正しい距離より、触れている方がいい
音が、先にあった。
弦の重なり。
軽やかなリズム。
遠くで揺れる拍手。
柔らかいざわめきに、ゆっくりと意識が浮かぶ。
「……」
目を開ける。
高い天井。
光を反射する装飾。
見たことのない空間。
「……ここ、どこだ」
小さく呟く。
声が、妙に静かに吸い込まれていく。
背中に、硬さ。
身体が、少し沈んでいる。
視線を落とす。
重い布。
整えられた衣装。
指先まで、見慣れない。
「……」
少しだけ、周囲を見る。
部屋、というより。
――広間。
ヒナタは、ゆっくりと身体を起こす。
視界が、開く。
「……」
舞踏会だった。
色とりどりのドレス。
揃った礼装。
円を描く人の流れ。
音楽に合わせて、滑らかに動いている。
ヒナタは、少しだけ目を細める。
現実感が、薄い。
なのに細部だけが妙にはっきりしている。
「……」
理解は、後回しにする。
とりあえず。
見えるものを、そのまま受け取る。
視線を、流す。
中央。
人の流れの中で。
ひとつ、引っかかる。
止まる。
「……」
長身の。
金髪。
整いすぎているくらい、整っている。
動きに、無駄がない。
立っているだけで、周囲の流れが変わる。
その向かい。
黒髪の姫。
華やかではある。
でも。
派手ではない。
静かに、そこにいる。
視線が、合う。
いや。
合っていない。
でも。
何かが、揃っている。
ヒナタは、少しだけ姿勢を前に傾ける。
無意識に。
音楽が、少し遠くなる。
周囲のざわめきも。
その二人だけが、残る。
金髪の王子が、一歩だけ近づく。
距離が、詰まる。
でも。
侵さない。
自然に。
「リトルスノー」
低く、柔らかい声。
リトルスノーと呼ばれた姫が、ほんのわずかに視線を落とす。
肯定でも、否定でもない。
ただ、受け取る。
王子が、その手を取る。
動きは、ゆっくり。
無理がない。
流れのまま。
そして。
手の甲に、そっと触れる。
口づけ。
軽く。
一瞬。
でも。
確かに、そこにある。
「……何」
引っかかる。
視線が、外れない。
理由は、分からない。ただ、妙に残る。
ヒナタは、ゆっくりと背もたれに戻る。
もう一度、下を見る。
まだ、いる。
同じ位置に。
同じ距離で。
さっきと同じように、立っている。
少しだけ、息を吐く。
それから。
「……夢?」
投げる。
理解を。
その代わり。
もう一度だけ、下を見る。
金髪の王子と、黒髪の姫。
音楽に溶ける、その距離。
「……面倒だな」
誰にも聞こえない声で。
そう呟いた。
****
気づいたら、立っていた。
さっきまで、座っていたはずなのに。
「……」
玉座。
たぶん、そういうやつ。
そこから、降りている。
ヒナタは、ゆっくりと歩く。
段差を降りる。
床に足が触れる。
音が、変わる。
上とは違う。
近い。
人の気配が、はっきりする。
「……」
止まらない。
そのまま、進む。
視線の先。
さっきの位置。
金髪の王子と、黒髪の姫。
まだ、いる。
同じ距離で。
同じ温度で。
「……」
ヒナタは、少しだけ眉を寄せる。
理由はわからない。でも、そのまま進む。
音楽が、近くなる。
人の流れが、分かれる。
自然に。
誰も止めない。
止められない。
「……」
距離が、縮まる。
あと数歩。
そのとき。
金髪の王子が、わずかに顔を上げる。
視線が、合う。
今度は、確実に。
ヒナタは、止まらない。
そのまま。
最後の一歩。
距離が、止まる。
「……」
無言。
視線だけが、動く。
王子を見る。
姫を見る。
もう一度、王子。
「……」
少しだけ、間。
それから。
「今の」
口を開く。
静かに。
「なんだったの」
直球。
空気が、ほんの少し止まる。
周囲の音が、一瞬だけ遠のく。
金髪の王子が、ゆっくりと瞬きをする。
驚いてはいない。
ただ。
測っている。
「ご覧の通りですが」
低く、整った声。
ヒナタは、首を傾ける。
「いや、そうじゃなくて」
言葉を探す。
でも、出ない。
代わりに。
そのまま言う。
「……なんか、ちゃんとしてた」
雑な感想。
でも。
変に的確。
王子が、ほんのわずかに目を細める。
黒髪の姫は、何も言わない。
ただ。
ヒナタを見る。
まっすぐに。
「……」
ヒナタも、見る。
視線を外さない。
数秒。
無言。
周囲だけが、流れている。
そのまま。
ヒナタが、ぽつりと。
「名前」
短く言う。
順番も、何もない。
いきなり。
王子が、先に口を開く。
「ハヤテと申します」
自然に。
迷いなく。
ヒナタは、頷く。
「そう」
それだけ。
次に、姫を見る。
待つ。
姫が、ほんの少しだけ間を置く。
それから。
「……」
名乗ろうとする。
その前に。
ヒナタが、口を開く。
「リトルスノー?」
姫の動きが、止まる。
ほんの一瞬。
驚きが、混じる。
ハヤテが、わずかに視線を動かす。
でも、崩れない。
「……ええ」
姫が答える。
静かに。
ヒナタは、頷く。
納得したように。
「そっちの方が合ってる」
また雑。
でも。
妙に、芯を食う。
リトルスノーが、少しだけ目を細める。
警戒でも、拒絶でもない。
ただ。
測っている。
ヒナタは、少しだけ息を吐く。
「……もう一回やって」
空気が、止まる。
ハヤテが、わずかに首を傾ける。
「……何を」
ヒナタは、即答する。
「さっきの」
リトルスノーが、ヒナタを見る。
少しだけ。
困ったように。
ハヤテが、一度だけ目を伏せる。
それから。
自然に、手を取る。
同じ動き。
同じ距離。
同じ温度。
そして。
手の甲に、触れる。
「……」
ヒナタは、それを見る。
今度は、近くで。
細部まで。
「……」
少しだけ、目が細くなる。
それから。
「……やっぱり、ちゃんとしてる」
同じ感想。
でも。
少しだけ深い。
ハヤテが、わずかに笑う。
ヒナタは、少しだけ考える。
短く。
「俺もやっていい?」
完全に場違い。
でも。
真顔。
ハヤテが、ほんの一瞬だけ沈黙する。
そのあと。
「……陛下」
静かに言う。
ヒナタは、首を傾ける。
「なに」
「順序がございます」
冷静。
でも。
少しだけ困っている。
ヒナタは、少し考える。
「……そっか」
あっさり引く。
それから。
少しだけ視線を外す。
周囲を見る。
華やか。
音楽。
人。
「……面倒だな」
小さく呟く。
でも。
すぐに戻る。
もう一度、二人を見る。
「また来る」
それだけ言う。
許可も、確認もない。
ハヤテは、軽く一礼する。
ヒナタは、そのまま背を向ける。
来たときと同じように。
自然に、人の流れが開く。
歩きながら。
小さく呟く。
「……なんなんだよ」
自分でも分からない。
でも。
さっきより。
少しだけ。
はっきりしている。
あの姫が。
気になる。
****
「……どこ行ってたんだよ」
部屋に戻った瞬間、言われた。
間髪入れず。
ヒナタは、足を止める。
「……舞踏会」
そのまま答える。
コウタは、無言で一歩近づく。
距離が、妙に正確。
観察されている感じがする。
「それは知ってる」
声は低い。
「その中で、何してきた」
ヒナタは、少し考える。
短く。
「……見てた」
「何を」
「……ちゃんとしてるやつ」
コウタが、一瞬だけ止まる。
「……は?」
ヒナタは、そのまま続ける。
「金髪のやつ」
「ああ」
理解は早い。
「ハヤテ王子」
ヒナタは、頷く。
「そう、それ」
「それで」
コウタは、わずかに眉を寄せる。
嫌な予感が、もうしている。
「……話しかけた」
「だろうな」
即答。
ヒナタは、少しだけ目を細める。
「なんで分かるんだよ」
「分かる」
ヒナタは、少しだけ視線を外す。
それから。
「……もう一回やらせた」
コウタの動きが、止まる。
完全に。
「……何を」
「さっきの」
「だから何を」
ヒナタは、少しだけ手を動かす。
曖昧に。
「こう……手取って、キスするやつ」
コウタが、目を閉じる。
一瞬だけ。
深く息を吸う。
そして。
ゆっくり吐く。
「……やらせたのか」
「うん」
「誰に」
「……」
沈黙。
少し長い。
コウタは、もう一度目を開ける。
「……陛下」
静かに言う。
「それ、完全に無茶振りだ」
ヒナタは、首を傾ける。
「でもやってた」
「やるだろ」
即答。
「断れない立場だからな」
ヒナタは、少しだけ考える。
コウタは、じっと見る。
数秒。
「……で」
続ける。
「それ見て、何思った」
ヒナタは、少しだけ視線を上げる。
「……ちゃんとしてた」
同じ答え。
コウタが、ほんの少しだけ顔をしかめる。
「語彙」
小さく呟く。
ヒナタは、無視する。
少しだけ間。
「……あと」
コウタが、待つ。
「……なんか、引っかかる」
今度は、少しだけまとも。
コウタの表情が、わずかに変わる。
興味。
「リトルスノー、って呼んでた」
ヒナタが続ける。
コウタが、すぐに反応する。
「ああ」
理解が早い。
「黒髪の姫な」
ヒナタは、止まる。
「……黒髪の、姫」
コウタは、それを見る。
見逃さない。
「気になるのか」
さらっと聞く。
「……分かんない」
正直。
コウタは、軽く息を吐く。
それから。
「分かりやすいな」
と言う。
ヒナタが、見る。
「なにが」
コウタは、少しだけ肩をすくめる。
説明しない。
ヒナタは、少しだけ眉を寄せる。
「……面倒だな」
また言う。
でも。
前より、少しだけ違う。
コウタは、それを見て。
わずかに口元を緩める。
ほんの一瞬だけ。
「……とりあえず」
話を戻す。
「次からは、もう少し段階を踏め」
ヒナタは、即答する。
「嫌だ」
コウタが、間を置く。
「理由は」
「……その方が早い」
コウタは、無言になる。
数秒。
「……まあ、そうだな」
諦める。
理解はしている。
ヒナタは、そのまま椅子に座る。
「……また行く」
ぽつりと。
コウタは、頷く。
止めない。
止めても無駄。
分かっている。
「なら、行く前に言え」
ヒナタは、目を閉じる。
少しだけ。
コウタは、ため息をつく。
静かに。
それから、少しだけ視線を外す。
諦め半分。
でも。
ほんの少しだけ笑う。
「……一人で走るの、悪い癖だな」
小さく、呟く。
****
庭は、静かだった。
舞踏会の音は、遠い。
風の音と、葉の擦れる音だけが残る。
「……」
ヒナタは、何となく外に出ていた。
理由は、ない。
強いて言うなら。
音が、うるさかったから。
「……」
歩く。
整えられた道。
手入れの行き届いた緑。
どこを見ても、綺麗すぎる。
少しだけ、息を吐く。
そのとき。
視界の端に、黒が入る。
止まる。
「……」
昼間よりも、少し柔らかい光の中で。
黒髪の姫。
同じ空気。
でも。
さっきより、少しだけ近い。
「……」
ヒナタは、特に迷わず歩く。
そのまま。
距離を詰める。
気づいている。
でも、動かない。
リトルスノーは、ただそこにいる。
「……いた」
ヒナタが言う。
軽く。
挨拶みたいに。
リトルスノーが、ゆっくりと視線を上げる。
「……陛下」
呼び方だけは、きちんとしている。
でも。
距離は、さっきと同じ。
ヒナタは、少しだけ首を傾ける。
「一人?」
「ええ」
それだけ。
ヒナタは、少しだけ周りを見る。
本当にいない。
ヒナタは、「ふうん」と小さく言う。
それから。
隣に立つ。
距離は、近すぎない。
でも。
さっきより、少しだけ近い。
「……」
しばらく、無言。
風だけが通る。
ヒナタは、前を見る。
リトルスノーも、同じ方向を見る。
視線は、合わない。
でも。
同じものを見ている。
「……さっきの」
ヒナタが言う。
ぽつりと。
リトルスノーが、わずかに反応する。
「……ええ」
内容は、言わなくても分かる。
ヒナタは、少しだけ考える。
短く。
「嫌じゃないの」
直球。
リトルスノーは、すぐには答えない。
少しだけ、間。
風が通る。
ヒナタは、少しだけ目を細める。
「好き?」
さらに直球。
リトルスノーが、ほんのわずかに止まる。
完全には崩れない。
でも。
ほんの一瞬、揺れる。
「……どうでしょう」
逃がす。
曖昧に。
ヒナタは、少しだけ息を吐く。
それから。
「……ちゃんとしてるよね」
またそれ。
リトルスノーが、少しだけ視線を向ける。
「……そうですね」
肯定する。
でも。
少しだけ、遠い。
ヒナタは、その違いを見る。
「……」
間。
「俺、ああいうの出来ない」
ぽつりと。
自分のことを言う。
珍しく。
リトルスノーが、少しだけ目を細める。
「……そうでしょうね」
あっさり。
ヒナタが、少しだけ笑う。
また、少しだけ沈黙。
風。
葉。
遠くの音。
「……でも」
ヒナタが続ける。
ゆっくり。
「見てて、変じゃなかった」
言葉を選ぶ。
珍しく。
「……ちゃんとしてる、だけじゃなくて」
少しだけ探す。
それから。
「……合ってた」
リトルスノーの呼吸が、ほんの少しだけ変わる。
ほんの一瞬。
でも。
確かに。
ヒナタは、それを見る。
「……だから」
少しだけ間。
「きっと、これでいい」
軽く言う。
重くしない。
押さない。
ただ、置く。
リトルスノーは、しばらく何も言わない。
そのまま。
前を見る。
それから。
小さく。
「……そうかもしれません」
初めて、少しだけ柔らかい声。
ヒナタは、頷く。
「うん」
それだけ。
また、静かになる。
さっきより、少しだけ距離が変わっている。
「……」
ヒナタは、少しだけ伸びをする。
気の抜けた動き。
それから。
ヒナタは、そのまま歩き出す。
振り返らない。
でも。
数歩進んでから。
小さく止まる。
「……」
振り返らないまま。
「……リトルスノー」
呼ぶ。
リトルスノーが、わずかに視線を向ける。
ヒナタは、少しだけ間を置く。
それから。
「名前、そっちの方がいい」
また、それ。
でも。
今度は、少しだけ違う。
リトルスノーは、ほんの一瞬だけ驚いて。
それから。
小さく笑う。
初めて。
「……ありがとうございます」
ヒナタは、軽く手を上げる。
背中を向けたまま。
そのまま、歩いていく。
庭の外へ。
音のある場所へ。
「……」
残った風が、少しだけ動く。
さっきより。
ほんの少しだけ。
静かじゃなくなっていた。
****
戻るつもりは、なかった。
でも。
気づいたら、またいつもの距離に戻っていた。
「……」
音が、近い。
さっきよりも、はっきりと。
ヒナタは、少しだけ目を細める。
面倒だと思いながら、
足はそのまま向いている。
「……」
視線を上げる。
探すまでもない。
見つかる。
同じ場所。
同じ流れ。
黒髪の姫と、金髪の王子。
距離は、少しだけ遠い。
そのまま、見る。
近すぎない。
でも、遠くもない。
ちょうどいい距離。
それだけで、成立している。
「……」
ヒナタは、少しだけ息を吐く。
さっき、言ったばかりだ。
ちゃんとしてる。間違ってない。
「……」
でも、引っかかる。
言葉には出来ない。
ヒナタは、そのまま歩く。
今度は、ゆっくり。
わざと。
近づく。
気づかせるように。
ハヤテが、先に気づく。
視線が動く。
ヒナタを見る。
それから。
わずかに一礼する。
リトルスノーも、遅れて視線を向ける。
ほんの一瞬だけ。
庭での空気が、残る。
「……来た」
ヒナタが言う。
軽く。
誰にでもなく。
でも。
二人に向けて。
ハヤテが、穏やかに口を開く。
「お戻りになられたのですね」
ヒナタは、頷く。
「なんか、戻ってた」
雑。
でも。
いつも通り。
ハヤテは、否定しない。
そのまま受け取る。
「それは何よりです」
綺麗に返す。
ヒナタは、それを見る。
少しだけ。
目を細める。
「……」
リトルスノーを見る。
さっきと同じ。
ヒナタは、少しだけ考える。
短く。
「さっき、庭いたよね」
リトルスノーが、わずかに頷く。
ヒナタは、続ける。
「風、よかった」
会話が雑。
でも。
ちゃんと繋がっている。
リトルスノーが、ほんの少しだけ目を細める。
「……そうですね」
柔らかい。
さっきの続き。
その空気が、ほんの少しだけ戻る。
ハヤテが、それを見る。
わずかに。
ほんのわずかに。
「……」
でも、崩れない。
ヒナタは、それを見ている。
全部。
見えている。
でも。
言語化しない。
出来ない。
「……」
少しだけ間。
ヒナタが、ぽつりと。
「……やっぱ、ちゃんとしてるな」
またそれ。
ハヤテに向けて。
今度は、はっきり。
ハヤテが、わずかに笑う。
「光栄です」
余裕。
崩れない。
ヒナタは、少しだけ視線を逸らす。
それから。
「……でも」
続ける。
短く。
「ちょっと遠い」
空気が、わずかに止まる。
ほんの一瞬。
ハヤテの視線が、わずかに揺れる。
リトルスノーも、同時に動く。
でも。
どちらも、崩れない。
「……そう見えますか」
ハヤテが、静かに返す。
ヒナタは、頷く。
「うん」
理由は、言わない。
言えない。
でも。
確信だけある。
「……」
リトルスノーが、少しだけ視線を落とす。
ほんの一瞬。
それから。
戻す。
「……どうでしょう」
また、曖昧にする。
でも。
さっきより、少しだけ揺れている。
ヒナタは、それを見る。
それだけで、十分。
「……」
ヒナタは、少しだけ息を吐く。
それから。
一歩だけ近づく。
距離を詰める。
自然に。
「……リトルスノー」
呼ぶ。
さっきより、少しだけ近い声。
リトルスノーが、視線を上げる。
ヒナタは、少しだけ考える。
ほんの一瞬。
それから。
「また、外行こう」
軽く言う。
誘い。
でも。
強制じゃない。
空気が、止まる。
ハヤテの視線が、わずかに動く。
でも。
何も言わない。
リトルスノーは、少しだけ迷う。
ほんの一瞬。
それから。
「……後ほど」
逃がす。
でも。
拒絶じゃない。
ヒナタは、頷く。
「うん」
それでいい。
十分。
「……じゃあ」
ヒナタは、軽く手を上げる。
そのまま。
また、離れる。
来たときと同じように。
自然に。
人の流れが開く。
背中を向ける。
歩きながら。
小さく呟く。
「……やっぱ、面倒だな」
でも。
さっきより。
少しだけ。
分かっている。
何が、引っかかるのか。
まだ言葉にはならない。
でも。
確かに、そこにある。
ヒナタは、そのまま歩く。
音の中へ。
光の中へ。
****
「……なるほど」
コウタは、静かに頷いた。
話を聞き終えて。
数秒。
何も言わずに考える。
ヒナタは、待つ。
特に何も考えずに。
「……」
コウタが、ゆっくりと顔を上げる。
「面白くなってきたな」
第一声がそれ。
ヒナタが、少しだけ眉を寄せる。
「なにが」
コウタは、わずかに口元を緩める。
ほんの少しだけ。
「全部」
雑にまとめる。
ヒナタは、ため息をつく。
「めんどい」
コウタは、即答する。
「楽しいだろ」
温度差。
ヒナタは、無言で見る。
コウタは、それを無視して続ける。
「整理するぞ」
指を一本立てる。
癖。
「まず、ハヤテ王子」
ヒナタは、頷く。
「ちゃんとしてるやつ」
「そう、それ」
雑な共通認識が成立する。
「で、黒髪の」
ヒナタは、少しだけ間を置く。
「……リトルスノー」
言い慣れてきている。
コウタが、それを見て。
少しだけ笑う。
「気に入ってるな、その呼び方」
ヒナタは、無視する。
「で」
コウタが続ける。
「その二人の関係を見て」
少しだけ間。
「“遠い”と感じた」
ヒナタは、頷く。
「うん」
コウタが、もう一本指を立てる。
「その上で」
さらに間。
「リトルスノーを外に誘った」
ヒナタは、また頷く。
「うん」
コウタが、少しだけ視線を細める。
そして。
「……完全に入りに行ってる」
断言。
ヒナタが、止まる。
「なにに」
コウタは、即答する。
「その二人の間に」
ヒナタは、数秒黙る。
「……いや」
否定する。
雑に。
「違う」
コウタが、少しだけ首を傾ける。
「どこが」
ヒナタは、少し考える。
短く。
「……別に」
言葉が出ない。
コウタが、すぐに補足する。
「無自覚か」
ヒナタが、見る。
「なにが」
コウタは、少しだけ楽しそうに言う。
「全部」
ヒナタは、無言になる。
嫌な感じがする。
でも。
否定材料がない。
コウタは、そのまま続ける。
「いいか」
軽く一歩近づく。
距離が詰まる。
「今の状態」
指で空中に線を引くように。
「ハヤテ王子と、リトルスノー」
一本の線。
「そこに」
もう一本。
「お前が、横から入ってる」
ヒナタが、少しだけ顔をしかめる。
「……なんか嫌な言い方」
コウタは、気にしない。
「事実だろ」
即答。
「で」
続ける。
「一番問題なのは」
ヒナタが、待つ。
コウタが、はっきり言う。
「お前が、それを“面倒くさいと思いながらやっている”こと」
ヒナタが、止まる。
「……」
図星。
でも。
認めたくない。
「……だって、めんどいし」
言い訳が雑。
コウタが、少しだけ笑う。
「だろうな」
否定しない。
むしろ肯定。
それが、さらに嫌。
「でも」
コウタが続ける。
「やめない」
ヒナタは、言葉に詰まる。
「……」
数秒。
「……うん」
認める。
仕方なく。
コウタは、満足そうに頷く。
「分かりやすいな」
ヒナタが、睨む。
「うるさい」
コウタは、軽く肩をすくめる。
それから。
少しだけトーンを落とす。
「で、どうする」
ヒナタが、少し考える。
短く。
「……なにが」
コウタは、あえてはっきり言う。
「取りに行くのか」
間。
「引くのか」
ヒナタの呼吸が、わずかに変わる。
ほんの一瞬。
コウタは、それを見ている。
逃がさない。
ヒナタは、少しだけ視線を外す。
「……分かんない」
正直。
コウタは、頷く。
「だろうな」
想定内。
少しだけ笑う。
「じゃあ、試してみるか」
ヒナタが、見る。
「なにを」
コウタは、さらっと言う。
「軽く揺らしてみる」
ヒナタが、止まる。
「……なにを」
コウタは、同じ温度で返す。
「関係」
ヒナタが、完全に無言になる。
「ちょうどいい」
「明日、庭でお茶会がある」
ヒナタが、顔を上げる。
「……なんで知ってるの」
コウタは、平然と答える。
「参謀なので」
ヒナタは、ため息をつく。
「……で」
コウタが、続ける。
「そこに三人とも来る」
ヒナタの表情が、わずかに動く。
「……三人」
コウタは、頷く。
「いい感じに崩れる」
ヒナタは、数秒黙る。
「……ほんと、めんどい」
でも、止めない。
コウタは、それを見て静かに笑う。
「……変わる」
小さく、呟く。
****
庭は、昼の光に満ちていた。
白いテーブル。
整えられた椅子。
香りの強くない花。
「……」
ヒナタは、座らされている。
「……なんでこれ」
小さく呟く。
向かいで、コウタが穏やかに紅茶を注ぐ。
「社交です」
即答。
ヒナタは、カップを見る。
よく分からない液体。
「……飲むの?」
「飲みます」
ヒナタは、少し考えてから飲む。
「……甘い」
コウタが、わずかに笑う。
「そういうものです」
ヒナタは、もう飲まない。
そのまま、カップを置く。
風が、通る。
「……来た」
ヒナタが言う。
視線の先。
金髪の王子と黒髪の姫。
歩いてくる。
同じ距離で。
同じ空気で。
「……」
ヒナタは、少しだけ目を細める。
コウタは、それを横目で見る。
何も言わない。
ただ、観察する。
ハヤテが、先に一礼する。
「お招きいただき、ありがとうございます」
完璧。
無駄がない。
ヒナタは、頷く。
「うん」
雑。
リトルスノーも、軽く頭を下げる。
「お時間をいただき、ありがとうございます」
整っている。
でも。
少しだけ、昨日と同じ温度が残っている。
ヒナタは、それを見る。
そのまま。
「座って」
短く言う。
ハヤテとリトルスノーが、向かいに座る。
距離。
位置。
全部、ちょうどいい。
コウタが、静かに紅茶を差し出す。
「どうぞ」
完璧に進行する。
ヒナタは、何もしない。
ただ、見ている。
「……」
少しだけ、間。
コウタが、自然に口を開く。
「昨日の舞踏会、見事でした」
ハヤテに向けて。
話を振る。
ヒナタが、少しだけ視線を動かす。
ハヤテが、穏やかに答える。
「光栄です」
短い。
無駄がない。
コウタが、続ける。
「特に、手の取り方」
わざと具体的。
ヒナタが、ほんの少しだけ反応する。
ハヤテは、崩れない。
「基本に忠実なだけです」
リトルスノーは、静かに聞いている。
コウタが、ちらりとヒナタを見る。
それから。
「陛下も、興味をお持ちのようで」
投げる。
ヒナタに。
ヒナタは、少しだけ間を置く。
それから。
「うん」
正直。
リトルスノーの視線が、わずかに動く。
ハヤテも、同じ。
「……もう一回見たい」
ヒナタが続ける。
完全に直球。
空気が、ほんの一瞬止まる。
ハヤテは、静かに応じる。
「承知しました」
迷いがない。
リトルスノーの手を、自然に取る。
昨日と同じ動き。
同じ距離。
同じ温度。
そして。
手の甲に、軽く触れる。
「……」
ヒナタは、それを見る。
今度は、真正面から。
逃げない。
細部まで。
「……」
数秒。
それから。
ぽつりと。
「……やっぱ遠い」
静かに言う。
今度は、はっきり。
コウタが、カップを持ったまま止まる。
いい。
完璧なタイミング。
ハヤテの動きが、ほんのわずかに止まる。
一瞬だけ。
リトルスノーの呼吸が、少しだけ浅くなる。
「……」
ヒナタは、続ける。
考えていない。
そのまま。
「ちゃんとしてるけど」
少しだけ間。
「……触れてない」
空気が、静かに崩れる。
音はない。
でも。
確実に、歪む。
ハヤテが、ゆっくりと手を離す。
何も言わない。
でも。
さっきと同じじゃない。
リトルスノーが、視線を落とす。
ほんの一瞬。
それから。
戻す。
コウタが、静かにカップを置く。
そして。
さらっと言う。
「では、陛下も試されますか」
ヒナタが、見る。
「なにを」
コウタは、平然と。
「同じことを」
ヒナタは、少しだけ考える。
短く。
「……いいよ」
軽い。
でも。
断らない。
リトルスノーの動きが、ほんの一瞬だけ止まる。
ハヤテの視線が、わずかに動く。
でも。
誰も止めない。
止められない。
ヒナタが、手を伸ばす。
雑じゃない。
でも。
綺麗でもない。
ただ、まっすぐ。
リトルスノーの手を取る。
距離が、詰まる。
近い。
昨日より。
今より。
明らかに。
「……」
ヒナタは、少しだけ迷う。
一瞬。
そのまま。
触れる。
軽く。
でも。
距離が、近い。
「……」
リトルスノーの呼吸が、止まる。
ほんの一瞬。
ハヤテの視線が、静かに落ちる。
コウタは、何も言わない。
ただ。
見ている。
完璧に。
「……」
ヒナタが、手を離す。
それから。
小さく言う。
「……こっちの方がいい」
空気が、完全に変わる。
戻らない。
さっきまでの距離には。
もう。
****
静かになってから、気づいた。
風の音が、さっきよりもはっきり聞こえる。
「……」
庭には、もう誰もいない。
白いテーブルも。
揃えられた椅子も。
そのまま残っているのに。
そこにあったはずの“形”だけが、消えている。
「……」
リトルスノーは、ゆっくりと息を吐く。
乱れていないはずの呼吸が、少しだけ浅い。
「……」
視線を落とす。
自分の手。
「……」
ゆっくりと、目を閉じる。
思い出す。
同じ動き。
整えられた距離。
間違いのない関係。
正しい。
整っている。
――それでいいはずだった。
でも。
息が、少しだけ浅くなる。
もう一つの感覚が、消えない。
「……触れてない」
自分の声で、繰り返す。
小さく。
「……」
あのときの距離。
近かった。
正しくもなかった。
でも。
「……」
指先が、わずかに震える。
もう一度、手を見る。
さっきと同じ。
変わらない。
でも。
「……」
確かに。
違ってしまった。
ゆっくりと顔を上げる。
庭の奥。
人のいない方向。
誰もいない。
だからこそ。
ぽつりと、こぼれる。
「……ずるい」
誰に向けた言葉か、分かっている。
でも。
認めたくない。
「……」
風が、通る。
さっきより、少しだけ冷たい。
それでも。
消えない。
残ったまま。
触れたまま。
形を持たないまま。
そこにある。
****
遅れは、なかった。
歩幅も。
距離も。
時間も。
すべて、いつも通り。
「……」
廊下は静かだ。
庭から戻る足音だけが、規則的に響く。
「……」
それでも。
ひとつだけ。
残っている。
「……」
視線を落とす。
自分の手。
何も変わっていない。
いつも通り。
正確に動く。
「……」
ほんのわずかに、止まる。
さっきの動き。
同じように。
同じ順序で。
同じ距離で。
――触れたはずだった。
指先が、わずかに動く。
無意識に。
確かめるように。
ハヤテは、そこで目を閉じる。
一瞬だけ。
それから。
開く。
表情は、変わらない。
いつも通り。
崩れていない。
「……距離」
小さく、呟く。
足が、ほんの一歩分止まる。
それから、また動く。
止めない。
止める理由がない。
「……」
ハヤテは、ゆっくりと息を吐く。
整える。
戻す。
崩さない。
それが、自分の役割。
小さく、呟く。
「……面白い」
足を進める。
同じ歩幅で。
同じ速度で。
何も変わっていないように。
****
「……呼んだ?」
コウタが、顔を上げる。
書類の山の向こう。
「呼んでない」
即答。
ヒナタは、少しだけ止まる。
「……じゃあいい」
そのまま入ってくる。
止めない。
止めても入る。
コウタは、諦めてペンを置く。
「どうした」
ヒナタは、椅子に座る。
勝手に。
「……暇」
雑。
コウタは、数秒黙る。
「仕事は」
「しらない」
コウタは、軽く息を吐く。
「……で」
話を戻す。
「何か考えてるな」
ヒナタが、少しだけ目を細める。
「なんで分かる」
「分かる」
いつものやつ。
ヒナタは、少し考える。
短く。
「……会いに行く」
コウタの動きが、止まる。
「誰に」
ヒナタは、即答する。
「リトルスノー」
コウタが、ゆっくりと顔を上げる。
「……そうか」
静か。
でも。
完全に理解している。
「止めないぞ」
ヒナタが、少しだけ止まる。
「……なんで」
「面白いから」
ヒナタが、少しだけ目を細める。
「……なんかムカつく」
コウタは、笑わない。
でも。
完全に楽しんでいる。
ヒナタは、そのまま席を立つ。
コウタは、見送る。
何も言わずに。
「……」
扉が閉まる。
それから。
小さく呟く。
「……ひとつ、前に出た」
静かに、笑う。
****
風が、通る。
さっきと同じ庭。
同じ光。
同じ場所。
「……」
リトルスノーは、一人でいる。
昨日と同じ。
でも。
違う。
「……」
足音。
近づく。
止まらない。
分かる。
振り返る前に。
「……いた」
ヒナタ。
同じ声。
同じ温度。
リトルスノーが、ゆっくりと振り返る。
「……陛下」
呼び方は変わらない。
でも。
ほんの少しだけ。
距離が違う。
ヒナタは、そのまま近づく。
止まらない。
「……なんかさ」
いきなり話す。
前置きなし。
「昨日の、思い出してた」
リトルスノーが、わずかに止まる。
「……」
ヒナタは、そのまま続ける。
「ちゃんとしてるって言ったやつ」
リトルスノーは、何も言わない。
待つ。
ヒナタは、少しだけ考える。
それから。
「……やっぱ違う」
リトルスノーの視線が、わずかに揺れる。
「……何が」
ヒナタは、まっすぐ見る。
逃げない。
「ちゃんとしてるのは、いいんだけど」
言葉を探す。
珍しく。
「……それだけだと、足りない」
リトルスノーの呼吸が、ほんの少し変わる。
ヒナタは、それを見る。
でも。
止めない。
「……触れてる方がいい」
直球。
昨日より、はっきり。
「……」
沈黙。
風だけが通る。
ヒナタは、そのまま一歩近づく。
距離が、詰まる。
昨日より。
さらに。
「……試す?」
軽く言う。
いつもの調子で。
でも。
逃げ道はない。
リトルスノーの指が、わずかに動く。
ほんの一瞬。
それから。
「……」
否定しない。
肯定もしない。
でも。
そのまま、動かない。
ヒナタは、それを見て。
そのまま手を取る。
今度は、迷いがない。
距離が、近い。
呼吸が、分かる。
「……」
ゆっくりと。
触れる。
昨日と同じ。
でも。
違う。
「……」
離さない。
少しだけ。
長く。
それから。
顔を上げる。
距離が近いまま。
「……こっちの方がいい」
またそれ。
でも。
もう、軽くない。
リトルスノーの視線が、揺れる。
明確に。
初めて。
「……」
言葉が出ない。
代わりに。
小さく息を吸う。
ヒナタは、それを見る。
それで、十分。
「……また来る」
軽く言う。
でも。
さっきとは違う。
確信がある。
リトルスノーは、答えない。
でも。
止めない。
ヒナタは、そのまま手を離す。
ゆっくりと。
それから。
背を向ける。
歩き出す。
「……」
残る。
空気が。
距離が。
温度が。
リトルスノーは、その場に立ったまま。
動けない。
さっきより。
確実に。
「……」
小さく、こぼれる。
「……ずるい」
今度は、はっきり。
****
違和感は、消えなかった。
時間を置いても。
場所を変えても。
「……」
ハヤテは、ゆっくりと歩く。
足取りは、変わらない。
いつも通り。
それでも。
思考だけが、少しだけ違う。
問題は、ひとつ。
どう動くか。
「……」
足を止める。
庭の入り口。
少しだけ、視線を上げる。
リトルスノーは、立っている。
さっきと同じように。
でも。
少しだけ、違う。
「……」
足音。
振り返る。
でも。
ほんの少しだけ、遅れる。
ハヤテは、それを見る。
見逃さない。
「お一人で?」
穏やかに聞く。
いつも通り。
リトルスノーは、頷く。
「……」
間。
風。
葉の音。
ハヤテは、一歩だけ近づく。
距離を詰める。
自然に。
違和感なく。
でも。
「……」
わずかに、止まる。
ほんの一瞬。
それから。
続ける。
「先ほどは、失礼いたしました」
静かに言う。
リトルスノーが、わずかに首を振る。
でも。
それだけ。
「……」
ハヤテは、次の言葉を選ぶ。
慎重に。
「……少し、強引でしたね」
認める。
正確に。
リトルスノーが、少しだけ視線を落とす。
「……」
否定しない。
肯定もしない。
ただ、受け止める。
「……」
ハヤテは、それを見る。
確認する。
ずれている。
確実に。
「……」
それでも。
崩さない。
崩す必要はない。
まだ。
「……」
ゆっくりと、手を伸ばす。
いつも通り。
同じ動き。
同じ距離。
同じ温度で。
リトルスノーの手を取る。
「……」
今度は、止めない。
そのまま。
触れる。
手の甲に。
正確に。
美しく。
「……」
離す。
距離を戻す。
完璧。
何も乱れていない。
「……」
リトルスノーは、動かない。
ただ。
そのまま。
「……」
ハヤテは、見る。
反応を。
待つ。
「……」
少しだけ、間。
それから。
リトルスノーが、小さく息を吐く。
「……」
顔を上げる。
視線が、合う。
「……綺麗です」
言葉が出る。
自然に。
正直に。
「……」
ハヤテは、わずかに頷く。
想定通り。
でも。
その先。
続かない。
「……」
リトルスノーが、ほんの一瞬だけ迷う。
それから。
続ける。
「……でも」
空気が、止まる。
ほんの一瞬。
「……遠いです」
はっきり。
言う。
逃げない。
ハヤテの視線が、わずかに揺れる。
初めて。
ほんのわずかに。
「……」
沈黙。
風。
葉。
音が、少しだけ強くなる。
「……」
ハヤテは、ゆっくりと息を吐く。
整える。
戻す。
それから。
「……そうですか」
受け取る。
否定しない。
逃げない。
「……」
少しだけ間。
それから。
「では」
続ける。
静かに。
「近づけましょうか」
距離を、わずかに詰める。
同じ動き。
でも、ほんの少しだけ近い。
触れる。
――違う。
ハヤテは、わずかに目を細める。
「……面白いですね」
リトルスノーが、少しだけ目を細める。
「……何がですか」
ハヤテは、答えない。
そのまま。
視線を外す。
庭の奥へ。
誰もいない方向へ。
「……」
でも。
分かっている。
いないはずの“影”が。
確かに、そこにある。
****
「……来たな」
コウタが、小さく呟いた。
窓の外。
庭。
位置関係は、把握している。
完璧に。
「……」
ヒナタは、隣にいる。
特に隠れているつもりはない。
ただ、見ている。
「……何してんの」
ヒナタが言う。
コウタは、視線を外さない。
「観察です」
即答。
ヒナタは、少しだけ眉を寄せる。
「趣味悪い」
コウタは、否定しない。
「面白いですよ」
ヒナタは、数秒黙る。
それから。
「……行く」
コウタが、わずかに口元を緩める。
「どうぞ」
止めない。
むしろ。
歓迎する。
風が、通る。
同じ庭。
同じ場所。
「……」
ハヤテと、リトルスノー。
距離は、昨日より近い。
でも。
まだ、整っている。
「……」
その空気の中に。
足音が入る。
止まらない。
隠さない。
「……いた」
ヒナタ。
そのまま来る。
一直線。
ハヤテの視線が、動く。
リトルスノーも、同時に振り返る。
「……陛下」
呼ぶ。
同時に。
ヒナタは、頷く。
「うん」
それだけ。
距離を詰める。
迷いがない。
「……何してんの」
ヒナタが聞く。
雑に。
ハヤテが、穏やかに答える。
「少し、話を」
ヒナタは、少しだけ目を細める。
それから。
「……さっきのやつ?」
直球。
ハヤテは、一瞬だけ止まる。
ほんの一瞬。
それから。
「ええ」
肯定する。
隠さない。
ヒナタは、頷く。
それから。
そのまま。
「もう一回やって」
空気が、止まる。
完全に。
風の音だけが残る。
ハヤテの視線が、ヒナタに向く。
リトルスノーは、動かない。
「……」
数秒。
沈黙。
ヒナタは、待つ。
何も考えずに。
「……」
ハヤテが、ゆっくりと息を吐く。
それから。
「承知しました」
受ける。
逃げない。
リトルスノーの手を取る。
同じ動き。
でも。
今度は、少しだけ近い。
意識している。
「……」
触れる。
距離。
温度。
間。
整えながら。
少しだけ崩す。
「……」
ヒナタは、それを見る。
真正面から。
逃げない。
全部、見る。
「……」
数秒。
それから。
ヒナタが、ぽつりと。
「……さっきよりいい」
評価。
そのまま。
ハヤテの動きが、わずかに止まる。
ほんの一瞬。
リトルスノーの呼吸も、同時に揺れる。
「……」
ヒナタは、続ける。
「でも」
またそれ。
空気が、張る。
「……まだ遠い」
完全に言い切る。
ハヤテの視線が、静かに変わる。
初めて。
はっきりと。
「……」
ヒナタは、構わない。
そのまま。
「貸して」
と言う。
意味が通らない。
でも。
通る。
止められない。
ヒナタが、手を取る。
リトルスノーの。
今度は。
迷いがない。
距離が、近い。
明らかに。
「……」
触れる。
同じ行為。
でも。
違う。
時間が、少し長い。
距離が、近い。
「……」
空気が、完全に変わる。
戻らない。
「……」
ヒナタが、顔を上げる。
そのまま。
言う。
「……これ」
短く。
「こっちの方がいい」
断言。
静かに。
でも。
逃げ場なく。
「……」
沈黙。
完全な。
風すら、遠い。
リトルスノーが、動けない。
視線が揺れる。
初めて。
完全に。
ハヤテが、見る。
その変化を。
逃さない。
「……」
ヒナタは、何も気にしない。
そのまま。
手を離す。
「じゃ」
軽く言う。
「また」
それだけ。
背を向ける。
去る。
いつも通り。
「……」
残る。
完全に変わった空気。
距離。
温度。
意味。
「……」
リトルスノーが、動けない。
そのまま。
立っている。
ハヤテは、ゆっくりと息を吐く。
整える。
でも。
戻らない。
「……」
数秒。
それから。
静かに言う。
「……陛下は」
少しだけ間。
「厄介ですね」
リトルスノーの肩が、わずかに揺れる。
ほんの一瞬。
それから。
小さく。
「……ええ」
同意する。
でも。
その声は。
さっきまでと、同じではなかった。
****
夜は、静かだった。
昼の熱も、ざわめきも、もうない。
残っているのは、整えられた静けさだけ。
「……」
ハヤテは、立っている。
窓の前。
灯りは落とされている。
外の光だけで、十分だった。
「……」
整理は、終わっている。
状況も。
変化も。
そして。
「……必要なことも」
小さく、呟く。
迷いはない。
もう。
「……」
視線を上げる。
決める。
それだけでいい。
次の日。
庭。
同じ場所。
同じ時間。
「……」
リトルスノーは、来ている。
理由は、分かっていない。
でも。
足は、止まらなかった。
「……」
風が、通る。
少しだけ冷たい。
そのとき。
足音。
今度は、ゆっくり。
まっすぐ。
振り返る。
すぐに分かる。
いつも通り。
でも。
少しだけ違う。
「お待たせしました」
穏やかに言う。
距離を詰める。
自然に。
でも。
昨日より、迷いがない。
「……」
リトルスノーは、動かない。
そのまま。
受け止める。
「……少し、お時間を」
ハヤテが言う。
短く。
はっきりと。
リトルスノーは、頷く。
それだけ。
「……」
間。
風。
葉。
「……」
ハヤテは、一歩近づく。
距離が、詰まる。
昨日より。
さらに。
「……」
そのまま、手を取る。
今度は、確認しない。
迷わない。
「……」
近い。
明確に。
呼吸が、分かる。
「……」
ハヤテは、静かに言う。
「昨日のことですが」
リトルスノーが、わずかに反応する。
「確かに、遠かったのでしょう」
認める。
はっきりと。
「……」
わずかな間。
それから。
ほんの少しだけ、声が落ちる。
「……ですが」
視線を逸らさない。
「私が崩れるわけにはいきません」
――それが、この場にとって正しい形だから。
空気が、変わる。
静かに。
確実に。
「……」
リトルスノーの呼吸が、止まる。
ほんの一瞬。
ハヤテは、動く。
そのまま。
さらに距離を詰める。
「……」
触れる。
同じ行為。
でも。
違う。
時間が、長い。
距離が、近い。
「……」
離さない。
ほんの一瞬。
それから。
ゆっくりと離す。
「……」
視線が、近いまま。
逸らさない。
「……」
ハヤテが、静かに言う。
「近づけます」
短く。
はっきり。
「……」
リトルスノーの視線が、揺れる。
明確に。
初めて。
「……」
ハヤテは、続ける。
「形も」
「距離も」
「意味も」
リトルスノーの呼吸が、浅くなる。
「あなたが望むなら」
逃げ道を残す。
でも。
逃がさない。
「……」
沈黙。
風が、通る。
リトルスノーは、答えない。
でも。
視線は、逸らさない。
「……」
そのとき。
足音。
軽い。
迷いがない。
「……いた」
ヒナタ。
いつも通り。
そのまま来る。
「……」
空気が、止まる。
完全に。
ヒナタは、二人を見る。
距離。
位置。
全部。
それから。
少しだけ目を細める。
「……近くなってる」
ぽつりと。
言う。
正確に。
ハヤテの視線が、ヒナタに向く。
リトルスノーも、同時に。
「……」
ヒナタは、そのまま。
「いいじゃん」
軽く言う。
それだけ。
でも。
その一言で。
空気が、また変わる。
違う方向に。
「……」
三人の距離が。
もう、元には戻らない。
****
静かだった。
風の音だけが残る。
三人の距離は近い。
だが、均等ではない。
わずかに歪んでいる。
リトルスノーは動けないまま立っている。
正面にハヤテ。
さっきより、確かに近い。
横にヒナタ。
何も変わらない顔で、ただそこにいる。
息を吸う。
浅い。
視線が揺れる。
ハヤテを見る。
正しい。そう思う。
このまま進めば、崩れない。
足が動く。
わずかに、ハヤテの方へ。
――正しい方へ。
だが、止まる。
視線が逸れる。
無意識に、ヒナタへ。
何もしていない。
ただ、見ているだけ。
それでも、引かれる。
言葉が残る。
――触れてる方がいい
声が重なる。
――近づけます
どちらも間違っていない。
息を吐く。
長く。
「……わからない」
こぼれる。
もう一度、足を動かす。
今度は慎重に、ハヤテの方へ。
距離が縮まる。
これが正しい。
そう思う。
だが。
胸の奥が軋む。
違う、と。
足が止まる。
正しい方へ進もうとすると、
胸の奥だけが冷えていく。
それ以上、進めない。
息が乱れる。
視線が戻る。
ヒナタへ。
迷いはない。
深く息を吸う。
足が動く。
今度は止まらない。
まっすぐ、ヒナタの方へ。
距離が詰まる。
近い。
手を伸ばす。
ヒナタの手を取る。
触れる。
距離が消える。
呼吸が重なる。
「……それでも」
一度だけ止まり、
「……こっちがいい」
選ぶ。
自分で。
はっきりと。
空気が止まる。
ハヤテの表情が、わずかに揺れる。
ヒナタは数秒黙り、
「……うん」
それだけ言う。
リトルスノーの手が、わずかに強くなる。
ハヤテが息を吐く。
静かに。
それから、わずかに笑う。
「……それも、悪くない」
ヒナタは首を傾ける。
遠くで、コウタが小さく笑う。
予想通り、というように。
****
「……終わったな」
コウタが、窓の外を見たまま言う。
誰にでもなく。
でも。
全部見ていた声で。
「……なにが」
ヒナタが、隣で言う。
いつも通り。
何も分かっていない顔で。
コウタは、少しだけ視線を動かす。
ヒナタを見る。
それから。
小さく息を吐く。
「いろいろ」
雑にまとめる。
ヒナタは、少しだけ眉を寄せる。
「……なんかさ」
コウタが、待つ。
「あいつ……ちゃんとしてるよね」
またそれ。
コウタが、わずかに笑う。
否定しない。
「……でも」
ヒナタが続ける。
少しだけ考えてから。
「……やっぱ遠い」
結局そこ。
コウタは、今度ははっきり笑う。
ヒナタは、少しだけ不満そうに見る。
「なに」
コウタは、軽く肩をすくめる。
それから。
少しだけ真面目に。
「お前は、近すぎる」
ヒナタが、止まる。
「……なにが」
コウタは、さらっと言う。
「全部」
ヒナタは、数秒黙る。
それから。
「……めんどいな」
いつものやつ。
コウタは、頷く。
「ええ」
即答。
「かなり」
ヒナタは、ため息をつく。
長く。
それから。
投げる。
考えるのを。
いつも通り。
「……」
少しだけ、間。
それから。
ヒナタが、ぽつりと。
「……また行く」
コウタが、止まる。
ほんの一瞬。
それから。
ゆっくりと頷く。
「ええ」
止めない。
もう。
「……」
ヒナタは、立ち上がる。
そのまま。
何も考えずに。
歩き出す。
「……」
扉の前で、止まる。
少しだけ振り返る。
「……コウタ」
呼ぶ。
珍しく。
コウタが、視線を上げる。
ヒナタは、少しだけ考える。
それから。
「……なんか、ありがとう」
雑。
でも。
ちゃんとした言葉。
コウタが、わずかに目を細める。
それから。
小さく笑う。
「どういたしまして」
ヒナタは、頷く。
それだけで十分。
そのまま、出ていく。
足音が、遠ざかる。
「……」
静かになる。
さっきまでとは、違う静けさ。
コウタは、窓の外を見る。
庭。
もう誰もいない。
でも。
確実に、何かが変わっている。
「……」
小さく、呟く。
「……どちらも悪くない」
それから。
ほんの少しだけ、笑う。
「だから面白い」
誰にも聞こえない声で。
静かに。
****
扉が閉まる。
ヒナタの足音が、遠ざかる。
「……」
静けさが戻る。
完全に。
「……」
数秒後。
――ガチャ。
扉が、もう一度開く。
コウタが、視線だけ向ける。
「……」
ヒナタが、戻ってくる。
さっきと同じ顔で。
「……どうした」
コウタが聞く。
ヒナタは、少しだけ考えてから言う。
「……あいつ、どこ行った?」
コウタが、一瞬止まる。
「……あいつ?」
ヒナタは、頷く。
「金髪のやつ……気になる」
それだけ。
また出ていく。
扉が閉まる。
「……」
今度こそ、静かになる。
コウタは、少しだけ天井を見上げる。
それから。
「……これは長いな」
小さく呟く。
諦め半分。
楽しみ半分。
「……まあ」
口元が、少しだけ緩む。
「それも、悪くない」
****
低い音が、鳴っている。
アンプの唸り。
ドラムの軽いチェック音。
乾いたスティックの跳ね返り。
「……」
ヒナタは、ゆっくり目を開けた。
見慣れた天井。
スタジオの、少しだけ汚れた白。
「……」
ギターケースが、足元にそのまま転がっている。
思い出す。
今日のスケジュールは、終わらせたはずだ。
ソファーに身体が、沈んでいる。
その上に、重い布。
いつの間にか、毛布がかかっている。
「お、起きた」
コウタの声。
ベースを肩にかけたまま、こちらを見る。
「ぐっすり寝てたな」
ヒナタは、数秒、何も言わない。
ただ、天井を見たまま。
「……」
それから、ゆっくりと視線を動かす。
ドラムの方。
ハヤテがいる。
軽く叩きながら、様子を見ている。
「……」
ヒナタは、そのまま見続ける。
じっと。
無言で。
「……?」
ハヤテが、気づく。
スティックを止める。
「ん? どした?」
立ち上がって、近づいてくる。
自然に。
そのまま、顔を覗き込む。
距離が、近い。
「……いた」
ヒナタの目が、少しだけ細くなる。
ぼんやりしたまま。
でも。
どこか納得したように。
「……リトルスノー」
ぽつりと、言う。
「は?」
ハヤテが、眉を寄せる。
次の瞬間。
ヒナタが、手を伸ばす。
ハヤテの手を取る。
迷いなく。
そのまま。
軽く、キスを落とす。
「……」
時間が止まる。
完全に。
「……はあ?」
ハヤテが、固まったまま言う。
「寝ぼけてんのか?」
ヒナタは、少しだけ首を傾ける。
「……んー」
曖昧に返す。
そのまま、手を離す。
何事もなかったように。
「……」
コウタが、後ろで吹き出す。
完全に見ていた顔で。
「お前な」
笑いを堪えながら。
「夢の続き、持ち込むなよ」
ヒナタは、少しだけ考える。
「……夢か」
それだけ言って。
背もたれに、また沈む。
「……」
ハヤテは、まだ固まっている。
手を見たまま。
「……意味わかんねえ」
小さく呟く。
コウタが、肩をすくめる。
「だろうな」
ヒナタは、目を閉じる。
ほんの少しだけ。
笑っている。
(了)
Snow flakes ‐ AnotherPeace
エイプリルフールなので、
少しだけ違う世界の話を書いてみました。
気づけば、いつもと同じ温度に戻っていましたが、
それも含めて楽しんでいただけたら嬉しいです。
ヒナタの皇帝ビジュアルはInstagramにてご覧いただけます。
本編は、21時更新です。
(ことり)




