scene34 夫々のつらい過去
【園長 橋田弘子】
「私はね、弁当屋を始める前は、保育士だったのさ」
予想打にしない話に……
「? どらさんが……保育士?」
「そう、もっとも昔はそんなかっこいい名前じゃなくて『保母』って呼ばれていたけどね。私が働いてた当時は、子どもが今と違って沢山いてねぇ……今は、少子化で子どもが少ないって言われてるでしょ。保育士も成り手が少なくてどの園でも全然足りないって言われているけど、私達の頃はねぇ今とは全く逆、子どもも
沢山いてねぇ……卒業しても保育園に就職できないぐらい保母になりたがる子が沢山いてね……そんな時代だったんだよ。
当時私は、結構大きな保育園の園長を任されていたんだ。私が保育士になりたての頃はさ、先輩保育士は皆厳しくて、分からない事を聞いても『教わるんじゃない見て覚えるんだ』みたいな感じで……とても厳しかったし怖かった。でも不思議と『辞めたい』とは思わなかった。そんな先輩達を見て育った私も、この悪しき指導法……と言ったら先輩達から怒られるけど、私もしっかりそれを受け継いで育ってしまったのさ。
だから若い先生達からすれば、私は厳しくて怖い存在だったと思う。でも自分のこの厳しさは、子ども達の為、園の為、しいては先生たちの為……そう思っていた。だから『園長厳しすぎるのでは?』と言う主任の助言にも耳を貸さず、逆に怒鳴り散らして主任を泣かせたりしてさ……私の厳しさに耐えられず一年で辞めていく子も多かったけど、そう思う事で自分を正当化していたのよ。
でもね……ある年の事、1年目の先生が辞めたいと辞表を持ってきたんだ。私は、辞めたいっていう子を引き留める事はしなかった。でも一応辞める理由は、聞くようにしていたんだ。大抵の子は『結婚します』か『他にやりたい事があります』だった。私は『この子もどうせ同じ理由だろう』って軽く聞いたのさ。でも理由を聞くと首を横に振り『理由はありません』と言った……。その後、ゆっくりと辞表を机の上に置いて私の目を見て突然、大粒の涙を流しながら言ったのさ……
『私は、子どもの頃、担任だった大好きな先生に憧れて……先生みたいになりたくて保母になりました。でも園長先生のせいで保母と言う仕事と子どもが大嫌いになりました』って。
その時……気付いたよ。子どもが大好きで一生懸命勉強して、やっと夢が叶った……若い子の……そんな大切な夢、想いを、私は……私は、自分の独りよがりな考えの為に、粉々に砕いて壊してしまっていたんだって……1年……たった1年……。本当はね、自分でも分かっていたんだよ。でも何か都合のいい言い訳をして、現実から逃げてたんだねきっと……」
「どらさん……」
私は、項垂れながら話すどらさんを見つめ呟いた。
「はぁ……そんな事があってからの私は、もうめちゃくちゃ。自分の……今までの考えを改めてやりなおそうと思っても、全く上手くいかない。施設の運営は、がたがた、先生達をまとめる事も出来なくなってね。皆きっと『何を今更』って思っていたと思う。
その翌年私は、園を去った……逃げたんだよ……。園から……辞めていった先生達、そして保母と言う仕事からね。
でも、保育から離れて分かったんだ。この仕事って本当に報われないって。子どもが好きだからって一生懸命勉強して、大学入ってやっと手にした保母資格……『さぁやるぞ』って現場に入ると現実は……行事と書類に追われ、毎日の残業、そして親からの苦情の嵐、そして……私みたいな意地悪な上司からのきつい指導、子どもと関わる前に……もうヘトヘトさ。この間まで学生だった若い子が初めて味わう辛い日々の連続……耐え切れず逃げだしたくもなる。
でも……でもそこで私達が、いや私がもっと! もっともっともっと、先生達に声を掛けてあげればよかった! もっともっと話を聞いてあげればよかった!
『保母って大変だけど素晴らしい仕事でしょ!』『子どもって可愛いよね!』『何か困った事ない?何でも相談してね』『明日も一緒に頑張ろうね!』って……そんな言葉をかけてあげれば……そう言ってあげていれば、辞めていったあの子も保母と言う仕事が……子どもが嫌いになった……なんて、そんな悲しい事……言わなかったのかもしれない。もう遅かったけどすごく後悔したよ。だから面接の時にきみちゃんの話を聞いて、胸が張り裂けそうだった」
(面接の時に、どらさんが言った言葉……『あんたも』ってこういう事があったからなんだ……)
「その時考えたよ。今、弁当屋の私がこの子に何をしてあげられるのかなって……」
そして俯いていたどらさんが顔を上げ、私の目を見て言ってくれた。
「こんな事、私なんかが言える立場じゃないのは分かっている、でも言わせてきみちゃん。私はね、きみちゃんに絶対、保育士に戻ってもらいたいと思っている。辛い思いをしたのは分かる、思い出したくないのも分かる、だけどそれはもう過去の事……きみちゃんの夢をここで諦めてほしくないの。大切な自分の人生、私のように後悔しないでほしい! 保育士の事、そして……彼……加藤千隼の事も……」
どらさんのこの言葉を聞いて、有る事を思い出した。それは、東京での出来事……真咲さんが私の前で『もう過去の事』と歌いながら踊った時の事を。
(私も強くなりたい、真咲さんみたいに、どらさんみたいに……強くなりたい。彼の事……諦めないでって、もうどうにもならないんだよ、どらさん。千隼……会いたいのに……すごく会いたいのに。もう……もう、どうにもできない)
意識が遠くなっていく。どらさんの話を聞いてちょっと胸の奥が軽くなって安心したのかな。どらさんが頭を撫でてくれている、暖かい大きな手。
(どらさん、少しだけ……目を閉じてもいいですか? ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ……)
私は、とっくに閉店時間を過ぎているのにそのまま寝入ってしまった。
scene34へ……どらさん……優しい……本当に優しいどらさん……保育士の大先輩




