scene31 母の想い
【私の気持ち……】
そして次の日の朝。目を開けるとまだ辺りは、まっ暗。カーテンの隙間から差し込む街灯の明かりがほんのりと畳を照らしている。少しだけ体を起こして薄っすら光る掛け時計を見ると午前5時25分。再び寝転がり天井を見つめ布団をかぶりながら『はぁぁぁぁ……』と静かに溜息らしきものを吐く。今日、熊本に帰る……だけどその前に彼にあの事の返事をしなければいけなかった、返事をしないといけない訳じゃないし約束もしていない。彼も返事がもらえるとは……思っていないと思う。
このまま、何も言わずに帰ろうか……いいや……それでは駄目。今日、返事をして私が熊本へ帰ればそれでもうお仕舞い……これで彼が熊本に来る理由もなくなるし、それが一番いい選択だ……と自分に言い聞かせた。
その事ばかり考えていたせいか、すっかり目が冴えてしまった私は、ゆっくり体を起こす。両隣でつばきちゃん、さくらちゃんが寝息を立ててぐっすり眠っている。私は、2人を起こさない様に静かに立ち上り、そっと襖を開け廊下を滑るように歩き、玄関へ向かった。そして靴を履き扉を開け外へ出てみた。この時間の東京は、熊本に比べるとやはり空気が冷たく感じる。家の前は、街灯もなく真っ暗。そのおかげで見上げると熊本と変わらない位の満天の星空が見える。
「東京の夜空もこんなに綺麗なんだぁ…………」
瞬く星々を見ながら……
「千隼……さん」
と、彼の名を呟いた。
そして出た時と同じように静かに玄関の扉を開けて家中に入る、すると、台所辺りから柔らかい灯りが廊下に漏れている。歩を進めてガラス戸越しに中を覗き込むとコンロの前に立っているお母さんの後姿が。私は、そっと戸を開けてお母さんの後姿に控えめの声で挨拶をした。
『カラ、カラカラ……』
「おはようございます」
「あら、おはよう君子さん早いわね、あら? ひょっとしたら外に出てたの?」
「はい、私星空を見るのが好きで東京の夜空は、どうかなって思って……」
「熊本と比べると全然見えないでしょ? 街の明かりが眩しいし空気も澱んでるから……」
「いいえ、とっても綺麗に見えました。熊本より沢山見えて綺麗でした」
「ふふっ、東京の夜空を褒めてくれてありがとうね。君子さん、お茶飲まない? 今入れるから」
「はい、頂きます」
私は、6脚ある椅子の内、お母さんの対面側にある椅子に座った。そしてお茶を入れながらお母さんが……
「君子さん昨日は、夜遅くまで2人の相手をしてくれてありがとう、疲れたでしょう?」
と労いの言葉をくれた。
「いいえ、私も保育園の先生に戻れたような気持になりました。さくらちゃん、つばきちゃん、2人共とっても可愛くて私もすごく楽しかったです」
その言葉を聞いたお母さんは、とても優しい声で笑みを浮かべながら……
「ありがとう……君子さん……」
と、お礼を言われた。その後、何故かお母さんは、少し俯き加減になって暫く口を閉ざした。そして言葉を選ぶように私に語り始めた。
「ねぇ……君子さん……千隼、あんな性格だから貴方に迷惑をかけているんじゃないかと思って……本当にごめんなさい」
「え? いいえ、迷惑だなんて、そんな事ありません」
私がそう言うと申し訳なさそうな口調で話を進められた。
「あの子……本当は、役者なんて全然向いていないの。ある日突然『僕スカウトされた! 俳優になる』って聞かされた時、すぐにそう思った。千隼のような優しい子には、役者なんて絶対できっこないって。主人は、あんな人だから何も言わなかったけど私は、もちろん反対した。でも貴子社長が一人で、家にまで来てくださって『私に千隼くんの面倒を見させてください』って頭を下げられて……そして千隼がどうしてもやるって、私の言う事なんか聞く耳持たずで……仕方なく了承した。でも私は……正直、今でも早く役者を辞めて欲しいと思っているの。
案の定、役者を始めたばかりの頃は、もう顔つきが別人のようになって帰ってきたり、言葉遣いが乱暴になったり……このまま、あの子は、本当の自分を見失ってしまうんじゃないかって……すごく……すごく怖かった」
(お母さんも貴子社長と同じ考え……いやお母さんの方が辛辣だ)
「でもね、君子さん……最近、あの子の様子が変わってきたの。今まで仕事の話なんて家では、した事がなかったのよ。それが近頃は、夕食は、出来るだけ家族と一緒に食べるようになったり、その日にあった事を笑って話したり嫌いな役者の悪口を面白おかしく話してくれたり。そればかりか、妹達の面倒もよく見てくれるようになって……こんな事今までなかった。私は、あの子が昔の自分を取り戻したのは、君子さんのおかげだと思っているの。君子さん、本当にありがとう」
その言葉を聞いて、私は、胸が張り裂けそうだった。私は、今の話を聞いてどんな顔をすればいいんだろう……思わずお母さんから目をそらし、こう思った……
(お母さんそんな事、言わないで……『私が千隼を変えた』なんて……そんな事……言わないで……お母さん)
私は、唇をぎゅっと噛んだ。そしてお母さんは、話を続けた……
「でもね……君子さん、貴方は、貴方よ……。悩んで辛い思いをしているかもしれないけど自分の本当の気持ちを隠さないで………はっきり……伝えてもいいのよ。その後の事は、私達があの子をしっかり支えるから……今の貴方の、本当の気持ちを……隠さずあの子に伝えてあげて……ねっ」
その言葉を聞いた私は、すっと顔を上げた。お母さんは、揺らいでいる心の内が分かっていた。私が彼の気持ちに応えてあげられないと思っている事を……分かっていた。
「はい……ありがとう……ございます、お母……さん」
そう言って涙を流す私。お母さんは、エプロンのポケットからハンカチを取り出し涙をそっと拭ってくれた。
【さようなら東京】
熊本へ帰る時間が迫ってきた。空港へは、真咲さんが送ってくれる事になっていて、9時に迎えに来てくれる。
起きて布団をたたみ、荷物をまとめ薄く化粧をし、着替えて……時計を見ると8時。
(もう少し時間あるなぁ)
そう思っていると……
「きみねぇちゃん!!」
つばきちゃんとさくらちゃんが部屋へ飛び込んできた。
「ほらっ、2人で作ったんだよ!」
それは、白い画用紙にくまモンの似顔絵と折り紙で作ったネコと犬を張り付けた物だった。そしてクレヨンで書かれたメッセージは……
『きみねえちゃんだいすき!』だった。
「あああっ! つばきぃ『え』は、ちっちゃい『え』だって言ったでしょ!」
「違うよっ、これはお姉ちゃんが書いたんでしょ!」
「あああっ、また人のせいにするっ、そんな事言ってこの前お母さんから怒られたでしょっ!」
「フンだっ!」
目の前で繰り広げられる姉妹喧嘩、本当に仲の良い2人。そして3人で他愛のない話をしていると……
「きみちゃん! 真咲さんが来たよっ!」
玄関から彼の声が。時計を見ると約束した時間の9時、熊本へ帰る時間が近づいていた。
「じゃぁつばきちゃん、さくらちゃん。これ大事に飾らせてもらうね!」
そう言いながら2人を抱きしめた。
そして玄関に行くと彼が私の荷物を受け取り、車の後部に積み込んでくれた。姉妹と一緒に玄関から出ると、お父さんとお母さんが車の横で待っていてくれた。2人にお礼の挨拶をしていると突然さくらちゃん、つばきちゃんが後ろからしがみ付いてきた。そして私の顔を見上げながら泣きそうな顔で問いかける。
「お姉ちゃんまた会えるよねっ?! また絶対来てくれるよね?! また会えるよねっねっ?!」
そう問いかける2人の顔を見て、私は、涙が零れそうになった。でもぐっとこらえて……
「うん! また絶対遊びにくるよっ!」
と、嘘を言ってしまった、いや……言うしかなかった。すると2人の表情が綻び小指を差し出して……
「絶対だよ! 絶対ね! じゃぁ指切りしよう! 指切りげんまん嘘ついたら、いいや嘘つかない! 絶対嘘つかない! その時は、家にくまモン連れてくる! 指切った! ハハハハハッ!!」
私は、必死に笑顔を作り2人と指切りをした。そして……
「きみちゃん、出発するよっ!」
車に乗る前にもう一度、深く頭を下げてから乗り込んだ。動き出した車の窓を開け手を振った。加藤家、みんなで手を振り返してくれて、車が見えなくなるまで見送ってくれた。
(お父さん、お母さん、さくらちゃん、つばきちゃん。本当に……有り難うございました……)
私は、心の中で呟いた。
scene32へ……皆さん、お元気で……さようなら




