3 金色の招待状
リュカ王子からの招待状が届いたのは、ギルお兄様の誕生会の一週間後だった。
刺繍途中のハンカチを机に置いて、メイドから受け取った封筒を開けた。
乳母が昨年亡くなってから、この家で一人で暮らしている。日中は通いのメイドが炊事や洗濯掃除などを手伝いに来るけれど、夜は一人だ。
貴族令嬢としてはありえない生活だけれど、貧しい子爵家の厄介者の私は、そんな生活にもすっかり慣れた。
手紙を読み終え、側にある箱をメイドのマーサに渡した。中からガサゴソと音がする。昨夜捕まえた魔物蟹が入っているのだ。
「まあ、大きい。これなら、良いハサミが取れますよ。糸も太いと、良い値段がつくんですよ」
マーサは、私が捕まえた魔物蟹や糸を換金して、生活費に変えてくれる。魔物蟹の糸は丈夫で切れないので、大人気なのだ。そして、その切れない糸を切ることができるのは、魔物蟹の足のハサミだけ。だから巨大化した魔力蟹は高値で売れる。
「これを売ったお金で、リボンを買ってきてほしいの。王宮に招待されたから、お母様のドレスを手直しして着て行こうと思って」
古いドレスでも、リボンを飾れば少しは見られるようになるかもしれない。裾に薔薇色の刺繍をしようかな。そうしたら、王宮に行くのに恥ずかしくないドレスになる?
「まあ、王家の方に会われるのですね。なんて名誉なことでしょう」
マーサはふくよかな体をゆすって、大げさに喜んでくれた。
平民の彼女は茶色の髪をしている。生え際には白い髪が混ざっている。
生涯髪色の変わらない貴族と違って、平民の茶色の髪は年を取ると白髪になるそうだ。それでも、魔力なしの色なしだなんて蔑まれたりなんかしない。平民は、わずかな魔力しか持たず、魔法を使えないのが当たり前だから。
もしも私が、平民として生まれていたら、誰にも後ろ指さされることなく、幸せに生きられたのかな?
平民……。
それもいいかもしれない。もしも、自分で生計を立てられるなら。
「ねえ、マーサ。私の刺繍って売れると思う?」
「え? お嬢様の刺繍ですか? ちょっと見せてくださいね」
作りかけのハンカチを渡すと、マーサはじっくり見てうなずいた。
「はいはい。とてもお上手ですね。ですが、売れるかどうかは……」
そうだよね。お兄様は褒めてくれるけど、素人の子供の作品だものね。でもね、私の刺繍には、他にはない特徴があるのよ。
「あら、これ、いい匂いがしますね」
それに気が付いたマーサが、くんくんと匂いを嗅ぐ。
「薔薇の香りがするでしょう?」
薔薇の色に染めた糸で刺繍したのだ。
糸自体は何の匂いもしなかったけれど、刺繍をしたら、ほんのり薔薇の香りがするようになった。
これなら商品になるんじゃないかな?
「本当にいい匂いですね。香水をつけたんですか?」
! 香水!? ……ああ、そうか。香水ね……。
薔薇の香りがする刺繍なんて珍しい! って喜んでいたけれど、香水をつければ同じになるんだ。
がっかりだ。
私にしかできない特別な魔法だって思ったのに。
香水をつけるだけで、そんなこと誰でも簡単にできるんだ。
はぁ、やっぱり、私は何の価値もない。無価値の色なしね。
落ち込んだ私を見て、マーサは取って付けたように、「刺繍の腕が上達しましたね」とお世辞を言ってから、洗濯するために部屋を出て行った。
ため息をついて、王宮からの招待状をもう一度見つめる。
5日後、迎えの馬車を送る、とリュカ王子からの命令だ。
王宮に来て、妹の王女様に会ってほしいそうだ。
以前、ギルお兄様から聞いたことがある。私と同じ年齢の王女様は、変わり者で人前にはめったに表れないそうだ。城に引きこもって、王女の仕事である浄化もしたことがないなど、あまりいい噂はないみたい。
リュカ様は、私を王女様に会わせて何がしたいのかな?
気は進まないけれど、しがない子爵令嬢の私は王族の命令に従うしかない。
リュカ様は気さくな方で、私の拙いマナーを咎められることはなかったし、むしろ、畏まった話し方を嫌がった。でも、王女様はどうなんだろう?
マナーの本で、王族への礼儀作法を勉強しておこうかな。
裁縫用具を片付けようと、魔物蟹の黒いハサミを手に取った。裁縫箱の中には、薔薇色の糸に交じって、ひときわ輝く金色の糸がある。そして、その下には隠すようにしまった青い糸。そっと、その青い糸に触れる。ギルお兄様の青……。
「お嬢様! お客様ですよ!」
マーサが、突然、部屋に入ってきた。
裁縫箱に蓋をして振り向く。
マーサの後ろにいるのは、背の高い男性。青い髪が見えた。
! ギルお兄様!
「アリア?」
お兄様がこの家に来るなんて、初めてだ。
立ち上がって、お兄様に挨拶する。
いつものように麗しい顔のお兄様は、少しだけ不機嫌そうに見えた。
「ここが、アリアの部屋なのか?」
ギルお兄様は、私の部屋の中を見渡して眉をひそめた。掃除はしてあるけれど、貴族の家としてはありえないほど、物がない。はがれそうになった壁紙に、ひびの入った柱、めくれた床板の上に敷いているのは、色あせたカーペット。みすぼらしい部屋。
「ああ、アリア。お茶会を断るから、具合が悪いのかと思って来てみたら……。かわいそうに。こんな家に住んでるなんて知らなかったんだ。貴族の令嬢が住む場所じゃない……」
「お兄様……」
何も言えずにうつむいた。すごく恥ずかしかった。
お茶会を欠席した私を心配して来てくれたのに。
それを喜ぶよりも、あばら家に住んでることを知られたくなかったって気持ちの方が大きい。
「子爵家からの仕送りが足りないんだね。父に援助を頼むよ。アリアは従妹なんだから、公爵家の金を使ってもいいだろう?」
「だめよ。そんなの」
お兄様は、いつものように私を抱き寄せようと手を伸ばして近づいてきた。
一歩下がってその手を逃れる。
甘えてはだめ。お兄様は婚約したんだから。
そうよ。お兄様の婚約者は私を嫌っている。
二人の仲を邪魔しないように、お兄様とは距離を置かなきゃいけない。今までのようには、できない……。
「アリア、どうしたんだい?」
お兄様は傷ついたような顔をした。哀願するように見つめる真っ青な瞳から、そっと目をそらす。
「私のお母様は、お父様と結婚する時に、公爵家とは縁を切ったんでしょう? 公爵様に援助してもらうわけにはいかないわ」
お母様は、お父様と結婚する時に、公爵家から勘当された。公爵令嬢だったお母様は、決められた相手に嫁ぐことを嫌がり、貧乏子爵家のお父様と勝手に結婚した。
お母様が亡くなってから、私は、お兄様の従妹として公爵家のお茶会に招待されるようになった。でも、お母様への勘当はまだ解けていない。だから公爵家の援助は受けられない。
「そのことなんだけどね、アリア。この間も言おうとしたのだけど、」
お兄様は私の方へ近寄ってくる。また一歩後ろに下がると、狭い部屋の壁が背中にあたった。
「あと、少しだけ待ってほしい。学園を卒業して結婚したら、新しい館をもらえることになっている。そうしたら、一緒に住めるよ。君の部屋を用意させているんだ。こんなに寂れた家で、一人で住むのはあと少しの我慢だ」
お兄様は抵抗する私を簡単につかまえて、腕の中に抱き寄せた。そして、耳元でささやいた。
新しい館? 一緒に住む?
「お兄様は、ブリーゼさんと結婚するのでしょう?」
「そうだよ。アリアとずっと一緒にいるためにね。魔力の多い妻を迎えて子を産ませることが、父の出した条件だったから」
お兄様は、うっとりするほど綺麗な声で語った。
「契約結婚に同意してくれる婚約者を探すのは時間がかかったよ。でも、婚約したおかげで、こうしてアリアに会いに来ることが許可された。これからは、いつでも自由に会える。館が建ったら一緒に住もう」
! そんな……。
お兄様とブリーゼさんの新居に、私が同居するの?
世間知らずの私でさえ、それがひどくおかしなことは分かる。
契約結婚って何?
ブリーゼさんの緑の瞳が脳裏に浮かぶ。
私のことをにらんでいた。
あの人は、契約に納得している感じじゃなかった。
私のことを嫌っている。
「そんなこと、できないわ……」
「何を言っているの? だってアリアは他に行くところがどこにもないんだよ? 子爵からの仕送りも、アリアが成人するまでだと聞いている。アリアには、僕しかいないんだよ」
優しく私の髪をなでるお兄様。その手はとてもあたたかい。
お母様が亡くなって、初めて会った従兄。
美しい青い瞳のお兄様を一目見て、夢中になった。
誰よりも私に優しくしてくれるお兄様に、恋をするのは自然なことだった。無邪気にも、幼い時は、お兄様との将来を夢に見たりもした。
でも、色なしの私には、そんなことは許されるはずもなかった。色なしは誰とも結婚できない。だって、魔力がないのだから。
初恋は、あきらめなければいけなかった。
何度も、何度もあきらめようとした。
でも、会うたびにお兄様は私に優しくしてくれる……。
お兄様は、私のことをかわいそうな妹だとしか思っていないのに。勘違いしてはいけないとわかっているけれど。
お兄様への特別な想いは、どんなに消そうとしても、なかなか消えない。
それなのに。
お兄様とブリーゼさんが新婚生活を送る館に、私が一緒に住むの?
契約結婚っていっても、お兄様とブリーゼさんが結婚して、子供を作るようなことをして……。それを、ずっと近くで見ないといけないの?
そんなこと、絶対に、できない……。
そんなの、いや……。
「私、そんな……」
想像しただけでも悲しくなって、涙で目の前が霞んだ。
「アリア、大切なアリア。大丈夫、僕が付いているからね。僕が君を守るよ。一生、君を大切にする」
お兄様の腕の中で、優しくて甘いささやき声を聞きながら、私は黙って首を振った。
お兄様から離れるつもりで、今日のお茶会を欠席したのに……。
お願い。こんな風に優しくしないで。
お兄様に甘えてしまう。そんなのは、だめだって分かってる。私は、お兄様の邪魔をしてはいけないのに……。
でも……、
私のための契約結婚。
その言葉に、
ほんの少しだけ、なぜか喜びを感じてしまった。