7 紫の蝶
目の前を一匹の蝶が飛んだ。
大きな紫色の羽根を広げて、ひらひらと空を舞っている。
「待って!」
干していた糸を手に取って念じる。
──そのきれいな色をちょうだい。
たちまち、白糸が紫に変わった。
「レースのリボンね」
鮮やかな紫色を日に透かしてつぶやいた。
レース編みをして、紫のリボンを作ろう。
私は無心になろうと、かぎ針でレースを編む。
でも……。何も考えないようにしてるのに。
頭の中では、繰り返し、リュカ様と王女様が出てくる。
それから、時々、ギルお兄様が青い瞳で微笑む。
私はすぐに、その姿を打ち消す。
お兄様は婚約した。
婚約者がいる人を想ってはいけない。
色なしの私は、結婚することなんてできないのだから。
少しずつ紫色の細いレースが出来上がっていく。
そうして、ようやくリボンが完成した時、来客があった
「いやだわ。本当に、こんなところに住んでるの?」
ベルの音に鍵を開けると、ブリーゼさんがいた。
どうして、ここに?
「汚いわね。座るところもないわ。色なしにふさわしい住居ね」
一番まともな自室に案内したけれど、どうしたらいいのか分からない。口を閉ざしている私を鼻で笑って、ブリーゼさんは部屋を物色した。
「ひどい部屋。平民でももっとましな部屋に住んでるじゃない? ああ、あなたは平民以下よね。貧乏な子爵が色なしの娘の治療に、怪しい薬を買いあさって借金だらけなんですってね。バカよね。色なしを治せるわけないのに」
お父様を悪く言わないで。
私のことを考えてくれてたんだから。
たしかに、弱くて、騙されやすい人だったけど。
「ご用はなんですか?」
さっさと帰ってほしくて、お茶も出さずに用件を聞くことにした。
お兄様の婚約者には、失礼がないようにしたかったけど、この人とは絶対に仲良くなれない。こんな人がお兄様の隣に立つなんて……。
「ほら、これ」
放り投げられたのは、小さなカードだった。
「ギルベルト様に、届けるように頼まれたの。学園祭の招待状よ」
招待状? どうしてこの人が? お兄様が、私の家に行くように頼んだの?
「でも、分かってるわよね。色なしが学園に来るなんて、ありえないわ」
カードにさっと目を通す。魔法学園の学生による学園祭。大好きなお兄様の晴れ舞台を見たい気持ちは大きいけれど……。
そうよね、私は色なし。
行ったらきっと、みんなに嫌がられる。
「絶対に来ようなんて考えないでよね。いい? ギルベルト様が招待しても、そんなことは許されないの。色なしには魔法学園に入る権利なんてないんだから。いいかげんに、従兄妹だからって理由で、ギルベルト様の寄生虫になるのはやめてちょうだい。ほんと、迷惑よ」
分かってるわよ。私が無価値な色なしってことくらい。
性格の悪いブリーゼさんでさえ、魔力があるからお兄様と婚約できたのに。私は、こんな髪色だから、お兄様の側にいられない……。
意地悪なブリーゼさん。
でも、なんでここまで言われなきゃいけないの?
私が色なしなのが、そんなにひどいことなの?
誰かに迷惑をかけた?
お兄様の寄生虫?
そうよね。お兄様は、私と同居するために、ブリーゼさんみたいに意地悪な人と結婚するのよね。
確かに、私はお兄様を犠牲にしているんだわ。
お兄様の結婚相手には、もっといい人がいるかもしれないのに。ブリーゼさんなんかと。
でも、私はお兄様との同居なんて、望んでないのよ。
それを分かってもらえたら。
お兄様が私のことを心配しなくなったら。
そうしたら、ブリーゼさんとの結婚を考え直してくれる?
こんな意地悪な人は、お兄様にはふさわしくない。
もしも、私が王女様の侍女になれたのなら。
ちゃんと一人でもやっていけるって証明で来たら。
お兄様は、ブリーゼさんとの結婚をやめるかも……。
だったら……。
「ちょっと、何よ、その目は! 私はね、親切心で言ってあげてるの。あなたは、ギルベルト様に分不相応な想いを抱いてるみたいだけど、色なしは結婚相手にはなれないのよ。私みたいに、ちゃんとした三大魔力を持ってないとね。あなたにできるのは、色なしらしく、さっさと死ぬことよ」
ブリーゼさんが帰った後、私は物置部屋の木箱から本を取り出した。
お父様とお母様が学園時代に使っていた教科書だ。
学園入学まで後半年。
魔法が使えないのは仕方ないけれど、せめて、勉強では落ちこぼれたくない。
机の上の裁縫道具を片付けて、古い本を置いた。
出来上がったばかりの紫のレース編みのリボンが、机の上から消えていることに気が付いた。
今日一日、ずっと編んでいたのに……。
でも、今はそれを探すよりも、勉強をしたかった。
日が暮れて、マーサが夕食を持ってきてくれるまで、集中して文字を目で追っていた。
「お嬢様。晩ごはんを持って来ましたよ。一緒に食べましょう」
台所に行くと、マーサがスープを温めてくれた。
「そうそう、お嬢様。さっき庭に毒紫蝶が飛んでましたよ。追い払っておきましたけど、絶対に触っちゃダメですよ」
毒紫蝶? もしかして、紫色の蝶のこと?
「綺麗な紫色の羽根をしてますけどね、鱗粉がつくとかぶれるんですよ。もうかゆくてかゆくて、血が出るまでかきむしってしまうんです。まあ、この家の中には魔物蟹がいるから入ってこないでしょうけどね。庭に出る時には、気を付けてくださいね」
あの紫色の蝶って、そんな嫌な毒を持ってたのね。
そう聞いたら、紛失したレース編みのリボンを探そうって気持ちはなくなった。もしかして、毒もうつしたりしてないよね?
レース編みは刺繍とは違うから、大丈夫よね?
だって、編んでる間は、かゆくなったりしなかったもの。
「そうそう、今朝、売りに行った魔力蟹の糸。とっても太くて品質がいいから、高値で売れましたよ。今日は奮発して肉をたくさんスープに入れときましたからね。ごちそうですよ」
にこにこして料理を盛り付けてくれるマーサを見ていると、自然に気持ちが浮かび上がる。マーサは平民だけど、もしかして、みんなを笑顔にする魔法が使えるのかもしれない。
「銀貨20枚にもなったんですよ! もっとないですか? どんどん買い取るって言ってたから、全部持っていきましょうよ。あの気持ち悪い魔物蟹も、いい働きをしましたよね。あははは」
「そうね、魔物蟹のおかげね」
マーサがテーブルに積み上げた銀貨を見ていると、だんだん気分が上がってくる。
私は色なしだけど、こうやってお金を稼ぐことができた。私は何もできない子供なんかじゃない。
だから、お兄様が、私のためにブリーゼさんと結婚するのなら、それを止めないといけない。
お兄様には、心から愛する人と幸せになってほしいから。
そのためなら、王女様の侍女になって魔法学園に通うこともがんばれる気がする。
私は、守られてばかりの、かわいそうな子供じゃないって、お兄様に分かってもらうために。
今のままじゃ、ずっと、お兄様は私を心配して、私のために自分を犠牲にしてしまうから。
私が望んでなくても、私のために自分の結婚に条件をつけたみたいに。
大好きなお兄様のためにできること。
王女様の侍女になって、学園に通おう。
それで、私は一人でも大丈夫だって、安心してもらうの。
マーサと一緒に、熱々の肉を食べながら、私はそう心に誓った。