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10 甘い茶色

「お嬢様、朝からお勉強ですか? がんばってますね」


 マーサが朝食を届けに来た。

 いつもだったらまだ寝ている時間だけど、やる気になった私は、身支度を済ませて机に向かっている。


「学園に入学することになったの。勉強だけでも人並みになりたいから」


「貴族の学園って、どんな勉強をするんですか?」


「国の歴史や礼儀作法とか。詩文と計算も」


「へえ、うちの甥っ子が通った平民学校と同じですね」


 掃除をしながら話しかけてくるマーサに、教科書から顔をあげずに答える。


「そうね。少し似てるわね」


 違うのは、貴族には魔法の授業があるってこと。

 昔は、火、風、水の三大魔法に分かれて研究発表が行われていたそうだ。今ではそれはなくなり、魔石の補充の授業が中心になっている。結界魔道具の魔石に魔力を補充することが、最重要だから。それから、魔物討伐の実技があるみたいだけど。


 私は三大魔法は使えないから、魔法以外のことを完璧にしなきゃいけない。


 お母様の使っていた教科書には、アンダーラインがあちこちにひいてあって、メモ書きもたくさんある。

 お父様の方は、落書きだらけだ。似顔絵がたくさん書いてある。あ、これはお母様の横顔だ。


 20年以上前の教科書から、お父様とお母様の授業風景が浮かんでくる。きっと、お父様はお母様のことを、ずっと見つめていたのね。私も、学園に通ったら、クラスメイトと一緒に授業を受けたりできるのかな。



「今日は、この治癒草を売って来たらいいんですね」


 今朝摘んだばかりの治癒草を入れたかごを見て、マーサが聞いた。


「そうなんだけど……待って、これもお願い」


 裁縫箱から糸を取り出す。

 朝日にキラキラ光っている糸。赤に黄色、紫にオレンジ、薔薇の色で染めた魔物蟹の糸だ。

 それから、ひときわ輝く金色の糸。

 少し迷ったけど、全部かごに入れる。

 勉強しなきゃいけないから、刺繍する時間なんてないから。


 でも……。


 かごの中から、金色の糸を取り除く。

 王族の金色を売るのは、やっぱりまずいよね。

 いっしょに青い糸も取りだして、裁縫箱に戻した。


「この糸を売って来て」


「魔物蟹の糸に色を付けたんですか? キラキラ光って綺麗ですね。高く売れそうですよ」


 染色不可能な魔物の糸にどうやって色を付けたのか、マーサは聞かない。必要ないことには立ち入らず、私の好きにさせてくれる。亡くなった乳母とは正反対の態度に、初めはとまどったけど、今はちょうどいい。



 マーサが買い出しに言った後も、私は窓辺の机でお母様の使っていた教科書を読んでいた。礼儀作法は公爵家に行った時に家庭教師から少し習ったけれど、それ以外の勉強はほぼ初めてだった。読み書きと簡単な計算だけは、乳母に教わっていたけれど。私が学園に行くなんて、誰も思ってもなかっただろうから。


 お母様のメモを読んでも、意味の分からない言葉がたくさん並んでいる。

 私は、本当にだいじょうぶ?

 魔法以外も、全部ダメダメじゃない。


「はぁ……」


 空になったティーカップを持ってキッチンに向かう。

 玄関の方から、がたんと物音がしたと思ったら、悲鳴が聞こえた。


「うわあっ!」


 ガサガサと音を立てながら、黒光りする魔物蟹が数匹、一目散に逃げるのが見えた。


「なんだよ、これ。大きすぎだろ。あ、アリアちゃん! カギ開けて」


 格子戸から見えるのは、灰色のマントをかぶった背の高い男性。フードを持ち上げると、まぶしい金色の髪が見えた。

 え?! 

 リュカ様?!


 急いで、結界石の鍵を解除して、扉を開ける。


「やあ、おはよう。うん、今日もかわいいね」


 太陽のようにさわやかにほほ笑むリュカ様を見て、自分の服装を思い出して恥ずかしくなる。


 ああ、もう。しわしわの部屋着のワンピース。

 王族に会うのにふさわしくない。

 っていうか。

 うちの家は、王族が来るようなところじゃない!


「どうして? どうして家に?」


「近くまで来たからね。ちょっと寄ってみたんだ」


「ちょっと寄ってって、そんな場所じゃないです。それに、学園は?」


 お兄様からは、学園祭の準備で忙しいから会えないって手紙が来ていた。

 リュカ様も生徒会の一員じゃないの?


「うーん、さぼり。学園祭のことはギルベルトがやってくれるから任せてる」


「そんなのでいいんですか?」


「いいの、いいの。俺よりも仕事できるのがいっぱいいるから。ああ、あれが治癒草の栽培所? ずいぶん適当に植えてるんだね」


 リュカ様は中庭に生い茂る治癒草を指さした。

 植えてるんじゃなくて、勝手に生えて来たんです。

 特に手入れもしてないのに。

 と言おうと思ったけど、リュカ様がどんどん廊下を進むので、駆け足で追いかける。

 あ、もう、そっちは寝室!

 急いでドアの前に回り込む。


「応接室は向こうです。で、何の御用ですか?」


「うん、妹の侍女になることについてね。君の保護者の許可を取ったよって知らせにね」


「保護者?……あ、わざわざありがとうございます」


 ああ、本当は私が手紙を出さなきゃいけないんだった。

 叔父一家のことが苦手で、ほとんど連絡は取らなかったから……。



「で、これが学園の教科書ね。予習しといて。それから、来週から、王宮で侍女見習の講習を受けてね。この時間に馬車を寄こすから。あと、こっちが……」


 応接間に案内したら、リュカ様は鞄から書類を取り出して説明してくれる。

 安物の家具の置かれた部屋の中に、黄金の王子様……。似合わない。

 どうして、ここにリュカ様がいるんだろう?

 こういうのって、わざわざリュカ様が来る必要あるの?


「聞いてる?」


「あ、ごめんなさい。はい、ここに、サインですね」


「うん、あと、こっちもね。楽しみだね。俺は来年は最上級生だから、新入生のアリアちゃんとは、一年だけ一緒に通えるんだよね」


「え? ああ、そうですね」


 ギルお兄様とも一緒に……。


 全ての書類にサインしてから、ゆっくり目を通す。

 こういうのって、ちゃんと読んでからサインするべきだった?


 え、侍女見習教育期間もお給金がもらえるの? こんなに?


 ……まって、王女の研究に付き合うって何? え、なんでリュカ様が辺境に行く時に付いて行くの? え? ええ?! お茶会? パーティ?


「ちょっと待ってください、これって、」


「はーい、サインしちゃったね」


 にっこり笑ったリュカ様が書類を取り上げる。


「よかったよ。この条件をのんでくれて。ルルーシアの世話は任せた」


「ちがっ、違いますよね。だって、学園にいる間だけの侍女だって言ってましたよね。他にも侍女がいますよね」


「いや、ルルーシアは貴族を寄せ付けないから、平民のメイドしかいなくてさ。仕方ないんだよね。困ったものだね。ま、俺も侍従を連れていないから、人のこと言えないけどね」


 そう言えば、リュカ様はたった一人でうちに来た。護衛もなしに。

 お兄様が言っていたことを思い出す。


 第二王子のリュカ様は側妃の子で、王妃の子の王太子様に遠慮して、王族として表に出ることがない。辺境で魔物討伐ばかりしていたって。それから、学園をよく休むって。

 リュカ様が、貴族と距離を置くのは、なんとなくわかるのだけど、ルルーシア様はどうして貴族が嫌いなんだろう?


 リュカ様と違って、ルルーシア様は王妃様の子なのに。王妃様は国王の最愛の人で、ルルーシア様の出産時に亡くなってから、新しい王妃は不在。そのことが貴族を嫌いになったのと関係があるの?


「じゃあ、行こうか」


「え?」


「昼ごはん、まだでしょ。あ、このマントかぶって。俺と同じのを持ってきたから」


 リュカ様が鞄から出した灰色のマントを頭からかぶせられる。


「さあ、早く」


 そのまま手をつかまれて、連れて行かれそうになったけど、どうにか、部屋着から外出用のワンピースに着替える時間をもらう。


 って、どうして。

 どうして一緒にランチに出かけないといけないの?


 そう疑問に思ったのは、おしゃれなお店に入った後だった。




 学園通りにあるその飲食店は、昼休みに食事に出て来た学生たちでにぎわっていた。

 私はフードを深くかぶり直し、うつむいて、リュカ様の後に続く。


「やあ、いつもの席を頼むよ」


 店員に案内されたのは、2階のテラス席だった。


「ランチセットを2つ頼んだけど、アリアちゃんは食べられないものある?」


「ありません」


 食べ物の好き嫌いは、乳母が無理やり直した。「色なしは好き嫌いなんかしてると生き残れない」って理由で、無理やり口に詰め込まれた。でも、だからって、嫌いな物を好きになったりはしない。ただ、我慢して食べられるようになっただけだ。


「それはいいね。俺もたいていの物は食べられる」


「そうですか」


「うん、小さい頃、辺境で育ったからね。あそこでは、食べられるものはなんでも食べる」


「辺境ですか?」


「辺境は良い所だよ。今でも、よく魔物討伐に行くんだけどさ、王都みたいに、かたっ苦しいことはなくって、領地の民がみんな家族みたいなところだよ。今度一緒に行こうよ。そこでなら、どんな髪色でも問題ないよ」


 辺境は結界が弱まっているので、恐ろしい魔物が大量に発生しているという場所。どうしてリュカ様は、そんな場所で育ったのだろう? 


「どうして? 子供なのに魔物のいる辺境に?」


 思わず聞いてしまった。だって、私は乳母に「魔物に近づいたら病気になる」って言われて育ったもの。迷信深い乳母からは魔物の色と同じ黒い物を身につけることさえ禁じられたくらいに。なのに、どうして? 王族のリュカ様が?


「あ、そうだねー。うん。まあ、ほら、俺の髪色は王太子より濃い金色だろう? それを気に入らないやつもいてね」


 リュカ様はそう言ってから、ごまかすように笑顔を見せた。


「アリアちゃんは、辺境に興味あるの? 魔物は平気だよね。だってあんなに大きな魔物蟹を飼ってるんでしょ?」


「魔物蟹は勝手に住み着いてるだけです。飼っていません」


 リュカ様にも、いろいろあるんだ。もしかして、髪を短くしているのはそのため? 髪の毛は魔力を帯びているって言われるから、たいていの貴族は髪を伸ばしているのに。


 王女様の侍女になるにしても、王家のごたごたには、できるだけ巻き込まれないようにしよう。


 魔物蟹の生態について質問されてるうちに、昼食が運ばれてきた。


「ん? どうしたの? もう食べないの? 少食だね」


 リュカ様は、ものすごい勢いで、皿の上に綺麗に並んだ肉を口に運ぶ。きっと黒い騎士服の下は鍛えられているから、消費量が多いんだ。

 私は、家から出ることがほとんどないから、こんなにたくさんは食べられない。


「食べないんなら、もらってもいい?」


「どうぞ」


 一切れ食べただけの肉の皿を、リュカ様の前に押しやる。


 あ、これって失礼なことかな?

 王族に食べかけの皿を渡すなんて。


 自分のしてしまったことに、ひやりとしたけれど、リュカ様はにこにこと金色の笑顔を見せながら、皿の上を片付ける。


 見ていて気持ちのいい食べ方だ。

 上品にナイフとフォークを操り、とてもおいしそうに食べる。ものすごい勢いで。


 ギルお兄様は、リュカ様みたいには食べない。たくさんのお皿から、優雅に少しづつ取り分けて食べる。どのお皿も決して空にはしない。それが裕福な貴族のやり方だって習ったけれど。


 皿に残ったソースをパンにつけて口に入れるリュカ様に、ついつい見惚れてしまう。



 店員がデザートを持ってきた。皿の上に、茶色のチョコレートケーキがきれいに盛り付けられている。


「あれ? ケーキも食べないの」


「もう、お腹いっぱいです」


「え、もったいないよ。これ、すごくおいしんだよ。ほら」


 スプーンですくったチョコレートケーキが目の前に来た。


「一口だけでも食べてみなよ」


 キラキラした笑顔と、私の口元につきつけられたスプーンを見ないふりをして、私は自分のフォークを手に取る。目の前の皿から、少しだけ取って口に入れる。


 あ、おいしい。


 お腹がいっぱいだけど、もう一口食べてしまう。


「ね、おいしいでしょ?」


 リュカ様は手に持ったスプーンを自分の口に入れてから、あっという間に残りのチョコレートケーキを食べ終わった。


 初めてのお店での食事。

 緊張し通しだったけど、食事を終えて少し余裕が出てきて、通りを眺める。

 そして、固まってしまう。


 学生たちがこっちを見上げて何か言っている。

 ああ、リュカ様がマントを脱いでるから。金髪が目立っているんだ。


 風に飛ばされないように、私は自分のマントのフードのひもをきつく締め直した。


「うーん。やっぱりここの食事はおいしいね。辺境の魔物料理もいいんだけど。まあ、王宮の食事よりは、どこでもおいしいな」


「王宮の食事はおいしくないんですか?」


 緊張が高まって、ついついバカな質問をしてしまう。王宮の一流料理人の作るものがおいしくないわけないのに。


「うん。まあ、王族の食事って、毒見が何人も入るから、冷めきってるんだ」


「毒? そんな。じゃあ、こんなところで食べていいんですか?」


「ああ、ここは大丈夫。信用できる店員しかいないから」


「え? じゃあ、ここ以外では、私が毒見をしないといけませんか?」


「まさか。毒見役には平民を使うよ。貴族にそんな危険な仕事はさせないよ?」


「そう、ですか」


 なんか、不安しかない。私、侍女なんてできるの?


「いいなぁ。アリアちゃんは、ずっとそのままでいてね。うん。ギルが純粋培養で大切に育てたなぁって感じだね」


 もしかして、バカにされてる?


 ちょっと上目使いに睨んだら、リュカ様は黄金の目を細めて小さく笑った。

 すっと手が伸びて来て、フードの下の私の髪を一房つかむ。長い髪がリュカ様の手の中できらりと銀色に光った。


「アリアちゃんの色はとてもきれいだよ。隠すなんてもったいない」


 まるで食べた終えたばかりのチョコレートケーキのように、リュカ様の言葉はとても甘かった。

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