7 早とちり
「――――シューゼ! てめえ、なにしやがんだ!」
「ごめん。――――ダントンさん」
あれから少し経ち、遊技場から離れたところ。
ダントンは鼻を抑えてシューゼを睨んだ。
ダントンは顔が高揚し、アルコール臭く、言葉が粗暴で語気が強かった。その傍で、シューゼは申し訳なさそうに身を窄めている。
「い、いや貴族騎士だと思ったんだよ……。遊技場を覗いてたから、目をつけられたのかと思って……」
「だからって頭突きはねえだろ、頭突きは……。つーかな、目をつけられたら諦めて逆らうな」
それからダントンはため息を吐くと、シューゼの肩に手を置いていった。
「いつも言ってるだろ。そうすりゃ抵抗が成功した時ほど良い思いはしねえが、抵抗が失敗した時ほど嫌な思いもしねえんだから」
ダントンが、エリオの方に目をやる。
「で、今日は帽子の坊主と一緒なのか」
すると、エリオがぼそりと言った。
「それも、炭鉱の教え?」
「……あ? なんか言ったか?」
ダントンが、エリオに詰め寄る。
「どうして、諦めることを教えるの? もし、あなたが貴族騎士だったとして、シューゼは頭突きをすれば、貴族騎士のくだらない憂さ晴らしに巻き込まれずに逃げ出せたかもしれない」
「だが追いかけられるし、もっと厄介なことになるかもしれない。いちいち目くじら立ててたら、きりがねえよ。……ま、先人の知恵ってやつだ。酷い目に遭わないよう諦めを教えるのも、大人の役目だ」
「何もかも諦めた賢い振りした大人、でしょ。そうやって、何でもかんでも押し付けるのって」
「あぁ?」
「大人なら、夢の見方を教えてよ。諦めなんか教えないで」
「大人が教えんのは生き方と現実だ。俺だって、外に出られる方法があるなら迷わず教えてやるね。だがな、おめえらみてえな歳の頃からここまで生きてきて、そんな機会は全くなかった。小指ほどの魔石を発掘したこともあったが、家は買えても“上に行く権利“も“自由“も買えなかった」
「だから、この町で賢く生きろって?」
「何もおかしなことじゃねえ」
「外に出る方法を、探しもしないくせに」
「……こいつ、分からねえか?」
その時、スッとダントンが手を振り上げた。
エリオは腕を上げて顔を守ろうとする。しかし、次の瞬間――――ダントンの平手が捉えたのは、エリオではなく間に割って入ったシューゼの顔だった。
「なっ、シューゼ……!」
倒れ込むシューゼに駆け寄る、ダントン。
「あぁ、もう! 殴りたくないもんを殴らせないでくれよ……」
すると、その手を借りて立ち上がる時、シューゼが聞いた。
「――――ねえ、ダントンさんは今でも外に出たいって思うことはある?」
「あ?」
「大人になっても、それって消えないの?」
そう問いかけるシューゼの目がやけに真っ直ぐで、
「……消えねえ」
と、ダントンは思わず素直に答えてしまった。
そして、シューゼが立ち上がると、ダントンは顔を伏せて語り出した。
「ある時、貧民街に住む悪ガキが、仲間と計画して貴族街と町の外とを出入りする商人の馬車に忍び込んで外に出ようとした。……確か、絹を運んでた馬車だった」
ダントンはタバコを手にすると、ゆっくりとマッチで火をつける。
「だが、そいつらは橋を渡る前に捕まっちまった。荷物の積み替えがあったのさ、町と橋とを区切る門の前でな」
吐き出された煙は、どこか気怠げで空気に溶けず街を漂う。
「荷台に隠れていた仲間が騎士に捕まって、地面に投げ捨てられた。すると、隠れていた他の仲間は我先に端に向かって飛び出した。仲間を囮にして、自分だけでも外に出ようとしたんだ」
「どうなったの?」
「全員死んださ。1番ビビリな悪ガキ以外な。……その悪ガキが幸運だったのは、見つかった時点で心が折れたことだ。だから、橋を渡る仲間たちが蹴落とされたり捕まったり剣で斬られたりしている内に、荷台からこっそり飛び出て町の方に走ったのさ。仲間を背に、この町の不自由に逃げ込んだ」
ダントンは振り返って、この町の真ん中に聳え立つ貴族街の塔を睨んだ。
「……最後の最後まで隠れきった仲間を。『屋根の上に隠れてるやつがいるぞ』って、売ってまでな」
そして、呟く。
「諦めたほうが、苦しくないこともたくさんある」
シューゼの目には、その時のダントンの横顔がやけに痩せこけて寂しく映った。しかし、それからダントンは、シューゼのほうに向き直り、
「殴っちまって悪かったな、シューゼ」
と、いつもの調子で頭をポンポンと叩いた。
そして、続けてエリオに目をやると、ダントンはスッと手を出した。
「……これは?」
「握手だ。不服だが、仲直りの仕方を教えるのも大人の役目だからな」
すると、ダントンは差し出していないほうの手で頭を掻く。
「ま、いろいろな考え方があると思うけどよ。気をつけておきな、坊主。人の弱さを突き放す奴は、自分の弱さを受け入れてもらえねえ。人間、時にはどうしようもなく心が落ち込む時が来る。その時、誰かに隣にいてもらえるようにな」
何か思うところがあったのか、エリオはハッとしたような顔になる。と、それから目を伏せて、
「……あぁ。受け取っておくよ、先人の知恵として」
と、ダントンの手を握り返した。
「お前、絹みてえに綺麗な腕してんな」
「どうも。だけど、僕は男だ。あんなつるつるとした綺麗なものに喩えられても、嬉しくない」
「失礼しましたよ、っと」
すると、ダントンはシューゼと同じようにエリオの頭も帽子の上からポンと叩いて、立ち去る。
「……なあ、シューゼ。チャンスを手に入れたなら、いつまでも持ったままでいるなよ。じゃないと、いつか他の誰かに取られちまうぜ。じゃあな」
そのひらひらと後ろ手を振るダントンの背中は、いつもよりも心なしか小さく映って見えた。
「……ごめん、シューゼ。揉めちゃって。だけど、諦めを教える人、あたし嫌いで」
「ううん。構わないよ。それより、ダントンさん。どうしちゃったのかな」
「きっと、思うところがあったんだよ。それは、あたしもだけど」
そう答えると、エリオは服の下に隠れた魔石のペンダントを握りしめ、
「人の弱さを受け入れる、か」
そう、ぽつりと溢した。
「でも、まあ、とりあえず今は僕がいるから」
そんなエリオにシューゼが声をかける。
「え?」
「隣にいるから。だから、今は気にしなくてもいいと思うよ」
「……問題は、弱みを見せたい時に誰かが隣にいてくれるかで。あたし、あなたに弱みなんて」
「見せてるでしょ、いっぱい」
「え、いつ?」
「え、タンスに隠れてたり、ご飯作れなかったり、朝起きれなかったり……」
シューゼが指を折って数えていく。その姿に耐えられなかったのか、エリオは、
「タンスは警戒してただけだし! 朝は君が早すぎるだけだし! ご飯は、まぁ……。作ろうと思えば、うん……」
と、顔を真っ赤にして反論した。
「本当に? じゃあ、明日の朝ごはんはエリオに作ってもらおうかな」
「もう……。見てろよ」
エリオはイタズラっぽく疑ってくるシューゼの顔をムッと睨み返す、そんな少女らしい一面を見せる。――――かと、思えば、
「行こ、シューゼ。君の友達のところへ」
そういう引っ張っていくような行動や言葉も、シューゼにくれる。そんな、清濁併せ持った不完全さが、人間らしくてシューゼは好きだった。
エリオが、路地裏の影から大通りに出る。
「……ところで、絹って何?」
と、それを追いかけて、シューゼが尋ねた。
「絹ってのは、ツルツルしてる布のこと。よくシーツとかドレスに使われてて……」
2人の後ろ姿が、光の中に消えていく。そこには、もうアルコールの匂いは残っていなかった。
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