5 エリオはエリオ
夜の町に飛び出した、シューゼとエリオ。
町の通りは、宵に備えて所々に明かりを灯しながら、その中心にあるバザーは祭りのように賑わっていた。
ソーセージを店先に吊るした肉屋。色とりどりの布を扱う布地屋。カゴいっぱいに入った野菜を並べる八百屋。どれもが客を逃すまいと目を光らせている。
その時、荷馬車がガタガタガタと音を上げながら、シューゼたちの真横を通った。
シューゼはそれを何でもないようにひょいっと躱したが、エリオは小さく悲鳴を上げると地面によろける。
「大丈夫? エリオ」
シューゼは、転んだエリオに手を差し出す。
「うん。普段はこんなことないから、ちょっと驚いて……」
「結構荒っぽいよね」
「でもその分、賑やか。それに、人々に活気があるように感じる」
エリオは楽しそうに少し口角を上げると、シューゼに対して、
「行こ」
と、声をかた。
エリオは帽子を深く被って外に出れば、自分と変わらない貧民街の少年だった。声も、ボーイッシュだ。……まあ、ところどころ姿勢が良すぎたり、所作が丁寧だったりと育ちの違いを感じるのだけれど。
まるで赤子のように好奇心で目を輝かせ、心躍らせる、エリオ。
エリオは「あれは、何?」「これ、綺麗だね」と、シューゼを全く気にすることなく様々な店の並ぶ中を嬉々として回っていく。
「ええっと、これは……?」
「それは緑ヤモリの甘タレ焼きだね。貧民街の名物」
「ヤモリ……。図鑑でしか見たことない」
「食べてみる?」
「ぜひ」
エリオはヤモリが丸々刺さった串を差し出されると、それを思い切って口に含む。そして、タレのついた口元を抑えながら、「おいしい!」と感心した。
「でも、なんか想像と違った。もっと固いかと思っていたけれど、案外、鶏肉をさらに柔らかくしたような感じで……」
「足先やしっぽの先端は固いんだよ」
「本当に?」
エリオは少しシューゼを疑いながら、今度はヤモリの前足を口の中に運ぶ。
「……! なんというか、お菓子みたい」
ポリポリ、と音をたてながら口の中で崩れていく。その感覚が、どうやらエリオは気に入ったようだった。
その後、少し歩いたところで、櫛や簪を売っている店が、リリエの目に留まる。と、その店には、装飾品の他にも加工もされていない裸の宝石や――――。
「――――ラッキー、ストーン」
なんてものも、売っていた。
「石のくじみたいなものだね。この地域で採れる石はちょっと特殊でね、石の中にさらに石が入ってることがあるんだ」
「石の中にさらに石……? でも、どうやってその石を見極めるの?」
「振ってみるとね、コロコロと音がするんだ。中身は、宝石だったりただの石ころだったり……」
「――――魔石も入ってるかもねぇ」
すると、店主がニタニタした顔で口を挟んできた。
「魔石も……!?」
その言葉にエリオは驚くが、一方で、シューゼはボロ布に包まれた石たちを指差しながら、
「出まかせ言って。……どうせ、大半が何も入ってないか石ころで。良くて、ガラスの結晶なんだから」
と、指摘した。しかし、店主も負けじと、
「こういうのは夢を買うんですよ」
と、返してくる。
「ハリボテの夢だね」
「たははっ……。手厳しい」
どうやら口論は一歩シューゼが上手のようで、店主は愛想笑いを浮かべる。と、不意にエリオが、
「この青の玉石、綺麗。こういうのも、石を割って出てきたりするの?」
と、店頭に並ぶ石を眺めながら尋ねた。
「もちろん! 手に取ってもらって、結構ですよ」
手に取ってもいい、ということはこの市場では価値を評価されていないということだ。
つまり、それはお世辞にも高価なものとは言えず、5000ラクト(円)という値札はこの宝石にとって分不相応なものだった。
そもそも、この市場に出回っている物の大半は、偽物か品質の低いものでしかなかった。
さらに言えば、この町は石炭と赤の魔石の名産地なので特に赤い魔石を模した偽物が多く、また赤以外の宝石はほぼすべてが偽物と言ってよかった。
しかし、それでもエリオはその青の石を、宝物を発見したかのような眼差しで眺めていた。
「良く似合うと思うよ、エリオに」
「本当に?」
シューぜは「うん」と答えると、それから店主に「加工もしてくれるんだろ?」と尋ねた。
「ええ、是非とも。その場合はせ1000ラクトほど追加でいただきますが」
すると、店主はエリオに顔にズイッと迫って、
「お兄さん、ずいぶん綺麗な顔立ちをしてらっしゃいますね。でしたら、指輪やブレスレットなんかはいかがでしょう」
と、提案した。
「ブレスレット……」
そう呟くと、エリオはシューぜを向き直って、
「ねえ、ダントンや炭鉱所のみんなはこういうの好きかな」
と、尋ねた。
「えー、どうだろ。ダントンやみんなは……。きっと、お酒の方が好きなんじゃないかな」
「そっか」
エリオはシューぜの言葉を聞くと、宝石を元に戻す。
「買わないの?」
「うん。ダントンたちへのお返しになるかと思ったけど、やっぱり別のものの方が良さそうだし」
「エリオ自身のは、何もいいの?」
「うん。だって大切なものが増えたら、失う時に悲しくなっちゃうからね」
その時、不意にエリオが帽子を両手で抑える。と、少しの風が吹いて、エリオの雑に切られた後ろ髪がそよそよと逆立った。
シューぜは、そんなエリオの後ろ髪を見ると、心の中に言葉にできない痛みを感じた。
「……そっか」
しかし、そのままで終わらせるシューぜではない。シューぜはその痛みから一転、明るい表情をエリオに向け、
「なら、僕が買おうかな。どれか選んでよ、エリオ」
と、ラッキストーンを指差した。
「あた……。僕が?」
「うん。せっかくだし」
すると、そんな2人の間に店主が割り込み、
「あいや。ラッキーストーンでしたら、2000ラクトでございます。ただし、買い終えるまで石に巻かれた布を剥がしてはいけませんよ。振って音を聞いたり、重さを確かめるのは構いません」
と、説明をした。
シューぜがもう一度促すと、エリオは布に包まれた石と睨めっこを始める。
「……これ。これが良いと思う、シューゼ」
そして、エリオは石をかき分け、奥まったところに置かれていたラッキーストーンを手に取った。
「はいはい、それでございますね」
店主はシューぜがエリオに「それで良いの?」と確認する前に、今度こそ売りつけてやるという手際の速さでラッキストーンの布を剥ぎ、シューゼに押し付ける。
「え、あ……」
「はい、手に持ったからもうお客さんのものね。じゃ、2000ラクト」
そう困惑するシューゼに、店主は金をせびるように両手を差し出す。と、シューゼはため息を吐いて、お金を支払った。
「大丈夫、損はさせないから」
すると、その様子を見ていたエリオが自信満々に言った。
「さ、次に行こ」
エリオが、帽子の下で静かに微笑む。
シューゼはラッキーストーンをカバンにしまうと、先を行くエリオの背中を追った。
▼ ▼ ▼ ▼
それから、しばらく経って。
2人は、市場で買ったいくつかの荷物を抱えながら貧民街の外れにある高台に続く夜道を歩いていた。
「それ、昨日行ってた魔石?」
人通りも少なくなったところで、服の隙間からちらっと見えたネックレスについてシューゼが聞いた。こうして見ると、さっきの市場で売っていたガラス玉や宝石と大した違いはない。
ただ、エリオがそれを手に取って覗き込んでみると、その中心にはいつかポッポがシューゼに見せたのと同じように、どの貴族家とも違う紋章のようなものが宝石の中に浮いていた。
「うん。魔力を込めたら、今すぐにでも使えるよ。体力を持っていかれるから、すごく大変だけれど。でも、便利でもある」
「じゃあ、今度使って見せてくれる?」
「……うーん。でも、町の中だと危険だから」
「あ、そっかあ……」
「君のそれは?」
すると、今度はエリオがシューゼのカバンに入った銀時計を見る。
「ああ。これ? 落ちてたんだ。家の近くのガラクタ置き場に」
「丁寧に磨いてある……。良いね、直して使うの?」
「……考えてないんだ。まあ、初めは売るつもりだったんだけど」
「だけど?」
「そのうち、直すことが目的になったというか意地というか。これ1つを直すことで、こんな自分でも何かできるんだって証明したくなったんだ。これを直した人間なんだって。蓋の裏に名前でも刻んでさ」
「……じゃあ、きっと売らないよ。もう、君の大切なものになっちゃってるから」
そんな調子で、シューゼとエリオは笑ったり驚いたりしながら街を歩いた。
話すことは尽きなかった。まるで、お互いの知らなかった期間を埋めていくように。そうして、2人はヘリオスの北西の地区にある高台までやって来た。
エリオはその高台に設置されているベンチを見つけると、トコトコと歩いていってそれに座る。
「――――ふう。疲れた」
それから遅れて、その横にシューゼも座ると、2人の間には静かな時間が流れた。
「いい眺め。明かりが、人の命の輝きみたい」
「なら、それを眺める僕らは神か仙人?」
「ただの空を漂う雲だよ」
エリオはそれから立ち上がって、高台の柵に近づくと、
「……こうして見れば、綺麗。この町も」
と、呟いた。
「こういうものだけ、心に抱えて生きていければいいのに」
町の喧騒が、やけに遠くに聞こえて。エリオの言葉が、やけにはっきり聞こえる。
「この高台は、町の外に広がる草原も見える。貧民街だって見渡せる。それでも、貴族街は壁に囲まれていて、その生活も汚れも覗かせはしない。街の中央に聳え立つ白い塔から時折、鐘つきが姿を見せるだけ」
エリオは、悔しそうに歯を食いしばった。
「ねえ、今日は楽しくなかった?」
そんなエリオに、シューゼは隣に歩み寄りながら優しく声をかける。
「楽しかった。……うん、楽しかった」
しかし、言葉とは裏腹にエリオは俯くと、
「だけど、職人街を回って市場を歩いて、どの光景も珍しくて知らなくて自分がこの町の人間じゃないみたいだった。ああ、自分は貴族なんだって。そして、あたしは今、その貴族ですらない」
と、心情を語った。
エリオは、遠い目で町の明かりを眺める。
「今日は、どこかでずっと貴族に対する憤りを抱えていた。でも、それは自分をまだ貴族だと思ってるからで、あなたたちの恨みとはまた違って……。どこか、罪悪感にも似ていて……」
「――――エリオはエリオだよ」
すると、エリオは不意に帽子の上から頭をポンと叩かれた。
「貧民街には、家名も家紋もない。誕生日がない人だって、名前がなかった人だっている。だから、エリオはエリオ。リリエ・エンドっていう名前も、家紋もない。ただのエリオ」
そして、それからニッと笑う。
「この町を出るんだろ? そしたら、君は正真正銘ただのエリオになる。なれる。ならなくちゃいけない」
「ただの、エリオ」
「いつまでもリリエ・エンドって名前をぶら下げてたら、追われ続けちゃうよ」
エリオは前を向くと、拳にグッと力を込め、
「……なりたい。ただのエリオに。そのためにも、この町から早く出なくちゃ」
そう言った。
「そうだね、外に」
しかし、その言葉はいつかやって来るシューゼとの別れを望んでいるということでもあった。そして、シューゼにとってそれは悲しみだけれど、一方でエリオにとってそれは希望であることが、少し寂しくもあった。
「……シューゼ?」
けれど、シューゼは少しでもその足を縛り付けるようなことはしたくなかった。そんな情けない自分でいたくなかった。
「必ず、出てね。外に」
エリオの呼びかけには応じず、シューゼはただエリオと同じように町の遠くを見つめる。
「……ねえ、今日は僕の友達に会いに行かない?」
「え? ず、ずいぶん急に」
「どう?」
「……まあ、良いけど。他に行くところもないし」
「約束」
「うん。約束」
明日か、明後日か……。いつか別れが来てしまうなら、シューゼはエリオと過ごすそれまでの時間を目一杯楽しむことにした。自分が死ぬ時、その思い出を抱いて眠れるように。
「……さあ、そろそろ帰ろうか」
夜の闇の中、シューゼの手が目の前に差し出される。エリオは、もう迷うことはなかった。その言葉に頷くことも、シューゼと同じ家に帰ることも。
しかし、次の日――――その別れは突然にやって来た。
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