12 重い雨
「――――あの新人みたいに逃すんじゃねえぞ」
「分かってる」
台所。
エリオの目の前で、ギルと寡黙な貴族騎士が言葉を交わす。エリオは椅子に縛られていた。
ギルは寡黙な騎士に別れを告げると廊下に出て、完全に扉を閉める。扉の向こうの廊下には、シューゼと初めにエリオを拘束した新人の貴族騎士が待機していた。
「どうしますか?」
新人がギルに聞く。当然、シューゼは拘束されていて、ゴミのように地面に転がっていた。
「お前に任せるよ。あっちには何をしてもダメだが、こっちには何したっていいからな。ただし、声を出させろ。あと、向こうが折れるまでは死なせるな」
そう言って、ギルは階段に座る。
「……了解」
新人はギルの言葉に従うようにして、まずはシューゼの右手の甲を踏みつけた。
「……ッ、ぁああああああッ……!!」
食いしばるように声を漏らす、シューゼ。すると、それを見ていたギルが言った。
「おい、それじゃあダメだ」
「じゃあ、どうすれば……」
ギルは立ち上がって新人に歩み寄る。そして、直後――――シューゼの指を足で折った。
「こうだ」
「――――ッ、がぁああああああああああッ!!」
シューゼの喉を焼くような痛々しい叫び声の裏で、ギルは淡々と語る。
「小さい痛みじゃなくて、一瞬でもいいから一気に強い痛みを与えろ。じゃないと、耐えられちまうんだよ」
それは、まるで主治医が研修医に手術を教えるようなものだった。
拷問。
ただし、吐かせる秘密などない、ただ痛みを享受させるためだけの。町の誰かに通報されたのか、正体も分からぬその誰かをシューゼは恨んでいた。
「じゃあ、もう1本折りますか?」
「待て。こいつは指を折られた痛みを覚えちまったから、もう意味はねえ」
「なら……」
すると、新人は入口の方へと歩いて行って、灯りに使われている壁掛けの蝋燭を手に取る。そして、その蝋燭をシューゼの左腕に押しつけた。
「……ぁッ! あぁッ、あぁあああああああッ!!」
苦しむシューゼを眺めながら、新人は語り出す。
「俺、子供の頃に住んでた村が焼かれたんです。盗賊どもに。そん時ね、村中が悲鳴だらけで……。まあ、今は貴族に拾ってもらえましたけど」
蝋燭の火が新人の瞳に乗り移って、怪しく揺れる。――――と、その手を止めたのはギルだった。
「もういい」
「何を……?」
ギルは新人の質問に答えず、小刀を手に握る。と、シューゼの髪を鷲掴みにし、顔を上げさせた。――――そして、脂汗に塗れた額を斜めに切り裂いた。
ブシャァッ――――血が一斉にギルの手や腕を赤く染め上げる。と、その手を眺めて、ギルは立ち上がり、
「よし」
と、何か納得して、それから、
「俺が2回ノックしたら、そいつにまた声を上げさせろ。それまでは待機だ」
と、台所の扉を開けた。
▼ ▼ ▼ ▼
扉一枚隔てた廊下から、こもった叫声が聞こえてくる。
椅子に縛られたエリオはその向こうを覗こうとしても、椅子がガタガタと音を立てるだけでできることは何もなかった。
ただ顔を伏せて、どうか早く終わってと願う。
永遠にも感じる時間。――――と、その時、パタンッと扉の閉まる音が耳に届いた。
「シューゼは!?」
そう言って顔を上げた時、エリオの目に1番に飛び込んできたのはギルの両手にべっとりと纏わりついた真っ赤な血だった。
「……!」
扉の向こうは、すでにギルによって閉められていて覗くことはできない。ただ、シューゼが想像よりも酷い扱いを受けていることは明らかだった。
「さて、結論は出ましたか?」
ギルが、手を見せびらかすようにひらひらと振ってみせる。しかし、エリオが一向に答えないので、ギルは見張りを任せていた寡黙な貴族騎士の方に目を向ける。が、寡黙な貴族騎士は首を横に振った。
「……どうして」
すると、窓の外の雨音にも負けそうなほどか細い声が、ぽつりと漏れ聞こえる。
「私たちはただ、自由に行きたいだけなのに」
涙を流しながら訴える、エリオ。別に泣き落としをしたいわけでもなく、それはただただ純粋な心の声だった。
しかし、側で聞いていたギルは、
「薄っぺらい言葉だ」
と、それをバッサリと切る。
「……あ、いや、“ですね“か。貴族相手には」
それからギルはそんなことをぶつぶつと呟きながらエリオの前に来ると、目線を合わせるようにしゃがんでしっかりと目を合わせた。
「あなたは、何も望むことを許されません」
「――――ッ!」
「貴族として勝手に振る舞う。――――許されません。望んだ相手と結婚。――――許されません。外に出たい。――――許されません。身勝手に死ぬ。――――許されません。汚れること。――――許されません」
そう淡々と語るたび、ギルの赤い瞳に宿る暗く澱んだ影が、エリオの美しい青の瞳を侵食していく。
「望みを叶えるには、“対価“か“力“が必要です。ですが、あなたはそんなもの持っていない」
「……なら、この不自由には何があるの?」
「さあ? 浅学なもので、存じ上げません。……が、貴族風に言えば、『一族の繁栄と栄光』じゃないでしょうか」
そんなものに興味はない――――そう言いたげにギルは首を傾げると、立ち上がって再び廊下と台所を区切る扉の前に向かって歩き出す。
「先ほど、あなたは“対価“も“力“も持っていないと言いました。――――が、選べることもあります」
そして、扉の前に立つと、ギルは血のついた赤い手で扉を2回、ノックした。
「――――ぅっ、ぁああああああああああ……!!」
地を這いずるような叫び声が、扉の向こうから響いてくる。
エリオは、思わず目を伏せた。すると、そんなエリオにギルは言う。
「それは、いま帰るか。あの少年を殺してから帰るかです」
何をしたかは見当もつかないが、何をされたかは見当がつく。拷問だ。シューゼは今、壁の向こうで痛めつけられている。それも――――エリオのせいで。
「やめて……!!」
「致しません。同情は、旦那様に禁止されておりますので」
そう言って、ギルはまた扉をノックする。エリオの耳にはシューゼの悲鳴が届くが、腕を縛られて耳を塞ぐことすらままならない。
――――望みを叶えるには、“対価“か“力”が必要です。
目を瞑っても、その言葉と共にギルの手についた血の光景が頭に浮かんでくる。エリオには、分かっていた。それを止めたいのなら、どうするべきか。
「……った。分かった、から」
3度目のノックの前――――エリオが根を上げた。
「分かったとは?」
「……帰ります。お父様の元へ。だから、それ以上、シューゼを痛めるのはやめてください」
「ふむ……」
その答えを聞くと、ギルはにっこりと笑い、
「聡明な決断、感謝いたします」
と、頭を上げた。
それから、ギルは寡黙な騎士に「連れて行け」と顎を動かして指示すると、先に扉を開けてエリオが外に出るのを扉番のように待つ。
「この3日間、あなたは町を視察中に貧民に攫われ、身代金を要求されていたということになります」
「……違う。あたしは、自分の意思で抜け出して」
「決めたのは、あなたのお父様です」
寡黙な騎士が、エリオの拘束を解く。そして、すっかり元気のなくなったエリオを、寡黙な騎士が連行しようとすると、エリオは、
「自分で立てます」
と、断り、トボトボと力なく歩き出した。
玄関が開き、雨音がオンボロの家に傾れ込む。エリオは空を見上げ、敷居を跨ごうとした。
「大丈夫だよ、エリオ……。絶対、迎えに行くから……」
その去り際、廊下の暗がりからシューゼの声が聞こえてくる。すると、口を閉じさせようとしたギルを手で静止して、エリオは、
「私は、リリエ・エンド。エンド家の次女であり、貧民のあなたたちとは違う貴族街の人間です。口を慎みなさい」
と、机上に振る舞ってみせた。
しかし、シューゼは首振る。
「エリオはエリオだよ」
そして、それから今できる精一杯の微笑みで、
「君が、教えてくれたんだ。強さを……」
と、言った。
次の瞬間――――新人の貴族騎士に蹴り上げられ、シューゼの視界が横転する。
エリオは、その光景を見ないよう目を伏せて街道に出る。
シューゼは、まともに上がらない手でエリオを指差して、
「エリ、オ……!! 必ず、迎えにいくから……!!」
と、約束してみせる。
しかし、その直後。
呟きが、雨音にかき消されたのか、それともエリオの耳に届いたのか。知ることもなく、シューゼの視界はブラックアウトした。
▼ ▼ ▼ ▼
「――――ごめんなぁ、シューゼ」
ガラクタ置き場の前、男はくたびれた犬のように背を曲げ、雨の中を立ち尽くしていた。
目の前のガラクタ置き場には、シューゼが倒れている。
シューゼは男の顔を見ると、納得しながらも残念そうにため息を吐いた。
「……そうか、告発したのは」
その謝罪には心当たりがあった。――――と、同時に分からないことがあった。だから、シューゼは続けて聞いた。
「その謝罪に、何に意味があるの? エリオはもう、いないのに。あなたの告発のせいで。――――ねえ、ダントンさん」
腫れた顔と、力が入らなくなり呼吸をするたびに痛む満身創痍の体。もはや、自分に降る雨が冷たいのかも分からないシューゼは、自分の血の味でいっぱいの口でさらに男を――――ダントンを糾弾する。
「……意味なんて。俺はただ、謝りたかっただけで」
「それって結局、自分が許されたいだけじゃない。最後まで、自分の為で……」
「何だよ、シューゼ! お前、もっといつもは優しくって……」
ダントンは、元気のない薄ら笑いでそう語る。先ほどシューゼに向かって謝ったように、ダントンも自分がシューゼに対して酷いことをしたとは分かっていた。
けれど、シューゼの耳には雨音に遮られてダントンの長々とした謝罪は届いていなかった。代わりに、降りかかる雨が自分とダントンとの間にあった思い出を汚していく様を、ただただ心の中で睨んでいた。
「……どうして、分かったの?」
「え?」
「彼女が――――エリオが、リリエ・エンドだって」
「……別に確信を持った通報じゃなくたっていいんだ、目撃情報ってのは。ただ、まあ、通報しようって思ったのは、今日の昼。お前と会った時だった。言い合いになった時、あの青い瞳と目が合って、俺、もしかしたらなんて思って」
ダントンは語っていくうちに帽子の鍔をキュッと握って、さらに身を窄めていく。
「だけど、帽子被ってたし髪も短かったし。だから、試したんだよ。握手する時に『“絹”みたいに綺麗だ』って、手を褒めてさ」
「……絹」
「絹って、貧民なら何のことだって聞くはずなんだよ。見たことないはずだし。俺が見たことあるのは、貴族街を出入りする商人の荷台に忍び込んだことがあるからだし。だけど――――あいつは『僕は男だ。あんなつるつるとした綺麗なものに喩えられても、嬉しくない』って答えたんだよ。だから俺、『ああ、こいつって絹って存在を知ってるんだって』思って――――」
そして、そうダントンが言いかけた時、
「――――ッ、ぅうううううううぁッ、あぁああああああああッ!!」
と、泣き声のような獣の雄叫びのような唸り声を上げて、シューゼがダントンに向かって襲い掛かった。
胸ぐらを掴むと、涙を流しながら何度もダントンを揺するシューゼ。
「それで通報したのかッ! そんなことで……!!」
一見、怒りをぶつけているように見えるシューゼの態度。
しかし、その矛先は半分がダントンで、もう半分は自分に向けられていた。
エリオとの日々に浮かれていた自分に、それに慣れてきて油断してしまった自分に。
「し、仕方ねえだろ! 俺だって! 外に出たかったんだ!! もっと楽な暮らしがしたかったんだ!! あいつを捕まえれば、何だって叶えてくれるって! そう、新聞に書いてあったんだよ!!」
ダントンは、罪悪感と一緒にシューゼをガラクタ山に投げ捨てる。と、開き直って、
「ど、どうせ、良くすることでもっと金がもらえるとか、そんなのが目的だったんだろ!? だが、炭鉱でも世間でもルールは見つけたもん勝ちだ! そんなに自分の手柄にしたかったら、とっとと自分で通報しとくんだったな!!」
と、そのままどこかへ逃げるように立ち去ってしまった。
一方で、情けない声を上げ、ガラクタに打ちつけられたシューゼは1人、滴る雨もそのままに立ち上がれずにいた。
「ほら、やっぱり自分が謝って許されたいだけじゃないか……」
そして、力のない手をぎゅうと握るとおでこに当て、うわ言のように、
「どうして……。どうしてだよ……」
と、繰り返し、それから、
「……どうして、僕はこんなにも情けないんだ」
という言葉を最後に、再び意識を失った。




