10 わがまま
「――――エリオも外に出せる!」
「――――お前と一緒にこの街を出られる!」
直後――――2人の顔は希望と絶望に分かれた。
「……はっ、ははははっ」
ポッポが歪んだ声で笑う。そして、シューゼが「ポッポ?」と声をかけた次の瞬間、ポッポは、
「またそれかよッ! いい加減にしろよッ!!」
と、声を張り上げた。
ポッポは顔を伏せると、歯痒さでギュッと拳を握る。そんな言葉は聞きたくなかった。
――――いつか迎えに来てよ。通行手形を持って、ここから連れ出してよ。
ポッポの頭には、いつかの炭鉱の壁の上で、そう寂しそうに笑うシューゼの顔が浮かんでくる。
「……なあ、覚えてるか。俺とお前が出会った時のこと」
▼ ▼ ▼ ▼
あれはまだ、俺が兜を被っていなかった頃。
孤児院の1階。石造りの廊下。
床の冷たさと雑巾に染み込んだ水が混ざって、指先の感覚が消えていく。それでも、当時8歳のポッポには、それをするしかなかった。
「――――おい、アザ持ち! 今から、孤児院のみんなで飯食うから食堂に入ってくんじゃねーぞ!」
2階の窓から、子供にしては大柄な男の子が揶揄うようにポッポに言った。その向こうからは、他の子供の笑い声も聞こえてくる。
ポッポを除いて、楽しそうな雰囲気の子供たち。――――しかし、次の瞬間、ポッポが2階の窓に顔を向けると、ポッポに声をかけた子供はゾッとしたような顔になって、
「気持ち悪りぃ~」
と、窓の向こうに逃げ帰ってしまった。
ポッポはその子供の態度を見ると、バケツに溜まった水に自分の顔を映す。
くるくるとくねった茶色い髪の下に隠れたポッポの顔は左目が熟れ落ちて窪んでいて、さらに目の周辺は腫れ上がっていた。
これは、この孤児院に来る前にかかった“トウソ“という感染病の影響だった。
トウソとはかかれば4割から5割が死亡し、そうでなくともポッポのように痣や腫れなどが体に残ってしまう病気であり、それこそがポッポの親がポッポを捨てた理由でもあった。
だから、孤児院の人に拾われた時も「感染病の症状は治っているけど、もうすぐに死んでしまうかも」なんて言われたし、初めて他の子供達に会った時は死ぬほど気味悪がられた。正直、こうして話しかけられているのすら奇跡に近かった。
そんなことを思い出しながら、ポッポは独り。
部屋の中で、町の向こうに消えていく夕陽を見つめていた。
コトッ――――すると、扉の外で何かが置かれたような音がする。
ポッポは布団から降りると、扉に近づいて開けようとした。――――が、その時だった。
「――――ねえ、気味が悪くない? あのアザ持ちの子供。どうして、この孤児院にいるのかしら」
という若い女の声が扉の向こうから聞こえてきて、ポッポは思わず扉を開ける手を止めた。
「なんでも、14になったら感染患者の隔離施設に売り払う予定らしいわよ。1度感染したなら免疫があって再発にくいだろうから看護師にって。人手も足りないから高く買ってくれるって言ってたわ」
「なーんだ、いつ捨てるのかと思ってたけど。結局、売られるって他の子供と変わらないのね。孤児院で育てば、売られるまでここから出られない」
「それに、あの子だけの大切な役目もあるわよ」
「何それ?」
「他の子供たちの息抜き。明確にいじめる対象がいた方が、子供たちって仲良くできるのよねぇ……」
「ああ、確かに」
そんなことをぶつくさ話しながら、廊下の奥に消えていく女たちの声。
ドアに耳を当てて完全にそれが聞こえなくなったのを確認すると、ポッポは扉を開け、扉の前に置かれた質素な食事の載せられた盆を手に取って部屋の中に戻った。
窓際。ベッドに腰掛け、そばに置かれた棚の上に盆を置く。
と、ポッポは窓の外を眺めながら、それを食べた。トウソにかかった影響からか、パンもスープもあまり味を感じることはなかった。
窓の外の町は、宵を歓迎するように光を灯していく。すると、孤児院の前の街道を大人たちと楽しそうに歩く男の子が目に映った。その男の子は、大人たちから“シューゼ“と呼ばれていた。
ポッポには、その光景が不思議だった。ポッポにとって、大人とは対等な存在でも仲良くする対象でもなく、従うべき相手だったからだ。
その日から、ポッポはシューゼという少年を目で追うようになった。
そうして気づいたのだが、シューゼは自分が掃除に行く朝の時間に炭鉱に向かい、自分が部屋で食事を摂る夜の時間に炭鉱から帰ってきているようだった。そして、そのどれもが楽しそうな表情をしていた。
「……いいなぁ」
窓の外を見て呟く。
そのうち、ポッポは自分もそこに加わりたいと思うようになっていた。
だからある日、フード付きのマントで身を隠し、夜にこっそり窓から孤児院を抜け出してシューゼたちの後を追ってみることにした。
行き着いた先は――――酒場だった。
人々の罵声や歓声や笑い声が、好き勝手に行き交う中でポッポは面を食らっていた。こんな大きく、それに大量の声は聞いたことがなかった。
ポッポはその圧力に怖気付いて、すぐに踵を返して店の外に出る。と、入り口から少しズレたところでしゃがんだ。
「……やっぱり、場違いかな」
頭の中には、孤児院の子供たちや大人たちから言われた「アザ持ち」という言葉や、それを気味悪がる顔が次々に浮かび上がってくる。
そして――――もしここでもそれがバレてしまったら。酒場にいる全員から、自分に向けられる不快な視線を、あるいh嫌悪感たっぷりの表情で見られることを想像してしまうと、ポッポはキューっと心が痛くなった。
「帰ろ……」
ポッポはフードの両端を掴んで、いっそう深く顔を隠す。そして、歩き出そうとした。――――その時だった。
「あれ、帰っちゃうの?」
目の前に、1人の男の子が立ち塞がった。
「はい、オレンジジュース」
「……え?」
顔を上げる。と、男の子が――――シューゼが自分に向かって、コップを差し出していた。
「お店の前で立ち止まってたから、何か飲みたいのかと思った。良かったら、一杯ぐらい飲んできなよ。一緒にさ」
「……あ、でも、俺。その、顔が気持ち悪くて」
「顔?」
そう言って、街道の明るみに少しだけ自分の顔を照らして見せる。予想通り、シューゼはポッポの顔を見ると、目を丸くしてギョッとした。
「確かに、これはひどい……」
そして、さっきの嫌な想像がポッポの頭の中をぐるぐると回る。――――だけど、次に出てきた言葉は罵倒ではなく、
「……けど、まあ。ここじゃ、そこまでおかしくもないんじゃない?」
という、あっけらかんとしたものだった。
ポッポが驚いて何も言えないでいると、シューゼはポッポの横に顔を寄せ、酒場の中を指差した。
「あの人が見える? あの、緑のシャツの。あの人、よーく見るとコップを持つ手の小指がないでしょ? それに、その奥の人は顔にいっぱい傷があって。他にも、体が驚くほどヒョロヒョロの人もいれば、油臭かったり、耳が片方なかったり、喉が潰れてたり……。って、そんなやつばかりなんだよ。ここは」
「――――そうそう。んでもって、だーれもそんなこと気にしちゃいねえ。かけた人間同士、支え合っていくのが仲間ってもんよ」
そこへ、背の曲がった大人がやってくる。その大人を、シューゼは“ダントン“と呼んだ。
「……って、こりゃまたひでえ痣で。大人にやられたのか?」
「子供の頃、トウソで亡くした」
「げっ、感染症かよ」
ポッポの口から真実を聞き、ダントンは身構える。
しかし、後から、ポッポの周りには物珍しい動物を見るかのようにさらにぞろぞろとやってくると、そのうちの大人の1人が、
「でも、今は完治してんだろ?」
と言ったことで、それに呼応するように、
「……ってか、治ってなかったら、歩けねえもんな」
「熱とか水脹れとか症状クソやべえんだろ」
と、感心したような声が上がり始めた。そして、ダントンもその意見を聞くうちに、ポッポに対する考え方が変わっていったのか、
「確かに。それを乗り越えたって……。お前、根性あるなぁ。よし、次のジュースは俺が奢ってやる。とりあえず、こっちに座って飲め!」
と言って、店内に戻っていた。
嵐のような騒がしさが過ぎ去ってポッポがポカンとしていると、シューゼがその顔を覗き込むようにして「ほらね」と笑った。
「君、名前は?」
「……ポッポ。俺は、ポッポ!」
「僕は、シューゼ。それじゃあ行こ、ポッポ」
そう言って、シューゼがポッポの手を引く。その時、初めてちゃんと自分の名前を呼ばれた気がした。
それからシューゼは休みの日になると、ポッポの元に通った。
ポッポとシューゼが話せたのは1階の小部屋を掃除している間だけだったけど、でもポッポにとってその時間はとても大切なものだった。
そんな日々が続いた頃、いつも通りシューゼが窓をノックしてポッポが窓を開ける。と、開けるなりシューゼが言った。
「ねえ、ポッポは好きな話ってある?」
「話?」
「本とか。いや、今日ね、図書館ってところに行ってみたんだけど、すごかったんだ! いっぱい本があって……」
「……本があっても、俺、字が読めないから」
「僕も読めないよ?」
「え?」
「だから、ダントンさんに教えてもらってるんだ」
「いいなぁ……」
「あ、やっぱり読めたらいいなって思う? 思う?」
「う、うん」
「じゃあ、大きくなってここから出たら――――僕が教えてあげるよ!」
「……ここから」
「どうしたの?」
嫌味なく純粋にそう聞いてくるシューゼに、ポッポは自分が成人したら隔離施設へ売られることを話した。シューゼはそれを聞くと、少し悲しそうな顔をして、
「……そっか。僕、親方に拾われてそのまま炭鉱で働いてるから知らなかった」
と、言った。
2人の間に沈黙が流れる。ポッポの床を履く音だけが、部屋に響く。と、一段落したところでポッポが「……でも」と言って、手を止めた。
「……でも、読めなくていいなら。赤い表紙に金色の王冠が描かれたね、あの本が読みたい。孤児院の娯楽室にも本がいくつか置いてあるんだけど、俺、掃除の時以外はあまり入っちゃいけないから……」
ポッポは、シューゼとの会話が気まずいまま終わるのは嫌だった。そうしてしまえば、明日は来てくれないかもしれない。
すると、そんなポッポの不安に寄り添うように、
「……じゃあ、これからは僕が覚えて話に来てあげるよ」
と、微笑んだ。
「いいの?」
「うん。僕の字の勉強にもなるし」
「――――おい、アザ持ち! どこだ!」
そんな時、扉の向こうから孤児院の子供達の声が聞こえてくる。と、シューゼはポッポに帰って促されて孤児院を後にした。
それからは、約束通りシューゼはポッポに覚えてきた話を振るまった。1階の街道側の小部屋は4つしかなかったからそこまで時間はなかったけれど、ポッポはその時間を噛み締めていた。
『騎士王物語』は、タイトルからある程度予想できるように、奴隷から騎士に、騎士から王に成り上がるありきたりな物語だった。主人公は時に非情に、時に慈悲深く、時には勇猛果敢に問題に立ち向かう。ポッポにとっては、その主人公こそが自分の理想だった。
しかし、ある日、ポッポはシューゼと話していたところを孤児院の子供たちに見つかってしまう。
「――――おい、お前。こいつと話したらいけないんだぜ」
窓の外、子供たちがシューゼに言った。ポッポはそれを小部屋から心配そうに眺めている。
「どうして?」
「あいつはな、トウソっていう感染症にかかってばっちいんだよ! お前もばっちくなっちまうぞ!」
「そうかな。僕、トウソにかかっちゃいないけど」
「運がいいだけだろ!」
「っていうかさ、ポッポに近づいてトウソにかかっちゃうなら、君たちはどうなっちゃうわけ?」
「俺たちは、遠くからしか関わんねえもん!」
「へえ、卑怯者なんだ。ポッポが逆らわないのをいいことに、いじめて」
その時、シューゼが煽るように笑った。すると、子供たちは「こいつ」と言って一斉に襲いかかった。
「弱い奴が悪いんだ! 見てるとイライラすんだよ!!」
「君たちがそうだからか! 君たちも弱いからか!!」
「うるせえ!」
シューゼは最初こそなんとか戦えていたものの、だんだんと不利になって地面に押し込められていく。それでも、シューゼは言葉を止めなかった。
「弱い奴が悪いなら、悪いのは君たちだ! 僕の友達は弱くなんかない! ただ、優しいんだ! 何をされても手を上げず、恐怖からも逃げない! 誰もいじめない!」
すると、一方的に暴力をぶつけながら子供が言った。
「俺たちが弱いってんなら、やり返してこいよ!」
そうだそうだと声を上げ、シューゼを蹴る足を強める子供たち。だが、次の瞬間、その中の1人が「ぶへえっ」と倒れた。
倒れた子供の向こうに立っていたのは――――ホウキを持ったポッポだった。
「ど、どけ! どけどけ!!」
そう言って一心不乱にホウキを振り回し、シューゼの周りから子供達をどかしていくポッポ。ポッポは、それから庇うようにシューゼの前に立った。
「ごめん、やり返しちゃった。友達――――助けたかったから」
シューゼはそんなポッポの手を借りて立ち上がると、
「さすが僕の友達だ」
と笑って、それから、
「よし――――逃げよう!」
と、ポッポの手を引いて町の中を駆け抜けていった。
▼ ▼ ▼ ▼
「……それで逃げ回ってたら、親方たちが『うちのガキどもに何の用だって』あいつらから助けてくれて。次の日には、炭鉱中で金を出し合ってポッポのことを孤児院から買ったんだっけ」
優しくシューゼが笑う。
「……ああ。それで、初めての誕生日にお前がこれをくれたんだ」
「あの時、助けてくれたお礼にね。あれ、でも、いつから鈴つけたんだっけ」
「ああ。ほら、俺って小さいだろ? んで、素早く動くと危ないから目印つけとけって親方が」
「それでか。……それにしても、いま見ると手作りだからずいぶん不格好だね。年季も入って、さらに」
すると、ポッポは首を振って。
「あの日から、俺は生まれ変われた。お前がくれたこの騎士王の兜があったから、俺は自分を少しだけ好きになれて。お前が俺をあの孤児院から連れ出してくれたから、いつかお前ともっと外の世界を見に行きたいって……」
ポッポは兜を外して、それを眺める。と、それから飛行機のほうを見上げて、
「だから、何かをお前に返したいって。ずっと思ってた。……それでいろんなものを作っていくうちに、最後はこんな大きなものになって」
と、しみじみと語った。
「これは、もともとお前にあげるためのものだった。お前が外に出ることを教えてくれたから、今度は俺がこの町の外にって。だから、もしその女を乗せるってんなら――――」
そして、その最後に、
「――――この町を出るのは、お前たち2人だ。そうなっても、俺は恨まねえよ」
と、腹を括った真っ直ぐな目でシューゼを見つめた。
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