12 灰色の世界が染まる〜リュカ〜
「血が……」
薔薇の妖精が、俺の腕にハンカチを押し当てた。きらりと光った虹色の瞳に、息をするのも忘れて魅入られる。
なんてきれいなんだ。
彼女を見た瞬間、全身が感動に震えた。
灰色の世界に色を与えてくれるたった一人の存在。
◇◇◇◇◇
俺はリュカ・シオン・リバーダイン。
リバーダイン王国の第二王子だ。
母は、青の侯爵家の娘だったが、国王の側妃になった。それは、あまりにもおぞましい政略結婚。黄金の子供を生むための生贄のような結婚だった。
15歳で母は俺を身ごもり、産み捨てた。これで務めは終わったとばかりに、俺を王に渡して、護衛騎士と離宮へ引きこもった。母の代わりに俺を育てたのは、王宮の侍女たち。そして、諸悪の根源、国王の真実の愛の相手の王妃だった。
王妃は赤の一族の伯爵令嬢だった。学園で父に見初められた。父は青の公爵令嬢と婚約解消し、彼女と結婚した。貴族たちは皆、反対した。伯爵令嬢なのに、ピンク色の髪と目の色をしていたからだ。つまり、王妃になるには魔力が低すぎたのだ。これでは、魔力の多い王子を生むことはできない。
貴族の子は父親からは魔力の種類を、母親からは魔力量を遺伝して生まれると言われている。魔力に差がある者との結婚は忌避される。その家にふさわしくない子供が生まれる恐れがあるからだ。それだけではなく、子供ができなかったり、稀に、色なしが生まれる可能性もある。
だが、父は王命を出して、周囲の反対を封じ、王妃との結婚を強行した。すぐに第一王子が生まれた。俺の7つ上の兄上だ。
無事に健康に生まれたけれど、問題は髪色だった。
淡い金色だ。魔力が少ない。
王妃はすぐに第二子を産むことを望まれた。でも、その後、何年たっても子は生まれない。そして、貴族議会は国王に側妃を持つことを勧めた。
父は反対したが、王妃が限界だった。黄金の王子を誕生させるために、魔力の一番多い令嬢を側妃にしてほしいと懇願したのだ。
側妃候補になったのは、父が婚約解消した青の公爵令嬢だった。
公爵令嬢は、婚約解消後、魔法塔に入っていた。一生独身で魔法の研究をするつもりだったらしい。でも、王命がそれを許さなかった。その結果、彼女は子爵家の令息と駆け落ちのように結婚をした。よっぽど側妃になりたくなかったのだろう。
その代わりに側妃に選ばれたのは、俺の母だった。当時、まだ14歳。学園に入学したばかりだった。学園に通いながら、1年後、俺を出産した。父と同じ金色の髪と目の王子の誕生に貴族たちは喜んだらしい。これで、結界魔道具の魔力不足の心配はなくなったと。
ただ、王妃の一族には、第一王子の王位継承を脅かす存在として、命を狙われた。
◇◇◇◇◇
「リュカ殿下。ここにいましたか。今日は登校してきたのですね」
「ん? ああ、でももう帰るよ」
青い髪のクラスメイト、ギルベルトに呼び止められた。手には書類の束を山ほど抱えている。
「たまには生徒会室にきてください。あなたは生徒会長なのですから」
「俺はそんなものになるつもりはなかったよ。なんで無理やり決められた仕事をしなきゃいけないんだい?」
「それは、あなたが王子だからです。それがあなたの義務です」
「義務ねえ」
青氷の貴公子と呼ばれるギルベルトの整った顔をじろりと眺める。
目の形は少し似てるかな。従兄だからな。でも、色合いは全く違う。あのうっとりするような虹色のきらめきは、彼女だけのものだ。
「なんですか? 僕の顔が何か?」
「いや、相変わらずの鉄面皮だと思ってね」
嫌味を言っても顔色一つ変えない。そういうやつだ。感情をどこかに置き忘れて生まれて来たんだろう。
でも、ただ一人のためだけだけに、この氷の顔に微笑みが浮かぶのを皆が知っている。
ああ、厄介だな。
「冗談を言う暇があったら、仕事をしてください。あなたのフォローばかりで、従妹と会うこともできないんですから」
彼女を思い出したのか、鉄仮面に少しヒビが入った。ほんの少しだけ視線が揺れる。分かりやすいやつだ。
こいつの最愛に、今から俺が会いに行くと分かったら、何と言うのだろうか?
好奇心はあったが、厄介なことが起きると分かっているので、別の方向へ誘導する。
「それよりもさ、君の婚約者を放っておいていいの? ほら、あっちで待ってるよ。健気だね。毎日夜遅くまで、生徒会が終わるのをドアの前で待っているんだって? 声をかけてあげなよ」
廊下の奥からこっちを見つめる緑色の瞳が見える。じっとりとした視線が、ちょっと怖い。いつもギルベルトの後をつけ回しているのか?
あの条件を受け入れてギルベルトと婚約するなんて、相当変わり者だろうとは思っていたけれど。ギラギラした緑の目からは、ねっとりした嫉妬心がうかがえた。
まさか俺にまで嫉妬しているのか? 気持ち悪いな。ギルベルトに近づく女生徒に嫌がらせをしているって噂は真実みたいだ。
「そんな無駄な時間はありませんよ。婚約者なんて、ただの契約相手です。それよりも、アリアとの時間が足りない。あの子は僕が付いていないとダメなんです。きっと寂しがって泣いている。ああ、早くあのあばら家から救い出して、僕の手の中で保護しないと」
アリアの名前を出したとたん、美貌の公爵令息はうっとりするような微笑みを浮かべた。一瞬で氷の表情が解けて、青い瞳が輝く。
ああ、こいつも緑の女と同類だ。よく似た婚約者同士だな。
そんな風に心の中で揶揄しながらも、自嘲する。
今は俺も、同じかもな。
毎日、彼女のことを考えている。
今日は何を土産に買って行こう。そろそろ、菓子ばかりでなく装飾品もいいかもしれない。そうだ。妹の侍女になるんだから、それなりの品も必要だろう。王宮の支給品ってことにして、宝石を贈ろう。純金の髪飾りがいいな。あの美しい銀の髪に挿したならば、ともに輝くだろう。それとも、彼女の細い首にまきつける黄金の鎖のようなネックレスにしようか。
自分の色をまとった彼女の姿を想像して、唇をなめた。
彼女と初めて出会ったのは、青の公爵家の婚約発表の日。
公爵の挨拶を受けた後、招待客の令嬢たちに囲まれる前に逃げ出した。誰も来ないと思って、薔薇の迷路に入り込んだ。
薔薇の垣根を無理やりこじ開けて、脱出を試みたら、彼女がいた。
甘い薔薇の香り。あまたの色に乱れ咲く満開の薔薇。
薔薇の妖精が立っているのかと思った。光の中で輝く姿に、息が止まった。このつまらない灰色の世界に、こんなに美しい存在があったなんて。
彼女が俺の腕に触れた。
心臓が止まってしまうかと思った。
欲しい。
彼女が欲しい。
生まれて初めて、誰かを欲した。
強烈な飢餓感を覚えた。
それからは、彼女を手に入れることだけを考えた。
口実は何にしよう。
彼女はギルベルトを慕っている。青い糸をあわてて取り返そうとした姿に、生まれて初めて妬心を覚えた。俺の金色だけを持っていてほしい。
彼女は、兄という存在に恋をしている。それならば、俺も良い兄を演じよう。ちょうどいい。愚かな妹がいたな。優しい兄を演じよう。妹の侍女に推薦しようか。わがままな妹に振り回される彼女を慰めれば、俺に好意を持つかもしれない。良い兄のふりをして、少しずつ、罠にかけるようにからめとり、俺の色に染めてしまおう。青いドレスを金色に着替えさせるように。俺だけのものに……。
彼女がいるだけで、世界は虹色に染まる。
「……殿下? リュカ殿下?」
楽しい夢想にふけっていたのに、ギルベルトが現実に戻した。
ああ、ほんと、邪魔だなぁ。
「このまま一緒に生徒会室に行きましょう。皆で手分けすれば、すぐに終わります。僕も、今日こそはアリアに会いに行きたいので」
そうはさせない。
二人を引き離さないと。
俺は、廊下の向こうから、こっちをじっとりと見つめる緑の女を指さした。
「たまには婚約者の相手をしてあげないと、彼女は嫉妬で誰かを殺しそうだよ」
「まさか? 彼女は、ただの契約相手で」
「彼女はそう思ってないだろうね。君の隣の席の令嬢は、学園を休んでいるだろう。彼女の嫌がらせが原因だそうだよ」
「そんなことが? ブリーゼ嬢は少し変わっているけれど、アリアを心配して、僕の代わりに届けものをしたいと言ってくれた優しい人のはずなのに」
「は? なにそれ? 君の従妹に会わせたの? バカじゃない?」
頭が痛くなってきた。こいつは自分の感情を持たないだけでなく、他人の感情も分からない愚か者か? まさか、アリアちゃんの家にあいつを行かせたんじゃないよな?
「いや、ブリーゼ嬢は僕がアリアを守りたいと思う気持ちを分かってくれて、自分も一緒に守りたいと言って……」
「今すぐやめろ! 従妹を守りたいんだったら、自分の婚約者を遠ざけろ! ちゃんと見張っておけ! 危害を加えられてからじゃ遅いんだぞ!」
大声を出すと、ギルベルトはびくりと固まった。
「自分の婚約者をよく見ておけ! いいか、これは生徒会長としての命令だ。彼女が行ったいじめについて、苦情が出ている。早急に解決しろ」
「! 了解しました」
金色の魔力をまとわせて命令を下すと、ギルベルトは直立不動の姿勢で礼をとった。公爵の跡継ぎとしての教育のたまものだ。王族の言葉には逆らえない。
「じゃあ、俺は行くところがあるから、後はギルに全部任せるよ。生徒会の仕事もちゃんと終わらせておいてね」
「殿下! どちらへ?」
非難するような視線を後に、俺は手を振って廊下を駆ける。
アリアに会いに行くのは俺だよ。
鈍いギルベルトは婚約者の相手でもしてろよ。
アリアにはもう兄は必要ない。
これからは俺がいるからね。
でも、俺は兄なんて存在で終わるつもりはない。警戒させないようにゆっくり進めて行こう。