表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/24

2 赤い血が落ちると

 メイドが持ってきてくれたレモンケーキは、いつもよりも酸っぱく感じた。

 お兄様と一緒に食べたら、とても甘く感じるのに。一人で飲む紅茶も、なんだか苦い……。


 薔薇の形の角砂糖をポトンポトンと紅茶に落として、スプーンでぐるぐるかき混ぜる。


「ううっ、甘すぎ……」


 無理やりのどに流し込む。その後で口に詰め込んだレモンケーキはもっと酸っぱくて、涙がにじんだ。


 ギルお兄様の婚約者。

 思ってた人と全然違った。お兄様よりも一つ年下で、私の二つ年上の伯爵令嬢。くねくねした濃い緑色の髪をしていた。きっと風の魔力が多いんだ。


 優しい人だったらいいなって思ってた。

 お兄様と結婚できる幸せな人。

 色なしの私とも仲良くしてくれたらいいなって……。


 ぜんぜん、違った。


 私のことを嫌ってる。

 もう、ここには来ない方がいいのかな。

 お兄様とも、もう会えなくなるの?


 一人ぼっちのティータイムを素早く終わらせて、糸を手に立ち上がる。早く全部染めてしまおう。


 小道を歩いて、目についた薔薇に近寄って染め上げる。

 ポシェットの中に、染まった糸を放り込む。

 選びきれないほど美しい薔薇がたくさん咲いていて、思ったよりも時間がかかった。


 あと残る白糸は二つだけ。


 何色にしよう? まだまだ欲しい色はいっぱいある。


 オレンジとピンクのまだらに色づく満開の花びら? それとも、黄緑から黄色へと変わる蕾? 



 薔薇選びに夢中になっていると、すぐ後ろで気配を感じた。振り向いた瞬間、顔に何かがぶつけられた。


「これ返すわ!」


 地面にひらりと落ちたのは、私がギルお兄様にプレゼントしたハンカチだった。


「ギルベルト様に近づかないでよ! ギルベルト様は私の婚約者なのよ! こんなハンカチで、取り入ろうとするなんて。色なしのくせに!」


 緑色の目を吊り上げて私をにらみつけるのは、ブリーゼさんだった。


「ギルベルト様は、私と結婚するのよ。ギルベルト様が愛していいのは、私だけ! 色なしのあなたには、同情してるだけよ。ギルベルト様にふさわしいのは、魔力のある私よ!」


 うつむいて、土の上のハンカチを見つめた。私の精いっぱいの刺繍。まるでごみクズのように捨てられている。


「ああ、いやだわ! これ見よがしに、青いドレスを着たりして。これ以上、ギルベルト様に迷惑かけないでよ! 不吉な色なしの姿を見せないで! さっさと出て行って!」


 黙りこんで下を向いている私に、ブリーゼさんはキンキンした大声をぶつけてきた。絶え間なく続くどなり声に、頭が痛くなる。私は何も返さずに、ただ黙ってうつむいていた。


 そして、しばらくたった後、もうこれ以上ひどい言葉が思いつかなかったのか、青いドレスをひるがえして去って行った。……ギルお兄様の髪の色と同じ青いドレスだ。


 涙があふれてくる。そっと目をこすった。そして、ぬれた手で自分の着ている青いドレスの裾をつまんだ。


 ブリーゼさんと全く同じ色のこのドレスは、今日のためにお兄様が私にプレゼントしてくれたものだ。お金がない私は、お兄様に甘えて、この青いドレスを喜んで着てしまった。


 分かってる。着るべきじゃなかったのよね。

 でも、お兄様はいつも、私が青を身に着けると喜んでくれるから……。本当の妹みたいだって言って……。


 ドレスの裾が地面に付かないように持ち上げて、しゃがんでハンカチを拾う。


 魔法が使えたことに浮かれていた。そんなもの、何にもならないのに……。このハンカチみたいに、必要とされずに捨てられるだけ。


 私は無価値の色なしで、取るに足らない存在……。ただ、同情からくる優しさにすがって、お情けで生きているだけ……。お兄様は、私がかわいそうだから優しくしてくれるの?


 早く家に帰って、一人で思い切り泣きたかった。

 でも、帰りの馬車の時間までは、まだたくさん時間がある。


 誰にも見られない場所を探して、とぼとぼと歩いた。


 背丈を超える高さの薔薇が植えられた迷路は、お母様が子供の頃に作らせたそうだ。広くて複雑な迷路には、客人は立ち入れないようにしてある。


 ここでなら、一人で思いっきり泣ける。そう考えて、迷路を奥まで進んだけれど、先客がいたようだ。


「ああ。ったく、出口はどこだよ」


 ぼやき声とともに、ガサゴソと茂みをかき分ける音が聞こえて来た。無理やり迷路を突破しようとしているみたいだ。

 こじ開けられた薔薇の垣根から、顔をかばうように腕を上げた人が出て来た。

 黒い袖を肘までまくった腕からは、茨に刺されたのか、一筋の血が伝い、真っ赤なしずくが地面に落ちそうになっている。


 ──土に血を吸わせてはなりません


 すばやく彼に駆け寄って、手に持ったままのハンカチを腕に押し当てたのは、乳母の教えが心に刻まれていたから。


 地面に落ちる前に、赤い血はハンカチに吸い取られた。ほっとしながら見上げると、濃い金色が目の前にあった。


 見開かれた金色の目が私を見つめている。

 精悍な顔立ちの中で光る真昼の太陽のような金色の目。長いまつげまで金色だ。そして、陽光に輝く短い黄金の髪。


 王族だ。


 とっさに地面にひざまずいた。


「申し訳ありません!」


 なんて失礼なことをしてしまったんだろう。

 いきなり、腕に触れるなんて。


 ──土に血を吸われると、魔物に生気を奪われます


 乳母の迷信を真に受けて、とっさに動いてしまうなんて。


「顔をあげて、立ってくれ」


 王族の男性は、私に手を伸ばした。


「驚かせてごめん。勝手に入り込んだ俺が悪いんだ。ハンカチを血で汚させてしまったね」


 畏れ多くて震える私の肩に手を置き、男性は私を立ち上がらせた。


「申し訳ございません」


 もう一度謝ってから、顔をあげる。


 ギルお兄様と同じぐらいの背丈。同じぐらいの年齢の男の人。

 輝く金髪を短く切りそろえたこの方は、きっと第二王子のリュカ様だ。


 お兄様から話を聞いたことがある。学園のクラスメイトで、一緒に生徒会に入った第二王子を誕生会に招待したのだろう。


「あの、お怪我は……?」


 公爵家で改良された薔薇の棘は鋭い。王族に怪我をさせたのなら、そのままにしておくことは公爵家の不名誉になる。


「ああ、たいしたことない……ん? あれ?」


 左腕をさすったリュカ様は、首をかしげた。


「傷がない?」


「見て」というように、私の目の前に筋肉質な腕が示された。拭われた血は乾き、もう出血していない。傷口はどこにも見当たらない。


「そのハンカチは、ポーションがかかっていたりする?」


 冗談めかして、王子はそう言った。薬屋で売っているポーションは、傷を治すことができるけど、高級品だ。もちろん私が刺繍しただけのハンカチに、そんな力があるわけはない。


 手の中の折りたたまれたハンカチを見つめた。

 真っ白なハンカチは、中心部以外は赤い血に染まっていた。

 でも、治癒草の形に刺繍した盛り上がった部分は白いままだ。魔物蟹の白糸は何物にも染まらないから。


 ……! え? 白?!


「そのハンカチって、緑色の刺繍がしてなかった?」


 困惑する私に、リュカ様が問いかけた。

 緑色の糸で刺繍をしてあったのに、白糸の刺繍になっている。色が抜けた?


 どうして……?


 訳が分からず、答えられないでいると、リュカ様は面白いものを見つけたかのようににっこりと笑った。


「話を聞かせてくれるよね」



 そして、私は迷路の出口までリュカ様を案内する間、秘密にしようとした染色魔法のことを白状する羽目になった。


「つまり、生きている物からしか、色をもらえないってことだね」


 リュカ様は、私から取り上げたポシェットに手を突っ込んで、糸束を取り出しながら聞いた。


「ハンカチの刺繍の緑色は、家に生えている治癒草からもらったんです。でも、なぜか消えてしまったみたいで……」


「治癒草が家に生えてるの? あれって栽培が難しいよね」


「えっと、うちの庭には勝手に生えていて」


 治癒草はポーションの材料になる魔草だ。そのままでは何の力もないけれど、魔力を込めて錬成すると、簡単な傷ぐらいは治せる初級ポーションになる。

 私はもちろんポーションなんて作れない。だから、治癒草をそのまま売って、少額の生活費を稼いでいる。


「ふーん、じゃあ、治癒草の色だけじゃなくて、魔力ももらって治療したのかな」


 そうなの?

 もしも、色だけじゃなくて魔力ももらうことができるのなら。

 私は、無価値なんかじゃないの?


「この薔薇からとった色も、何か他の力があったりする?」


 リュカ様はポーチから黄色の糸を取り出して、匂いをかいだ。


「薔薇の色だけじゃなくて、香りもうつってるとか?」


「!」


 突然、顔の前に糸を出された。


 驚いて息をのむと、薔薇の強い香りがした。

 でも、それはあたりに咲き誇る薔薇の香りのせいで、糸が香っているのではなかった。そう伝えると、王子は首を傾げて、別の糸を取り出した。


「匂いはうつせないのか。……、じゃあさ、この青い糸は、何から色をとったの?」


 !

 リュカ様が手にしたのは、お兄様の髪色と同じ青い糸だ。

 見られたくない物を見られてしまった。


 恥ずかしくなって目を反らす。


「これも薔薇の色? でも、おかしいな。さすがの公爵家でも青い薔薇はまだ開発できてないよね。ちょうど君のドレスの色と全く同じだけど、生きていない物からは色をもらえないんだっけ」


 リュカ様は意地悪そうな声で私を追い詰める。


「ね、ギルには秘密にしてあげるからさ、やって見せてよ」


 黙ったままの私の手に、真っ白な糸が渡される。まだ染めてない魔物蟹の糸だ。


「……何色にしますか?」


 リュカ様は、にっこりと金色の笑顔を見せた。


「じゃあ、俺の色で」


「え?」


 距離を詰められて、すぐ近くにリュカ様の黄金の目がきらめく。


「金色の糸を作って」


 目の前の黄金の輝きで、頭がいっぱいになる。手の中の糸が、ぱっと熱を持つのを感じた。


「本当だ……」


 私の手を取って、糸をじっくり見たリュカ様は、ため息のようにつぶやいた。キラキラと輝く金色の糸。リュカ様の瞳の色そのものだ。


「すごいな。こんな魔法、見たことがない」


 そして、にっこり笑ったリュカ様は、私に無理な命令を下した。


「王宮に来て妹に会ってほしい」


 と。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ