナンパだった。
「坊主じゃねぇ。俺は『ティナ』だ。団長さん。まあ、気が向いたときに、暇だったら、あんたの仕事の手伝いをしてやらないこともないぜ?」
生意気なそのもの言いに怒ることなく、大男は、にやりと笑った。
「かまわねぇよ。俺は『ヴォルグ』だ。人手が足りなくて困ってるんでな。気が向いたら、居酒屋『三日月亭』ってとこに来な。ジュースぐらいなら奢ってやるぜ、ティナ」
そういうわけで、
昼は下級貴族の子息シャロット
夜は雇われ傭兵ティナ
をしているウィンザー君の生活は確かに大変だ。
大変なのだが……彼が今、疲労困憊しているのには、別の事情があった。
「……なんなんだよ。あの班分けは」
ぶつぶつ呟いているウィンザー君。学校のことかな? なんであれ、ウィンザー君、今、傭兵の仕事中だよ。集中しなくちゃ。小さい声だから、何言ってるかきっと聞こえてないと思うけど、周囲(味方を含む)が怯えてるよ、ウィンザー君。
「ナルシスト男と無愛想男と根暗男と箱入りお嬢様のお守りを何でおれがしなくちゃならないんだ…。」
聞こえてないのかな? ウィンザー君? おおい! ウィンザー君!
「うるせぇな! こいつら全員、ぶん殴ればいいんだろ!?」
うわぁ、ウィンザー君が、暴れだした。ウィンザー君! 依頼内容は『ちょっとお灸をすえる』だよ!? 再起不能にしろとまでは言われてないよ!?
皆(味方を含む)が怯える中、出血大サービス(読んで字の如く)で傭兵の任務をこなすウィンザー君。
どうやらストレスがたまってそうなウィンザー君と、やつあたりを受けた人身売買組織の方々と、巻き込まれた味方の方々……人生色々大変なこともあるみたいだけど、がんばれ!