「母と言うならさ。自分の子供の素顔くらい、覚えておくべきだよね」
雅先輩の家は、楠木異能学園から電車で二十分ほどの場所にあった。
私は電車を降りて、その町並みを一望して、ふわっと感じた既視感に「またか」と苦笑した。
たまに、ある。
知らない土地に行くと、知らないはずなのに見たことがあると錯覚することがある。
おそらくは私の特殊能力のせいだと思う。学園に入学して、校章入りの手袋をするようになって無くなったと思ったけど、そうでもなかったみたいだ。
もしくは、散々雅先輩の記憶を遡っていたので、目で見たもの以外にも私の中に過去の記憶が蓄積しているのかもしれない。
これはちゃんと検証して、自分の特殊能力について理解しておかないとな、と改めて思った。
「ここが私の家。父は仕事からまだ帰ってきてないけれど、母は在宅で仕事をしているから大抵家にいるわ。車もあるし、今もいると思う」
そう言いながら玄関のドアノブに手を掛けた雅先輩の動きが止まる。
じっと動かなくなってしまった雅先輩に、私も不安を覚えれば、くるみ先輩が動いた。
「なーに止まってんの! ほぉら、ご帰宅~!!」
くるみ先輩が容赦なく雅先輩の腕を引く。
玄関の扉が開いた。
玄関にはフレングラスが置かれていて、すっきりと良い香りが鼻孔をくすぐる。
「た、ただいま、母さん。友達を連れてきたの」
「あら~。珍しい! いらっしゃい」
雅先輩の声かけに廊下の奥から女性の声が響いた。
そして姿を表した女の人に、今の雅先輩の面影を見つけて、ああちゃんと家族なんだと、見ていた私は安心して――
「初めまして、麗の母です。あがってあがって」
思わず雅先輩のお母さんの顔を凝視した。
本当に雅先輩のことを妹さんなのだと思っているのだと理解して、なんだか段々と不安になってくる。
これが雅先輩の日常なのだろうと思うけど、どうしても胸の奥がざわついてしょうがない。
そわそわと落ち着かずにいると、来客用のスリッパを用意していた雅先輩のお母さんが不思議そうな顔をした。
「あら? 麗はどこ? スリッパが残ってるけど、まだ外?」
「私はここよ、母さん。ちゃんと見て」
顔は変わっても声は変わらない。
雅先輩が一歩踏み出して声をあげる。
でも雅先輩のお母さんは怪訝そうな顔をした。
「……冗談はよして頂戴。悪戯かしら。駄目よ、大人をからかうなんて」
「本当なのよ。学園で、特殊能力の使い方を学んで……彼女たちが、私の本当の顔を取り戻してくれたの。母さん、ちゃんと私を見て。私、麗じゃないの。雅よ」
「縁起でもないことを言わないでくれる!?」
空気が一変した。
金切り声にも近い、悲鳴のような叫び声に、私もくるみ先輩も肩を震わせて雅先輩のお母さんを見上げる。
雅先輩のお母さんは、怒りのような、嫌悪のような感情を表情に乗せていて。
その憤怒の眼差しを、まっすぐに雅先輩へと突きつけていた。
「なんなの!? 貴女たち、うちを馬鹿にしにきたの!? 亡くなった娘の名前を騙って、何がしたいの!?」
「ち、ちが、違うわ、母さん!」
「黙りなさい! 顔も知らない貴女に母と呼ばれる筋合いはないわ!」
ぷつん、と。
何かが切れる音がした。
ハッとした時には、拳を握りしめ、顔をうつ向かせた雅先輩が、私とくるみ先輩を押しのけて外へと飛び出す。
「雅先輩!」
声をかけるけど、止まってなんかくれない!
私は雅先輩のお母さんを睨み付けた。
何か言うべきだと思うけど、咄嗟に言葉が出てこない。
言いたい言葉を飲み込んで、私は踵を返す。
とにかく、雅先輩を追いかけないと!
駆け出した私の背後で、くるみ先輩の声がする。
「母と言うならさ。自分の子供の素顔くらい、覚えておくべきだよね」
それまで聞いていたくるみ先輩の明るい声とは全然違って、背筋の凍るような低い声音に、私は一瞬振り返りそうになるけど。
雅先輩の姿を見失ってしまいそうだったから、ぐっと堪えて、雅先輩の家を飛び出した。




