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鳥になりたかった少女7  作者: 葉里ノイ
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第五章『装』

  第五章 『装』



 闇の中ビルの屋上に立ち、梛原結理は長い黒髪を靡かせ人々の群れを見下ろしていた。春にはなったが夜はまだ肌寒い。薄手の黒いコートが風に揺れる。都会の煌びやかな明かりを冷ややかに見下ろす。

 紫蕗に製作してもらった新しい装置を清依から受け取り感覚を確かめる。問題は無さそうだ。以前より少し大きいが、戦闘に支障は無いだろう。同時に、天才と言われる紫蕗より小型の装置を作り出すリヴルという技師は一体何者なんだと思う。

(――見つけた)

 街に設置されたカメラに装置を繋いで見ていた結理は、目的のものを見つける。――あの肉食の畸形だ。

 両手に長さの異なる脇差を形成する。刃に映った人工の明かりが光る。

「畸形の所為で青羽君と行けなかったのよ。その身でしっかり償ってもらうわ」

 ぎり、と柄を握り締める。

 後ろに控えていた清依は、まだ見ぬ畸形に心の中で手を合わせた。

(姉さんキレてる……死んだな、畸形)

「行くわよ、清依」

「了解」

 眠らない人混みの中ではなく静かな住宅街へ、ビルの柵を蹴り跳ぶ。その後を清依も追う。

 住宅街の屋根の上を跳び続けると、街灯も疎らになる。家々の明かりも消えている所が多い。

「……清依、少し良いかしら?」

「ん?」

 屋根の上で突然立ち止まった結理に、数歩行き過ぎ止まる。辺りにそれらしき気配は感じないが、何か見つけたのだろうか。

 結理は自身の頭の装置に触れながら、軽く頭を振るように周囲に目を遣る。

「紫蕗から装置のことについて、何か聞いていないかしら?」

「オレの装置の機能をコピーして作ってもらったけど、まさか不良品?」

 今から畸形と戦うと言うのに、不良品では具合が悪い。あの紫蕗が不良品を渡してくるとは、信用するのは間違いだったのか。

「いいえ、そうじゃないの。これは暗視だわ。暗視の機能は元々付属していないはずよ」

「暗視……? 確かにオレの装置にはそんなのついてないけど……畸形が夜行性って目星を付けて、入れてくれたってことか?」

 巷で騒がれる野犬騒動の被害が必ず夜間に起こっていることから、察して取り付けてくれたらしい。

「街灯もあまり無いようだし、これは良い御節介だわ」

 疑って悪かった、と清依は空に向かって心の中で謝った。やっぱり紫蕗は凄い技師だ。何も聞いていないが、幾ら請求されるのだろう。

「これで不利は無さそうね」

 獰猛な肉食の獣相手に不利が目だけだと言い切る結理に清依は身震いした。きっと体の作りと装置の扱いが天才的なのだ。

 また少し屋根を跳んだ所で、結理は再び足を止め姿勢を低くした。

「――食事中だわ」

 清依も屋根にしゃがみ、結理の視線の先を見て顔が引き攣った。暗いのであまりはっきりとは見えないが、四肢をだらんと投げ出した人間の首に噛みついて貪っている生物がいる。暗視機能を得た結理には、はっきりと見えていることだろう。

「雄の虎だわ」

「! 虎!?」

 縞模様の尾と、頭に耳も生えている。手の鋭い爪で人間を逃げないようしっかりと取り押さえている。

「苺子ちゃん、虎に遣られたってこと……!?」

「虎は人も食べるのよ。昼間も活動できるはずだけれど、警戒して身を潜めているのかしら? 足も速いし跳躍力も高くて木にも登るし、立体的に戦うことになるわね。良かったわ、知っている動物で」

「良かった……かなぁ?」

 人を食う虎に対して、良かったという感想はなかなか出ないだろう。

「前脚……人間の形なのだから腕と言うべきかしら。獲物を捕らえて離さない腕と、強靱な顎には気を付けて」

「了解……」

「あれに捕まったら、私でも助けてあげられないわ」

 捕まった時点で大怪我になるのだから。

 食事中の虎を見下ろし、清依は唾を呑んだ。

「虎と言っても所詮は人間の混ざった不純物なのだから、何処まで鼻が利くのかはわからないわね。まだこちらに気付いていないようだけれど」

 その言葉に、自分達がしっかりと風下にいることに清依は気付いた。さすが経験が違う。

「清依。あの畸形の力が全て定かでは無い内は、周囲に人間がいた場合、被害が及ばないように援護してちょうだい」

 食べられている人間はもう助からない。気にしなくて良いということか。

「了解」

「こちらに手は出さなくて良いわ。少し機嫌が良くないの、私。間違えて清依に攻撃してしまうかもしれないわ」

(八つ当たりする気だ。巻き添え食わないよう離れとこ)

 清依は神妙に頷いた。

 現在、周囲に人はいない。人通りの少ない住宅街だ。そんな場所を選んでくれたことには感謝する。結理はとんと屋根を蹴り、畸形の頭上目掛けて少し長い方の刀――千佳に名称を教えてもらった中脇差を突き下ろした。

「!」

 仕留めた人間の首筋に食らいついていた畸形は、すぐに結理に気付き飛び退いた。月明かりで双眸が眈々と金色に輝く。

「初めまして。その瞳は鼈甲のようにとても綺麗だと思うけれど、あなたは危険なの。始末させていただくわ」

 畸形は距離を取り、突如現れた人間を凝視し観察する。結理も目を逸らさない。清依は念のため畸形が食らっていた人間の生死を確認するが、やはりもう息は無かった。

「…………」

 結理は小脇差を少し横に上げ、刀の角度を調整する。目で追っていた畸形は月明かりを反射した刀身に僅かだが眼を細めた。

それを逃さず結理は思い切り地面を蹴った。畸形は逃げない。地面に突いた手が浮く。爪で薙ぎ払う気だ。

 姿勢を低くし、腕が振り抜かれる前に結理は跳躍。追って畸形も跳ぶ。刀で爪を弾く。一撃が重い。空中では受け止めきれないので素直に壁まで飛ばされ、壁を蹴り刀を突く。首の皮が掠る。

 実力を認めたのか畸形は後方に飛び退き、再び距離を取った。

(本気で掛からないと勝てないと悟ったかしら)

 結理も刀を構え直す。暗視のおかげで姿ははっきりと見える。月が雲に覆われてゆくが、問題無いだろう。


「――きゃあああ!!」


 結理からは死角になっている塀の陰から女性の悲鳴が上がった。青界の人間だ。

 真っ先に畸形が女性に飛び掛かった。結理が手強いので標的を変えたようだ。より早く腹を満たせる人間の方に。判断が早い。

 結理よりも畸形の方が女性に近い。結理の位置からでは間に合わない。爪を剥き出し飛び掛かる畸形を、援護を頼まれた清依がナイフで弾く。

「――っ! おもっ……!」

 体重を乗せた一撃に、ナイフを握る手がじんじんと痺れた。そう何度も受け止めていられない。直ぐ様、気を失ってしまった女性を抱き、距離を取る。

 だがこちらなら勝てると思ったか、畸形は再び清依に飛び掛かった。

「ちっ」舐められた。

 今度は読んでいた結理は初速度を上げ、畸形の胴を蹴り飛ばす。

 礼を言おうとした清依に間髪を入れず、結理は空を一瞥し畸形に目を合わせたまま背後に言葉を投げた。

「清依、見えるかしら? あの爆撃機が何処を攻撃するのか追って見ていて。問題があれば対応を。そして連絡を」

 月の無い空を目を細めて見上げると、黒い空に何か飛んでいるのが微かに見えた。鳥などではない。

「了解」

 結理を一人置いていくことを躊躇わず、爆撃機だと言う胡麻のような動く物を見上げ地面を蹴った。

 援護はいなくなったが、周囲を気にせず戦える今の方が、良く動ける気がした。

「獣の動きを止める常套手段はやはり――脚を使い物にならなくさせることかしら!」

「――はやっ……!」

 喋らないので喋れない畸形だと思っていたが、少しは喋れるらしい。だが今更そんなことは気にせず、刀は畸形の脚を斬り付け、鮮血が散った。



 爆撃機を追う途中に小さな公園があったので、抱えていた女性をベンチに寝かせる。この距離ならば、畸形が飛び込んでくることもないだろう。悪い夢だと思ってくれればいい。

 望遠鏡を形成し胡麻を見上げると、確かに爆撃機の形をしていた。

(姉さん、度数幾つのコンタクト入れてるんだ)

 望遠鏡を仕舞い、言われた通りに爆撃機を追い、家々の屋根を跳ぶ。なんて忙しい日だ。

 爆撃機は人の少ない住宅街ではなく、人の多い繁華街を狙っているのか、明るい上空を飛んでいる。巻き添えなど食らわないよう不必要に近付くことはせず、目視できる距離で様子を窺う。周囲に爆撃された痕跡が無いことから、これから殺戮を始めるのだと推測する。攻撃が行われるとまた甚大な被害が出る。大勢の死傷者が出るだろう。音の無い爆撃機に気付いて避けるなんて、そうできることではない。更に黒い爆撃機は夜の方が視認が難しい。違界を何も知らない青界人では特に。

 見通しの良いビルの上で、どうしたものかと清依は考える。

(姉さんは見ていてとしか言ってないんだよな……問題があるとすれば、このまま進まれると、苺子ちゃんのいる病院があるってことくらいか……いやそれは問題だな)

 折角命を繋ぎ止めている苺子に、これ以上の傷は負わせられない。

 清依は独断で狙撃銃を形成し、ビルの屋上の縁に二脚の銃架を置き伏せて構える。近接戦闘よりもむしろ、遠距離狙撃の方が得意だ。

 スコープを覗き、爆撃機を捉える。

 実は爆撃機の攻撃する瞬間と言うのは、横や上から見ればわかる。なかなか爆撃機を上から見る機会は無いが、小さいが赤いランプが光るのだ。ゆっくりと二度明滅し、その後攻撃する。おそらく最初の光が命令の受諾、二度目の光が実行。攻撃の命令を受けて実際に動くまで、ズレがあるのだ。それを利用する。

 撃ち落としても被害は出るだろうが、爆撃して回られる方が被害が大きくなる。そして何より、苺子のいる病院を攻撃させはしない。不特定多数の人間達と仲間とを天秤に掛けるまでもなく、どちらを優先するかは決まっている。

 風と距離、爆撃機の進行速度を計算し、照準を合わせる。

 一度、赤いランプが光った。

 同時に引き金を引き、その先で爆撃機が爆発した。

「よし、命中――あ」

 一度喜ぶが、顔を上げて声を出してしまった。

 何度か爆発音を上げ火を噴きながら、建物に突っ込んだ。墜落してまた爆発する。周囲は公園のようなので、夜なので人はあまりいないとは思うが。

 何の建物だったかと頭の装置を動かし地図を広げる。

 冷や汗が流れた。あれは公園ではなく、広大な庭だった。


「――姉さん! 宰緒くんの家、爆破しちゃった!」


     * * *


 秘密の抜け穴から誰もいない薄暗い廊下を抜け、雪哉に教えてもらった道順の通りに白い廊下を進んでいく。彼から聞いていた通り、誰とも擦れ違わない。

 城の端の方に追い遣られていると聞いたが、こんな所まで来る者は本当に稀有なのだろう。端の方と言うことで、司の部屋にはすぐに辿り着いた。

「すぐに開けてもらえるかな?」

 雪哉と千佳の名前を出せばわかってもらえそうだが、不安はある。怪しまれて扉を開けるなり攻撃されたらどうしようかと、ルナは落ち着かない。

 そんな胸中など露知らずか、紫蕗は構わず扉を叩いた。攻撃されても避けるなり返り討ちにするなり自信があるのだろう。ルナは一歩下がり、紫蕗より後ろに退いた。ルナにそんな自信はない。

 ノックをして暫し待つが、扉には何も反応がなかった。

「いない……?」

「開ける」

 扉の脇に手を這わせると、薄らとパネルが出現した。紫蕗の防御展開装置から小さな画面が吐き出され、パネルの画面と同時に両手で叩いていく。

 紫蕗の作業中、廊下の先に何度も目を遣るが、人一人現れなかった。

 作業が終わると攻撃に備えて皆を扉の脇に移動させ、躊躇いなく扉を開けた。

「……誰もいない?」

 決して大きな部屋ではなかったが、人が隠れている気配も無い。机に本棚、薬棚。そして奥にはベッドが一脚。攻撃が飛んでこなくて良かった。

「留守のようだな」

 全員中に入るよう促し、扉を閉めておく。早速紫蕗が物色を始めた。

 机の引き出しには筆記用具や、何だかわからない布切れの塊など、目ぼしい物は無い。両開きの扉が付いた棚を開けると、金属の容器が無造作に積まれていた。一つを取り出して蓋を開けると、臓器が一つ入っていた。

「っ!」

 何が入っているのだろうかと興味津々で覗き込んでいたルナは驚いて慌てて飛び退いた。病院で天利に発信機付きの臓器を見せられていたので、その淡いピンク色の物が臓器だということにすぐに気付いた。

 紫蕗は気にした風もなく容器を机に置き、他の容器も調べた。全く動揺する素振りがない。ルナが不在の間に天利にあの内臓を確認させられているとは思うが、それでもそれよりも前から慣れているのだろう。紫蕗は医師でもあるのだから。

「雪哉に仕掛けられてた発信機とおそらく同じ物が、幾つかに内蔵されてるな」

「じゃあ……犯人はやっぱり、司って人……?」

「この状況だとそう言わざるを得ないが、腑に落ちない点も幾つかある」

「足が付きそうな発信機付きを処分してない所とか?」

「それもあるが、城を壊してくれと言う人間が城に手を貸すようなことをする点、壊してくれと言う言葉が嘘なら、戦力である畸形の手の内を態々見せる利があるのかという点。意図が見えない」

「味方でも敵でも、筋が通らないことがあるってこと?」

「本人に直接話が聞ければ、情報をもう少し引き出せたんだが」

 真意が聞けるか虚言が飛び出すかはわからないが、表情や言動で得られる情報もある。

「ねえ、こっちに服があるよ! 白衣がたくさん! これで変装しようよ」

 奥のベッドの方を物色していた椎がクロゼットから白衣を一着摘み出し、広げて見せる。

「人数分あるぞ。紫蕗には大きそうだが」

 同じく白衣を掴み、余計な一言を放った灰音は膝の裏を蹴られ床に手を突いた。ラディに無言で肩をぽんと叩かれたことが一番腹が立ったので、足を払ってすっ転ばせた。

「私にも大きいかも」

「俺にも少し裾が長いよ。司って人、背が高い」

 灰音とラディには丁度良さそうなので、司は確実に百七十センチメートル以上はあるだろう。小さいと言われているが、紫蕗もこの中では一応、椎より身長が高い。

「全員着なくていい。ぞろぞろとこの人数で歩く方が不自然ということもある」

 言われて納得する。五人でぞろぞろと言うと、昼休憩なら有りかもしれないと思う。

「ルナだけ着ろ」

「え!?」

 納得したのに、白羽の矢が立ち思わず声に出た。

「何で俺!? 俺だけ?」

「情報が欲しい。コアの人間に接触したい」

 その気持ちはわかるが、何故指名されたのか聞きたい。冷や汗が流れる。

「何で……俺?」

「俺のこの目では無理だ。眼帯を付けても訝しがられる」

「そうかもしれないけど……」

「椎と灰音は何を言うかわからない。そこの男のことはよく知らない」

 名前を言ってもらえなかったラディはきょろきょろとし、自分のことだと気付いた。

「オレがやろうか?」

「黙ってろ」

 間髪入れず一蹴された。

 一応考えがあっての選出ならばと、消去法で選出されたルナは気が乗らないながらも、多少の信頼はされているのだと、自分しかいないのならばと腹を括った。全力で援護してもらえれば、何とかなるだろう……。

 城の中では誰も装着していない目立つ頭の防御展開装置は不安ながらも仕方がないので外し、違界言語の翻訳のために首輪は付けておく。収納装置の腕輪は白衣の袖に隠れるので装着したままだ。戦闘の危険があれば、武器を取り出すことはできる。

「部屋を出たら、ルナは前を歩け。俺達は身を隠しながら追う」

「……何を聞き出せばいいんだ?」

「話を聞きながら臨機応変に。青界への奇襲と司の関係もわかればいいが、優先するのはリヴルについてだ」

 具体的な会話例を出してくれるとありがたいが、ルナの匙加減に頼る部分が多く、あまり自信がない。遣れるだけのことは遣ってみるが、こういう遣り取りに慣れていそうな紫蕗が前に出られないのは苦しい。

「わかった……」

「危険があれば助ける」

「ありがと……」

 すぐに対応できるよう、椎と灰音は銃を形成しておく。ラディも武器を形成しようとしたが、様子を見ることにした。何か危険が起こった時、全員で一気に飛び出し混乱するのは避けたい。

消音器(サプレッサー)は?」

「ある」

「ない」

 灰音は頷くが、椎は首を振る。あまり警戒されるような音は立てたくない。椎にはなるべく撃つなと釘を刺しておく。

 ルナは促されるまま、少し裾の長い白衣を翻して部屋を出た。違界の中でヘッドセットを外しているとこんなに不安なのかと、ルナは緊張で唾を呑んだ。

 来た道とは逆の方向、城の内側へと歩を進める。背後についてきていることはわかっているとは言え、突然ぽつんと心細い。

 この白い廊下も何処に行っても何処まで行っても同じ景色で、迷路のようだ。着ている白衣の所為で、景色に溶け込んでしまいそうだ。

 心臓が早鐘を打つのを落ち着かせるために息を吸った所で、角から白衣を纏った男が飛び出してきて心臓が止まりそうな程びくりと肩が跳ねた。

「!」

 余程急いでいるのか焦った表情で、男はルナにぶつかりそうになり踏鞴を踏む。

 遂にコアの人間に接触してしまった。ここからが本番だ。見た目は城の外の人間と変わりない。悟られないよう紫蕗達へは意識を向けず、目の前の男に集中する。緊張で歯が鳴りそうだが堪え、意を決して会話を試みた。

「何かあったんですか……?」

 臨機応変にということならまずは、こんなに慌てている理由を聞いた方が良いだろう。第一声として間違っていないことを祈る。

「む……? 見ない顔だな。新人か異動か?」

 ルナよりもずっと年上で、親の方が歳が近いだろう男は眉を寄せた。ルナは目が泳ぎそうになるのを堪える。話を合わせなくては。

「あ……はい。新人です」

 怪しまれずに話してくれるだろうか。その懸念はすぐに払拭された。余程慌てているのだろう、少々早口ではあるが、話してくれた。

「司様が王の部屋に無断で侵入し、最上層から落ちたらしい。あの高さなら死んだだろうが、一晩探しても見つからず、人を増やすそうだ。下は森だからな、人手がいる。死体を回収する。お前も来い」

「!? えっ……それはどういう……ことですか……?」

 司が死んだ? 予想すらしなかった言葉に紫蕗を振り返りそうになるが、寸前で堪えた。

「そのままの意味だ。現在は王の部屋は何者であっても立入禁止だ。それを侵した」

「あ、いえ……えっと……何で落ちたんですか……?」

 もし既に周知の事柄だったとすれば一気に怪しまれるだろうが、訊かずにはいられなかった。

「最近雇った外の人間が、落として始末したらしい。その場で撃ち殺していれば、探す手間も省けるのに……」

 後半はぼそぼそとぼやくように吐き出した。どうやらまだコアの中でも情報が行き届いていないらしい。怪しまれずに済んだ。

 そしてもう一つ、情報を聞き出さなければいけないことが飛び出してきた。

「そっ、外の人間っていうのは……」

「話は後だ。悠長に話してもいられない。急ぐぞ! 来い!」

 外の人間については何も聞き出せなかった。いや、まだチャンスはあるはずだ。

 男が背を向けて走り出すので、ルナも物陰の紫蕗を一瞥した。紫蕗は小さく頷く。続行のようだ。男を追い、ルナも走る。

 男について走っていると、また別の男に出会した。少し若い、痩せ型の男だった。前を走っていた男は立ち止まり、深々と挨拶をする。

 痩せた男はルナを見て眉を寄せた。

「見ない顔だな」

 ルナに再び緊張が走る。だが先程のように新人だと言っておけば切り抜けられるだろうと、楽観的に考えてしまった。

「新人だそうです」

 男が敬語で話していることに、少し違和感を覚える。上司、か……?

 痩せた男は更に顔を険しくした。

「新人? 新人が何故、上級員の白衣を着てるんだ?」

(上級員……!?)

 よく見ると二人の男の白衣は、意匠が少し違っていた。そしてルナと痩せた男の白衣は同じだった。不味いとすぐに察した。

「侵入者か? 外も騒がしいからな。始末しろ」

「!!」

 城の人間ではないと気付かれた。男が懐に手を伸ばしたことを捉え、ルナは慌てて踵を返して逃げた。

 その横を灰音の放った弾丸が二発、擦り抜けていった。背後でどさりと倒れる音がし、紫蕗達が隠れている角に倒れ込むように飛び込んだ。心臓がばくばくと暴れている。振り向くと男達は折り重なるようにして床に倒れていた。

「外の人間と言うのはリヴルのことかもしれない。気は乗らないが、上を目指そう」

 他に手掛りもない。それにそう何人も城の中に外の人間がいるとも思えない。今まで散々、外の人間を嫌ってきたのだから。

「王の部屋とやらも上にあるみたいだな。王をぶっ殺せば一石二鳥じゃねーか」

 好戦的に灰音はにやりと笑う。悪人面だと思う。

 もう必要ないだろうとルナも急いで白衣を脱ぐ。最初の男は酷く慌てていたので見落としていたのだろうが、新人が上級員の白衣を着用しているなんて、ちぐはぐなことをしてしまった。最初に撃たれなくて良かった。

「そんなに上手くいくかなぁ……」

 防御展開装置も装着し、漸く安心する。

「騒ぎになる前に行くぞ」

 倒れた男達を一瞥し、紫蕗は今度は身を隠さずに走り出す。慎重に身を隠すよりも、この場からは早く去った方が良い。

 どうやら城では青界のことより城の中のことで忙しいようだったが、少しも話に上がらないというのも引っ掛かる。王族の方が大事なのはわからなくもないが。

「司が死んだって、どういうことなんだ? 王族だって言ってたよな?」

「わからない。だがリヴルならその場で始末することも可能だったはず。態々外に落としたということは、何か考えがあるはずだ」

 走りながら、得た情報を洗い出す。

「考えって?」

 当然のラディの質問に、紫蕗は間を置かずに答える。

「あいつは城につくと言った。だとすれば始末対象を始末することは頷ける。だがあいつは利用するとも言った。これが単純な始末ではなく、利用だとしたら」

「司に何か利用価値があって逃がした可能性か」

「落とした先に誰かいたかもってことかな」

 灰音と椎も身を乗り出し、成程と頷く。雇った外の人間と言うのがリヴルなのだとすれば、この中でリヴルのことを一番わかっているのは紫蕗だ。共に過ごした頃はまだ幼かったが、記憶として確かに残っている。

「誰かいるとすれば、違界から出る時に雪哉さんの近くにいた人……?」

「クロと言っていたか。戦える人間らしいからな、可能性は高い」

「でもさっきの奴、死体を回収するって言ってたぞ。生きてたら死体なんて見つからない」

 落下地点がわかっているなら、見つからないことに不審を抱くのも時間の問題だ。司が落ちたのがいつ頃の出来事なのか、先程の男の言葉から一晩経っていることは確かだ。だとすれば紫蕗達が違界に転送するよりも確実に前だ。

「生きてるのがわかれば、探すだろうな」

「オレ達とコア、どっちが先に司を見つけるかってことか……!」

「いや司は俺にはどうでもいい。リヴルを探す」

 またしても軽く一蹴された。ラディは肩を落とした。

「司とリヴルが何処かで落ち合うとかは?」

「だったら一緒に落ちればいいだろ」

「ええ……」

 確かに手っ取り早いのはそっちだと思うが。

「リヴルも追って飛び降りればコアに敵と見做されるかもしれないが、止めを刺すためや死体を見失わないためなど言い訳は幾らでも考えつく。追う必要がなかったと見ていい」

 追う必要がないなら、後で落ち合う必要もない。紫蕗がそう言うなら、リヴルとはそういう人間なのだろう。

「リヴルも一緒に死体を探してる可能性は?」

「ない。あいつの性格上、それはない」

 一同は心中、言い切った……と呟いた。

「じゃあこれから何処に行くの?」

 もう一度、行く先を確認する。

「上を目指す。リヴルもだが、王にも少し興味はある」

 王。現在何代目なのかは外の者には定かではないが、違界を壊した血族だ。どんな人間なのか、興味がないと言えば嘘になる。

 やっと上へ行く階段を見つけ、駆け上がる。エレベーターはないのかと思ったが、何処も同じような景色なので、どれが部屋の扉なのか、その中にエレベーターの扉はあるのか、見分けがつかない。昇降のボタンは目に入ってこない。

 何度かコアの研究員に遭遇するが、その都度灰音が仕留めていく。時折断末魔が漏れるが、すぐに意識を飛ばす。

 階段の位置に法則性がないのか、次の階段を見つけることに苦労した。これでは侵入者がいてもすぐに迷子になってしまう。道筋は都度ヘッドセットに記録していくが、先が見えてこない。

 何度目かの気配を感じ、また研究員かと灰音は銃を構える。角を曲がった先だ。何度目かの不意打ちに角から飛び出すが、引き金を引く前に体が後方へ突き飛ばされていた。

「!?」

 床を滑り、白い床に赤がべっとりと擦り付けられた。単調な遣り取りが続いたことで、油断していたこともあるかもしれない。

「灰音!」

 腹を押さえ丸まる灰音に、平和ボケだの何だの言われている椎もすぐには駆け寄らない。まずは角の先にいる者を確認する。

「え……」

 それは先端の尖った黄みがかった太い尾と黒い翼を生やし、宙を飛んでいた。両腕は尾と同じ黄みがかった鋏の形をしている。雪哉と千佳の話にはなかった特徴の畸形だ。その独特な形状の尾に、何なのかすぐに察しがついた。

「蠍……!」

 蠍の太い尾と小さな鋏を有する少女は虚空を見ながら、状況を判断しようとしているのか飛びながら動かない。

「チッ、すぐに治療しないと不味いか」

「飛んでる……!」

 何処を見ているのかわからないが、少女から目を逸らさず、灰音の様子を窺う。蹲ったまま動かない。

「逃げる時間が惜しい。応急処置が終わるまで三人で相手ができるか?」

 蠍はその殆どが人間を殺すような毒は持っていない。だがこの少女は黄みがかった太い尾と、小さな鋏を備えている。猛毒を持つ尾太蠍(オブトサソリ)である可能性がある。人体に変容する過程で元の生物から逸脱する場合もあるが、大きく逸脱することは少ない。背中の翼と頭部の特徴はおそらく蝙蝠だ。畸形となった時に危険度が高いだろう生物はある程度調べてある。わかりやすい特徴が表面に現れてくれていて助かる。

「……灰音のためなら、やる!」

 椎は二挺の拳銃を構える。灰音の状態は一刻を争う。ルナも大鎌を形成する。ラディも銃剣の生えた銃を形成し臨戦態勢を取った。

 その様子を横目に、紫蕗は灰音の傍らに滑り込む。念のために防弾壁を張った。灰音は痛覚遮断は正常に作動しているが、毒の所為か防ぎきれていない。脂汗の滲む顔は苦しそうに歪んでいる。早急に毒を取り除き、止血しなければならない。

 誰が先に動くか、緊張が走る。尾には最大限の警戒をするが、鋏も厄介だ。

 ルナの大鎌は狭い廊下ではあまり振り回せないが、それは少女も同じで、狭い廊下では自由に飛び回れないだろう。蝙蝠の脚は立つことができないそうだが、この少女の脚は蝙蝠か蠍か。先程から飛び続けて床に足をつけない所から、蝙蝠である可能性は充分にある。あの尾と鋏に加えて脚まで自由に動くのなら、脅威は計り知れない。

「いくら畸形でも、致命傷を与えれば死ぬだろ」

 ここはこの場の最年長であるラディが率先して守らねばと、少女の頭部を狙い二発撃った。

「!」

 少女は何でもないように鋏で弾を弾き、翼を羽撃かせ一気に距離を詰めた。椎も引き金を引くが、悉く鋏で弾かれる。鋏が追い着かない弾も素速く避けられる。

 椎に尾の狙いが定められ、ルナは大鎌を思い切り降った。壁にぶつかる部分は部分収納を駆使し、体を両断するつもりで振り抜いた。だがくるりと躱され掠りもしない。速い。

 銃弾も鎌も、至近距離の銃剣でさえ器用に全て躱すか鋏で防ぐ。こちらは尾に刺されないよう逃げるのが精一杯だ。

 壁にぶつかりそうになるも、足で蹴りくるりと体勢を整える。蝙蝠の脚じゃない。しっかりと体を支えることができる脚だ。最悪だ。

 大振りな大鎌では受け止めるのも逃げることも間に合わず、ルナの腕に鋏が掠る。

「……っ!」

 椎はその攻撃の隙に少女の頭部を蹴り抜こうとするが、読まれているのか躱される。自由な尾が刺そうとし、ラディが銃で弾く。鋏と尾には弾が当たっても傷すらつかない。

「こんなのどうやって倒しゃいいんだよ!」

 毒突くと同時に、鋏が腕の肉を刮ぎ取っていく。小さくても鋏は鋏だ。大型のナイフで斬り付けられたようだ。

「わかんないよ! でも、やらなきゃ灰音が!」

 一瞬意識を少女から逸らしてしまい、椎の脚に尾の毒針が刺さった。

「椎!」

 寸前で脚を引いたので持っていかれはしなかったが、義足が欠けた。


「全員、防御展開装置を切れ」


「!」

 凜とした紫蕗の声が通り、三人は迷わず電源を切った。為す術のないこの状況を打開できる何かがあるのだろうと、その声に縋った。同時に痛覚遮断が機能しなくなり、奥歯を噛む。

 紫蕗は灰音に布を噛ませ、彼女の装置も切る。灰音の応急処置は完了した。

「あいつはおそらく目が見えていない」

 応急処置をしながら戦い方を観察していた紫蕗は、答えを導き出した。

 何処も見ていない双眸はやはり何を見るでもなく、少女は翼を羽撃かせ、突っ込んできた。

 きぃん、と何かの音が聞こえた気がした。

「ぁ、う……」

 少女はフラフラと動きを止め、きょろきょろと頭を振った。何かを見ようとしているわけではない。

 蝙蝠の反響定位(エコーロケーション)。超音波を発し、その反響で物体の位置などを把握する能力。その超音波を妨害した。

 少女は物体の正確な位置が掴めず、壁にぶつかる。

 紫蕗に目配せされ、ルナは傷む腕に歯を食い縛りながら、鎌を振った。

 位置が把握できずとも、殺気を感じて少女は翼を利用し後退する。超音波ではなく殺気でルナの位置に当たりをつけて襲う。正確な位置がわからなくとも、大振りな攻撃ですら脅威だ。毒針には掠ることさえ危険だ。このままではルナの腹に鋏か尾か、刺さってしまう。椎は危機を感じ、尾の針を掠りながらルナを突き飛ばした。その双眸は赤く染まっていた。義足から紫蕗の血は抽出したが、まだ残っているのか。

 妨害だけでは足りないと、紫蕗は超音波を操作する。

 本当は何も無い空間に何かが有る。有るのに無い。先程とは違う空間に、少女は混乱した。目が見えなくても全てわかっていたのに。全て視えていたのに。何も、わからなくなった。

 何発も銃声を上げたことにより、コアの研究員達も何事かと駆けてきた。研究員達は侵入者である紫蕗達ではなく、蠍の少女を見て立ち止まった。司の話によればコアは複数の畸形を飼っているはずだが、この畸形はその中に含まれないのか? 研究員達は見る見る青褪め、散り散りに我先にと逃げ出した。

 混乱する少女は突如駆けてきた足音に反応したのか、腰を抜かして立てない研究員を鋏と尾で滅多刺しにした。

「ぅあ!」

 何度も何度も刺し、逃げる最後の一人も息の根を止めてしまう。

 背を向けた隙に紫蕗は糸で少女の片翼を切断した。体勢を崩し、少女は壁に激突した。

 残った翼だけでは上手く飛べず、地面に落ちた蛾のように何度もバタバタと翼と尾を動かす。

「ぅう!」

 紫蕗はラディに灰音を担ぐように言い、焦りながらも静かに走って離脱した。超音波は暫く乱れたままで、少女は死体の中で身動きが取れず唸るしかできなかった。

 少女の姿が完全に見えなくなり次の階段を見つけた頃、漸く防御展開装置の電源を入れることができた。痛覚遮断が働いたことに安堵する。誰もいないことを念入りに確認し、ルナとラディの手当てと、毒を掠った椎の処置を紫蕗にしてもらった。違界の畸形から受ける傷は青界人には毒となる。ルナの手当ては念を入れて施された。

 動けずにいたら先程の研究員達のように殺されていたのかと思うと、足が縺れそうになりながらも動けて良かった。

 あの畸形の出自も気になるが、もう二度と会いたくないものだ。


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