scene32 唯、それだけの事
空港へ向かう車中、彼が満面の笑みを浮かべて話しかけてくる。
「ごめんきみちゃん、騒がしい家で。ゆっくりできなかったね、妹達が燥いじゃってさ! ピアノが上手だったって感動してたよ、また絶対、絶対連れて来てって!」
「みんな優しくて、いいご家族だね。つばきちゃん、さくらちゃんも可愛くて私もすごく楽しかった」
私は、この会話の時……上手く笑顔が出来てるかな……と、ちょっと心配した。
車は、来た時と同じようにビルの間を走り抜けていく。行き交う沢山の人と車、空は青く雲一つない青空。お互い無言のまま……暫く時が過ぎる。でも私にとっては長く、辛く感じる時間だった。彼は、いつものように鼻歌を歌いながら外の景色を眺めている。
そしてビルの群れを抜け、遠くに海が見え始めた時……私は、意を決して顔を上げ、目線を真っすぐ正面に見据えたまま口を開いた。
「あのね……千隼さん……聞いて欲しいの。この前の……話の答え………………私、やっぱり貴方とは、付き合えない。それとね、もう、ここで……ここで終わりにして……欲しいの……」
私は、この言葉を言い終わった後、彼の方へゆっくり目線を移した。彼は、頭を抱え項垂れていた。そして暫くの沈黙の後、顔を上げゆっくりとした口調で静かに話し始めた。
「なんで……どうしてだよ? 急に何言ってるの? 僕が、僕が家に無理やり連れて行ったから? だったら……だったら謝るよ……」
「違う、違う! それは、絶対違うっ!」
そこは、強く否定した。私が返した言葉に納得できない彼は、大きな声になり捲し立てる様に聞いてきた。
「じゃぁどうして、何故だよ! 嫌なら付き合うって話は、無かった事にしていいんだ! だけど、ここで終わりって、それなんだよ?! それって、もう僕とは、会わないって事?! もう僕は、きみちゃんとは、会えないって事?!」
その問いに私は、小さく頷き、そして大きく息を吸うふりをしながらその理由を考える時間稼ぎをした。
「やっぱり、私と貴方では……違うの。私は、熊本のお弁当屋さんで働く普通の女の子、家と職場を往復するだけの平凡な普通の女の子。あなたがいる煌びやかな世界とは、かけ離れている。そんな2人が付き合ったとしても上手くいかない、いくはずがない……それどころか私は……私は、絶対に貴方の足手まといになってしまう。そんなの……私……耐えられない」
私は、胸の内にある思いを打ち明けた。でも彼は、私の目を真っすぐ見据え声を荒げ言い返してきた。
「関係ない! きみちゃんを好きになった僕にそんなの関係ない! 人を好きになるのは、そんなに難しい事なの? 一緒にいたいって思う事がそんなに難しい事なの? 僕は、きみちゃんが好きなんだ! それだけの事なんだ! 僕がいる所とか、足を引っ張るとかそんなのどうでもいい! 周りがなんて言おうと僕には関係ない! 僕は、ずっときみちゃんといたい! これから先もずっとずっときみちゃんといたいんだ! これから先もずっと僕の傍にいて欲しいんだ! 唯、唯それだけの事なんだッ!」
彼は、強い口調で訴えた。だけど私は、その言葉を突き放すように言い放った……
「千隼さんは、優しい……優しすぎるよ。でも優しくされればされる程……怖くなるの。この優しさは、いつか嘘になるんじゃないかなって、いつかお芝居みたいに、演技みたいになってしまうんじゃないかなって。私の心は……そんなに……強くない」
(解って、千隼さん。私は今、貴方に酷い事を言ってるのよ……自分勝手な事を……。だからお願い……嫌って……私を嫌って……そしてもう、これ以上何も言わないで……)
でも、その言葉を聞いた彼は、急に真顔になって落ち着き払い、淡々とした口調で言い返してきた。
「きみちゃんが……役者としての僕を信用できないというのなら僕は、役者を辞める。今日、いや、今辞める……」
そう言いながら自分の携帯電話を取り出し、どこかに電話を掛け始める。私は、それを見て叫びながら彼に飛び掛った!
「止めてっ!」
『はい、どうした……プツッ』
彼に乗りかかり、握っていたスマホを無理やり取り上げ通話を切った。その時、電話口から微かに聞こえた声……その声は、確かに貴子社長の声だった。
私は、無謀な行動を取った彼を激しい口調で諭した。
「馬鹿な事は止めて! 貴方が辞めてどうなるって言うの!? 貴方が辞めたらどれだけの人が悲しむと思ってるの!? 貴方を……加藤千隼を応援してくれている人達、それにお父さん、お母さん、さくらちゃんとつばきちゃん、貴子社長や真咲さん、事務所の人達、沢山の人達が貴方に、加藤千隼に関わっているのよっ!…………私なんかの為に……馬鹿な事は、止めて……」
そう言いながら取り上げたスマホをゆっくりと差し出した。彼は、それを無言で受け取ると私に背を向け、そのままシートに体を落とし目元を腕で隠した。気のせいかもしれないけど肩が少し震えていた。
そして私は、空港に着くまでの間、窓の外に流れ行く景色を眺め、何も考えないようにした。考えたら決心が覆ってしまいそうだったから……。
空港に着いた。私に背を向けたままの彼に『ありがとう』とあり来たりの言葉を掛け……ようとしたけど、嫌われたのならこれでいいんだ……と、何も言わずに車を降りてドアノブを握る。
『ピィィィ……ピッピッピッ……』
自動ドアの警告音が鳴りドアが開くとそこからゆっくりと車外に出る。そして再びドアノブを触ると自動ドアが閉まり始める。私は、彼の背中を見つめていたけど……彼は、振り向かない……。静かにドアが閉まって行く。もし、ここで彼が振り向いてくれたら……
『どうして……こっちを見てくれないの?……私……もう……行っちゃうよ……お願い……振り向いて……そして『きみちゃん』って名前を呼んで……お願……い』
未練?……彼の背中を見つめながら自分に都合がいい事ばかり考えてる、本当に酷い私……
『カチャ……』
私は、完全に閉ざされた扉の前で、ゆっくりと項垂れ、そして……目を閉じた。
「君子さん……」
真咲さんが私の名を呼んだ。とても優しい声……この声に何度励まされた事か……。私は、顔を上げるとその声の方へ体を向けた。呆然とする私だったけど真咲さんの笑顔が私を正気に戻す。その笑顔に応えるように私も満面の笑みを作り真咲さんの傍に歩み寄り向かい合った。
「真咲さん……色々と、ありがとうございました……貴子社長にもよろしくお伝え……ください」
真咲さんには、私の彼に対する思いを聞いて欲しかった……沢山沢山……沢山聞いて欲しかった。でも……
「さようなら、お元気で!」
そう言いつつ深くお辞儀をした。すると……
『ポタッ……ポタッ……』
と、大粒の涙が地面に落ちた。顔を上げると、止め処無く涙が溢れ出して止まらない。真咲さんが優しく微笑みながら胸ポケットからハンカチを取り出し、涙を拭ってくれて……私の両手を取りそれを握らせ、軽く頷いた。
私は、泣きながらも必死に笑顔を作り直し再び軽くお辞儀をした後、出発ロビーへ向かって歩き出した。それから後ろを振り返る事はなかった。
機中、窓際の席でよかった。それは、熊本に着くまでずっと泣いていたから。人間関係で思い悩むのはもう沢山と思っていたけれど、それとは違った感情だった。言い方は悪いけど辛くて悲しくても少し心地のいい感覚だった。
そして熊本に到着。たった2日間だったけど、いい意味でも悪い意味でも凄く長く……長く感じた2日間。
空港には、両親が迎えに来てくれる事になっていた。私は、今までずっと泣いていた事を悟られないように、機内で少しだけお化粧を直し席を立った。
そして、到着ロビーを出て両親を見つけるとお土産の入った紙袋ごと手を掲げ、大きく手を振りながら走り寄り、精いっぱいの笑顔を浮かべながら言った。
「お父さん、お母さん……ただいまぁ!」
scene33へ……さようなら……私の恋心……




